天音の企み(2)
「これ。」
天音が押し付けるようにして手渡したのは淡い水色をした包み。戒はそれが何であるか形と大きさから大体わかった
解ったのだが、それがそうだとすると彼女の意図が掴めずに戸惑うしかないのだ
「それ、まさか弁当とかじゃないよね?」
まさかと思い、戒は探りの意味も入れて疑問を口にした。自分はそこまで人に好かれるたちではないと自覚しているつもりだ。かといっておめでたい感性の持ち主とは思いたくはなかったが
この少女が手渡すものとして想像するのにそれ以外のものを連想してしまっても仕方があるまい
彼としては冗談のつもりではあったが、その後すぐに退散する算段を整えていた
「そうだけど何か?」
「・・・。」
戒は頭を抱えたくなった。彼女の意図はまったく分からないが、どうやら自分に弁当を渡すなどという酔狂な事をするとは思っても居ない
どういう風の吹き回しなのか全くわからない。自分は人に親切にされる覚えをしたことは無い
自分は彼女に恩義を売ったつもりも全くといって良いほど無かったのだが・・・
「君が弁当をくれるなんて、もしかして中に石が詰まってたりしない?」
「わざわざ大切な弁当箱を傷めるような真似をするかッ!」
いきなり天音が包みを振りかぶり殴りかかったので戒はあわててかわしてしまった
教室では見せないアクティブな天音の行動にやや微笑ましいものを感じて笑ってしまう
自分だけが恐らく垣間見たであろう天音の表情が、なぜか眩しく感じた
「笑うなッ!女の子に真顔で言われたら馬鹿正直に受け取るものでしょ」
「そうなのか?」
「そうなのよ。」
きっぱりと言い切った天音は包みを押し付けるように戒に突き出した。反射的に彼はそれを受け取ってしまうと彼女の口元が笑みの形に歪んだ
「取ったわね」
「え?」
急に意地の悪い笑みを整った顔に広げる天音。そんな顔をされると男を誑かす為に謀略を企む悪女に見えなくもない
戒は訳が分からず彼女に聞き返した。背筋がゾクゾクする、嫌な予感がする・・・いや、悪い予感しかしない
「君、何で勝ち誇ったような笑いを顔に貼り付けているんだ?」
「あんたは弁当箱を受け取った。だから、私が一緒に食べてあげるって言ってるのよ」
天音の思考が理解できない。無理矢理に押し付けて後で代金と言う名の謝礼を要求されるかもしれないと警戒してしまう
「別に気を使わなくてもいいよ。君と食べるくらいならこれ返すよ、クラスの連中に余計な噂が立つと面倒だ」
「あんな馬鹿な連中の視線なんて気にしなくて良いのに」
「人を見下すのはよくないよ。自分を客観的に見れなくなるからね」
本当は自分もそうであるくせにと自嘲するが顔には出さない
そして忠告しながら天音に弁当箱をつき返す。食事に困っているわけではないからだ
自分みたいな外れ者よりも康生のようなクラスメイトに渡したほうが喜ばれるだろうし感謝されるだろう。余計な誤解を生む危険性は有るがそれは戒の知ったところではない
だが、天音に水色の包みに入った弁当箱を返すが彼女は受け取りもしない
「とにかく、それを受け取ったからにはあんたは私の言うことを聞かなければいけないの。そういうもんでしょ?女の子が男の子に弁当を渡すものって」
「何か誤解をしているようだけどさ、冗談のつもりじゃなきゃ帰っていいかな?」
戒は彼女の相手をするのに疲れ始めていた。いきなり弁当を突き出しておいて一緒に食べてやるから自分のいうことを聞けだなんて馬鹿げている
まさか某国の美人局ではあるまいが、自分を懐柔する理由が見当たらない。されどこうまで理不尽なことをされてこれが普通であるはずがない。絶対何か企んでいるに違っている
と言うか、絶対裏が有る筈である。間違いない
それに昨日まで空ばかり見ていた変人がいきなり自分にこういうものを渡してどうこう指図するのも気に食わない
何も知らない初心な男子生徒ならこのシチュエーションで狂喜して喜ぶのかもしれないが、曲がりなりにも戒は既に交際経験があったからだ
飛鳥は別として、女性の我侭に振り回されてきた経験のある戒は天音の要求に首を振れずに居るのだ
彼女の言っていることは馬鹿馬鹿しい茶番である。付き合っている義理などない
「それだけなら、教室に戻るよ。誘いなら他の奴を当たってくれ」
「あんたにしか頼めない事よ」
背を向けた戒の背中に天音の声が突き刺さった
声の様子が違っている。先ほどのように不遜で傲慢かつ相手に命令するような口調ではない
それは、今の彼女から信じられないほどにか細く真摯で、透明な響きを伴って戒の心臓を揺さぶった
「買いかぶりだよ。僕なんか勉強が少しできるだけの自称・普通の男子生徒さ」
「私をまた屋上にまで連れて行って」
屋上。昨日天音に空を見せる為にわざわざ違法な方法で鍵を解除して向かった第二校舎の頂上
それはこの一津谷高校の中でも一番空に近い場所でもあって―――
「空をまた見るの?」
戒は尋ねる。天音はコクリと頷いてみせる
それはいつも窓から教室の向こう側を覗き、何かを探している変な女子生徒の姿だった
「・・・分かった。じゃあ放課後で」
「昼休みじゃダメ?」
やや、甘えるように天音が頼んだ。彼女の意外な一面を見た戒は心が動くのを感じた
数秒の間のみ思考する。彼にとって弁当以外のメリットなんて無い、屋上なんて月に数回気分転換のために訪れるだけだ
彼女だけ行きたければ施錠の仕方を教えてやってもよかった。しかし、天音程の美人が放課後に構内をうろついていると下手に噂になりかねない
しばらく自分がフォローしつつ忍び方を伝授してやる必要が有るかもしれない
「構わないよ」
ほんの親切心に折れて彼は了承した。下心があるわけではない、この前天音を連れて屋上に行った自分にも少なからず責任があると考えていた為でもあるが
返事を聞くと天音の顔が少しだけ明るくなったような気がした
「そう、分かったわ。」
天音は教室へ去っていった、彼女の香りだけがその場に残される
風に撫でられたなびいた髪の残り香が廊下に残留していたが次第に大気の中に徐々に溶け、霧散していった
天音の香りの元を目で追うようにして、彼女の消えた方向に視線を投げる。探るような、疑うような光を宿して
何故、彼女はそこまでして空に何を求め、何かを探しているのだろうかと、それを思う
彼女の探しているのは向かうべき到達点は本当に『理想郷』なのか戒にはまだ解らなかった
手の中にある弁当箱の重みが彼の胸の中で閉じ込めたはずの感情を軋ませ、必要以上に重量感が手に残るようだ
時折垣間見える天音の純粋な眼差しが「彼女」と重なって見えてくるようで