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第二節 Schatten (影)

 

コインが両面とも裏であることがないように、

影もまた影のみで存在する事はないのだ。


ただし、コインの面はどちらとも表になりえるし、

どちらとも裏になりえるということを忘れるな。



『エーデルスタイン語録』

 第六章 冒頭部分より

 

 

 目を覚ますと、そこは見知らぬ場所だった。


 動かすと少し痛む体をおして起き上がると、見慣れぬ厚い毛布がかけられていた。無意識に毛布を押しやると、まだぼんやりとした頭で、ふいに寒気を感じる。自分の格好を見下ろすと、着ていたはずの毛皮が脱がされており、体は動かしやすい。だが暖炉を焚いた家の中で着るような、ほんの軽装では、この場所は寒すぎた。思わず身震いをする。

 ふと何かが動く気配がしたのでそちらを向くと、背の高い人物が、なにやら赤くて小さなものを抱えて入ってくるところだった。外から帰ったばかりなのか、纏う毛皮に雪が積もっている。

 やや日に焼けたような印象の浅黒い肌に、雪のように真っ白な髪をもった男だった。なにより目を引いたのは、帽子を脱いだ顔の横から生える、先の尖った耳。


 人間じゃ……ない。


 そうわかった瞬間、自分がいる場所がどこなのか予想がついて怖くなった。さらに幼い頃から親に刷り込まれた、恐ろしい人食い妖精の昔話が頭をよぎる。


「お?」


 男がこちらを向いた。その瞳がきらりと金色に光る。そして手に持っているのは、捌きたてとみえる肉の塊。あれは、まさか……


「いやあぁぁぁ! 人殺しぃーーーーッ!」


 少女はそばにあった木彫りの置物を引っつかみ、男に向かって投げつけた。完全な不意打ちに男はよけきれず、額に鮭をくわえた熊がクリーンヒットする。


 かくて少女が命の恩人に向けた第一声は、大変に無礼なものとなった。







「……で、おれが凍死しかけてたあんたを助けたわけ。ちなみにあの肉は、たまたま今日見張りが狩ったトナカイで、ここの集落の皆で山分けにした中の、おれの配分ね。人間だってトナカイくらい食うだろ?」


 延々と事情を説明したあげくの締めくくりの言葉に、顔を真っ赤にした少女がぎこちなく頷いた。男はその素直な仕草に笑顔をつくると、ストーブにかけたヤカンが沸騰したのに気付いて立ち上がる。


 混乱して置物を投げつけてきた少女に、精神を落ち着かせるための歌を歌い、それでも質問をまくし立ててきたのに丁寧に答えて、シュネイはようやく冤罪を晴らした。

 正直なところ、エルフェが人間にどう思われているのかはよく知らない。が、彼女が目を覚ましたのに気付いた途端、飛んできた置物には、さすがの彼も驚きすぎて、声すら出せずに撃沈されたのだった。

 まだなんとなくひりひりする額を気にしながら、ヤカンからティーポットへ湯を移す。よい香りがたったところで、それを二人分のカップに注いだ。


「ほら、飲みな。とりあえずあったまるし、落ち着くから」


 取っ手のついた大きなカップに茶が満ちると、シュネイはそのひとつを少女に手渡す。おずおずと受け取った少女の鼻腔に、甘やかな香りがふんわりと広がった。その香りに釣られるようにして一口飲むと、染み渡る熱さが心地よかった。

 これまでに味わったことなどないはずだが、不思議と懐かしい味がする。無言のまま半分ほど飲んだところで、その飲み物が何で出来ているのか知りたくなり、つい口を開いた。


「これ、なんですか?」

「んー……その前にまずさ、あんたの名前を教えてくれると助かる」


 何もいわずにカップの中身を啜っていた彼女を、やはり黙って楽しそうに見守っていた青年が、目を細めて聞き返してきた。そう言われて初めて、少女は自分が名乗っていなかったことに気付く。


「ごめんなさい、まだ名乗ってなかったんですね。あたしはステルン……ステルン=ヒルシュです」

「ふーん、なるほど。あんたの親が古い言葉を知ってるかは知らないけど、いい名前じゃないか」


 簡単に述べられただけの感想だが、褒められるとなんだかくすぐったくなって、ステルンは首をすくめた。ややうつむき加減で、シュネイから顔を隠すようにして、再びカップに口をつける。


「そうそう、これだけどね。ユヴェルの花の蕾を干したお茶だよ」

「ユヴェル?」

「ああ、そっか。この草、人間は馴染みがないのかもな。このお茶には強壮や沈静の作用があってね。香りがいいから、おれみたいに普段から飲むやつも多いけど」


 おれみたいに、のところで、シュネイは軽くカップを持ち上げてみせた。



 話していると、とても不思議な感じがした。エルフェのような人に近い精霊は、冥界で洗われた人間の魂から形作られる、という言い伝えがある。この少女と向かい合うと何となく安らいだ気持ちになるが、その感覚は今飲んでいる茶のせいばかりではないのだろうか。

 まだ人間という生き物を見たことのなかった少年の頃、シュネイはその言い伝えを信じていた。人間とはどういうものなのだろうと想像し、大人たちに伝えられる歌からは、とても儚くて、見た事もないほど綺麗な生き物を思い描いていた。それはちょうど、人間の子供がお伽噺から、蜻蛉の羽根をもった美しい妖精を想像するようなものだろう。

 だが生きていくうちに人間という生き物を知り、そのたびに心根の醜さに絶望を覚えた。周囲の大人たちが人間を嫌う理由を、自らの経験で理解していた。そしていつしか、無邪気に信じた言い伝えさえも、記憶の闇に葬りさっていたのだった。


 だから今回、自分がこのステルンという少女の命を助けたことがなんとなく奇妙に思えた。冬と違って夏のモンデンヴァルトには、よく人間が入り込んでいるのだが、それが「妖精狩り」だと判断するや否や、エルフェたちは容赦なくその命を奪う。

 シュネイ自身も例外ではなかった。数え切れないほどの人間を殺してきたし、ステルンくらいの年の人間なら、害はなくても迷うまま放っておくのが常だった。いらついている時などは、初めから迷っているところを術で更に迷わせて、白骨になるまで放置したことさえある。

 もちろん、なにも知らないほんの子供が迷っていたのならば、どのエルフェも気付かれないよう、それとなく森の外へと導いてやるのだが。


「シュネイ……さん?」

「ん? ……ああ……ごめん。一人暮らしだと、ボーっとしてる時が多くて」


 もやもやと考えながらいつのまにか黙り込んでいたところに、声をかけられ正気に戻る。


「どれくらい、一人で?」

「うん、まぁ、そうだな。もう六十年くらいになるのかな」

「ろくっ……?!」

「?」


 彼にとっては当たり前のことに驚いたステルンに、シュネイは一瞬怪訝そうな目をむけたが、そこではたりと自分たちの寿命が人間とかけ離れていることに思い至る。


「あー、ほら、なんていうか。エルフェには人間と似たような体もあるし、食事も話す言葉も大して変わらないけどさ。一応、精霊っていわれるくらいだし。……おれたちはだいたい五百年、生きるよ」

「え……じゃ、若く見えるけど、シュネイさんって」

「見えるっていうか、実際若いよ。たしか今年の誕生日で百二十七歳、かな?」


 青年の実年齢を聞いたステルンが、なぜか目をそらしてぼそりと呟く。


「……おじいちゃんなんだ……」

「いやいやいや、人間で言ったら二十五くらいだから! まだ若いよッ」


 そろえた五指を顔の前で左右に激しく振って、即座に否定する。

 否定したが何故か、おじいちゃんと言われたことに焦りを覚える自分に気付く。十分若いはずなのに、一体何を焦っているというのか。考えてみて、そういえば最近、なんとなく抜け毛を気にするようになったあたりに思い当たって、空しくなった。


 百二十六歳にして、若干二十歳にも満たない女性に本日二度目の撃沈。







 ステルンが目を覚ましたのは、拾ってきた日の翌日であった。治癒の術をかけていたとはいえ、まだ十分に体力の回復していない彼女にひとまず食事を取らせ、薬湯を飲ませて眠らせる。

 自分のベッドをステルンに貸したシュネイは、眠る少女を気遣って明るさを落としたランプの元で、木の枝を削り始めた。しなりの少ない硬い枝を、丹念にまっすぐ削っていく。


「……そんなに睨むな。不可抗力だろ、あれは」


 手を動かしながら、置いてあるいくつもの彫像たちに、呟くように語りかける。睨むな、と言われたのは、ステルンに投げつけられた、あの熊の彫像だった。ちろちろと揺れる火の元で、心なしか挑むような目線をシュネイに送っているようにみえる。


「え、爪と牙が? どれどれ」


 作業の手を一旦止めて立ち上がると、シュネイは熊の彫像を手に取る。置いてある場所は明かりからすこし距離があるので、作業していた位置へ戻り、丁寧に彫像を眺めた。すると確かに、鮭に食い込むように彫り上げられた右の牙がすこし、傷ついていた。よく見れば鼻の先にも小さな傷があり、爪の先などは突出していた分、欠けてしまっている。


「あー、本当だ。でもお前、熊なんだからこのくらい我慢しろよ。……おれみたいに雄じゃないしって? 女の子は細かいなあ……」


 彼らの習慣を知らないものが端から見ると、彼の行動は、木彫りの像で一人遊びをしているようにしか見えないかもしれない。

 エルフェは狩人として一人前になると、自分の倒した獲物の魂を慰めるため、その姿をかたどって木の彫りものをするのだ。殺された獲物の魂たちは、低位の精霊となって彫像に宿った。そしてその精霊達と会話することで、エルフェは自分の感覚を磨いていく。

 狩るたびにいちいち彫像を作るのは、自分が奪った命に対する敬意と感謝の気持ちを持つためでもある。自分が自然に生かされているという事を忘れずに伝え、また自惚れを自制しなければならない、という考えの表れだった。


「……次の宴か。いいや、お前はまだ供さないよ? ヴィンデの頃からずっとおれを見守ってくれてるお前には……ちょっとまだ、離れて欲しくないんだ」


 だが、何百年も生きるエルフェがそれを続けていると、たちまち自分の棲家が一杯になってしまうので、五年に一度、祭りを開いて彫像を焼く習慣があった。獣の宴と呼ばれるその祭りで、エルフェたちは彼らの神に獲物の魂を還し、願わくば再び故郷の森に生まれてくるようにと祈る。全ての魂は水のように世界をめぐっている、と信じているのだ。


「仕方ないなあ……ちょっと待ってろ」


 シュネイは近くに置いていた道具箱から、枝を削っていたのよりも小さなナイフを取り出した。装飾を施した鹿角の柄をつかんで、大事そうに皮製の鞘から剣身を滑らせる。

 よく磨いた黒曜石の刃を輝かせて、美しい一振りが姿を現した。長年使い続けているそれは、すこし刃が磨り減ってはいたが、しっくりと手に馴染んでくる。獲物の彫像を作るときは、このような石の刃を持った専用のナイフが必要だった。金属の刃を使うと、獣の魂が金気を嫌って入り込めなくなるからだ。


 先ほど削っていた枝から初めにそぎ落とした細い枝の、その皮をむいて白い地肌をだす。適当な大きさに切り落として、欠けた爪の先にあてがい、爪と切り出した欠片の両方を交互に削って、断面を合わせていく。

 やがてぴったり合うように整えると、見回りのときに持って歩いている小物入れから、小さな蓋付きの箱を取り出した。蓋を開けると、中から半透明のどろりとした膠が現れる。

 欠片を切り出したのとは別の細枝の先で、膠をほんのひとすくいだけ取り出し、折れた爪の断面をつつくようにして、少しだけ塗る。そこに先ほどあわせた木の欠片をつけ、しばらく手で押さえた。それから細い細い布切れを引っ張り出してきて、接着部分に包帯のように巻きつけ、縛る。


「よし、と。とりあえずはここまで。乾いたら、爪の削りと一緒に傷もまとめて消すからな」


 彫像をもって立ち上がり、邪魔にならないところへ置きなおした。彫像はちょっと満足げな様子で、棚の上に黙って座する。彫像の修復に使った道具を元に戻しながら、ランプに照らされた足元へ視線を移すと、削りかけの長い枝が名残惜しそうに転がっていた。


「……あーあ。新しい矢柄、作っちまおうと思ってたのに」


 思わずそう呟き、軽いため息を漏らした。

 毎度仕事で持ち歩く矢は、使えばもちろん折れたりして減るし、使わなくても持ち歩くうちに壊れてしまうことがある。何本か使っていたし、そろそろ点検と交換の時期だからと思ったのだが、思わぬ作業が入ってしまった。かといって彫像のほうを放っておけば、精霊に一晩中金切り声で叫ばれたことは予想がつく。

 そうなれば大変な近所迷惑だ。もちろん、精霊がどんな大音量でわめいたところで、人間であるステルンは熟睡を貫くだろうが。


「……まあいいか、明日で。休みだし」


 ふわあ、とひとつ欠伸をして立ち上がると、シュネイは大き目の刷毛で木屑を入り口近くに掃きためた。矢柄を作るのに用意した枝をまとめて隅に置き、床に一枚毛布を敷く。一度外に出てスコップ一杯の灰を持ってくると、窯のなかでまだ勢いよく燃えている薪にかぶせて、ストーブの火を小さくした。ついでにヤカンに残っていた湯で、出涸らしの茶を淹れる。

 出涸らしでも十分に香りの立つ茶で体を温めた後、ランプの火をもう少し小さくしてから、毛布にくるまった。


 穏やかな寝息が二つになるのに、さして時間はかからなかった。


 

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