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二人の心

八月の蒸し暑い熱気もピークを過ぎ、やや過ごしやすくなった九月の空気

秋というにはまだ遠く、夏と呼ぶには中途半端な暑さは季節の変わり目特有の気候だろう

現に始業式から既に三日程経っているが、日によっては猛暑が続いたり程好く涼しかったりで安定しない日々が続いている


戒としては今の時期は風通しが良すぎて、やや過ごし難い夏服よりも安定した中間服に着替えたい身としては

早く月日が過ぎて服が変わる十月になるのを待っている所ではある


(あまり見ないけど私服の高校だったら、自由に服を変えられて過ごしやすいから便利なんだろうな。)


既に授業は終わり、生徒達は帰宅か部活のいずれかに励んでいる

特に目的の無い戒はぶらりと屋上へ向かったのだ

古く、錆びた扉を開けて外に出る。たまに錆止めでもかけてやろうかと考えながら屋上に足を踏み入れると

その先に広がる開放された空間は、教室だとなかなか味わえない澄んだ空気と新鮮な風で満ち溢れていた


戒は一、二回軽く深呼吸して正常な空気を杯に溜め込むと、目の前の少女に声をかけた


「やっぱり、君も居たのか」


手すりに細い体を預けるようにしながら、空を見上げている宇都宮天音の姿がそこにあった

二学期が始まってから、初めて屋上に来たので天音と過ごすのは久しぶりになる

流石に夏休みの間は彼女に付き添うようなことはしていなかった


だから、天音が休みの間にどうしていたのか気になって、好奇心から戒は声をかけてみる


「宇都宮さん、夏休みどっか行った?」


天音は細い顎に手を当て、質問に考え込むようなそぶりをし、一拍おいてから答えた


「空に行きたかったけど無理だったわ。」


「あ・・・そう。」


ある意味予想通りの返答だったがいまさら驚きの感情すら湧かない

彼女に余暇の過ごし方を聞けば、そうした返答が帰ってきても普通に受け入れられる

別に聞かなければ良かったと悩んだ直後、天音から問いが返ってきた


「神城君は?」


「ああ、普通だよ。宿題とかボーリングとかね・・・つまらなかったけどさ」


この前の苦い出来事を思い出して、戒は顔を顰めた

あまり楽しい思い出ではない。なるべく康生達と遊びに行かないように誓った日でもある

それでも孤独な過ごし方に慣れている戒は、一人でも基本的にさびしくないと思っていた

他人に自分の行動を阻害されるのは好きではない

思春期にありがちな自分を特別視する心情からではなく、単純に人付き合いというものが面倒くさいという戒の考えであったが

何故か、飛鳥や天音と過ごしている間は煩わしく感じない。それが何故なのか戒にも答えられなかった


「ふうん。」


天音が戒の方を流し目で捉えながら相槌を打つ

適当に流しているようにも見えて、彼女が以外と人の話を聞いている事を戒は承知している

知っていたというより、彼女は勘が鋭い。こちらがあまり話していないのに概要を理解してしまうような知性の輝きが瞳の中にあったからだ


「アンタ、もしかして私を馬鹿だと考えてない?」


突然の天音の言葉に戒は戸惑った

投げ出された言葉のボールをすんででキャッチし、咀嚼、飲み込んで、返事を投げ返すまで数秒の時間が掛かった


「・・・そりゃあ、理想郷がどうとか空に行きたいとか聞かされ続ければ、大抵の人間は頭が弱い可哀想な人だなって

考えるんじゃないかな?」


他人に対してもあまりに不躾な答えになってしまったが、特に誤魔化す気は無い

言葉で言い繕っても、天音は必ず見破ってしまうだろうと思ったからだ

正直に答えたほうが余計な曲解はしない彼女にストレートに伝わりやすいと思ったからで

それは、彼女に対する戒なりの礼儀であったのかもしれない


「ふうん、じゃあアンタはクラスで何番?」


「え?」


意味がわからずほうけた声を出す戒


「成績のことよ、この前のテストの結果。もう渡されたでしょ?」


「十番。学年だとギリで五十番かな」


「私は二番、学年で九位。学力だとアンタのほうが馬鹿ね」


けらけらと彼女が笑う。本当にうれしそうだ

このまま笑い者にされているのも負けを認めてしまったような気がしてならない

戒は抗議の意味も込めて口を開いた


「それ、負け惜しみじゃないけど、単純に成績じゃ本当に馬鹿か判断できないんじゃないかな?

学歴だけだと、最近の政治家とかがみんな頭が良くて天才ということになる。それだと天才って言葉に対して失礼だと思うんだけどな」


「別にアンタが馬鹿だって本気で言ったんじゃないから。」


天音が言った。少し悔しそうではある

戒は溜飲を少し下げた。幼稚な言葉遊びみたいになってしまったが


「僕はその程度で怒らないよ」


「つまんない奴。」


天音は拗ねたそうにそっぽを向いた。いや、実際そうなのだろう

退屈そうに夕焼けの色に染まった街を見下ろしながら片足をぶらぶら遊ばせている


それを見て戒の胸に再び彼女に質問したいと言う欲求が生まれた

そして、単刀直入に言った


「君は何で空の理想郷を探しているの?」


天音はすぐには答えなかったが、しばらくすると決心が付いたのか口を開いた


「神様がいるからよ」


神様。


また拍子の無い事を言っていると、顔には出さないが内心苦笑してしまう

彼女はいつも冗談のような事を真顔で言う。人によっては頭の螺子がいくつか纏めて飛んでしまった可愛そうな人間だと思うかもしれないが

天音に関してはそうは思えない。彼女はいつも真顔でそんな事を言うからだ


(僕もある程度感化されたのかもしれないな。)


一応、尋ねてはみた


「神様に逢ってどうするんだい?」


「色々聞きたいことがあるのよ。これ以上は教えないから

アンタ笑ってるし、どうせ信じたりしないでしょうけど私には声が聞こえるのよ」


「声・・・?」


戒は自分の頭を金槌か何か硬いもので殴ってみたい衝動に駆られそうになるが、気持ちを抑えて聞く


「声って、神様とやらの声なのか?」


神の声、彼女の言っていた『理想郷』に関係するような疑問を覚え、気になった


「それは解らないけど、はっきり聞こえた」


「なんて風に?」


「言葉で説明するのは難しいけど、私を呼んでた様な気がする

はっきりと、そういう意思が感じられたわ。私にもなぜそんなものが聞こえたのか解らないけど」


「呼んだ・・・君を?」


「そう、聞こえたのよ。空の声が、理想郷からの声が・・・」


そう言って天音は再び天を見上げた

彼女の無言の意思に応じるようにつむじ風が周囲を舞う

飛ぶ埃を避ける為、戒は少し瞼をを閉じ薄く開けた眼差しで彼女を見るのだった


「なんか私って可笑しな事言うでしょ?」


天音は少し寂しげな眼差しを、足元に向けつつ呟く

それは彼女に似合わない自嘲の表情に見えた戒は何か言おうとした


「いや・・・。」


だが、伝えようと思った言葉は口から出てこない。どんな気休めを言ってもそれは彼女を傷つける事に繋がりかねないという恐れの感情が、戒にそうさせたのだ

彼はいつもと違って疲れたような表情で笑いかける天音の言葉をはっきりと経呈する事ができなかった

自分が肯定したとしても、聡い天音には気づかれるだろうし。否定してしまったら思ったより天音を傷つけてしまいかねなかった

だから曖昧な返事を選んだのだ。それが後々になって天音や自分を傷つけたとしても、今の心地よさを壊したくなかったからである

しかし、それよりも戒が言葉を選ぶのをためらったのはもっと大きな理由があった


憂いを見せた天音の表情があまりにも大人びていて美しかったから

その横顔を崩したくは無かった。ずっと見たいとも思ってしまったから


戒はこの時、自分がいつの間にか目の前の少女が好きになっていたとようやく自覚したのだ

そして、その時だった。背後に気配を感じたのは

背後を振り返る。入り口には誰も居なかった

彼の様子を怪訝に思ったのか、天音が様子を聞いてくる


「どうしたの?」


「え・・・あ、今日は、いい天気だね」


「ええ、空がよく見えるから」


ぎこちない言葉の応酬は、すれ違う両者の気持ちを端的に示しているように見えた

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