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第十一節 Albtraum (悪夢)

 

毎晩、妖精に馬乗りにされちまってた男がいてヨ、参ったね。


厄介なのはその妖精、自分が悪夢を見せるって事実にヨ、気付いちゃいないって事なのサ。



ペルツェ・ノコルの童話集1

 「妖精物語」より


 

 

 むき出しの地面の上で目を覚ましたビルケが辺りを見回すと、そこはどこかの洞穴の中だった。

 そばには愛用の銀槍が、無造作に転がされている。彼女自身もかなり無造作に転がされたらしく、ところどころ体が痛んだ。動こうとするが、縛られているのか腕がうまく動かない。両足も足首や太腿を何かで固められているようで離れないので、うまく起き上がる事ができない。もぞもぞと芋虫のように体全体を動かしてはみるが、やはり自由が利かなかった。


「……ちッ」


 思わず舌打ちをして、寝たまま壁までの距離を目で測った。

 ……だいたい三マルタといったところか。ゆっくりと足を動かし、地面を蹴って、少しずつ壁際まで転がりはじめる。壁際につくと、岩壁に背を擦りつけるような格好で、ようやく体を起こした。


「…………」


 壁に寄りかかったままで、辺りを見まわす。転がされていたのは、幸い穴の口から程近い位置だ。奥のほうへと小石を蹴って、反響に耳をすませれば、そこはそれほど広くも深くもない穴らしいと分かった。

 外に目をやれば、洞穴は山の上か崖の途中にでもあるのか、下のほうに雪をかぶった木々が連なっているのが見えた。景色が薄暗い青に染まっているところをみると、今は夕方か朝方なのだろう。太陽や星は見えないので、今の時刻が朝なのか夜なのかは、うかがい知ることが出来なかった。


 はあ、と大きくひとつ息を吐いて、ビルケは首を回す。周りの様子はだいたい分かったが、肝心の状況が把握できない。

 確か、あの子供の姿をした影の奇妙な攻撃に捉われて、真っ暗な闇の中に落ちこんでしまったのは覚えている。その闇の中で少しずつ意識がなくなり、気がつけばこの有様だ。


 あんな子供に負けるとは。

 我ながら情けないと、ビルケは再度ため息をつく。


 ところでここはどこなのだろうか。風の音と匂いから、モンデンヴァルトからそう離れてはいないことはわかる。だが、普段から様々な精霊たちがそこらじゅうで遊びまわっているような中で暮らしているビルケだ。そんな彼女からすれば、ここは死んだ場所と言わざるを得なかった。精霊の声が聞こえないどころか、それらがひそんでいる気配すらしないのだ。

 感じられるのは冷たい風の、悲しげに泣きわめく声だけ。ひゅうるり、ひゅうるりと音をたてて過ぎていく、穴の外の乾いた音のほかには、虫の這う様子さえなかった。


「とんでもないところに来てしまったな……」


 思わずこめかみを押さえたくなったが、肝心の手はまったく動かせないのである。

 ……しかし、いつまでこうしていればいいのか。敵の気配も一切ないのが唯一の救いだが。

 などと無駄にいろいろと考え込んでいると、気がつけば目の前に何かがあらわれた。音も気配もなく突如として現れたそれを警戒しながら、ゆっくりと顔を上げる。


 案の定、あの華美な黒いドレスを纏った少女が、ぬらりと闇に浮かんでいた。暗い色彩のなか、見覚えのある男と良く似た白髪がひどく目立つ。

 だが、初めに会ったときのような、あの人を見下すような妖艶な笑みはどこにもなかった。むしろどこか悲哀を帯びたような、そんな目ばかりが印象に残る。……まあ、どちらにせよ目に映る姿と同じような年の子供たちが浮かべるような表情ではない、のは確かだが。


「何をみている?」


 何も言わずにただ自分を見つめてくるそれに、すこしばかりいらついた調子で問いかける。


「あなたのこころ」

「は?」


 問いには、なんとも突飛な答えが返ってきた。咄嗟には理解できずに、ビルケは眉をひそめて少女を見つめ返す。ビルケを見下ろす少女は、訝しげに見上げてくる彼女の視線には一切答えず、ふい、と背を向けた。


「冗談よ」

「化け物でも冗談を言うのか……」

「何よ、悪い?」


 悪びれもせずに言われて、がっくりと肩を落とす。

 こいつは敵の大将のはずだが……と思うと、なんだか急に気が抜けてしまった。思わずため息を吐きながら、首を左右に振ってしまう。


「……何か、だまされているような気分だ」

「お姉さん、面白いわね」


 ビルケの様子を見てクスクスと素直に笑う彼女は、今まで知っていた「影」とはやはり違っている。本人は「闇」と名乗るが、それがいったいどういうものであるかも分からない。

 だが、どうやら個人の感情があることだけは確かのようだ。


「お前は、一体何なんだ?」


 考えても仕方ないとばかりに、単刀直入に聞いてみる。すると少女は首をかしげて、問い返すように答えてきた。


「初めに会ったとき、言ったじゃない?」


 さも当たり前なことのように返ってきたそれに、ビルケは少しばかり苛ついた調子でもう一度たずねる。


「だから、その『闇』とは何か聞いている。私たちの知っている影とは違うのか?」

「……そうねぇ。どうせ暇だし、お姉さんに少し付き合ってあげるわ」


 薄暗い洞窟という場所にひどく似合わない格好の少女は、ふわりと宙に腰かける。空気の上に乗ったように足が浮き、優雅に座るその姿は、地面に縛られたまま足を投げ出して座っているビルケとは対照的だ。

 もっとも、そもそもが縛られた成人女性とドレスの少女、という取り合わせ自体、端から見れば奇妙で仕方ないのではあるが。


「夜の精霊王、ガルデ・シアの事は知ってる?」

「……魔物どもの『もと』を作った、金色の少女のことだったか? 四刻神に祝福を受けずに生まれた、『最後の双子』の片割れの」

「ふふ、さすがエルフェ。あたしたちは“黄金王”さまって呼んでるけれど。じゃあ、そもそも魔物がどうして生まれるかっていうのは知ってるかしら」


 何故か嬉しそうに、そう彼女は尋ねてきた。

 どうして魔物が生まれるのか。そんなこと、エルフェならば子供だって知っている。


「お前は私を馬鹿にしているのか? 魔物が生まれてくるのは、魔物という存在が全ての命の終なるもの、だからだろうが」

「あら、馬鹿になんてしてないわよ。ただの確認じゃない、そんなに怒らないでちょうだい」


 上目遣いに噛み付きそうなほど睨みつけているビルケをからかうようにあしらうと、彼女は足を組み替えた。


「そう。あたしたち魔物は、全ての命の終着点」


 ゆっくりと、子供に言い含めるように言葉を奏でる。その言葉のあとの沈黙に、その言葉を頭の中で反芻したビルケは首をかしげた。


「……『あたしたち魔物』、だと?」

「そう。影も、闇も、みんな魔物なのよ。しらなかった?」

「ばかな」

「驚くのも無理はないわね。あたしも、生まれる前までは知らなかったもの。だってエルフェの中では、『影』は魔物と違うものね?」


 そのとおりだ。影とは、エルフェが死んだ後に、魂が正しく循環の輪に戻れなかった時に生まれるモノであり、生き物だと定義されている魔物とは違う。


 なぜなら、影は“生きてはいない”。


 だがビルケ自身が言ったとおり、魔物という存在が全ての命の終着点だとするならば。生きているかどうかは問題ではなく、確かに影は魔物なのだ。


 エルフェという命の、魂の行き着く場所。


 鈴のような声で笑いながら、少女は相も変わらずふわふわと浮いている。そのねっとりとした視線に、吐き気がした。今すぐにでも槍であの小さな胸を貫いてやりたい衝動に駆られながら、腹の底から目一杯の強がりと厭味をこめてそれを吐く。


「まるで闇になる前の記憶が残っているような素振りだな」


 それを聞いた少女の表情が変わる。

 言われて初めて気がついた、とでも言うように軽く目を見開き、それからため息と共に悲しげに目を伏せた。


「そうね。きっと、あたしもエルフェだった。ポツリポツリと記憶は残っているけれど、名前も思い出せないのよ……この姿も記憶も、過去の姿を借りた闇。本物のあたしなんて、どこにも居ない」


 ビルケに向けてなのか、はたまた独り言なのかの判断もつかぬほど弱々しい声で呟き、怯えるように自らの体をかき抱く。急に表情を変えた少女の行動に、訝しげに眉をひそめたビルケへ向かって、それでも彼女は口元を弓なりに曲げてたずねた。


「ねえ、あたしは何なの? あたしが知っているのは、黄金王さまの言葉だけ。『憎いならば命を奪え。それが楽しいならばそれもいい。寂しいならば仲間を増やせ。お前は自由なのだ。悲しいならば』」


 いちど言葉を区切り、震えながら次を呟く。


「『そのときは、お前を殺せばいい』」


 ビルケは目を見開き、絶句した。

 耳に届くと同時に強制的に理解した、紛れもないその意味は。


「……お前は、悲しいのか?」

「わからない。何も分からないの。自分の気持ちなんて、とうの昔に置いて来てしまったもの。闇ってなんなの? あたしにも分からないわ。うまれる前の遠い遠い記憶を再生しては、むなしさをただ繰り返して、渦の真ん中で振り回されて、ぐるぐるしてるだけなのよ。そんな存在に、答えなんてあると思う?」


 涙こそない。だが笑う口元とは裏腹に、少女は表情を壊れてしまいそうなほどゆがめていた。

 黄金王とは、世界とはかくも残酷な存在なのか。

 ビルケ自身にも、少女のいう「むなしさ」のような経験はある。それでもビルケは生きていたし、新しいめぐり合いもあった。空いた穴を埋めるだけのものが、まだあったのだ。

 ビルケは唐突に、闇のなんたるかを理解した。否、せざるを得なかった。目の前で震える華美な少女は、確かに「闇」そのものなのだ。


 ふ、と体が軽くなった。見れば、縛り付けられていた手と足が開放されている。


「…………?」

「もういいわ。なんだか馬鹿馬鹿しくなっちゃった。どこへなりと行きなさい」


 また急に表情を変えて、少女は浮いたままひらひらと手を振った。

 ビルケはしばし呆然としながら、本当に自分の手足がついているか確認してみる。それから、ゆっくりと立ち上がって少女のほうを見た。


「…………」

「どうしたの? 奥に行けば外に出られるし、もう何もしないわ。あなたなら森の声が、モンデンヴァルトに導いてくれるはず――」

「それでいいのか?」


 言葉尻をさえぎると、少女はぴたりと動きを止めた。


「よくなかったら解きはしないわよ。あたしは気まぐれよ。それともまた縛られたいの?」

「いや、縛られるのはごめんだが。……答えを、知りたいとは思わないのか」

「答え、ですって?」


 ふん、と鼻を鳴らすと同時に、少女の顔に見下すような目つきが再来する。けれど今はその奥に潜んだものが、手に取るようにわかった。


「そうだ。お前が見つけるものだから私には答えられんが、一人で見つけるのも難しいだろう。少しならば、お前の“答え”を探すのを手伝っても構わない」


 あの目が見下しているのは、ビルケではないのだ。ならばこの哀れな少女に、手を貸してやるのも一興かもしれない。例えそれが、エルフェという存在の根本的な法を破ることになるのだとしても。


「あら、エルフェのくせに掟を破るなんて?」

「ふん。もとより掟破りで追放されてきた身だ。もういちど追放されようと、今更騒ぐこともあるまい。ミステル様なら、妹をともに追い出すような事もないだろうしな」


 従うべきは、掟ではなく己の信念。彼女はいつだってそうして生きてきた。自らの意志ではないとはいえ、ふれてしまった真実を無視して放っておけるほどの器用さなど、ビルケは持ち合わせていないのだ。


「……仲間と剣を交えることになっても?」

「私を討てぬようでは、お前を討つことなどできはしまい。特に、お前の生前の兄にはな」

「…………」


 ビルケのぶっきらぼうな言葉の、どこが琴線に触れたのか。少女は今まで見た事もないほど輝いた目で微笑む。


「……わかったわよ。好きになさい」


 放たれた言葉は高慢。だが、嬉しそうに少女は言った。


  

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