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第一節 MondenWald (モンデンヴァルト)

 

♪モンデンヴァルトにゃ踏み入るな


子供なんかが入ったら


おなかを空かせた妖精に


たちまち喰われてしまうのさ


ほーほーほぅい、ほぅいほい♪



『ラウブ村のわらべ歌』より

 

 

 しんしんと、雪がふっていた。


 音もなく天より舞い落ちる白の華は、地面に降り立つとそのまま静かに積もってゆく。

 そんな雪の夕方、妖精が棲むと噂される森の中を、一人で歩く者がいた。毛皮の服と帽子を身に着け、背中には弓と矢筒を背負っている。うす汚れたマフラーで鼻先までを覆い、時折立ち止まって辺りを見回す瞳は琥珀色、というよりも金色に近い。

 灰がかった白と濃い影の色以外には、ほとんど何も見えなかった。この森は、冬になると生き物の気配がなくなる。真冬にここを歩くのは、エルフェと呼ばれる精霊たちの見回りくらいだった。もさり、もさり、という、くぐもった足音だけが、マフラーを手繰り寄せた耳元へ届く。


 冷たい風に晒された皮膚の感覚は、すでに凍りついていた。精霊とはいうものの、体の感覚は人間と大差ない。時々握ったり開いたりしながら、手が動かなくならないように気を配り、歩き続ける。毛皮で出来た厚いブーツの中身も、かじかんで段々痛みだしていた。冬の見回りには、腰のナイフと背負った弓と、鍛えた感覚だけが頼りだ。

 とはいえ、この深い雪の中に現れる者など、そうあろう筈もなかった。いつもどおり、という油断から、それの存在に気付くのが遅れた。


「おあッ?!」


 何かに足を引っ掛けて、バランスを保てずに雪の中に突っ込む。長年の経験で染み付いた習性から、かろうじて頭から飛び込むような醜態は晒さずに済んだものの、顔の半分が冷たい雪にまみれた。


「――っ……?」


 頭をふって起き上がり、足下に横たわっていたそれに視線を移す。引っ掛けた感触がなんだか柔らかかったが、と不思議に思ったそれは、茶を帯びた灰色の毛皮に覆われていた。


 最初は、餌を求めて迷い出た鹿か何かの死体にみえた。昨日の見回りではそんなものは見かけなかったので、思いがけず新鮮な肉にありつけるか、などと考えたところで、間違いに気付いた。帽子を直しながら、体温で溶けた雪に濡れた髪をかきあげて、男は溜め息をつく。


 半ば雪に埋もれたそれは、毛皮を纏った人の形をしていた。しゃがんで覗き込めば、まだ少女といっていい顔立ちだ。それも、エルフェではなく人間の。その顔と耳の形を見て、男は一瞬、息を飲む。


 ……もう死んでいるのか?


 人と分かって慌てて掘り出し、揺り動かしてみたがピクリとも動かない。

 触れた頬は土気色、まるで体温を感じなかった。紫色の唇になかば諦めかけながら、男は遭難者の細い首筋に手袋を外した指を押し当て、脈を測る。指先に、今にも途切れそうなほど弱々しい鼓動を感じた。


 ……生きている。


 だが彼のすむ集落までは、まだ大分距離があった。何もしなければ、こんな少女の命などすぐに尽きてしまうだろう。

 青年は首筋から手を放すと、彼女の体を再び雪上にそっと横たえ、立ち上がる。凍るほど冷たい空気をゆっくりと胸一杯に吸い込み、低いが澄んだ声で歌い出した。




 透き通る風に踊れし凍てつく気よ

 大地にある母が御胸にしばしまどろめ


 遥けき空に住まういと高き父よ

 今ひと度我は願い、光望む


 雲に隠れた慈悲の雨、大地に眠る命の火よ


 我が祈りに耳かたむけよ 彼の子らの命の糸を

 その御手による妙なる(きぬ)

 織り糸にしばし留め賜え

 

 

 

 紡がれる音に誘われるようにして、樹々の枝から小さな光の粒が集まり、意識のない彼女の周りをぼんやりと照らしだす。やがてそれらの光は、少女の胸のあたりからゆっくりとその体へ染み込んでいった。

 青年は歌い終わると、再び少女の傍らに膝をつき、あらためて頬に触れてみる。皮膚は未だに冷たかったが、青ざめていたそこにわずかな赤みがさしはじめていた。


「ひとまずは大丈夫だな……後は、と」


 ひとりごちて安堵の息を吐き、男は弓と矢立てを腰のあたりにつけ直す。それから少女の体を起こし、自分の背に負った。人間にしては軽いが意識のない体は、ぐったりとして重く感じる。


 しばらく森の中を北東へと進み、やがて樹々が少しずつまばらになってくると、青年のすむ集落は近い。遭難者を拾ってからここまでは特に何も無く、ほぼ普段どおりだった。もう少しだ、と少女を背負い直し、足を早める。


 安心しかけたその頬を、背後から矢がかすめた。思わず矢の飛んできた方へ目をやると、今度は怒号が飛んでくる。


「何者だ?!」

「ガイゲ? ……あの馬鹿っ」


 馴染みの名前を呟き、振り返って怒鳴りかえす。


「シュネイだ、ガイゲ! いま森の見回りから帰った!」

「いやいやいや、んなのさすがのガイゲも分かってんだろ。その背中のに聞いてんだ」

「……ブランド」


 同じような毛皮の服を着た、年恰好はシュネイと同じくらいの男が近付いてくる。シュネイよりはやや細身で、耳の先が尖っていることから、彼も同じくエルフェだと知れる。


「……答えられる状態じゃない。見つけたときは半分死体だったけど、まだ生きてたから、軽く蘇生して連れてきた」

「ふーん……っておいおい、これ人間じゃねえかよ? ったく、お前もこんなの蘇生すんなよな」


 少女の丸い耳を軽く摘んで引っ張りながら、ブランドはあからさまに顔をしかめた。その手から庇うようにして向きを変え、シュネイは言い返す。


「死んだら何も訊けないだろ。真冬に人間が迷いこむなんて、何十年に一度あるかないかだ。長に相談して、何があったか調べるべきじゃないのか?」

「ま、何にせよ長の判断次第だよねー。狩人には見えないけど、もしそうなら殺して食べるだけだもん」


 樹上から降りてきたガイゲが調子を合わせ、それもそうかとブランドが笑う。


「ま、シュネイの事だしな。村のもんがなんて言おうと、お前の見る目は間違いねぇ」

「うんうん。ブランドよりはまず間違いないよー」

「んだと、ガイゲ、てめぇッ」

「あでででっ、耳引っ張らないで、耳ぃ!」


 そんな二人のやり取りに思わず笑いながら、シュネイはほっと胸を撫で下ろす。

 すると、背中にわずかな身動ぎを感じた。慌てて少女を背負い直し、じゃれあっている二人に告げる。


「そろそろ行くよ。見回りの報告と交替もあるし」

「そうだよ、僕らも仕事しなきゃー」

「おっと、あんまサボるとまたねーさんに怒られっしな。シュネイ、背中……気ぃつけろよ」

「……ああ」

「じゃ、またあとでねー」


 ガイゲとブランドが持ち場に戻るのを見送り、シュネイは再び歩きだす。



 集落につくと、まずは見張り用の厚ぼったいテントのひとつで、シュネイは見回りの報告と交代を済ませる。それから見回り隊のリーダーであるドンネルと共に、集落の長のいるテントへ向かった。


 人間を拾ったと報告すると、ドンネルはあからさまに嫌そうな顔をした。本人は人間が死ぬほど嫌いだと、普段から豪語しているほどだから、きっと見るのも嫌なのだろう。

 だがそこはさすがに部隊長、すぐに捨ててこいとは言わなかった。シュネイの意見を聞き、最もだとうなずいて、自分と共に長のもとへ連れて行くよう言ったのだ。

 ただし、そのぐったりとした体を背負うのはもちろんシュネイで、さらに頭から毛皮をかぶせるように、との指示つきだったが。


 集落の中でも一際立派なテントにつくと、この集落の長である老女が待っていた。小さな体に美しい刺繍を施された厚いマントを羽織り、物言わぬ木の如く静かに座るその姿は、幾星霜を生き抜いた巨木そのものの威厳がある。

 ドンネルはその目の前に、背負ってきたものを横たえるように指示した。


「ミステルさま」

「わかっておる。人間、だな?」

「……恐れ入ります」


 シュネイがかぶせた毛皮をどけないうちに、ヤドリギの名を持つ彼女はその中身を言い当てた。

だれも報告などしていないのに、と、その力におののきながら毛皮をめくって見せると、老女は灰色の目を見開いて驚く。横たわる少女の顔は、シュネイがかけた術のおかげで、大分生気が戻ってきていた。


「これは……なんとまぁ……」

「いかがなされました?」

「……いや……なんでもない。武器は?」

「ナイフを二本。それ以外には特に武器はありませんでした。こんな軽装で、狩人とは思えませんが」


 少女から取り上げたナイフを二本、自分の服の懐から取り出して、ドンネルは軽く意見を述べた。シュネイはドンネルよりも一歩下がって跪き、長の決定を待つ。


「いかがしましょうか」

「こんな真冬に、人間がモンデンヴァルトに迷い込むとはのう。……確かに異常な事態ではあるが、気絶していては何の目的で来たのか、わしにも読めんでな。この女、しばらく介抱して、体力が戻ったら再び見るとしよう。何も無ければ森の外へ帰してやるが、邪心ありしときは、獣の宴に供そう」

「御意。して、この人間は誰が介抱するので?」

「ふむ……ドンネル、お前がやるか?」


 何気なく言われ、ドンネルはあわてて首を振る。


「そ、そんな……! 私が引き受けたらどうなるかお分かりでしょうに!」

「冗談じゃよ」


 老女はさもおかしそうにくっくっと声を出して笑い、ドンネルの慌てぶりを楽しむ。いつも厳しい部隊長のそんな姿に、シュネイも心の中で少しだけ、笑わせてもらった。


「さて、どうするか。人間を嫌う者は多いしのう……そうじゃ、シュネイ」

「は、はィ!」


 話を振られるとは思っていなかったシュネイは、思わず上ずった声で答えてしまう。ドンネルは部下を横目で睨んだが、そんな彼の無礼な態度にも微笑んだまま、ミステルは提案した。


「拾ってきたついでじゃ、わしはお前が預かるのが一番よいと思うのじゃが……どうじゃ?」

「……分かりました」


 森のエルフェにとって、所属する集落の長の言葉は絶対だ。提案の形をとっているとはいえ、逆らえるはずもない。シュネイは跪いたまま頭を下げ、言葉と共に了承を示す。


「よしよし。二人とも、ご苦労じゃったな。下がってよいぞ。……ああ、シュネイは少し話があるな。ドンネル、先にお前だけ下がるがいい」

「では……失礼致します」


 出て行くドンネルが何故か気の毒そうな顔でシュネイを見やるが、気付かないふりをした。頭を下げたままのシュネイと、鎮座するミステルだけが二人きりでそこに残される。


 一体何を言い出されるのかとびくびくしながら、シュネイは老女の口が再び開かれるのを待った。

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