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第九節 Pendeluhr(振り子時計)

 

人は誰しも、一度は時計を止めたがるものだ。


しかし時に振り回されることなく生きるのは、空を捕らえるよりも難しい。




『レイゲン博士と雨の竜』

樹竜ノートゥンクの台詞より

 

 

 今はなき、ヴィンデ族の移動集落。それは古き神々の遺した息吹がそこら中に息づき、歌い手たちが一族のほとんどを占める、外の世界からは一線を隔てたところだ。

 そこが、かつてシュネイが生まれ育った、彼のあるべき場所であった。


「おーい、産まれたぞ、オツェアンー! 男の子だー!」

「本当か、ライリク?!」


 皮で作った眼帯を左目にかぶせ、不安そうな表情で何かを歌いながら小さなカヌーを漕いでいた若い男は、岸からの声に顔を輝かせた。急いで船を岸につけ、知らせに来た友人と共に自分のテントへ駆けていく。


「ミルテ、ああ、良くやってくれた……! 俺たちの……おお、おお、すごい、元気に泣きやがるな」


 嬉しそうに目を細め、オツェアンは産婆の腕の中で泣く子供の頬をつつく。すると赤ん坊はますます大声を上げて泣き叫んだ。


「あら、オツェアンったら……昨日からそわそわして泣きそうだったくせに、もう笑ってる」

「そんなのどうだっていいだろ? お前が無事で、子供も無事。こんなに嬉しい事はない!」


 オツェアンは疲れきった笑顔の妻を抱きしめて頬に口付け、ベージュの髪を優しく撫でる。心から幸福そうな夫婦を、周りを取り囲む褐色肌のエルフェたちも笑顔で見守った。

 ヴィンデに生まれるエルフェたちは、みな一様に褐色の肌と色素の薄い髪色を持っていた。それは太古の風の神の血を継ぐからだといわれている。オツェアンとミルテの間に生まれた子も例に漏れず、真っ白な髪と褐色の肌を持っていた。


「ふうむ……。“シュネイ”だな。冷たき風の巡る山の、その頂を彩る雪の名だ。……新たな仲間に、祝福があらんことを」


 長に与えられた名は、集落の中でも珍しいその髪色にちなんだ物。金の目を不思議そうに長に向けながら、赤ん坊は父の腕に抱かれて己の名を聞いた。


 古くからの習わしに従って歌い、踊り、獲物を狩り、木の実を拾いながら、神々と精霊たちに祈りをささげ。そうして風の示すままに、集落を移動させて暮らしていたヴィンデ族。しかし年々生まれる子の数は減り、また昔ながらの生活を捨てて定住するものも後を断たない中で、無事に子供が産まれることはそれだけで喜びだった。

 風神ヴィンドの伝承にそっくりな姿をもった子供の誕生に、その夜は集落を挙げての大宴会となった。



 シュネイは朗らかで強い父と、穏やかで優しい母のもとで、すくすくと育った。彼が二十五になる頃には、空色の瞳を持った妹も生まれた。四人のちいさな家族は幸せだった。


 だがシュネイが六十六歳になった年、そんなささやかに笑い合える幸せは、人間の手によって焼け落ちた。……妖精狩りだった。

 その頃のシュネイはまだ何の力も持たない子供で、両親はおろか小さな妹ですら、守る事はできなかったのだ。そればかりかエルフェの亡骸に当たる「魂核」さえ、そのほとんどを人間に奪われた。


 ヴィンデの一族は男も女も、それぞれに力の差はあれど、皆が歌い手だった。受け継がれてきた旋律は他のエルフェのどんな歌よりも深く、また世界に及ぼす力も強かった。


 しかし、彼らが歌うのはあくまで祈りのためであり、神話を語り伝えるためだ。


 武器は食料を得るための道具であり、歌は祈りを捧げる方法でしかなかった彼らには、それらを他のエルフェのように、身を守ることに使うという概念は全くなかったのだ。というよりも、人の目から隠れて移動する集落にはその力で身を守る必要など、ほとんどなかったのだろう。

 だから、突然襲ってきた人間どもを相手に、なす術などないに等しかった。

 

 もとより人間とはエルフェの兄弟であると、古来より神話に教えられて育ってきた者たちだ。なぜ攻撃されるのか、そしてなぜ彼らが魂核を奪っていくのかなど、理解できなかったに違いない。その滅びはあまりにあっけなく、そしてあとかたもなかった。


「……お父さん……お母さん……返事してよ……なあ、アーレ……!」


 何もかもが奪われ、燃え盛るテントの間で。まだほんの少年だったシュネイには、魂核をうばわれて抜け殻となった家族の体が風に溶けていくのを、ただただ見守っているしかできなかった。

 ぼろぼろになった布と木々の間に吹く、悲しいまでにやさしい風の中で。


 少年は、人間を、心より憎悪した。






「……もちろん、妹はもはや生きてなどおりません。奪われた魂核は、恐らく人間の手で砕かれたでしょう。ですから妹が影になっていたところで、それはエルフェならば当たりまえのことです。ましてや、我々はヴィンデの一族。その魂がより強い闇に惹かれたからとて、おれにとってはなんら不思議なことはありません」


 今まで、集落の誰にも話してはいなかった過去。ガイゲやブランドはおろか、ミステルにさえ頑なに口を閉ざしていた。

 淡々とした口調で語られたそれに、詮議の場はしんと静まり返る。生きたまま凍りついたかのように微動だにしない人々にむけて、シュネイはふと、場違いなほほえみをみせた。


「見回りで人間を助けたとき、妹にそっくりだったのには驚かされました」


 けれど、と青年は言葉を継ぐ。


「命を助けたのは、それが理由ではありません。……いえ、個人的な感情が全くなかったとは言わない。ですが、おれがステルンを救ったのは……森が彼女を受け入れたからです。信じられないなら森の木々に聞いてみてください。少なくともそれは、彼女が影を呼ばないという証拠にはなる」


 そこまでを言い切って、シュネイは口を閉じた。とたん、長老衆がかすかにざわめく。そのなかで、やはりヒンメルが代表して声をあげ、シュネイを責めたてようと言葉を吐いた。


「では、なにがあれだけの影を呼んだ? 人間以外に何が――」

「おれでしょうね」


 しかし青年は、凛とした声でヒンメルの言葉をさえぎる。放たれた一言に、皆が耳を疑った。


「今、なんと?」

「影を呼んだのはおれです、と。そう言いました。影を呼んだのはステルンではない。となるとこの村で影に縁があるのはおれだけでしょう? 思い返せばあの影、エルフェを襲うのを面白がっていました。少なくとも今までの影のように、意志なく襲っているわけではなかった」


 はっきりとよどみなく答えるシュネイの言葉を拾い、ミステルが口を開く。


「ふむ、なるほどな。もし今回の影どもを指揮していた『闇』とやらが、おまえの妹の魂が堕ちた姿なのじゃとしたら……血縁のあるおまえに惹かれた可能性は十分にある、ということじゃの」

「ええ。ですから」


 と、そこで一度言葉を途切れさせる。覚悟を決めるように息を吸い込み、そうして放った一言は。


「おれがあの影から、ビルケ隊長を連れ戻します」


 しん、と場が静まり返った。

 同時に長老衆とドンネルが、シュネイに嫌疑の目を向ける。ミステルと友人二人は、はっと顔を上げて彼を見つめた。言葉を交わさずとも、シュネイには自分に集まった視線の意味するところがわかる。


 なぜ、そんなにも簡単に言い放てるのか。


 姿を借りただけの化け物かもしれぬが、エルフェの輪廻の法則を考えれば当然、その本人である可能性のほうが高いのだ。それにビルケを救い出すという事は恐らく、さらった相手を打ち倒さねばならない。

 もとの家族を殺す覚悟を問われるのは、分かっていた。シュネイ自身、アーレの姿を前に戦えるのか……未だ迷いは晴れ切っていない。しかしこの場はそうでもいわなければ、関係のないステルンへの疑いを少しでも晴らす事はできないのだ。


 しばし、長老衆との睨み合いが続いた。しかしそれでも揺るがないシュネイの目に、ミステルのため息が部屋に響く。

 結局ミステルが下した結論で、詮議はシュネイの望んだとおりの結末になった。今回の騒動の、全ての罪はシュネイにあり。よってその責任を負うがよい、と。



「それで? 責任ったってどうするつもりなのさ、シュネイ?」


 ドンネルと別れ、いつも通りの三人組でぶらぶらと当てもなく村の中を歩く。


「……とりあえず、アーレの居場所を探るしかないだろうな。どこにいるのかも分からないし」


 ステルンは未だ、ミステルの配下の監視下で軟禁されていた。彼女の手の中ならば、無闇に殺されることもないだろう。あの場ではああ言い放ったものの、実際には何の計画もなかった。本当はあの闇と戦うことにもまだ迷いがある。


「まあ、そうだよねー。……なんだか大変なことになっちゃったな」


 ガイゲののんびりとした口調に、後からついてきていたブランドがぴたりと足をとめた。突然止まった彼を、二人も立ち止まって振り返る。


「…………」

「どうした、ブランド?」


 やや下をむいて、握った拳をかすかに震わせている。だが、なぜブランドが怒っているのか、シュネイには分からなかった。ガイゲはわずかに顔を曇らせて、向かい合う二人の顔を見比べている。

 

「お前、人間をかばったろ」

「…………」


 静かな怒気をはらんだその問いに、シュネイは答えない。


「なんでだ? 同じエルフェの義姉さんを助けるってのは分かる。だけどあの闇ってやつは、初めっからあの人間を攫いに行っただろうが。人間なんかのために、なんでお前が犠牲にならなけりゃならない?」


 意外にもそれは、ステルンをかばったこと自体よりも、むしろシュネイの身を案じての言葉。だが、シュネイはますます黙り込む。


「妹に似てるからか? 本物の妹よりも、偽物の人間の方が大事なのか」

「……ブランド」

「それとも贖罪か。あのくそくだらねぇ人間どもに家族殺されておいて、それでも守るってのか?!」

「ブランドッ!!」


 突然の大声に一瞬びくり、と体を震わせるブランド。しかし、ひたりと見つめてくる視線には、断固として引かない。


「……あまり、怒らせるな」

「はっ。馬鹿野郎、そりゃこっちの台詞だろーが」

消されたいのか(・・・・・・・)?」


 怒りをこめてというよりは、とても無感情に彼は言う。まるで色のない雪のように、表情が冷たく消えた。金色の瞳だけが音もなく燃えている。


 しばし睨み合いが続いた。

 そして。


 シュネイの、すう、と息を吸い込む仕草。


「シュネイ、ダメだっ!」

「――ッ」


 気付いたガイゲが、あわててその口に手を突っ込んだ。瞬間、噛みあわせられようとした歯に、皮膚を食い破られる。ガイゲは痛みに眉をしかめたが、この際仕方がない。

 シュネイが感情のままに歌えば、その言葉は現実になるのだ。「消す」という言葉は、魂ごと全てを消し去ってやるという意味だろう。生まれ変わる事も、影になることさえもできない。待つのはただ、奈落の無。


「あ……?」


 わずかに口に広がった血の味に、我にかえる。それを見て、ガイゲは安堵の息と共に突っ込んでいた手を引いた。はっきりと残る犬歯の痕が痛々しい。動脈が傷ついたのか、鮮やかな赤がその手からばたばたと滴った。


「そこまで堕ちたかよ」


 それは失望と共に吐かれた。青い瞳はもはや、シュネイを見ていなかった。


「…………」

「…………」


 無言でブランドは、二人の側を去っていく。シュネイもまた、無言でうつむいたまま、立ち尽くしていた。

 まるで吹雪が荒れ狂う直前のように。ただ、冬の風だけが彼らの間を吹き抜けていった。

 

「シュネイ、大丈夫?」

「……ああ……いや、あの。それよりガイゲ、その、手……」


 ブランドの姿が見えなくなってしばらくすると、長い無言が気まずくなってガイゲが話しかける。

 気を遣わせてしまったことに後悔を覚えているのか、シュネイは噛んでしまった手を示して応じた。ところがガイゲの方は微塵も気にせず、にっこりと屈託のない笑みを見せる。


「大丈夫だよー、このくらい」

「ごめん……」


 なおも頭を下げる彼に、ガイゲはゆっくりと首を横に振る。


「大丈夫だってばー。このくらいなら、薬つけて歌えば治るでしょ」

「……外見は治っても、ガイゲの歌じゃすぐに中までは治せないだろ」


 いったいどんな顎の力をしているのか。吐き出されかけた音の激しさを示すように、ガイゲの指の付け根の辺りが奇妙な方向に曲がっている。食い破られた傷口から血があふれ、どうみても薬で治るなどと軽く言えるような怪我ではない。

 シュネイは道の脇に生えている樹の低い梢から、柔らかな雪をとってきてガイゲの手の甲に当てた。綺麗な雪で傷口の血をすすいでみると、痛々しく破れた肉が見える。自分のしでかしたことに眉をひそめながら、シュネイは軽く息を吸い込んだ。


『空よ、森よ、大地よ。あなた方の再生の力を、どうかこの小さき我らにお貸しください』


 そして先ほどとは全く違う、やさしい音をその口で奏でる。するとその声に応じて、ガイゲの傷口の周りにふわりと風が舞った。同時に当てていた雪がするりとほどけて水となり、傷口を覆う。


「これならおそらく、一日待たずに治るはずだ」

「さっすがシュネイ。ありがとー」

「いや……その、当たり前のこと、だから」


 礼を言われ、シュネイは目をそらして頭を掻く。


「……それで? 探しに行くって、あてはあるの?」

「正直にいえばないに等しい。とりあえずヤドリギの助けを借りにいこうと思うんだ。ただ、エルフェだけのために力を貸してくれるかどうかは分からないけど」

「ヤドリギは気まぐれだもんねー。下手に力が強い分、そう簡単に折れてくれないし」


 ふぅ、とガイゲが軽くため息をついた横で、シュネイが険しい顔のまま腕組みをして呟いた。


「或いは……アーレに力を貸している可能性もある。あいつは、“歌える”から」

「歌え……る?」


 どういうこと? と疑念の目をむければ、シュネイも難しそうにひとつ唸って答える。どう言っていいのかよく分からないという顔だ。


「本当は普通の影でも、歌ってるんだ。まともな音にも言葉にもならない歌で、何か泣き叫んでる。だけどアーレは言葉と音を持ってる。つまり、おれ達センゲルと全く同じように歌える」


「えっと……いまいちよく分からない、んだけど?」


 いままでエルフェの無念の姿である、としか認識していなかった影が、自分たちと同じく「歌う」。そんなことを突然きかされて、すんなりと納得できる方がおかしい。


 顔をしかめて見上げるガイゲに、シュネイは真っ白な髪に手をあてながら、すこし困ったような顔をして口を開いた。


「おれもいまいちどう説明していいのやら。みんなみたいに普通のエルフェには、全然聞こえてないみたいだったし……影には音なんかない、ってみんな言うけど。いつも影が来ると、おれにはうるさいくらいで」


 彼の口から出る言葉を半ば呆然とした頭で聴きながら、ガイゲはゆっくりと首を横に振る。


「そんなの、信じられないよ。いくらシュネイがヴィンデの生き残りだからって、そんなことまで」

「……だろうな。だから黙ってたんだ。自分の感じてることを相手に伝えるのは、いくら歌の力を使っても難しいだろうし。この感覚を伝えるには、ミステル様みたいに相手の心を感じ取るくらいじゃないと」


 一瞬、淋しげに眉をひそめるシュネイ。だが、その表情は次のまばたきとともに消え去った。握った自分の拳をみつめ、かるく歯噛みをする。


「でも今はそんなこと言ってる場合じゃないだろう。アーレはもしかすると、生きてた頃の力そのままに歌える……自然の力だけじゃない。下手をすれば人の気持ちだって操れてしまうんだ」

「え……?」


 何を聞き違えたかと思い、思わず聞き返す。そして徐々にシュネイの言葉がしめす可能性に気付き、愕然とした。


「それって……つまり……」

「そうだ。ビルケ隊長が“味方のままとは限らない”」

「ちょ……」


 思わず叫ぼうとして、何を言っていいのか分からなくなり、言葉を詰まらせる。何度か浅く呼吸を繰り返してから、ようやく言葉を吐き出せた。


「ちょっと待ってよ……そんなのアリなの?!」

「ナシなら楽なんだがな。実際におれが出来るんだから、あいつにも出来る可能性はある」


 軽いため息と一緒にさらりと暴露される、ガイゲのまだ知らない彼の力。いままで無条件に信頼していたはずの友人が、急に恐ろしく思えてきた。


「ずっと昔の話だ。……今はもう、そんなことは絶対しない。何よりおれ自身が嫌だから」


 そんなガイゲの思っていることが何となく分かったのか、白髪の青年は困ったような笑みを向ける。

 だがそれでも、エルフェの中では珍しいほど感情の不安定なシュネイのことだ。いつ何時、持っている力が凶刃に変わるかは知れない。

 ガイゲは無意識に一歩、後ずさるように距離を広げた。するとシュネイはまた淋しげに笑って、くるりと背を向ける。


「ステルンのところに行ってくる。……つき合わせて悪かった」


 言い残すと、ガイゲが止める間もなく足早に立ち去った。

 影との戦いで真新しい雪の上に残された、無数の足跡にまぎれて、二人の足跡はもはや追えはしない。


 空はただ青く、高く。

 ひとりその場に残された青年を、黙って見下ろしている。


 

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