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湊は、最初にパラパラとページをめくって、それらしい何かはないかとざっと見た。
すると、いろいろな図形などが書かれてあるページがあり、自然、そこで手を止めて視線を落とすと、何やら見たことがあるような、図形が目に入った。
「…これ。」湊は、言った。「管理日誌にあった、落書きの写真に似てる気がする。」
管理日誌は、今机の上に放り出してあった。
一番近くに居る大河が、それを手にした。
「えーと、」と、ページをめくって行く。「あ、これか?」
そこには、落書き現場の写真が添付されてあった。
確かに、同じ形だった。
「中でロウソクを灯して結界の魔法陣を描くらしい。そしてここに書いてある呪文を唱えると、見えない膜のようなものが中に居る人を外へ出さないし、外から中へも入れないようになる。術を掛けた本人は、出入り出来るけどね。結界の術だ。」
理久が眉を寄せたまま言った。
「だが…地下にはもう綺麗に何もなかったし、ロウソクだって置き去りだった。」
湊は、首を振った。
「他のどこかで同じように結界の呪文を発動させていたら?ロウソクなんかいくらでも持って来れる。地下を出たんだ、きっと、屋敷全体に結界を張るために、移動したんじゃないか。」
大河は、見取り図の方へと目をやった。
「だとしたら…他の部屋は全部見て回ったけど、何も無かったんだ。あるとしたら、主の部屋。」
理久は、顔をしかめた。
「宮脇は鍵を持っていなかったぞ?」
湊は、理久を見た。
「オレ達は結構長い事宮脇を放って置いたじゃないか。オレ達があそこへ行く前に、鍵を見つけて持って行ったのかもしれない。」
美里が、言った。
「じゃあ、ここの玄関を開く鍵だって持って行ったかもしれないわ!とにかく、取り返しに行きましょう!きっと主の部屋に居るのよ!」
理久、大河、弥生が頷くと、湊は慌てて言った。
「待てよ、本当にこれが呪術だって言うのか?!オレ達を、食おうとして何かがここに閉じ込めてるって?!」
理久が、怒ったように言った。
「それしか考えられないじゃないか!現実に宮脇さんは爆発して食べられてたんだぞ?!今は腹がいっぱいだからみんな無事なだけで、これからなんか分からない!ここから出るためには、戦うしかないんだ!」
湊は、それを受け入れられなかった。呪術が行われていて閉じ込められている…そんな事が起こるのは、また邪神が関わっていると湊に思い起こさせて、とても受け入れられる事ではなかった。
「…そんな事、あるはずない!」湊は、言った。「また邪神がとかいうのか!あり得ない、もうあの邪神は遠くへ行ったはずだ!オレのことなんか、忘れてしまってるはずなんだよ!考えてもみろ、オレ達が玄関が開かないって知ったのは宮脇さんの爆発直後だったじゃないか!その頭のおかしい奴が、主の部屋の鍵を手にして戻って結界を張ったなら、時系列がおかしいだろうが!冷静になれ、呪術なんかない!こんなのお遊びだ!」
湊が叫んで魔道書を机に叩き付けて言った。
確かにそうなのだ…玄関扉が開かないのを知って、管理室へ戻った。
その時に来たとしても、結界のせいで閉じ込められているというのはおかしいのだ。
「…その時、大河は風呂の前の廊下。」理久は、言った。「オレ達は管理室に戻ったよね。階段を誰かが降りて来ても大河からは見えない。食堂に入って扉を閉めたら、中は見えないしオレ達には分からなかった。主の部屋の鍵は、最初からキーボックスに無かったのか?誰か、それを覚えている人はいる?」
皆、顔を見合わせる。
最初は、どこにどの部屋があるのかも知らなかった。
「…確かに、分からないな。もしかしたら、主の部屋の鍵は最初から頭のおかしい誰かに持ち去られていたのかも。」
理久は頷く。
「主の部屋で、既に結界を張っていたら?オレ達を迎えに出て宮脇さんは留守にしてたわけだし、その間に鍵を取って、みんなが中に入ったのを見て術を発動してたら分からないじゃないか!もしこれが結界の術じゃなかったとしても、玄関の鍵は宮脇さんが持ってたはずだ!なのに、あったのは車の鍵だけだった。それも、見つけやすいようにテーブルの上に置いて。あんな手紙みたいなのも残して。とにかくここから出るには、その頭のおかしな奴に会うしかないじゃないか!持ってるんだよ、絶対!この家の鍵も!」
皆が、湊を見た。
ここで仲間割れしている暇はないのだ。
だが、湊はあの事件から極端にこういう事を嫌う。病んでいたのだから仕方がないが、それでも皆の力を合わせないとここから脱出出来そうにない。
「…湊。」大河が言った。「気持ちは分かる。怖い思いをしたんだしな。オレ達は覚えてないけどよ。だが、誰かがオレ達を閉じ込めてるんなら、そいつに会わなきゃ始まらないだろう。話が通じるか分からないけど、話せば何か手掛かりが見つかるかもしれない。もう暗くなって来てる…あの紙には、夜明けまでとか書いてたじゃないか。宮脇さんが爆発してたのは確かだったし、原因不明だ。あんなこと、呪術でもない限り出来ないだろうって考えるオレ達は間違ってるか?」
湊は、下を向いた。魔道書を全部読んだわけではないので、そこにその術がないとは言えない。人が爆発したのは確かだし、その説明は湊にも出来なかった。
それでも呪術を認めてしまったら、またあの邪神が自分を追って来たのだと恐怖に苛まれて正気でいられなくなる。
あんなものに、勝てるはずなどないのだ。
「…邪神はいない。みんなそう思ってるんだろう?オレだってそう思いたいんだ。呪術を認めたら、また悪夢が蘇って来るんだよ。これは呪術なんかじゃない。」
理久と大河が、目を合わせた。
どちらも、何かをお互いに問うような目だ。
「何?」
美里が、不安そうに言う。
理久が、言った。
「…この、仕事。修三が口利きしてくれたって言ってたよね。」
湊は、背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
まさか…まさか、その相手は。
大河が、渋々というように言った。
「…ニクラス教授からの依頼なんだ。あの人は日本に別荘を持っていて、それのセキュリティをなんとかして欲しい、って。湊はあの人を邪神とか言って怖がってたから、言ったら来ないと思ってな。ニクラス教授は、あの時居たもの達が皆でやってくれるなら依頼しようって言ったらしくて…どうしても、湊には来てもらわなくちゃならなくて。修三にも、依頼元を言わないように頼んでおいた。だから、美里さん達にも詳しく話さなかったんだ。」
美里が、口を押さえる。
湊は、それを聞いてまた気が遠くなるのを感じた。
「湊!」
大河の声が聴こえる。
やっぱりそうだ…邪神が追って来たんだ。また暗い深淵に自分達を引き込もうと、口許にあの嘲るような笑みを浮かべながら、自分達を見ている。
湊は、気を失って管理室の床に倒れたのだった。
どれぐらい経ったのだろう。
湊は、自分を呼ぶ声に目を開いた。
すると、涙目の美里が顔を覗き込んで言った。
「ああ良かった!全然目が覚めないから、もうこのまま死んじゃうんじゃないかと…。」
身を起こすと、居るのは弥生と美里だけで、理久と大河はいなかった。
そして、机の上にはキッチンにあった、宮脇が準備してくれていたサンドイッチが幾つか残って置いてある。
辺りはもう真っ暗で、今が何時なのかも分からなかった。
「…オレ、どれぐらい気を失ってた?」
弥生が、答えた。
「三時間くらい?今は、夜の10時半よ。」
そんなに気を失っていたのか。
「大河くんと理久くんは主の部屋の様子を窺いに行ったわ。キッチンからサンドイッチを持って来てくれて…食べる?」
湊は、首を振った。
「いや、腹は減ってない。」
美里が言った。
「それでも何か食べておいた方がいいわ。冷蔵庫にペットボトルのお茶があったから持って来てあるの。せめて飲んで。」
湊は、仕方なくそれを口にした。
味がしない…麻痺しているような感じだった。
「あの、大河くん達が戻ったら、私達あの部屋の鍵を壊して中へ入るつもりなの。湊くんが気を失っている間に、大河くん達があちこち見回ってくれたけど、やっぱりどこにも何もないのよ。玄関の扉も…壊そうとしてみたけど、びくともしなくて。」
美里は、言って視線を脇に立て掛けてある手斧へと向けた。
湊は、察して言った。
「あの扉を、斧で?」
弥生は、頷く。
「ええ。あちこち探し回って、その小さな手斧と、バール、あと錆びたゴルフクラブを見付けたんだけど…それから、理久くんの工具箱の中の金槌も。どれで叩いても傷すら付かないの。見た感じ木製なのに…。」
破れなかったのか。
湊は、皆が呪術だと言う気持ちが分かった。
それだけやってもびくともしないのだ。
「それから、あちこちの窓も叩いて回ったの。それでも破れないから、理久くんは、いっそ燃えたらって言ってキッチンでコンロの火を引火させようとしたけど、スプリンクラーが作動して水浸しになっただけだったわ。」
いろいろ、努力してくれたのだ。
湊は、自分だけが信じないと現実逃避していることを恥じた。このままでは、邪神の思う通りに餌食にされて、無惨な死が待っている。
きちんと向き合って行かなければ、生きて帰ることが出来ないのだ。
「…分かったよ。」湊は、言った。「オレだけがこんな風に。ごめん、協力するよ。これが邪神の仕業なら、慈悲の心なんかない。どこかで見て笑ってるはずだ。思う通りにはさせない。必ず生きてここを出ないと。」
美里は、湊が前向きになってくれたので、パアッと笑顔になった。
「そうよ!生きて帰りましょう。前もなんとかなったんだもの、今回だって大丈夫だわ。」
そこへ、大河と理久が戻って来て、ソッと扉を閉め、鍵を掛けた。
「中に誰か居そうだぞ。」と、湊を見た。「湊!気が付いたのか。」
湊は、頷いた。
「いろいろごめん。オレも一緒に戦うよ。ここから生きて出ないと。」
大河は、バツが悪そうな顔をした。
「こっちこそすまないな。お前に何も言わずに連れて来ちまって。理久と話してたんだ。お前が無理なら、オレ達でなんとかしようって。でも、どうやっても外には出られなくて。」
湊は答えた。
「今聞いたよ。夜明けまでになんとかしなきゃな。オレに黙ってたことは全部終わってからだ。まずはここから出なきゃ。」
理久が、言った。
「とにかく、扉はなんとかなりそうだった。玄関と違って壊せそうだ。そっちの斧で鍵を壊して、中へ入ろう。ただ、中の奴は何をして来るか分からないから、武器が必要だ。斧だけじゃ心許ないよな。」
湊は、バールを手に取った。
「オレはこれを持つよ。ゴルフクラブはリーチが長いから、大河が持つか?」
大河は、顔をしかめた。
「リーチが長いってことは必然的に前だな。その分有利だし。」
理久が、斧を手にしたまま言った。
「いや、オレが一番前だよ。だって一番攻撃力がありそうだし。鍵を壊すならこれしかないじゃないか。」
美里が、金槌を手に言った。
「私が湊くんの後ろに!弥生は離れてて。」
弥生は、首を振った。
「私が行くよ。だって、美里はメイド服じゃない。私はズボンだから、動きやすいし。美里はいつでも逃げられるように後ろに下がってて。」
美里は、確かに自分だけメイド服だったと頷いて、弥生に金槌を渡す。
「行くぞ。」
大河が意を決して言うと、湊が言った。
「待て。」と、机の上からあの、A4の紙を手に取った。「これ。念のため持って行こう。」
・誰もここから出ることは出来ないが、生きてる人と二人なら一緒なら出ることが出来る
・でも扉を抜けられるのは一人ずつ
・最後の一人は出られない
・最初の一人は肉片になる
・夜が明けたら仲良くみんなでおいしいご飯になるだろう
・だが気を付けて。一緒になれない人が一人混じっている。一緒になったらその場ですぐにご飯になるよ
改めて読んでも、矛盾したよく分からない謎掛けだ。
だが、これが重要になって来るかもしれないのだ。
そうして五人は、頭のおかしい誰かが居るだろう、二階へ向けて管理室を出た。