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第四節 Verirrter Pfeil(流れ矢)

 

「あの輝ける太陽のもとで、我らを思い通りにしようなどとは。

自惚れも甚だしいことこの上ないな」


彼は陽気な大笑いをして、カップに注がれたトウモロコシ酒をあおった。




『太陽の民・メイス』

 族長エルツファテルの台詞より

 

 

 朝食を終え、また床に座り込んで昨日の矢作りの続きをしていると、ステルンがあくびをしながら起きてきた。目をこすりこすりしながら、干草を布でくるんだベッドから抜け出してくる。


「おはよう。よく眠れたか?」

「おはよ〜、兄ちゃん」

「……兄ちゃん?」

「うん、ちゃんと寝たからいいよ。私もみんなと、もう大丈夫なの」

「えー……と?」

「だーかーらー、ちゃんと寝たら、いいの。兄ちゃんも皆も私も、だぁいじょ〜ぶなのぉ」


 なんだかいまひとつ会話が成り立っていない。というよりも、彼女が何を言わんとしているのか、シュネイには理解できない。

 青年は寝ぼけ顔のステルンに苦笑しながら作業を中断すると、寝ぼけたままでまだ何事かをぶつぶつと呟いているステルンに、軽く上着を羽織らせた。それからその背を押して、テントの外まで連れて行く。

 やってきたのは、飲み水以外の生活用水をためた大瓶の前だ。大きな木の蓋をどけて、四角い形の桶を瓶の中に入れて水を汲むと、隣にある木製の台にのせた。台はちょうど青年の腰くらいの高さで、ステルンの身長だと、その上で作業するのに丁度よさそうな具合ではある。


「ほら、顔洗えよ。目が覚める」

「んんー」


 促されるままに、少女は桶に汲まれた水に手を差し入れた。そのまま一度顔に軽くかけてから、次の瞬間、大きく目を見開いて飛び上がる。


「い……ったーーいッ! 何よこれ?!」

「あっはっはっは、顔にかけてから気付くとか!」

「ちょっと、何笑ってんのよ!」


 飛び上がるのも無理はない。桶の中の水には、分厚い氷の塊が幾つも浮かんでいたのだ。ぷかぷかと浮かぶそれは、もちろん大瓶の中に張っていたものに他ならない。きんきんに冷えた氷水は、確かに少女の目を覚ますのには効果てきめんだったようだ。


「いやだって、普通は手ぇ入れたら気付……ぶはッ」

「最悪!」


 白銀の髪に景気よく氷水をぶっかけて、ステルンはぶんぶんと桶を振り回しながら叫んだ。真っ赤な顔は、怒りの所為なのか、氷水の所為なのか。青年は、犬のように頭を震わせて水滴を払うと、子供のように声をあげて笑う。


「うっわ、冷てっ! ……あっはは、なんか昔を思い出すなあ」

「え?」

「いやいや、こっちの話。さてと、目が覚めたところで。朝めしの用意できてるから、中に入りな。……っと、その前に……そこにかけてある布で顔拭いて、な」


 台にかけてある色柄つきの布きれを示し、自分は濡れ鼠のままでテントの中に引っ込む。ステルンは首をかしげながらも言われたとおりに顔を拭き、テントの中に戻った。



 ステルンの朝食に供されたのは、早朝にシュネイが煮込んでいた、野菜のスープと茹でた芋だった。ステルンにとっては、芋も野菜も見慣れないものだ。おまけに芋には蜂蜜なんか添えてある。スープはともかく、なんだ、このけったいな料理は。

 おそるおそるスープを一口すすると、野菜や肉の出汁が口の中でじわりと広がった。塩加減は少しきついが、蜂蜜で甘みをつけた芋を一緒に含むと、これもまた塩気と調和してなんとも言えず体が温まる。無言で木のスプーンを動かす様子を、料理を作った本人は床で枝を削りながら横目で見守っていた。


「うまいか?」

「うん……なんだかいつもと違うけど、おいしい」

「ならよかった。薬効のある草ばっか入れたから、元気はでるぞ」


 低く穏やかな声が、スープの温かみと共に、少女に安心感を与える。いつの間にか丁寧語ではなくなっていたが、シュネイの方は気付いていても何も言わなかったようだ。なんとなく懐かしい印象を受けるのは、彼の気さくな態度のせいなのだろうか。


「食いおわったら、長に会いに行くからな」

「長?」


 もうほとんど食べ終わったところを見計らって、話を切り出した。こうして気がついて、彫像を投げつけたり、氷水をぶっかけたりできる元気がある以上、早めに長に見せるべきだろう。


「この集落のリーダーで、森の統率者、かな。外からの来訪者がその場所の偉い人に挨拶するのは、別におかしなことじゃないだろう。そこで、あんたが何のために森に来たのかを教えてもらう」


 理由を伝えた途端、ステルンの表情が強ばった。シュネイは気付かないふりをして作業をつづける。


「昨日も言ったけど、もともとそのために助けたんだ。出来れば自分から教えてくれると助かるんだけど」

「……言いたくないわ」

「そっか。まあ、言いたくないのなら、黙っていればいいさ」

「え……いいの?」


 思わず聞き返した少女の言葉に、エルフェの男はどこか楽しそうにさえ見える顔で、くすくすと笑う。


「その分、あんたの印象が悪くなるだけだよ。……エルフェが本来、人間って生き物をあんまり好まないって事だけ、頭に入れておいてくれれば、おれは別に構わないんだけどね」


 何を思って笑うのか、その言葉の調子から読み取ることはできない。ステルンはスープの残りを、皿に直接口をつけて一時に飲み干し、木匙を置いて「ごちそうさま」といった。そのまま白い頭を見やると、何でもないことのように訊ねる。


「あなたも、人間が嫌いなの?」

「さあな。あ、食器はかまどの所に置いといてな。今、こっちも片付けるから」


 さらりとはぐらかされて、少女は内心ため息をついて肩をすくめた。木屑を払い、立ち上がる男を横目に、少女は言われたとおりに食器を片付ける。


「……そういえば」

「ん?」

「さっき、あたしがかけた水。テントに入ったらもう乾いてたよね。どうやったの?」

「あー、気付いてたのか。こうやったんだ」


 掌を上にむけて片手を前に突き出し、軽くハミングするように調子をつけて声を出すと、室内なのにふわりと風が舞う。その次の瞬間には、足元に散乱していた木屑がその手の上に球となって集まっていた。足元だけではなく、体についていた削りかすも、ひとつ残らず綺麗になくなっている。


「すっごーい! 魔法?」

「魔法とは違うな。おれはセンゲルだから」

「センゲル?」

「あー……歌うたいって言えばいいのかな? 自然に祈りを捧げるんだ」


 聞いておいてうまく理解できなかったらしく、ステルンは腕組みをして首をかしげた。


「どう違うの?」

「魔法は、魔法体系自体には法則や理があるが、自然の理は関係なしにねじ曲げて、従わせるものだ。センゲルの歌は、祈りを捧げることで、世界の力を借りる。同じ結果でも、世界に与える影響が……って、あんまり判ってなさそうだな」

「うー……ん」


 まだ頭をひねっているステルンに、シュネイはちょっと考えてから言い直した。


「んーと、無理やり従わせて使うのか、お願いして使わせてもらうのかって感じ。力を貸す方にとって、どっちの方が嫌だと思う?」

「無理やり」

「だろ。それが魔法。……まあ、あんたがそんなことにならないように願ってるよ。さ、上着を着て」


 青年はストーブの火の中に、木屑の玉をぽいと無造作に投げ入れた。玉はたちまち火に飲まれ、消し炭となる。ぱちぱちと燃える火が、嫌に嬉しそうだ。促しながら、自分も仕事のときに着る毛皮を羽織り、少女を外へ連れ出した。







 広場から少し離れた、奥まったあたりにその大きな天幕は張られている。天幕とはいってもちょっとした屋敷のようなもので、土台や骨組みは普通の家のようにしっかりと組まれているので、単に昔の習慣が名残をとどめているだけのようだ。


「……シュネイ? 長に何か用か?」

「ああ。例の娘が目を覚ましたから、連れてきた。話は通ってるはずだ」

「わかった。取り次いでこよう」


 テントの前に立つ護衛と短いやり取りを済ませ、シュネイはうしろを顧みる。ステルンが所在なさげな顔をして、あちらこちらから興味津々に顔を覗かせている子供たちを見ていた。親たちが必死で止めているらしく、視線はすべからく色とりどりのテントの中から飛ばされている。

 子供たちには、お話で聞かされる凶暴な人間と、いま目の当たりにしている華奢な少女とが、どうしても結びつかないのだろう。ほとんどの子供が、「人間ってこんなのなんだ」と目を輝かせている。


「なんだか珍獣扱いね」

「扱いっていうか、珍獣だろ。人間にとって、エルフェが珍獣なのと同じだ」

「ちょっと、そんなこと――」

「許しが出た。入っていいぞ」


 ステルンの言葉をさえぎるようにして、護衛が顔を出す。シュネイは彼女の言葉など、まるで聞いていなかった風に、護衛の方を向いた。


「ああ、ありがとう。さ、行くぞ。長に失礼のないようにな」


 道をあけた護衛にも奇異の目でみられながら、ステルンは改めてここが、自分の知る世界とは違うのだと感じた。どうにも居心地が悪いまま、シュネイについてテントに入る。


「ミステルさま、人間の娘を連れて参りました」

「おお、シュネイか。入りなさい」

「失礼致します」


 仕切り幕の向こうから聞こえてきた、以外にも柔らかな女性の声音に、テントの中の一種異様な空気にたじろいでいた少女は、小さく安堵の息を吐く。

 シュネイの後について仕切り幕をくぐると、正面の一段高いところに、一人の老婆が座っていた。緑色の刺繍の入ったゆったりとしたケープを羽織り、穏やかに微笑むその姿は、歳を経ても失われぬ気高さと美しさを湛えている。これがエルフェの長なのか、とステルンは思わず、感嘆のため息をついた。


「ふむ……体調は良いようじゃな」

「ええ。薬草が思いのほか効いてくれたようで」

「お前の歌の力も大きいじゃろうが……まあ、とにかく座りなさい」


 ステルンは老婆の示した円状の筵に座る。シュネイはそこから斜めに一歩下がった床に、直接胡坐をかいた。エルフェの長を目の前にして、少女は緊張に背筋を伸ばす。


「そんなに心配そうな顔をせんでも、この場でとって食ろうたりはせんて。わしはミステル。このヤーレスツェイトのエルフェの長を務めておる」


 ミステルは目の前の少女を安心させるように、ころころと上品に笑って自己紹介をした。同じく名乗ろうとしたステルンに片手を上げて首を振り、話を進める。


「さて、まずはどうしてこんな真冬に森に踏み込んだか、聞かせてもらおうか? 近くの村の者なら、どうなるかくらい判っておったはず」


 穏やかな様子から一転して、有無を言わさぬ調子になる言葉。全てを見据えるような目は、嘘などついたところですぐに見抜いてしまいそうだ。ならば、とステルンは覚悟を決めた。震える手を膝に押しつけると、毅然と顔を上げて答えを返す。


「近くのものではありません。ずっと西、リッスの村のものです。冬ならほかに人間はいないと、近くの村の者に――」

「リッス、だと?」


 思わず声をあげたシュネイを軽く睨んで制し、ミステルは黙って先を促した。


「……ご存知と思いますが、リッスは狩人の村です。私の父も兄も狩人でしたし、家族は皆、エルフェに殺されました」

「それで? 復讐でもしたいのか?」


 心を読まれているのだろうか。老婆の言葉は、質問の形をとってはいるが、確認のそれだ。穏やかな口調とは裏腹に、目の光は獲物に狙いを定めた鷹のようにするどい。ステルンは喉が詰まるような思いで唾を飲み込み、やっとのことでうなずいた。


「それまでエルフェを狩っておいて、逆に狩られたからといって報復するのは身勝手ではないのかの。のう、シュネイ?」

「そう、ですね……」


 ステルンの背後で、青年はうつむいていた。前髪にかくれた顔がどんな表情を形作っているのかよく見えはしないが、腿に置いて握り締められた手が震え、白く変色している。


「身勝手であるのは分かっています。父も兄も狩人である以上、覚悟はしていたはず。ただ……盲である母は関係なかった。私の目的は、母を殺したエルフェだけです」

「なるほど。エルフェに手をかけていない、母御のためか。それでエルフェのいる場所を巡っておる」

「はい」


 老女はやや目を伏せて、思案顔になった。しばらくしてから顔を上げ、軽いため息をつく。束ねた灰色の後ろ髪が、ぱさりと落ちた。


「ふむ……ならばもし、そのエルフェがこの集落にいた時はどうする?」

「決闘を申し出ます。他のエルフェは関係ありませんし」

「あんなナイフを二本ばかり持ったところで、どうやって戦うつもりじゃ」

「ひとつだけですが、魔法が使えますから。……それに大仰な武器を持っていても、いたずらに事を大きくするだけでしょう?」


 少女の言葉に、ミステルは同意を示した頷きを返す。

 同胞を殺されたエルフェの多くが人間の全てを憎むように、エルフェを全て憎んでもおかしくはないというのに。彼女の恨みはたった一人のエルフェへと向けられていた。それが確固たる意思であると分かったことで、老婆は娘に対する警戒を解く。ふと軽くなった空気に、ステルンは内心胸を撫で下ろした。


「この集落なら、どれくらいあれば探し終える?」

「十日ほどあれば十分だと思います」

「わかった。シュネイ、引き続いて協力してやるがよい」

「……人間の手伝いをしろとおっしゃるのですか? ドンネル隊長ではありませんが……何をするかわかりませんよ」


 ステルンを見やりながら、シュネイは長に抗議した。

 ミステルも、彼がなぜそう言うのかは分かっている。だが、それでも彼女は譲らなかった。深緑の瞳で若者を見据え、諭すように言う。


「この者に狩人のような邪心がない以上、宴には供せぬよ。それにお前が手伝えば、十日よりは早くここから追い出せる」

「何故、おれなのですか! よりによってリッスの人間など!」


 遂に立ち上がり悲鳴に近い声で叫んだシュネイに、ミステルは穏やかとさえ言える声で、しかしはっきりと告げた。


「お前でなければならないのだよ。それにこれは、恐らくお前のためにもなることじゃ」

「しかしっ」

「シュネイ、若者があまり年寄りを困らせるものではないぞ。掟を忘れたか?」

「……ッ……」


 言外に命じられ、黙り込んでしまうシュネイ。だが、はたと場所を思い出して、しばし胸に手を当てて深呼吸をし、その顔から表情を消した。その場にひざまづいた青年に向かって、ミステルは静かにうなずいた。


「……わかりました。長の命とあらば、私情は控えましょう」

「よろしい。ではステルン。常にエルフェの監視の下にあること、無闇にエルフェを傷つけないこと、我らの掟に従うこと、そして十日以内に必ず集落を出て行くこと。これを条件にお前の滞在を許そうかね」

「あ、ありがとうございます!」


 途端にステルンは笑顔になり、ぴょこんと頭をさげた。そんな少女をみて、老婆の口元もかすかに緩む。名乗り損ねたのに名を呼ばれたことには、ステルン自身気付いているのかいないのか。


「よしよし、ではこれで一応の決着としようか。話はこれで終わりじゃ、二人とも下がってよいぞ」


 ふたたびころころと可愛らしく笑い、エルフェの老女は話を締めくくった。エルフェの男がゆっくりとした動作で礼を取り、退室しようと立ち上がると、人間の少女もミステルに頭を下げて立ち上がる。どことなく嬉しそうに出て行く少女とは逆に、青年の足取りは重い。


「シュネイ」

「はい?」


 その背に声をかけられ、シュネイは立ち止まって振り向いた。相変わらず真っ直ぐに見つめる老婆の視線が、悲しげにゆがめられる。


「すまんのう、つらい思いをさせる」

「いえ。それによく考えてみれば、人間とエルフェの慣習の違いをなんとなく知っているのは、おれだけですし」


 首を横に振って力のない笑みを浮かべ、シュネイはミステルの謝罪をやんわりと否定した。


「そうか……そうじゃな」

「?」


 珍しく目を泳がせた彼女に、シュネイは軽く眉をひそめた。が、すぐに長に対する無礼だと気付き、表情を引き締める。


「いかがなされました?」

「いや……なんでもない。あの娘を、守ってやれ」

「守る? 人間を、ですか?」


 いよいよもって不可解なことを言い出す長に、青年は首をかしげた。そんな彼に、老婆は説明を加える。


「エルフェを傷つけないと約束させた以上、こちらもあの娘の言う決闘以外で傷つけてはならんじゃろう? 人間というだけで恨み傷つける者は沢山おるしのう。傷つければ報復を避けるため、帰さずに殺すしかなくなる。その者たちの手から守れるのもまた、お前しかおらんのじゃ」


 重々しい口調で語る老婆に、複雑な顔でうなずくシュネイ。雪のような前髪がひと房、片目をおおい隠すようにして落ちる。


「そう、ですね……承知いたしました」

「頼んだぞ」


 まだ表情は暗く曇ったままであったが、シュネイはふたたび黙って頭を下げる。長がうなずいて見せると、彼女に背をむけ、垂れ幕をくぐった。

 

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