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KODOKUシステム

作者: 晴樹

「あー、イライラする」


小宮山は、先ほど上司から注意を受けたことが無性に腹立たしかった。些細な失態をあげつらう上司の顔を思い出すと、握る拳に力が入る。


「大体、お前はどうなんだっての。俺のミスを指摘する前に、自分のミスを失くせっての」


悪態は誰もいない会社の休憩室にやけに大きく響く。長時間労働、割に合わない給料、嫌味な上司に使えない後輩――考え出すと絶望的な現状を再認識するだけで、どうにもならないことは小宮山にも分かっていた。分かっていたから、スマホを取り出して現実逃避する。


「お、ガキが逮捕されたって?」


小宮山の目に飛び込んできたのは、K市で起こった一家殺害事件の容疑者として、17歳の少年が逮捕されたという記事だった。親子3人が殺された事件で、発生当時はメディアがこぞって取り上げたが、3か月経った今では、どんな事件かを思い出せる一般人は皆無だ(もちろん、小宮山もその例に漏れない)。


小宮山は、「K市 一家殺害事件」で検索をかけると、事件の概要には目もくれず、あるものを探し始めた。


「石川省吾。恐喝で補導歴あり――真正のクズだな」


少年法によって20歳未満の犯罪者は、逮捕されても氏名が公表されない。そういうお題目は、今の情報社会において意味を成していない。逮捕直後から氏名や非行歴、果ては小学校の卒業文集まで、容疑者のありとあらゆる情報がネットの海に広がっていく。最初の発信者はごく限られた関係者だが、広げていくのは義憤に駆られた無関係の一般人だ。小宮山も、容疑者と目される人物の写真を、自宅の電話番号だとされる数字の羅列と共にSNSに投稿した。


ささやかな社会正義を成した小宮山は、だいぶ機嫌が直ってきたので、やる気の起きない仕事へと戻っていった。


**


その日の退社は、幸運が重なりいつもより早かった(それでも労働者を守る法律が決める時間以上であったが)。幸運というものは、立て続けに起こるものだ。学生時代に仲の良かった友人の谷川とばったり出くわしたのだ。自然と近くの居酒屋に入って、昔話から最近の状況に花が咲く。


「お前、今何やってんだっけ?」


「うーん、何て言えばいいかな。システムエンジニアって言って分かる?」


「馬鹿にすんなよ。あれだろ、システムエンジニアだろ。パソコンでなんかやるやつ」


小宮山と谷川は、女性の趣味から風呂の入り方まで、似ている所が多くあったが、理系科目に対する理解に関しては、月とスッポンの如き隔たりがあった。


「機械音痴な所は相変わらずだな。そんなんで生活できるのか?」


「スマホは使えるさ。谷川よりよっぽどネットジャンキーだぜ、俺」


「それでいいのかなあ」


そもそもが、酒の席での男たちの会話だ。アルコールによって思考が麻痺していくに従って、意味のある会話は減っていくし、口も軽くなる。


「そういえば、今日捕まったガキ、とっとと死刑にならないかなあ」


「なんだっけ、それ」


「ニュースくらい見ろよ。どっかの家族を皆殺しにした石川ってガキが捕まったんだよ」


谷川は合点のいかない顔で少し考え込むと、はっと何かに気付いた。


「それって、K市の一家殺害事件のことか?」


「K市だったかな。よく覚えていないけど、たぶんそれだろう」


その答えに、谷川は酔いがすっかり醒めたようだった。


「あれは少年の個人名は公表されていない。どうして石川という名前を知ってるんだ?」


今までコンピュータやネットのことで谷川に勝てないと思っていた小宮山は、ちょっとした優越感を感じて、意気揚々と「犯罪者の個人情報なんて、ちょっと調べれば分かることだろ」と答えてやった。アルコールで赤かった谷川の顔は、みるみる青くなっていく。神妙な面持ちで言い出すべきかどうかを思案しだした。小宮山は、そんな谷川の心境を察するでもなく、「どうしたんだよ」と小突いて笑っている。


「本当は言っちゃいけないんだが……これはお前のためでもあるんだ。俺は、これまで『KODOKU』というシステムの開発に携わり、今は保守を担当している」


「なんだよ、改まって。何だよコドクって? 孤独?」


「一昔前、ネットでの誹謗中傷が酷かったことがあっただろう。発信者は何万人にものぼり、全員を検挙することは難しい。だから国は『KODOKU システム』を開発したんだ。KODOKU は、ローマ字で書かれるけど、《孤独》と《蠱毒》の両方の意味があると言われてる。このシステムは、誹謗中傷をする人たちを、本人たちには知られないようにネット上で隔離するんだ。誹謗中傷大いに結構、でもそれは全世界の人々の目に触れない、彼らだけのネットワーク内で完結する」


小宮山には、谷川が何を話しているのか合点がいかない。じれったくなって「それが、俺と何の関係が?」と詰め寄ると、谷川も一度深呼吸して興奮した自分を恥じた。


「少年犯罪の個人情報なんて、今のネット上で見つけることはできない。それを見つけられるってことは、お前は KODOKU システムの住人ってことさ。あそこには、そういう()がばら撒かれてるからな」


「……だから何だって言うんだよ。仮に、掃き溜めみたいな所だったとしても、それだけじゃないか」


「世の中に迷惑がかからず、悪態が付ける素晴らしいシステムだと思うか? それなら俺もお前を救い出そう(・・・・・)とはしない。だけどな、KODOKU システムに隔離されるような人間ってのは、他者への攻撃性が高い。特に自分の意見に口を出してくるような輩にはな。KODOKU システム隔離者同士での暴力事件は、それ以外に比べて3倍もあるという統計さえある。わざわざ個人情報を調べ上げ、ネット上でしか知らない相手を襲撃しに行くんだぜ。凄い執念だと思うけど、それを当たり前に行うのが《蠱毒》システム隔離者なんだ。俺は、お前を被害者にも加害者にもしたくないんだ」


**


俺はそのとき、かっと頭に血が上って、持っていたジョッキを谷川の頭に叩きつけた。奴の頭からは赤いものが溢れ出し、それっきり奴が喋ることはなかった。


あのとき、奴のどの言葉に子供じみた反抗心を抱いたのか、それが分からず今もなお、このかび臭い独房で考えている。


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