髪は女の命です。
物心ついた時から、ミホはずっと髪を伸ばしていた。特別、何かしらの願掛けをしていただとか、ポリシーを持っているからだとかいうような理由ではない。単に切るのが面倒だったからだ。
だから中学に上がった時、彼女は何の迷いもなく、ざっぱりとショートにしてしまった。家族はこういう子だからと納得していたが、友達はみんな驚いたものだった。あんなに長くて綺麗だったのに、もったいない! と、どうして私の髪なのに友達が怒ってくれるんだかと、ミホはおかしくて笑ったものだった。
「髪の毛ぐらい、すぐ伸びるんだし」
「それはそうだけど、そういう問題じゃないの。髪は女の命だよ」
「いつの時代の言葉だよ」
ケタケタ笑って話す中学時代が、半分ほど過ぎた頃だろうか。
ミホは、おかしな現象に気づき始めていた。
その感触は、ふとした時に起こる。風呂上がりが一番、感じやすいだろうか。着替えの時や立ち止まった時、椅子にすとんと座った瞬間。
背中に髪の感触がするのだ。
短いほうが何かと楽だし運動にも差支えないので伸ばさないまま中学を卒業しようとしていたが、髪が触れる感覚は日に日に強くなる。まるでミホに、伸ばせとせがんでいるように。
気味が悪かったので家族や友達にも相談したのだが、信じてもらえないのが通常で、理解してくれた(らしい)母と親友には「とりあえず伸ばしてみたら?」とアドバイスを受けた。
「本当は伸ばしたい自分の潜在意識があるのかも知れないよ?」
生活の楽さゆえに、ついついショートにしてるけど、自分でも本当は長い髪が気に入ってたんじゃないのかと問われたのだ。そうなのだろうか。そうは思えないのだが、そうかも知れないとも思える。
なぜならミホには少し、癖がある。髪をかきあげる癖だ。もう短くなって3年がたつのに、未だに耳の後ろに手を差し入れてしまう。髪の間に指を入れて梳いても、ついてくる髪は数センチでしかない。どうしてかなぁと思うも、無意識なので治せない。
そこで、ミホは決意した。
卒業を機に、伸ばすことにしたのだ。
最初はセミショートがうざったくて切りたくなったが、我慢していたら、やっと結べる長さになって落ちついた。ハムスターのしっぼみたいだった結んだ髪が、狸、犬、狐のしっぽへとランクアップして行く。馬を目指して、まいしんだ。
背中の感触はあいかわらず、あった。お風呂に入るのに服を脱いでいると、まるで服の動きに髪もついて行ってるように引っぱられ、揺れる。背中にふわっと落ちる感覚。思わず頭を振ってしまう。かきあげたくなる。今はまだ、背中に感じる位置にまでは髪がない。腰近くで揺れている毛先の感触。相当、長い。
切りそろえながら、手入れをしながら、3年かかった。
ミホの高校生活は髪と共にあったようなものだった。輝かしい卒業の時、ミホは自分の本当の髪が背中に感じていた感触の位置と、ほぼ同列になったことを感じたのだった。
「追いついたかな」
追いついて何をするというわけでもなかったのだが、とりあえず感じていた位置と同じになった、というだけで達成感が満たされていた。そのことが何を引き起こすなどと、考えられるわけがない。敷いていえば、髪が触る感覚が消えることをだけ期待していた。一種の成仏だと思っていたのだ。
その夜ミホは、ありがとう、という声を聞いた気がした。
成仏だなどという考え方をしたせいだろう。
髪は夜、伸びる。成長する。10時から深夜の2時までが新陳代謝が活発になる時刻である。声は、2時頃に聞こえた気がした。続けて、背中の感触。眠っているのに。背をベッドについているというのに。
さわさわと、毛先が這い上がってくる。
「?」
寝ぼけているだけだろうかと思うミホの背中を、本物の、ミホの髪がよじ登っていた。
「!?」
気づいたのは、首に髪が巻きついてきたためだった。虚構の感覚ではない。驚いて手を上げたら、首に髪が巻きついているのが分かったのだ。
ミホは完全に目が覚めて、慌てて振りほどきにかかった。しかし髪は放れない。周囲には誰もいない。ミホの部屋にて一人きり。ミホの首に髪を巻きつけている犯人は見えない。
悲鳴を上げようとしたが、手遅れだった。
「! ――!! ……た……っ!」
締め付けられて、声が出ない。どこからどう力が込められているのか、ものすごい力である。窒息死の前に首の骨が折られそうである。どちらにしろ、いい死にざまではない。
薄れて行く視界の向こうに、ぼんやりと女性が見えた気がした。罪人なのか何かの事故か、着物姿の女性は頭にほっかむりをしている。布の端を唇にくわえ、彼女はニタリとミホに微笑んだ。ありがとね、と唇が動いたように見えた。
後日、密室だった部屋で発見された女子高生の絞殺死体は、他殺でなく、非常に奇妙な方法による首つり自殺である――と警察の調書には、まとめられたのだった。
加楽幽明さん主催の同人誌「なごやどうかい」に掲載して頂きました。