1 全部おしまい
「セレスティア、お前は突撃兵の指揮官として現地に行け。私の前に二度と姿を見せるな」
「…はい」
実の父にそう告げられた瞬間、もうどうでもいいと思った。
無言のまま一礼して、謁見の間を後にする。分厚い扉の向こう側に立っていた見張りの騎士は、入ってから三分と経たずに出てきたセレスティアを見て僅かに驚いた表情をする。しかし、それはすぐに冷たく何処か蔑むようないつもの視線へと変わった。
(今更初めて気づくけれど、忠誠を誓った王族への態度ではないわ。この国でなければ、不敬罪で首でもねてやれるのかしら)
物騒なことを考えながら騎士の横を通り過ぎると、ひそひそと声がするのを感じて目を眇める。
「見て、セレスティア様よ」
「汚れた東の血を引く分際で生きているとは図々しい」
「処刑してやればいいものを」
セレスティアが王城の廊下を歩くと聞こえるのは、悪意が籠った罵詈雑言だ。本来あるべき王女に対する敬意は彼らには微塵もない。辛うじて形式的に付けられている敬称だけが、セレスティアが上位の立場であるということを示している唯一である。
ただ何もしなくても下等生物を踏みつけるように浴びせられる言葉の数々に、普段のセレスティアなら聞こえないふりをしていた。汚れた東の血を引く自分が悪いのだから、嫌われるのは仕方ない、せめて役に立てるように努力しようと健気に考えて。けれども今は、真逆の感情を覚える。嘲りにも近いような。
(なんて思かで、汚いのかしら)
自分も。彼らも。
(ああ、馬鹿らしい)
「ふふっ」
小さく嗤ったセレスティアに、ごく近くにいた数人は気付いて顔を強張らせて口を閉じたが、聞こえていない他の貢族は侮度の言葉を吐き続けている。
「ふふふ……ははははっ!!」
大きく声をあげて明う。ようやく気付いた貴族たちは、肩じられない異物を見るかのような視線をセレスティアに向けた。見たこともない化物に仕えるかのようなそれに、さらに聞いがこみ上げてくる。彼らは、セレスティアのことを人間とは認識していない。そして、疑いもなくその考えが正しいのだと信しているのだ。可笑しくてたまらない。差別される側だった自分が、ついきつきまで同じ思想を持っていたことも。
「ははははっ、ふふふふっ…ははっ」
セレスティアが買う度、蜘蛛の子を散らすように、次々に貴族たちが走って逃げていく。
終に人一人いなくなった、真っ赤な絨毯が敷かれた王城の廊下を、セレスティアは生まれて初めて堂々と歩いた。
(頭を垂れる国民は誰一人いないなんて皮肉ね)
誰もいないだだっ広い廊下を通って向かった先は、城の一番上にある見張り塔へと繋がる階段だ。昔の戦いでは敵軍の来襲を発見するために使われていたそうだが、今は立ち入るものは滅多にいない。
石造りの螺旋階段を上っていく。トから見上げると大きな筒の中に閉じ込められたように見えるそこでは、履いているハイヒールがたてるコツコツという音が反響して静寂の中に大きく響いた。
最上部へと近づくと、出口から光が差し込んでくる。最後の一段を上って塔の上部に立つと、ぴゅうっと大きな風が吹いて髪を結っていた白いレースのリボンが解けて飛んで行った。
目で迫った先には、美しい王都の街並みが見える。
(私はこれを守るために、いったいどれだけを犠牲にしたのかしら。私のことを東の血を引くしい王女だと貶めた人々のために、何を失ってしまったのかしら)
母は東の国の生まれだった。政略結婚した正妻だった母とは不仲だった西の国の王である父は、セレスティアが6歳の時に、母を殺した。そして、父は母の死を「母は東から送り込まれた暗殺者で、王である自分を殺そうとしていたところを騎士に見つかって相討ちで死んだ」からだと偽った。そればかりか、報復という名目で東に攻撃を仕掛けて領地の奪取を画策した。勿論、東も無策にやられる訳もなく戦争が始まった。戦争は、10年たった今でも続いている。本当は父が母を殺した事実を誰も知らず、偽りの真実を信じて戦っているのだ。そして、その軍略を立てていたのがセレスティアだった。
父は、6歳のセレスティアの目の前で母を殺した。三人しかいない部屋の中で。
左胸に短剣を刺されて絶命した母の遺体に泣きながら取り縋るセレスティアに、父は冷え切った目でこちらを見て言った。
「お前達のせいだ」と。
「忌まわしい東の蛮人だから、殺した。私は正しく排除を行ったのだ」
それだけ告げて、部屋を出ていった。
暫く呆然とした後、セレスティアは理解した。母は、東の人間だから父に「排除」されたのだと。どうしてかは分からないが、東の血を持つことは父にとって悪なのだと。
そして、東の人間である母の娘の自分が父にとって「排除対象」になりえる可能性があることも。
殺されたくなかった。だから、殺すことが出来なくなるくらい必要とされればいいと思った。
あらゆる専門知識、剣術、体術までをも学びつくした。ある時は騎士団の訓練を覗いて、またある時は学者の集まりにこっそりと潜り込んで。そうして会得したあらゆる事の中で一番セレスティアが得意だったのが、軍略を立てることだった。
毎日、どうやったら東の軍を壊滅に追い込めるか考えた。自分の命令で動いた部隊が戦果を挙げた時は嬉しかった。調見の間に呼ばれ、父から作戦を立てると課報を通じて得た情報が書かれた紙を受け取ると、必要とされているのだと実感できた。父の思想に染まった周囲からは敵国である東の暗殺者の血を引く汚れた王女だと言われたが、事実だから仕方がないと思った。いつしか、東を嫌う人々と同じように考えるようになっていた。
そして、今日。父から呼びつけられたセレスティアは、いつものように新しい軍略を立てると命じられるのだろうと思って調見の間に向かった。その予想に反して、命じられたのは突撃兵に指揮官として現地に同行しろ、というものだった。
突撃兵団ーーー自殺部隊とも呼ばれるそれは、戦場に出たが最後、帰ってくることはない。
機体に片道だけの燃料と大量の爆薬を乗せ、敵の本地へと突っ込んでいく。計画も策略も何もなく、ただ命と勝利を引き換えにするだけのその部隊に本来指揮官は必要ない。つまり、セレスティアは父に死んで来いと暗に命じられている。
セレスティアの中で、何かが崩れ落ちる音がした。
父は、最初からセレスティアを必要としてなどいなかった。必要とされていたから殺されなかったのではない。駒として使うために残されていただけだった。比較的戦況が落ち着いた今、セレスティアは必要ないと捨てられた。
それに気付いた瞬間、今までの生き方全てが馬鹿らしくなった。生きるためだけに必死だった。そのためなら、何だってした。父の罪を黙り、自分の事を否定してまで、生きようとした。でも、全部何もかも無駄だった。
冷たい風が吹き抜ける塔の上で今までを振り返り、自嘲の笑みを浮かべる。世
(私はあの日、生きることを選んだ。けれど、そうして得られたのは間違いに塗れた生き方だけだったわ。こうなるのだったらあの時死んだ方が誇りを守ってずっと死んだ方がましだった。馬鹿みたいな罪を重ねることもなかった)
ハイヒールを脱ぎ捨てて下に放り投げ、塔の柵に手をかけてよじ登る。横にあった塔の屋根を支える大きな柱に手を添えて柵の上に立つと、さっきよりももっとよく眼下に広がる王都が見えた。昨日までは愛着を持って守るべきと言じていた都は、今は東から爆弾でも降ってきて焼けてしまえばいいとさえ思ってしまう。
(今更間違いに気付いてももう遅い。今私にできるのは、これ以上間違いを犯さないようにすることだけ)
調見の間を出た瞬間から、セレスティアに選択肢は一つしか残されていなかった。
バランスを取るために手を添えていた柱から手を放す。剣術や体術で鍛えた体幹のせいか、手を離したとたんにふらりと落ちてしまうことはなかった。
「ふうっ…」
ひとつ、深呼吸をして目を瞑る。最期に、誰も聞いていなくても言い残しておきたかった言葉を小さく呟く。
「…お母様。ごめんなさい」
母への謝罪を口にして、セレスティアはふっと体の力を抜いた。瞬間、体のバランスが失われると同時に浮遊感を感じる。短い人生だった、そう思いながら落ちてはーーーいかなかった。
誰かがセレスティアの右腕を掴んでいる。
宙ぶらりんのまま上を見ると、フードを被った人物が柵に片足をつき、セレスティアの腕を掴んでいるのが見えた。
ふわり、と風が吹いてフードが取れ、隠れていた顔が露わになる。
「俺と一緒に逃げないか?」
信じられないほど美しい男は、薄い笑みを浮かべながらセレスティアに言った。