天音の企み(1)
久しぶりに屋上の夕焼けを見た次の日の朝
人通りの少ない通学路をゆっくりと歩きながら、長い髪を風に靡かせた少しばかり気が強い少女。宇都宮天音の事を考えていた
今は少しだが、彼女が空にこだわるのか分かるような気がしないでもない
彼女は空の光景に興味は無い。理想郷とやらを探しているのだ、それは簡単に他人に告げられないだろう
戒は道行く交通人とすれ違いながら、女子生徒達と談笑する天音の姿を想像した。現実にありえない光景かもしれないが、意外に似合っているようにも思えなく無い
仮に天音があの少女であった場合、空に執着する理由がいまいち解らなかったのだが
(もう少し笑って人と話すようにすればいいのに。)
天音についてはそう思う
艶やかな黒髪を持つ天音は容姿も人並み以上に端麗ではあるし、密かに男子生徒からの支持も集めていそうではある
それに、戒が話したところあまり口下手にも見えない。適当な話題で笑って愛想を振りまくようになれば、彼女も今よりももっと充実した学園生活を送れるのではないかと邪推してしまうのだ
尤も、そんな事を彼女に提案したところで鼻で笑われ一蹴されるオチが見えていたので
故に面と向かって告げてやる気はしなかったが
思考の海から現実に立ち返ると、いつの間に校門の前に着いていた事に気付く
どうやら、考え事をすると時間が過ぎるのも早くなるようだ
今日もまた退屈な一日が始まる。溜息を吐きつつ戒は足を速めるのだった
「それでさ、高木が三連続でデスコン決めて隣町の大学の連中に勝った時はすげえ盛り上がったよ
いやあ、あれはゲーセンに通い始めてもなかなか見れないファインプレーだったぜ。大学生の連中顔真っ赤でリアルファイトになりそうだったけどな
ま、数はこちらが多かったし、あいつら二人組みで気が弱そうだったから逃げてったけど
そんなこんなで昨日は楽しかったぜ、戒も来ればよかったのにな」
教室に入ると康生が上機嫌で話しかけてきた
正直五月蝿かったので無視してしまいたかったが、とりあえず流しながら聴き耳を立ててみる
どうやら彼はゲームセンターでの武勇伝を自慢しようとやってきたらしい。
一方で、戒は小学生以来テレビゲームに手を出してはいないので関心は無かった
「ああ、すごそうだね。今度は時間を取るよ」
曖昧に返す、本当に興味の無いことなので他に言葉が思いつかなかった
「そうか、まあお前にもフルブの楽しさを教えてやるよ」
康生は満足そうに言った後、すぐに戒の隣のクラスメートに話しかける。傍らで聞いてみると誰にも彼にも自慢したいらしい
昨日、彼が遊んだゲームセンターはかなり盛り上がったらしく彼自身軽く興奮しているようでもある
戒にとって何が面白いのかわからないが、付き合いもあるのでその内に自分も足を運ぶ事になるのだろうとひそかに考える
ゲームのどこが盛り上がるのかあまり理解できないが、適当に頷いて返事を返してやるだけで康生は納得している様子だった
それならばそれで良い。下手に神経質で口数の少ない人間よりは口数が多くて思考の単純な人物のほうがあしらい易い
ある程度の身だしなみと楽しくもない付き合いさえこなしたまに気の利いたジョークで場を和ませれば、向こうは勝手にコミュニティに入れてくれるのだから
学校は小さな社会に縮図といってもいい、それなりに大きなグループに入れば校内でのある程度の過ごし易さは保障される訳でつまらない会話に応じてやるのは必要経費と言う事だ
しかし、そうともいっても耳元であまり大きな声を出されるのも気分の良いものではない。そこで、話の合間を縫って戒は康生に言ったのだ
「康生。楽しかったのは分かるけど」
「うん?どうした。」
「少し声が大きいような気がするんだ。」
「え?」
康生は周囲をぐるりと見回し自分に集中するクラスメイトの視線を受け止める
それからようやく気づいたかのように黙り、数秒後に戒に視線を戻した
「あ!そうか。すまねえな、戒。」
「だから大きいよ」
「ま、気にすんな!声が大きいってことはそれだけスタミナがあるって事さ、若さは元気!!ってね」
「そうかい」
誤魔化す様に笑った康生に戒は呆れた様に告げた。康生の声量が大きいのは確かに気になるが鼓膜が破れるというほどのものでもない
とどのつまり、自分が我慢すれば良いだけということ。それに康生はそこまで気が回らず、戒の忠告をすぐ忘れてしまったようで周囲にもあまり頓着している様子は無かった
(ホントに五月蝿いんだけど・・・。)
諦めて戒は自分の席に戻る。放課後にあまりつるまない五人程度の男子グループの中で彼の立場は余り強いものではなかったし、下手に口うるさくして目を付けられたくもない気持ちも有る
人間に限った事ではないが、プライオリティが低い者は軽く見られ肩身の狭い思いをせざるを得ないのが定義だ
それに集団で雑談するというのは変に気を使い過ぎてしまう故か精神が磨り減ってしまうもの
「おい!戒。言うの忘れてたけどな」
「うん?」
「今日は遊びに行くよな?」
戒は少し間をおいてから思い出す。恐らくゲーセンの事だろうと予想しながら
「ああ。今日は予定ないし、先輩も用事あるしね」
「ふーん。あんな可愛い先輩の部にいるなんてお前も隅に置けないよなあ・・・」
文芸部の部長で戒の先輩でも有る白石飛鳥は彼の目から見ても落ち着いた柔和な雰囲気を持つ綺麗な少女だとは思う
天音とは違う意味で美人に分類されるとは戒も考えていた。だからこそ自分との余計な噂を立てられないように素っ気無く答えてしまう
「別に、ほとんど喋らないしそこまで仲良くないよ。知り合い程度だよ
静かな人だから本をゆっくり読める環境なのは良いね、帰宅部よかはましだと思うけど」
康生の目が訝しげに戒を見る。疑っているかのように
正直に言えば、そのような視線を当てられること自体があまり気分のいいものではないのだが
「ふーん?でもさお前、白石って人あまり暗く見えないぜ。それに、昔何やってたか知ってるか?」
「さあ?分からないな」
話題が変わったことに安堵しつつも、それを押し隠し一応はとぼけて返してみたが彼女が陸上部に所属していたことを指しているのだろうか?
「まあ、いいか。そのうちに分かるぜ」
目を細め、中にある種の光を宿して康生は笑った。戒はその意味することを知っていた
あれは戒をやや妬むような輝きを放っていた、彼があまり康生を好きになれない理由のひとつでもある
戒が彼らとあまりつるみたくない訳。康生は普段話しているときは気がよく陽気な人柄で小さな背丈に見合って取っ付き易い同級生に見えるのだが
彼らはまだ戒をグループの一員として軽視する傾向にあった
それは戒がグループの付き合いに余り参加しないことから軽く扱われているのは間違い無い、戒は彼らと居るより飛鳥と本を読んでいたり単独行動が楽であるがゆえに自分の方針を変える気は無い
故に今のような状況は改善されないのかもしれない
だからこそ今日くらいは彼らの誘いに乗って遊びに行くと言うのも一つの選択ではある。言うなれば会社の飲み会のようなもの
付き合いの為に仕方なくやっているような義務感に近いものだ
「これで戒。今日はビリヤードでもするか?八時くらいまでやる予定だけど」
「八時・・・。ちょっときついなあ」
「戒、ちょっと良いか?」
「うん?」
康生の隣の席に座っていた山口という少し太り気味だが体格の良い生徒が突然会話に割り込んできた
彼は余り機嫌がよろしくないようようだが次の言葉でその疑問の解は得られた
「天音さんがお前に用があるってよ」
「天音・・・宇都宮さんか?」
宇都宮天音。昨日戒は彼女と一緒に立ち入り禁止になった屋上に忍び込んで夕焼け空を見せた
強引に誘ってしまったが。そうした理由はそうでもしないと彼女が帰らないような気がしたからだ
天音は空の向こうに何かを探している。それが何なのかは戒には分からなかったが昨日は見つからなかったらしい
探しているものは珍しい形の雲なのかそれとも幸運の青い鳥なのかは分からない。前日は帰ってくれたがそれはただ単に夕焼けが過ぎて空一万真っ黒な闇に覆われてしまったからだろう
恐らく彼女は今日も残る。それをどうするかは戒もまだ決めてなかった
「何か知らんが用があるんだとさ」
山口はどういう訳か不機嫌そうなつもりで言う。戒と天音が付き合っているとでも考えているのかもしれない
そう思われているならば戒にとって余り良い気分はしない、彼女の性格を知る前の自分だったら少しはいい思いをしたのかもしれないが今は面倒ごとでしかない
天音はともかく飛鳥とは部活上の付き合いでしかない。下品な週刊誌に載った芸能人の熱愛記事について言及しているのならばまだ微笑ましくも有るが
たとえ知り合いとはいえ下手にわき腹を探られるような態度に出られたら此方まで気分が悪くなるというのに
「・・・神城君。」
「あ、宇都宮さん」
天音はか細い声で戒に言う。乱暴な言葉遣いを使う昨日の彼女とは比べ物にならないほど丁寧で
その態度のまま、もう少し明るくにでも人と接してれば色々と不便じゃないだろうにとも戒は思ったが、さすがに今ここで口には出さない
古風で大人しくて清楚な美人なんて現実にいる訳が無い。少なくとも戒の知っている限りでは
「どうしたの。何か用?特に何も無ければ、僕は失礼したいんだけど」
素っ気無い口調で答える戒。正直な気持ちとしては、今関わりたくない気持ちで胸が一杯だったが一応の応対はしてみせた
「少し廊下に来てもらえる?ここじゃ話せないから」
「長くなるようなら後で良いかな?僕はノートを纏めないといけないんだ。中間試験も近いだろう?」
嘘だった。正直言ってこれ以上出張られても困る
自分は平穏な学校生活を過ごしたいのだ、多少それが窮屈であってもだ
彼女のような美少女と関わっていると噂されたら余計な問題を抱える恐れがあったのだ
「少しでいいから」
「うっ・・・」
天音から吹き出るような見えないオーラに気圧されて戒は言葉を引っ込めてしまう
そして彼女は強引に戒の右手首を掴むと、そのまま引きずっていくようにして歩く
細い腕のどこからそんな力が出るのか?逆らう間も無い、戒自身あまり運動は得意ではないとは言えあまりにも一方的過ぎる
戒はズタ袋を引きずられるように廊下に連れて行かれる
助けを求めるように康生達に視線を投げるが彼らは敵意と羨望が入り混じった瞳でドナドナよろしく連行されてしまう
戒は冤罪で投獄された囚人になったような錯覚を覚えた・・・自分が悪いことをした覚えが無いのに
天音に連れられて廊下に出る戒の後姿を見ながら康生が溜息を吐く
さぞかし羨ましそうに、嫉妬心を篭めながら
「根暗の癖に、戒の奴・・いいなあ背の高いやつは。俺にも彼女が欲しいよ・・・」
「くそっ・・・そうだよな、全く」
山口がそれに同意するように頷き、彼もまた入り口を妬ましさの混じった視線で眺めていた