1-2:空っぽの器
虚無。
ルナが人型の生き物を浜辺から拾い上げて数分後。
場面は、彼女の家の三階に移る。
「よい・・・しょっと・・・・・」
べつに口にする必要のない掛け声を漏らしつつ、ルナは魔法で抱えた人型の生き物を作業台の上に降ろす。
ふわりとエフェクトが散り、人形の生き物を包んでいた力が霧のように空気へと溶け込んでいく。
また、その拍子に幾つかのフラスコや綺麗な石、諸々の実験道具らしき物品が散乱してしまったものの───彼女は構わずに振り返り、入口横にある本棚へと目を向けた。
「えーっと・・・」
扉の正面にある作業台、そこから見える四つの本棚には、彼女が収集した情報がジャンル別に収納されている。
白を基調とした作業部屋に並ぶダークブラウンの本棚と、棚にキチッと背の高さも考慮して綺麗に並べられた純白の本の数々は、もはや装飾のためにあると言っても差し支えないくらいの見栄え。
そんなオシャレな本棚の中で、今回、彼女が目をつけたのは───彼女が最も得意とするジャンルである「魔法」。
「・・・・・」
今までに何千、何万と記録してきた魔法の数々は、彼女の手作業によって「本」として棚へと納められ、彼女の生活に用いられる。
洗濯物を早く乾かしたい時とか、テレビが見たいけどリモコンを取りに行くのが面倒な時とか、洗い物がだるい時とか。
しかし、決して単なる日常生活で使う魔法だけが記録されているわけではなく───無論、彼女が記録してきた魔法の中には、非日常に適した魔法も存在している。
「・・・これかな」
今しがた彼女が手に取り、表紙を確認した本も───それらの魔法が記録された本のうちの一つ。
彼女は本を開き、目当ての魔法が載ったページがあることを確認すると、そっと本を閉じて振り返り、作業台へと戻っていく。
「うーん」
本を片手で持ち、腕を組みながら───彼女は作業台の前に立つ。
現在進行形で作業台に寝かされている人型の生き物は、息はしているが意識が戻る気配はなく、放置していれば死んでしまいそうな気配。
であれば続行だと、彼女は本を開き、魔法を付与して宙に浮かせた。
「えーっと・・・?」
純白に輝く鎖のようなものが三本ほど本の周りで回転し、見えない力で本を空中へと押し上げ、固定させる。
ページは最初、風に吹かれたような挙動で次々にめくれていたが、彼女の目当てのページにたどり着いた途端、ピタリと動きを止めた。
「すーっ・・・・・」
大きく息を吸い、数秒。
そのうちに、彼女の全身からは月のような色合いのオーラがじわじわと漏れ出て、雲のように広がり、部屋の地面を満たす。
「・・・・・」
次に彼女は目を瞑り、さらに数秒。
ここでようやく、彼女は吸い込んだ息を吐き出す。
「コロリス・メモリア」
彼女が吐き出した、端的な詠唱。
すると次の瞬間、彼女から放出されたオーラが人型の生き物の方向へと移動していき、次々と身体を通り抜けていく。
その様子はまるで、抽出されていくエスプレッソのよう。
肉体をフィルターとして、魔力を越し出しているような・・・そんな様相である。
「そろそろ・・・かな」
そんな、現代であればショート系の動画コンテンツで流れてきそうな様相も終わりを告げ、この場に残ったのは一つの魔力の塊。
先程と全く変わらない色合いをしたソレは、ウキウキで結果を確認した彼女の表情を、凄まじい困惑の感情へと変化させる。
「・・・?」
頭の上に「?」を浮かべ、目の前の魔力の塊を見つめる彼女。
この魔法は「他人の記憶を色として見る魔法」であるため、本来は宙に浮かぶ魔力の塊の色が変わっているはずなのだ。
しかし、色は変わらなかった。
「・・・・・」
それによって、一般的に考えられる可能性は二つ。
対して、彼女の思考に挙がった可能性は一つ。
「・・・からっぽ?」
記憶喪失。
しかも、本当に一ミリも記憶が無い───完全なる記憶喪失。
彼女がその手で感じた感触からして、魔法は完璧に成功した。
だが、その上で一切合切の変化が生まれないとなれば、それはつまり、この人型の生物に記憶が全くないという事実の証左に他ならない。
「ヒト・・・では、ある・・・・・?」
彼女は「他人の記憶を色として見る魔法」を右手で維持する傍ら、左手の人差し指で空中に特殊な記号を描き、簡易的な鑑識魔法を展開する。
それは「記憶が全くない人間なんて存在するのか」という彼女が抱いた疑念によるものだったが、結果は見事に「人間」であり、彼女の疑念はすっかり晴れ渡った───わけがない。
こんな偶然に偶然を重ねて偶然でサンドイッチしたような存在が自分の元にやって来たとなれば、彼女とて一端の魔女である以上、何らかの陰謀を疑ってしまうわけで。
「・・・・・」
目の前で沈黙している、やたら身長が高い、銀髪の男性らしき顔立ちをした肉体を───果たしてどうしてやろうかと、彼女は考える。
本を右手で放り出しつつ魔法を付与して転送し、ピッタリ誤差なく元の場所に戻しながら、彼女は左手を口元に持っていって思考を回す。
よしんば何らかの罠であったとしても問題はないが、この人間を失ってしまうのは惜しいと躊躇う。
多少の傷なら難なく治せるが、死んでしまっては無理だ、と。
「うーん・・・」
悩み、首を傾げて考え込んでいる彼女。
すると、タイミング悪く作業台の奥の方でアラームが鳴り始めた。
「?」
そういえば・・・と、何かを思い出したのか、ルナは維持していた「他人の記憶を色として見る魔法」を解放すると、今度は右手をクイっと上に上げる動作をして、作業台の奥の方にあったモノを拾い上げた。
小さめのトランシーバーのようなモノは、彼女に向かって只管に何らかの情報を伝えようと、ひとつの音を続けて響かせている。
彼女はトランシーバーのようなモノを手に取り、横の赤いボタンを押すと、その機器にあるスピーカーに耳を傾けた。
すると、次の瞬間───
『あっ! やっと繋がった!』
馬鹿みたいな声量の女性の声がスピーカーから飛び出し、彼女の鼓膜をぶち抜く勢いで部屋の中に響き渡った。
『ルナさん! 今ね、緊急事態だから連絡かけてたんだけど───
アッ、ファイにい、ちょっ・・・』
依然としてキーンとする耳に顔を顰めながら、なんだか只事ではなさそうな通信の向こうを気にして、ルナは左手で魔法陣を書いて生命反応を探知しつつ、スピーカーに再び耳を傾ける。
『今、あなたの所に変異型のシーウルフが向かっています!
恐らく等級は鋼鉄級・・・
現在はフィーのやつが気を引いてますが、あまり状況は良くないんで、もう少しで目視圏内に入るっぽいです!』
「・・・そう」
無理やり奪い取ったであろう男性の声と、並行して使用していた生命反応の探知によって状況を完全に把握した彼女は───トランシーバらしきモノの電源を切り、生命反応の方向に歩いていきながら、ぽそりと呟いた。
「・・・きみの所為?」
そして場面は変わり、通信の向こうの彼ら───ファイにいことファイファーら三人組にフォーカスが当たる。
彼は現在進行形でボートを走らせ、プラク(声がでかい女)が、先行するフィーことフィドラーが戦いやすいように援護をしている状況だ。
「ファイにい! さっきは本当にひどかったよッ!」
両手を突き出して牽制用の魔法を放ちつつ、プラクはボートを走らせているファイファーに向けて不満をぶちまける。
対してファイファーはボートの運転に集中しながらも、あくまで必要だからそうしたのだと、彼女に言い聞かせようと試みた。
「仕方ないだろ! お前じゃ時間が───ッ!?」
「うわあっ!?」
しかし突然、目の前に水の柱が出現したことでファイファーはボートは急旋回させ───そのまま島の裏側を目指すルートに入る。
すると、プラクはそれに気が付き、抗議しようと起き上がりながらファイファーに視線を向けた。
「ちょっと!」
「違う、見捨てたわけじゃない!」
だが、彼女は己の思考を先回りされて返された回答によって、ハッとした反応を見せながら振り返り、島の方へと目を向けて目を輝かせる。
対するファイファーは、そんな妹を横目に状況を整理しつつ、現状の最適解を導き出す。
「裏に着けてから援護に回るぞ!」
「わかった!」
そうして目標を定めた彼は、船のアクセルをぐっと押し込んで加速。
プラクは体勢を崩さないように掴まりながら、遠くに見えるルナの姿を見つめ続ける。
「くれぐれも───ルナさんの邪魔にならないようにな・・・!」
それから、ファイファーは一番重要なことを妹に言い聞かせながら、突発的に発生した戦場へと、身を投じるのであった。
三人のパーティ名:トレス・スクローファ
長男:ファイファー(サポート役、魔法は使えない)
長女:フィドラー (前線を張る役、ガチガチの戦闘職)
次女:プラク (後ろからチクチクする役、うるさい)
三人組については大雑把に書くと以上の通りです。
作中で解説を入れるつもりがないので、念のため置いておきます。