1-1:朧気な計画
目指すべき場所は。
ルナが彼を拾ってから二日。
朝六時半のリビングルームにて、彼女は彼に新しい服を着せていた。
「うん。ぴったりだね」
足先から首元までの範囲を順繰りに確認してから、腰に手を当てつつ、彼女は満足そうに呟く。
彼女の目の前には、先日、砂浜に突き刺さっていた浮浪者じみた服装の彼はおらず、そこに立っているのは彼女好みのカジュアル紳士コーデに身を包んだ彼。
上半身には白い長袖ワイシャツの上にサイズがピッタリで丈が短い黒色のレザーコートを着用し、襟元をくっきりとさせつつもワイシャツの第一ボタンは開けてある。
下半身には黒くて細いスラックスを着用しながら、膝下を巻き込むように革製のロングブーツを履いており───全体的に揺れ物が少なく、カッチリとしたイメージのシルエットに。
「どう?
きつい部分とかはない?」
何をしていいのか分からず、自然体のままで固まっていた彼に向け、ルナは上目遣いで問いかけた。
すると、ようやく動けるようになったためか、多少ばかり息を整えながら、彼は絶妙な表情で答える。
「・・・ない、と、思う」
「そう。よかった」
彼の回答に頷き、姿勢を戻したルナ。
今度は懐からひとつのアクセサリーを取り出し、彼に差し出した。
「じゃあ・・・これ、首にかけて?」
青い薔薇の意匠が施された、キラキラと銀色に輝く綺麗なペンダント。
彼はそれを受け取ると、輝くペンダントを一瞥してから彼女に聞き返す。
「・・・首?」
これはどういうものなのか、これを一体、どうすればよいのか。
無論、彼はそれを知らないため───首にかけろと言われただけでは行動することができなかった。
まるで、産まれたばかりの赤子のように。
「そう、こうやってね。
これだけは、きみ自身がやらなくちゃダメなの」
だが、知識はなくとも、見た目通りの理解力は備わっている。
彼女が両手で何かを首にかける仕草をしてみれば、彼は彼女が行った動きを見て、その手に持っているものをどうするべきか理解した。
「わかった」
彼は端的に返事をして、ペンダントを首にかける。
「かけた・・・」
それから上目遣いで彼女の目を見つめて報告をしてみれば、彼女は非常に高い位置にある彼の頭を、手元と彼の頭の辺りにポータルを生成して優しく撫でた。
「うん。良い感じだね」
微笑み、優しく感想を述べながら───彼女は両手を使って彼の襟元を整えつつ、ペンダントを上着の下に仕舞う。
まるで朝の支度をする夫婦のように、白い魔女の格好をしたルナと、黒い紳士風の格好をした彼は、それぞれの準備を終えていく。
「じゃあ・・・・・最後に」
「?」
そして最後、ルナは彼の背中に手をまわし、視線を確実に交差させてから話し始める。
「これから、きみの名前は「ハリ」になる」
「・・・はり?」
逃がさないよう、彼の体を抱き寄せて。
魔法まで用いて、彼の視線を釘付けにしながら。
絶対に、確実に、彼の記憶に残るように。
彼女は、優しい表情のままで言葉を続ける。
「そう、ハリ。
遠い遠い昔にあった国の言葉で「硝子」を意味する」
名前はなく、色もない。
だが、何かがある。
何かがあって、触れる距離に、確かに在る。
「がらす・・・」
ただ、当惑。
玻璃とは何か、硝子とは何か。
そんなことは当然知らない彼は、ただ只管に、彼女の言葉を受け止める。
「まだ何色でもないきみに贈る、最初のプレゼント。
とても、似合っていると思うのだけど・・・・・」
「プレ・・・ゼント」
言葉を聞き、整理し、咀嚼し、飲み込む。
意味や意図などが仮に、知識不足で理解できなかったとしても───彼は、ハリは、どうにかして言葉を受け入れた。
「どうかな?
気に入ってくれた?」
彼女の、端的な問い。
微かな期待が感じられる、表情。
ハリは満足な答えが思い浮かばずとも、彼にとって、最も最適であろう言葉を選び、述べる。
「わか・・・らない。
けど、きっと、良いもの・・・だと、思う」
それから、ついさっき、彼女から教わった言葉を。
当たり前として覚えた言葉を、伝える。
「・・・ありがとう?」
するとルナは満足したような表情を浮かべ、彼から一歩離れると、未だ困惑の表情を浮かべる彼の顔を覗き込みながら───優しく、しかし蠱惑的な眼差しで言葉を返す。
「うん。どういたしまして」
一歩ずつ学んでいく。
理解し、知識を得て、進む。
仮に、今ここで理解ができなかったとしても。
───── 一節:聳え煌めく人間のしるし
それから一時間。
朝食を済ませ、暫くの休憩を挟んだ彼女らは、まばらに淡い色合いの小さな結晶が輝く浜辺にて、或る人を待っていた。
「ハリ」
待機中、ルナが彼の名を呼ぶ。
彼は、陽の光が反射してキラキラと輝く海に向けていた視線を、隣で白い日傘をさしている彼女に向ける。
「・・・・・ルナ?」
しかし、名前を呼ばれたのに何も言われないことや、表情を伺おうにも傘が邪魔で顔が見えなかったことから、彼は不安そうな様子で彼女の名前を呼んだ。
すると彼女は、得体の知れない不安を募らせる彼に対し、少し意地悪なことをしていると自覚をしながらも───これまた意地悪なことを考えながら、言葉を返す。
「なんでもない」
「・・・?」
首をかしげ、頭の上にハテナ(?)を浮かべるハリ。
そんな様子が可愛らしく感じられたのか、ルナは微笑み、傘を傾けて彼に対して視線を送りながら、静かに口を開いた。
「首輪でも、してあげようか?」
純粋に命令を聞く様子から、彼女は彼の言動に、犬の特徴を重ねたのかもしれない。
だが彼は、犬の存在はもちろん、首輪の存在も知らない。
知らないがゆえに、首という一文字から連想したのか、彼はその首輪が、先刻もらったペンダントのようなものであろうかと予想しながら、答える。
「ルナがくれるなら・・・ほしい?」
それが決して、良いものであるとは限らないにも関わらず。
彼は純粋な瞳で彼女を見つめながら、そう首をかしげ───事の判断を彼女に任せるという旨の言葉を述べた。
すると彼女は顔を少しだけ背け、いじらしく笑いながら言葉を返す。
「ふふっ。冗談よ」
「・・・・・?」
何がなんだか分からない彼を横目に。
彼女は、とてもいじわるに笑う。
「きみが可愛いから、からかいたくなっちゃっただけ。
ほんのちょっとだけ空いた時間を使って、ね」
そうして彼女は、これが冗談であると口にしつつ、先程から到着を待っていた人物が、そろそろこの場所へとやって来ることを察知。
再び海の方を向き、言葉を続ける。
「それに、時間より少しだけ遅れるみたいだったから」
彼女が言い終わると、彼の耳にも、小さくボートのエンジンの音が聞こえてきた───が、彼はボートのエンジンの音がわからない。
数秒後に視覚で認識できるようになったタイミングで、彼はそのボートを指さし、彼女に問う。
「・・・あれは」
「私の友人が乗った船。
きみと私を、目的地まで運んでくれる」
簡潔に説明する彼女は、じっとボートを見つめ、ハリも同じくボートを見やる。
それから十数秒後、砂浜にゆっくりと後ろ向きに接岸したボートの中から、一人の男性が現れた。
「・・・・・すまないな、ルナ。
道中、海賊相手に多少ばかり手こずった」
謝罪の言葉とともに現れた男性の容姿は、彼の髪の毛の色から初老くらいに見え、服装はスーツ姿で脚には骨格のある装置を身につけている。
カシャカシャと装置の音を鳴らしながら近づいてきた彼に対して、ルナは表情を変えずに口を開く。
「大丈夫、気にしてない。
それより、紹介するわ───」
手をハリの背中に置き、一歩前に。
ゆっくりと足を踏み出したハリを確認すると、ルナは言葉を続ける。
「彼の名前はハリ。
電話口で伝えた、強くて純粋な子っていうのは彼のこと」
「・・・そうか。なるほどな」
硬い表情のまま、見定めるようにハリを眺めた彼は、少しすると二歩ほどハリに近づき、右手を差し出した。
そして表情を緩ませ、真っ直ぐにハリを見て告げる。
「歓迎しよう、ハリ。
俺の名前はペルシカだ」
「ペル・・・シカ、よろしく」
拙いながらも名前を反芻し、挨拶。
そんなハリの姿が気に入ったのか、ペルシカは少し微笑み、手を離す。
次にくるっと振り返り、ボートの方へ向かいながら彼はルナに問う。
「さて、ルナ。
お前はどこへ行きたいのだったか?」
「先ずは鮮黄に行って、あの引きこもりに会うこと。
それが私の、今やるべきこと」
「了解だ」
振り返らずに承諾して、ボートにひょいと飛び乗るペルシカ。
対して、先程から会話に置いてけぼりなハリはというと、今の二人の会話の中に気になる部分があるようだ。
「せんおう?」
「鮮黄っていうのは、世界一大きい商業都市のこと。
私達は、そこに用事がある」
質問の内容を予測していたのか、ルナはあっさりと答えた。
しかし彼にとってはちんぷんかんぷん。
辛うじて理解出来たことは、そこに「やるべき事」があるということ。
唐突に現れたペルシカを含め、彼には分からないことだらけだ。
「準備が出来た。乗ってくれ」
「わかった。行こう、ハリ」
「・・・うん」
今はただ、従うのみ。
呼びかかった言葉を受けて、彼は進むのみだ。
〇 〇 〇
それから十数分後。
先程の島が見えなくなったところで、ボートを運転しているペルシカがルナに声をかける。
「ルナ、索敵を」
「大丈夫。やっているわ」
「よし」
状況確認をし終えたペルシカは、ボートの操縦桿から手を離し、横にある機械類を操作していく。
小さな液晶の下に、いくつかのボタン類が並んだシンプルな機械。
それから数秒後、何回かの操作をした彼が少し大きなボタンを押すと、操縦桿の横の機械は三回のビープ音を立てて沈黙した。
どうやら、自動操縦の設定をしていたようだ。
「・・・ハリ、といったな」
ふと、ペルシカがハリを呼ぶ。
外の景色を見ていたハリはピクリと反応を示すと、ペルシカの方を向いて口を開く。
「ペルシカ・・・さん?」
「敬称は必要ない。ペルシカで構わん」
「わかった」
簡単な確認をして、次の話題へ。
真面目な表情のペルシカは、脚の装置を操作して姿勢を椅子のように安定させると、そのまま話を始めた。
「目的地について話そう。
先程のお前の反応を見るに、教育をロクにされていないようだからな」
「・・・うん」
そんなペルシカの言葉に、ルナは顔を顰める。
まるで「仕方ないじゃない」と言っているかのように。
「先ず、この世界には、役割が異なる大きな都市が四つ存在している」
「よっつ」
「規模が大きい順に説明しよう。着いてこられるか?」
「うん」
優しく確認を取り、解説を始めるペルシカ。
厳つい見た目に反して、彼は優しい性格をしているようだ。
「一つ目は『藍紫』。化学とネオンに染まった、知恵と娯楽の都市。
二つ目は『鮮黄』。穏やかな土地に在る、交易と商業の都市。
三つ目は『紅紫』。猛々しい山々に身を置く、武具と温泉の都市。
四つ目は『純黒』。最も巨大な脅威に立ち向かう、俺の───」
「ペルシカ」
「───なんだ」
そうして説明をしていたペルシカの言葉を、ルナがぶった切った。
不満げに反応を示す彼とハリが、ルナの指し示す方向へと視線を向ける。
「・・・ハリ」
「うん」
すると、彼らの視界に移ったのは、筆舌に尽くし難い色をした霧。
黒でもない、紫でもない、赤くも青くもない、黄色でもない。
意味のわからない色で構成されている霧の塊は、このボートの航路の都合上、どうしても避けられない位置にある現象だった。
そんな状況を理解したペルシカは、もう一度ハリの方を向いて視線を合わせ、彼によく言い聞かせる。
「都市についての説明は、ひとまず打ち止めだ。
それよりも、今は先ず───」
危険な状況だが、冷静に。
とても頼もしい雰囲気のペルシカは、未だ困惑の表情を浮かべるハリに対して、冷静に告げた。
「人類にとって敵、『紫黒』について説明をしよう」
───紫黒。
凄まじく禍々しいソレについて、説明をすると。
一章が始まりました。
この作品は、私がメインで書いている方と違って気が向いたら筆を進めるタイプのヤツなので更新頻度は低めですが、例のごとく結末は予め決めてあるので内容がダレることはないと思いたいです。
追っかけてたら、あらすじの通りに結末を迎えます。
私の作品群は、基本的に「決まっている結末に向けて主人公らを第三者(神など)が導いている状態」が常という、主人公補正とか御都合主義が当たり前な世界観です。
バットエンドやそれに類似するエンドであれば、作中で明言しますのであしからず。
逆にそういった文言がないのならハッピーエンド確定フィーバーだったり。