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2 逃げよう

美しい黒髪に、深い海のような色彩に切れ長の相貌。完璧なラインを描く鼻梁、形のいいやや薄い唇、陶器のようなそばかす一つない肌。じられないほど整った顔だ。宙ぶらりんの状態で下から見ているのではっきりとは分からないが、柵の高さと比べてもかなり身長が高い。細身に見えるが、片手でセレスティアを軽々と支えていることからかなり鍛えているのであろうことがわかる。青年と言える年だろうか、全身を覆う黒いフード付きのマントを纏っているので夜の闇に溶け込んで見えた。



(誰…?いや、今はそれよりも)



「逃げるってどういう事?見ての通り私、これから死ぬところなんだけど」


「ははっ!それは面白いな」


「つまらない話するなら聞かないわよ。腕も痛いし早く離して」


実際、片腕だけで全体重を支えられているのだから、右腕と肩がかなり痛い。睨みつけるセレスティアとは対照的に、


「復讐する方法があると言ったら、お前は俺と一緒に逃げるか?」


不敵な笑顔を浮かべてそう言う男に、ひゅっと息を呑む。この男は、何処までわかっているのだろうか。


「気が変わったわ。その話、詳しく聞かせて」


セレスティアが答えると、「ああ」という返事と共に腕がぐっと強く引っ張られる。気づいたときには、セレスティアは男の腕に横抱きにされていた。ゆっくりと足から降ろされる。


軽くドレスの皺を直して男の正面に向き直ると、彼がじいっとセレスティアのことを見ているのに気づく。


「何よ」


「いや、噂通りの容貌だと思ってな」


(噂、通り…?)


その言葉に、僅かに引っかかりを覚える。


セレスティアは、この国では珍しい色彩を持っている。光の当たる角度によって銀にも見える薄い金色の長い髪に、灰青色の瞳。雪のように真っ白な肌。全体的に色彩が少ないその容貌は、母から受け継いだものだ。北にあるとある国に住む人種の特徴らしく、母の母——セレスティアにとって祖母に当たる人物がそこの王家の出身だと聞いている。

一目で印象に残る、かつて母が美しいと称賛された見た目は、今は国中で東の暗殺者に連なる証拠とされている。北の血が東の象徴にされるという何とも不思議な状態なのだ。




問題は、彼が言った「噂通り」という言葉だ。


ルリエ―ヴル国民の大半は、たとえ平民であっても一度はセレスティア達王族を目にする機会がある。





つまり、彼はーーー




「そんなにじろじろ見ないでくれる?不敬極まりないわよ、諜報スパイさん」


「それは失礼、お姫様」

皮肉に唇の片端を吊り上げる彼を見て確言する。


(やっぱり、他国の諜報(スパイ)。それもこの国で一番厳重な城の警備をかいくぐって最上層まで来れるほどの相当な腕の)


「貴方、私が復讐する方法があるって言ったわよね。勝算はあるの?」


深く透き通った青の双眸を見つめて尋ねる。勝算などと考えてしまうのは。軍略を立てる者としての性、一種の職業病だ。理由もない限り、勝てない戦いに軍を放り込むような馬鹿な真似はしない。


「それはなんとも言えないな。少なくとも失敗するとしても今ここで飛び降りるよりは確実に言い死に方が出来ると思うが」


男は少し考えこんだ後に答えた。セレスティアは少し驚いたように目を見開いて、それから何も履いていない足元を見やってふっと軽く笑った。


「…そうね」



何もかも失った。もう空っぽなら、一度くらい不確実な賭けをしてみてもいいかもしれない。

たとえ、その先に待っているのが死だとしても。


顔を上げ、相変わらず目の前で皮肉な笑顔を浮かべる男と目を合わせる。セレスティアの考えていることが伝わったのか、男はその皮肉めいた笑みをほんの少しだけ愉快そうに深めてセレスティアに手を差し出した。


「貴方が持ち掛けてきたんだから当然手伝ってくれるんでしょうね?」


「勿論。他国からお姫様を搔っ攫ってきて放置するような悪い男じゃないからな」


「それは良かったわ」



差し出された手に、自分の掌を重ねる。自分よりも分厚くて大きい手。



「これからよろしくね、共犯者さん」

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