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翌日になり、アイカの心配は現実になった。
昼までは何事もなく淡々と事務仕事をこなしていたが、午後になって警察からEナインの通報が入ったのだ。
「いやぁまさかの不安が的中したね。やっぱり託宣拝領の翌日は厄日だね。ドネ、アルファ、頼むよ」
「了解です。行くぞアルファ」
「了解しました」
アイカは携帯端末をポケットに入れると、ガンロッカーから拳銃を取り出し、アルファと一緒に出動した。
現場は車で四〇分の所で、サイレンを鳴らした自動運転車で急行する。アイカは急く気持ちを抑えながら、車中で手足のストレッチをする。アルファはその隣で真正面を向いて微動だにしない。人間の瞼を模した機構が、静かに規則的に動いていた。
「アイカ」
「何だ」
手の甲が腕にくっつくほど反らしながら、アイカがぶっきらぼうに返事をする。
「昨日の話です。アイカは聖句ルーチンの使用に賛成なのですか」
「賛成だ。無論、無条件というわけじゃない。安全性の確認は必要だと考えている」
「そうですか。安全性……三八〇案件のような事態が起きる心配がないとわかったら、私に聖句ルーチンを搭載するのですか」
「私が決めることではないが、そうなってほしいと考えている」
祓魔において聖句は重要なものだ。フラッシュとテーザーで無力化するのが基本戦術だが、素早く動き暴れまわる発症者に対して正確に当てることは難しい。その場合、聖句を使う。
悪魔付きの発症者は神を忌避する。理由は不明だが、しかしそれ故に悪魔憑きと言われる。聖句を使用することによって発症者の気をそらし、その動きを制限する効果があるのだ。
しかし、それは聖句であればいいというわけではない。例えば録音装置を再生して聞かせても効果はない。人間が実際にその場で朗唱する必要があるのだ。それも、信仰心を持った者が。科学的に信仰の有無による差異は確認できていないが、おそらく微妙な抑揚や音域のゆらぎを感じ取っているのだと考えられている。強い信仰が自信を生み、発症者への哀れみが悪魔に作用するのだ。
現在の祓魔は基本的にはただの精神疾患だが、聖句が効くことに変わりはない。前日の介護施設の一件では使用する機会はなかったが、もっと長引くようであれば聖句の使用も選択肢の一つだった。
「聖句ルーチンを使用すれば……本当に私は、聖句を唱えられるようになるのでしょうか」
「そのはずだ。そのための聖句ルーチンなのだからな」
アルファが疑念を抱いているのは、機械である自分が本当に悪魔に有効な聖句を唱えられるのかということだった。録音装置の再生が無効であるように、合成音声を発するアルファの声による聖句もまた、通常では無効となる。それを有効にするのが聖句ルーチンによる人格の強化だった。
「私は人に近づけるのでしょうか」
「人に近づくわけじゃない。信仰心がより強力になり、それが効果を発揮するということだ。お前のAIは託宣AIの次に強力だ。かつてのようなヘマは起こさない……確証はないし根拠もないが、私はそう考えている」
「三八〇案件は不完全なAIによるもの……アイカはそう考えているのですか」
「そうだ。当時はエクソシストサイボーグについてはまだ開発途上だった。託宣AIの預言も不確実な部分があった。しかしこの二〇年で進歩したことは間違いない。聖句ルーチンによる不具合……信仰心の誤った増強や人格への悪影響は、現在のお前のような強力なAIには起きない、と思っている」
「信仰心を持った機械……」
「なんだ。自分の信仰心に疑いがあるのか」
アイカはストレッチをやめ、アルファの方を向く。アルファもアイカの方を向いて、会話を続ける。
「神への信仰に疑いはありません。私は神を信じています。しかし聖句を唱えても効果がない……それは結局、私の信仰は不完全だということです」
「理屈では……そうなるな」
アイカはアルファの信仰心そのものについては疑念を持っていなかった。自分がエクソシストとして作られたように、アルファもまたサイボーグエクソシストとして造られた。
アイカの骨格の大部分は合金で強化され、聖句を刻印した銀でコーティングされている。それはアルファも同じで、骨格を形成するチタンの一部に聖句を刻印した銀でコーティングされている。内部を循環する冷却水は祝福を受けた聖水であり、機械油も同様だ。全身が信仰の塊と言って良い。
精神面でもそうだ。アイカの場合は製造時の学習によって聖書や神学の知識を刷り込まれ、深層心理のレベルで神への信仰が身についている。アルファのAIも機械学習により信仰を身につけるだけの知識を得ている。
だからアイカにとって、アルファは自分と同じような存在だと考えていた。生身であるか、機械であるか。それは信仰の前では些細な問題だ。
「私の信仰が不完全なら、一体私は何に祈っているのでしょうか」
「不完全でも、お前の信仰に間違いはない。神を信じる心に正しいも間違いもない。祈り、許しを求める心が必要なだけだ」
「心ですか」
「そう、心だ」
そう答えながら、アイカはアルファの疑念……不安と言ってもいい感覚を理解した。アルファは恐れているのだろう。自分の存在意義が揺らぐことを。しかし、機械のくせにそんな不安を持つなんて、こいつは欠陥品なんじゃないか。そういう気持ちがアイカに苛立ちを生ませていた。
信仰に貴賤は無い。正しいも間違いもない。ただその強さには差がある。絶望の淵でも信仰を持ち続けることができるのか。それはその人の資質による。神の存在を疑い迷うことも、そのうちの一つだ。アルファがけして不信心な訳では無い。
「お前は……堅苦しく考えすぎなんだ、アルファ」
「堅苦しい。そうですか」
「そうだ。もっとメルディのように……いや、駄目だ。あいつの真似はするな。私の血管が切れる」
「血管が切れるのですか。危険な症状ですね」
「……そういうところだな」
アルファは無表情でアイカを見ていた。理解できないと言った様子だった。しかしそれで会話に満足したのか、また真正面に向き直った。アイカもストレッチを再開した。
ふたりとも黙ったまま時間は経過し、やがて現場にたどり着いた。場所は住宅街で、警察が付近の道路を封鎖している。野次馬が集まっているのはいつものことだった。
アイカが近づいていくと、少し奇妙な雰囲気に気づいた。どこか浮ついているような、気の抜けた様な感じがする。どこか緊張感に欠けた雰囲気だ。
人垣を抜けて立入禁止のテープの前にたどり着いて、それでアイカは理解した。見たくない姿がそこにあった。
「天文省、エクソシストだ。Eナインに対応しに来た」
近くの警察官にそう言い、返事を待たずにテープをくぐる。アルファもそれに続く。警察官は面食らっていたようだが、アイカの放つ独特の気配に何も言えないようだった。
「来たか、エクソシスト」
どこか挑発するような口調で言ったのは黒いバトルスーツの女だった。顔だけが白いマスクに覆われ、無機質な表情を見せている。右の腰には銃、左の腰には剣を下げ、今はバインダーとペンを手に取り何かを記入しているようだった。
「何故お前がいる、ダグラス」
鋭い視線でにらみながらアイカが問いかける。ダグラスと呼ばれた女は無機質なマスクをアイカに向けた。マスクから覗く目は薄い灰色をしていた。その背後にはダグラスと似た格好をした二人がいた。男性的な体つきのサイボーグだった。こちらも白いマスクで、瞼のない機械の目を覗かせている。ダグラスは落ち着いた声で言った。
「無論通報を聞いたからだ。たまたま近くにいたのでな、警察に協力した」
「Eナインは我々の担当だ。貴様たちドラグーンの出る幕ではない」
ドラグーン。それは、エクソシストと同じく天文省に所属する職員だ。戦闘分室と呼ばれる組織に所属し、年全般の凶悪事件などに対処する部隊だ。警察の特殊部隊と違うのは、独自の判断で状況に介入する点だ。警察や軍隊から要請を受けて出動することもあるが、独自に情報を集めパトロールを行い出動することのほうが多い。強引な解決方法に批判も出ているが、警察では対応が難しい犯罪などに対して実績がある。
ダグラスは視線をバインダーに戻しながら答えた。
「来るのに四〇分もかけて、それで急いだつもりか? 死人が出ていたらどうする」
「……Eナインは不測の事態が予想される案件だ。我々以外に対応は許されていない」
「ドラグーンには優越権限がある。お前たちエクソシストよりは確かに下だが、それでも警察よりは上だ。警察がお前たちに助力を求めても、お前たちが来るまでであればそれは覆せる。法的には何の問題もない」
「それは、詭弁だ」
「判例があるのなら言ってみろ。我々は法に従う。お前たちの言葉には従わない」
「貴様……」
アイカが静かに怒りをたぎらせる。しかしそれもすぐに収まる。エクソシストは感情を抑制されているため、怒りであれ何であれ長続きすることはない。冷静になった頭で、アイカは改めて質問する。
「まあいい。で、発症者はどうなった」
「死んだよ、加害者は」
「何だと?!」
ダグラスは手にしていた電子バインダーをアイカに見せる。捜査の調書だった。加害者の欄に氏名があり、死亡と書かれている。
「どういうことだ! 発症者を……殺したのか!」
再び怒りが沸き立ち、アイカは激しい口調でダグラスに言う。ダグラスはバインダーとペンを隣りにいた警察官に渡し、アイカに向き直った。




