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第五節 Ein blankes Schwert(白刃)

 


あなたの握るその刃が、何のためにあるのか、七日七晩考えてみなさい。




『ヴァイツェス・リヒト説法集』

 第三十八節より


 


 外に出ると、ステルンがシュネイを待っていた。護衛に睨まれて肩身がせまそうにしていた彼女はぱっと笑みを浮かべ、テントからでてきた青年に近づく。


 だが彼はぼんやりとした顔で、するりと少女のわきを通り過ぎた。首をかしげてその背を追いかけ、服の裾を引っ張ったが無視されてしまう。シュネイ以外に知る人もないので、彼についていくしかできない少女は、仕方なしに後ろをついていった。


 すると青年はテントの群れのある一帯を外れ、どんどん森のほうに入っていく。

 きらきらと輝いていた雪面には黒い木々が青い影を落とし、まるで夕方のような寒さだ。しばらく歩いていくうちに、どんどん積もった雪が深くなってくる。それでも振り返る様子すら見せないので、ステルンは痺れを切らして話しかけた。


「ねぇっ、シュネイ! どこまでいくのっ」

「……なんだ、まだついてきてたのか」


 シュネイはようやく立ち止まり、後ろを振り返った。だがその言葉はあまりにもそっけない。


「まだって……シュネイ以外に知ってる人、いないもの」

「ああ、そっか」


 それきりまた考え込むように黙り込むシュネイ。何があってそんな態度をとられるのか、少女には思い当たる節がない。


「何でか知らないけど、いきなりそんな態度とられちゃ、訳がわからないわよ。説明してくれれば、納得も出来るだろうけど」

「……すまない、少し、一人にしてくれないか」

「ちょっ――」


 言い捨てると、白い髪の青年は雪に溶けるかのように姿を消した。普通の人間であるステルンには、彼の姿を追う事はできない。

 一人残されてしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて少女はとぼとぼと、もと来た道を戻りだす。雪の白さが、妙に目に染みた。







 二人の若いエルフェの男が、集落に程近い森の中を歩いていた。談笑しながら歩くそれは、どうやら仲のよい友人同士のようだ。

 そのうちの、背の低いほうがふと何かに気付いた。長い耳をぴくりと動かし、あたりを見回す。


「ガイゲ? どうした?」

「ねえ、あれ……」

「ん?」

 ガイゲの見ているほうに、彼も頭を向ける。すると少しはなれたところに、少女が一人で歩いているのが見えた。あんな子供がここで何を、とよくよく見れば耳が丸い。


「あの子、一昨日シュネイが背負ってた子じゃない?」

「あー……っていうより、なんで人間が一人でいるんだ。誰かしら見張ってなきゃならねぇだろが」

「あ、ブランド! 乱暴にしちゃだめだよ?!」


 すたすたとステルンのところへ真っ直ぐに進んでいくブランド。追いかけたガイゲの言葉が聞こえていたのかいないのか、彼女の目の前に現れたエルフェは、いきなり腰に穿いた剣を抜き放った。


「おい、人間。こんなところで何をやっている」

「…………」


 出会い頭に切っ先を突きつけられる理由が分からず、ステルンは赤髪のエルフェを困惑の目で見上げた。それを挑戦ととったらしく、ブランドはさらに眦をつりあげる。


「なんだ、その目は。……やはり人間だな、身勝手な生き物め」

「だめだってば、ブランドっ!」


 遅れてついてきたガイゲが、横から剣を思い切り叩き落した。こげ茶色をした瞳がブランドを吃と睨む。普段は穏やかな彼の大声での制止に、ブランドは驚いて後ずさった。


「人の話きけよ馬鹿! いきなりそんな風にしたら、エルフェでもびっくりするに決まってるだろ!」

「う……すまねぇ」

「相手が違う。僕じゃなくて、この子に謝ってよね」

「……くっ」

「あーっと、いきなりごめんねー。悪いやつじゃないんだけど、人間って聞くとこうなっちゃうんだよ」


 憮然とした顔で剣を拾い上げるブランドを叱咤し、持ち前の人懐こい笑顔でステルンのほうを向くと、強ばっていた彼女の表情がわずかにとける。


「僕はガイゲ、こっちはブランド。君は、シュネイに助けられた人間だね?」


 簡単な問いに、少女はこくんとうなずく。


「どうして一人で歩いてるんだい。ここでは誰かエルフェがついてないと、自由には歩けないっていう決まりがあるんだけれど……知ってた?」

「ええと、あの……その、シュネイが、どこかに行ってしまって……」


 再びうなずき、ステルンはようやく言葉を発した。やはりすこし戸惑うような小さな声ではあったが、エルフェたちの耳には十分とどく。


「何かあったかな。ブランド」

「ん」

「この子は僕がしばらく監視役になるから、シュネイをさがして。何があったか分からなきゃ、話が進まない」

「わかった。油断して殺されんなよ」

「馬鹿にしないでよ。油断してたって、人間に殺されるほどのろまじゃない」


 ぷう、と子供のように頬を膨らませてみせたガイゲの様子に笑って、ブランドはやはり雪の森に溶けこむように姿を消した。風のように居なくなった青年を見送ると、呆然とブランドの消えたほうを見ていたステルンに声をかける。


「あはは、驚いた? あいつは森の中に姿をくらますのがうまいんだ」

「エルフェって……みんなあんな風に消えるんですか?」

「うーん、僕はそうでもないけど……あ、でも人間から見たら、やっぱり消えるみたいに見えるかもねえ」


 のんびりとした口調でそう答えたガイゲは、ふと目をやった少女の手が、かすかに赤く震えているのに気がついた。集落のすぐ近くとはいえ、木の陰になるこのあたりではさすがに寒い。


「とりあえず、あったかい所に行った方がいいね。女の子にはちょっと失礼かもしれないけど、僕のうちで大丈夫かな」


 他に場所もしらないので、ステルンはうなずいた。ガイゲは自分の腰につけていた袋から予備の手袋を出して、ステルンに渡してやる。すこし大きな毛皮の手袋は、かじかんだ手に暖かかった。







 森の中を歩くうちに、どこからか歌声が聞こえてきた。それは穏やかな曲かと思いきや、一変して荒々しく奇妙に調子を転じていく、森の神へ捧げられた歌。馴染みのあるその旋律を捉えた男には、それが雪色の髪の友人の声だとすぐにわかる。明るい空色の目を歌の聞こえる方に向けて、ブランドはさくさくと雪を踏んだ。


「こんなトコにいやがったか……」


 歌はとある高台から聞こえていた。森を一望できる、三人のお気に入りの場所だ。


「おい、シュネイ。シュネイ?」


 近づいたブランドが話しかけても、旋律は止まない。赤髪の男は白いため息を吐いて、仕方なしに近くにおいている丸太へ腰かけた。

 力強さと繊細さをそなえて響き渡る歌声に、目を閉じてしばし聞き入った。高く、低く、声の主が自在に織り上げていく音のタペストリーは、芸術にとんと縁のない男の耳をすら魅了する。相変わらずすげぇな、とブランドは密かに心の中で賞賛を送った。


 やがて歌は終わり、ぼんやりと金色の瞳がブランドを見おろした。視線に気付いた青年は、立ち上がって彼を見つめる。


「…………」

「あぁ? 何だよ。俺の顔がどうかしたか」

「……ああ、いや、えと……なんだか、ちょっと」

「何がちょっと、だ。人間から目ぇ離してどっか消えやがって。見つけたのが俺とガイゲじゃなかったら、どうするつもりだボケ」


 自分がその人間を殺そうとして止められたことは、すっかり棚に上げてまくしたてるブランド。言われたシュネイは、そんな事は露ほども知らないので、うなだれて覇気もなく謝る。


「すまな、い……」

「謝ったってやっちまったらもう、仕方ねぇだろが。ちったあ後のこと考えろよな」


 ひととおり暴言を吐いてから、男は友人の目を心配そうにのぞきこんだ。虚ろげな目には彼が映り込んではいるが、映してはいない。その瞳の奥で何を考えているのかまではよく分からない。


「んで?」

「え?」

「何があった? 俺はミステル様と違って、心ン中は覗けたりしねえ。お前の口から話してもらわねーと、俺たちはお前を慰める事だってできねぇんだよ」


 真摯に見つめてくるその視線を受け止められなくて、シュネイは目をそらす。


「……」

「殴られなきゃわかんねぇか? それとも信用できねぇか?!」


 半ば脅しをこめて胸倉をひっつかむと、シュネイはびっくり顔で目を見開いて、赤髪の友人を凝視した。それから軽く眉をひそめて、襟ぐりをつかむ手を軽く叩いて下ろさせる。下ろされたシュネイはコートの襟を直しながら、ぼそりとした声で答えた。


「……あの娘が、リッスの出身だと聞いて」

「リッス?」


 突然出てきた名前に、ブランドはどこだそれ、とでも言いたそうな顔でシュネイを見た。白髪の青年は、友人の記憶力の悪さに思わずため息をつく。


「前に言ったろう。恨みに囚われて、おれが滅ぼした」

「ああ、あれか。……ん? ってことは何か? あの人間は、復讐のために来たとでも?」

「そのとおりだ、まさに。それでおれは、ミステル様の命で……犯人探しを、手伝うことになった」

「はあッ?!」


 あんぐりと口をあけたまま、呆けたような顔になるブランド。思わずあげた彼の大声に、近くに生える何本かの木から雪の塊がすべり落ちた。


「犯人って、ミステル様、知ってんだろが」

「もちろん知っておられるだろうさ。だけど、それでもおれに手伝えと命じられた。守れとまで」

「守れ、って……そんな、なんつーむちゃくちゃな」

「なにかお考えがあるのだろうけれど、おれはなんだか……近くにいられなかったんだ」


 頭痛を抑えるときのように、シュネイは額に手をあてて首を振る。ブランドはなんだかいたたまれなくなり、目をそらして頭をかいた。しばし無言の時間が続く。


「……でも確かあれ、お前だけじゃねぇだろ」

「そうだけど。でも、覚えてるんだよ……確かに、目の見えない女が一人いた」


 慰めようとした言葉に呟きのように答えて、銀髪の男はうつむいた。くもりひとつない雪が目に痛い。隣で今度はブランドが、眉をひそめて大きなため息をついた。


「ったく。俺らなら気にしねー事でも、お前は気にすんだな」

「そりゃおれはお前じゃないから」

「そうじゃなくて、普通人間殺したって何とも感じねぇぞ。なのにお前は、何でか知らんが悪いと思ってるんだな、って事」

「……え?」


 思いがけない言葉に、一瞬自分の耳を疑った。が、ブランドはそんなシュネイにちょっと訝しげな顔を向けたままで、言葉を続ける。


「だってそうだろ? 人間なんてどいつが死のうが生きようが、関係ねーもん。そりゃエルフェ殺しちまったら、めちゃめちゃ気にするだろうけど……例えば思いがけず殺したとして、あ、やべ、仕方ねぇから今夜の夕飯にすっか、ぐらいにしか思わねー」

「う……そう、なのか……?」

「つか別に気にする必要なくねえ? とりあえず自分が殺される心配だけしろよ。そんなに気になるなら、要はバレなきゃいいんだろ?」


 なんだか慰める方向がずいぶんおかしいような気がしたが、そう思うのも彼に言わせれば奇妙なのだろう。やはり自分はおかしいのだろうかと思いながら、シュネイはだんだん痒くなってきた自分の耳先を、帽子の外に引っ張りだした。

 そろそろ行こうぜ、と立ち上がったブランドに向けて、少しぼんやりとした顔で問う。


「なぁ、お前はおれのこと、どう思ってる?」

「なんだ急に。気味悪ぃな」

「いや、なんとなく気になって。おれが流れてきたとき、初めに味方したのブランドだしさ」


 唐突にたずねてきたシュネイに、青年は首を軽く傾け、片眉を上げて返した。


「ちょっと変だけどすげぇ大事なダチ。まだいろいろ隠してるっぽいのは気に喰わねーけどな」


 さらりと言ってから、照れ隠しのつもりかブランドは背を向ける。しばらく言われた言葉を頭の中で反芻していたシュネイは、ようやく笑って立ち上がった。先に歩いていたブランドの背を追いかけ、立ち止まった彼の肩を叩いてそこに額を寄せる。


「ごめん……ありがとな」

「気にすんな」


 素直に礼を言う友人の頭に、ブランドはぽんと手を置いた。


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