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過去からの呪縛

戒はいつもそうするように屋上に来ていた

その行動がすでに毎日の日課として体に刻まれていて、最近は部活をボイコットしてまでこの場所に来るようにしている

そもそも、飛鳥にあそこまで失礼なことを言っておきながらむざむざと顔を出す気がしない

自分の浅はかな言動で彼女が傷ついてしまった、だからもう会わないほうがいいと勝手に結論付けたのだ


そこには既に天音がおり、いまだ熱気の残留する九月の青い空を見上げていた

彼女は相変わらず弁当を作ってきて気づかれないように机の中に入れてくるのだ。昼食も一緒に空を見上げながら屋上にて取るのだがちょっとした世間話程度の会話しかしない

基本的に空を見ているときの彼女は戒が自分の傍に寄ってきてもまるで気付かないのか、それともあえて無視しているのかはわからないが天空を仰ぎ見ることをやめようとはしない

それでも、今は彼女のそばに居ることだけが戒にとって癒しだった


初めは彼女もクラスの窓辺で空を眺めるだけだったのだ。戒が彼女と関わりを持ったのは例の笹山の事件からだったが

記憶にある限り宇都宮天音という少女はずっと天へ複雑な思いを抱き続けているようにも見えた


もしかしたらそれは思春期ならではの感傷の一部に過ぎなかったのかもしれず、大人へと成長していく苦悩からの逃避のようなものかもしれない

彼の知っている限り同い年のクラスメイトが影で喧嘩に明け暮れたり、隠れてタバコや酒をやったりする行動もそれの一環だと思っていた


しかし天音は違う。彼女からはそういった動的な悩みというものが感じられない

戒は理解できないかもしれなかったが、天空に浮かぶ理想郷という戯言に面白半分に付き合って天音が挫折し大人しくなってくれることを願って屋上に連れ出したのだ

彼は認めたがらないだろうが戒らしくない一連の行動の中に天音への思慕の感情も多少なりとも含まれてはいたのだが

それが、彼女を天に近づけたその行動こそが妄想癖を悪化させてしまったのだという思いがぬぐいきれない


正直に告げると彼女の行動は一緒に居る戒にも全く理解が出来ないのだ


(そう、僕は言うべきだった。昔も・・・)


彼女の空想を頭ごなしに否定すればよかったのだ。君はおかしいそんなものがあるはずがないと一刀両断してしまえば良かったのだ

天音は傷つくかもしれない、気の強い彼女のことだから戒に掴み掛かってくるかもしれない

それをしなかった理由が有るとすれば


(もしかして彼女はまだ本気で信じているのかもしれない、有る筈の無い幻影の理想郷を)


驚くべきことに根拠は無くはない。もう十年近く前のことなのにはっきりと覚えているのは小さい背中を晒した少女の姿

そのシルエットが徐々に色彩を失っていき、空気と同化したように姿が見えなくなる

実際に見た光景ではない。『彼女』が消えた朝の夢の内容だ

そして思うところがある。天音も同じように彼女と同様消えてしまうのではないかとの懸念が胸の奥にあるのだ


夕焼けをバックに舞う天音の髪

そよ風に吹かれ微かに揺れるしつこくの繊維が儚げに揺れて陽炎を思わせる

それが、彼女の命の炎のように思えてならない。天音を主張する黒く儚い煌き

どことなく美しく、しかしろうそくの火が今際の際に勢い良く燃え上がるように身を風に任せているようで・・・


だからこそ思うのだ、彼女がもし昔に会った少女だとすると今も自分の言葉に縛られてしまっているのではないかと

それはつまり、自分の行いが彼女を縛り付けているのと同様ということになるのだ

ならば、自分はどうすべきであるのか?天音の後姿を眺めながら戒は決断する


(けど、それでいいのか?)


心の中で自問自答する。今までの行動を見るに彼女は自分の行いに疑問を抱いている様子は無い

天音自身が望んでやっていることならば、自分の考え方がひどく独善的で身勝手なものかもしれないと思ってしまう


(それでも、宇都宮は僕のように辛い立場に居るべきじゃない)


彼女の幸せを考えると、天音は自分のようなろくでもない人間と関わっていくよりクラスの女子たちと笑顔で雑談しているほうが望ましいと思う

それを言ってしまって拒絶されるのならばまだいい、自分と違い彼女を受け入れてくれる場所はほかにもあるのかもしれないのだ

ならば、やはり言うべきだ。戒は己のうちで決断を下した

それが彼女の為になるのかどうかはなはだ疑問ではあったが


「宇都宮さん」


小さく呟いた


「何?」


透き通った声音はまれで精巧な楽器のように戒の耳に届く、それは天音がここにいるということに対する間違い無き証だ

戒は急に胸のうちが苦しくなったような錯覚を覚えた

天音は首を傾げながらもそのまま視線を赤く染まった天空に戻そうとする、思わずそれを見て戒は彼女の元に駆け寄った


そのまま彼女の手を握る

温かい掌、多少指先が冷え切ってはいたがそれを包み込むように自らの両手で覆い暖めてやる


「アンタ・・・いきなりどうしたの?」


天音が驚いたように戒に向き直り戸惑い交じりの声を漏らした

秀麗な天音の顔が思いのほか幼く見えた。彼女の素顔をようやく覗けたような気がする

そのまま体が灼熱するかのような感情を得た戒は、ぽかんと立ち止まっている天音に顔を近づける

もう少し、ほんの数センチほど接近すれば唇が触れ合ってしまいそうな距離


「何?」


「僕は君に会った事がある、それもかなり昔にだ」


天音が急に真面目な顔をして黙ってしまう、整った顔の仏頂面を見て人違いではないかと疑ってしまうが特に反論のようなものは出ない

それをみて、戒は一呼吸すると続けた


「あの時僕が君に何を言ってしまったのか、詳細には思い出せない。けれどもうこんなことは止めた方がいいと思うんだ、君自身の為にも」


「言いたい事はそれだけ?」


「君のやっていることはおかしい。空には何も無い、あるのは地上のつまらない世界だけだ」


彼女は黙ったままだった


「でも、君のやっていることは僕にも責任がある。だからもう・・・」


天音がが手を振り上げるのが見えた。その意味は一秒もしないうちに痛みと共に思い知らされた


乾いた音が静かな屋上に鳴る


それは天音が戒の頬を張ったからである

赤くなった頬を押さえようともせず戒は天音を見る。講義の一つでも言おうとしたが彼女の顔を見てそれは止めざるを得なくなった

天音の瞳は涙で潤みかけていた。謝罪の言葉を咄嗟に用意しかけるが、彼女の言葉のほうが先に出た


「何よ、あんたも私が頭おかしいって考えたわけ?」


「ごめん」


反射的に謝るが、天音の怒りは収まらない

そもそも、何故謝罪したのか戒には理解できなかった

先に手を出したのは無論天音のほうだ。女である彼女に同じ仕打ちで仕返しするわけにもいかないが、圧倒的に非が在るのは彼女の方だ


「どうやら、あんたも他の馬鹿と同じってわけね」


失望の声と共に天音が言った


「違う、それは・・・」


戒は弁解するが、天音は聞く耳を持たない。目に涙さえ浮かべながら彼を罵倒する


「あんたなんか大っ嫌い!死んじゃえ!!」


天音はその台詞を残すと、屋上から立ち去って言った

戒は張られた頬を抑えながらも彼女の去った方向に顔を向けるが、何も言うことは無い


「宇都宮さん!」


戒は誰もいない空間に呼びかけるが無論のこと返事は無い

たった一人だけの屋上で、冬の冷たさを微かに含んだ風が周りをすり抜け消えていった


戒はあの時すべてを思い出していた

はっきり言わなかったのは照れ隠しもあるが、天音が本当に『彼女』である確信が持てない

何しろ戒はあまり話したことが無い故に彼女の名前すら知らなかったのだ

こうまで拒絶されてしまったのなら彼女がもし本人だったとしても昔の自分のことなんて忘れてしまっているのかもしれない


(これで良いんだ・・・良い筈なのに)


だが、もう遅い。天音は去ってしまったから

猛烈な後悔と自責の念が沸きあがってきて、彼の胸の内を焼き尽くしそうになる


(僕は宇都宮の為になると思っていたのに、何故だ?)


彼女から拒絶された事実。それが鋭い刃となって戒の心をズタズタにしてしまい。彼はしばらくその場に突っ立ってしまっていた


『あの子とはあまり係わり合いにならないほうがいいと思うの。君の手に余るとかもしれない』


飛鳥の言葉を思い出し、戒は後悔に暮れるのだった

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