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管理室では、皆が飛び出した時のままになっていた。
放り出されたファイルを手に取って、理久は言った。
「全く、人間爆発の記事を読んでた折りも折りだ。本当にあれば宮脇さんなのか?ただ、なんか食材を撒き散らしちゃっただけじゃなくて?」
湊は、メインのサーバーの中を確認しながら首を振った。
「オレにも分からないよ。なんだか実感がなくて…。」
飛び散った肉塊は見たが、何かの食材の入った袋を落としただけだと言われたら、そうかも知れないと思ってしまう。
すぐに離れてよく見なかったからかもしれないが、それぐらい、実感がなかった。だからこそ、正気を失わずに済んでいるのだ。
湊は、マウスを持つ手を止めた。
「…無いな。鍵を解除する方法を知っていたのは宮脇さんだけだ。」
理久が、机の上にファイルを放り出して言った。
「どうする?勝手口とかないかな。それとも、窓から出るか?」
湊は、顔をしかめた。そもそもあれが宮脇だったという確証もない。もしかしたら作業していて食材をぶちまけてしまい、着替えようと部屋に引っ込んでいるかも知れないのだ。
側の壁にあるキーボックスの中を見ても、玄関という項目はない。もちろん、車の鍵もなかった。
「…宮脇さんを探そう。美里さんはあんなことを言ってるけど、本当にあれが宮脇さんだったか分からないじゃないか。そのついでに、窓から出られないか確かめて、勝手口も探そう。」
理久は、頷いた。
「そうだな。」と、またファイルを見た。「見取り図あったよな。使用人部屋って風呂の近くでこの隣りだし、見て来よう。」
見取り図をちらりと見ると、その脇に直前まで見ていた新聞記事が置いてあった。
湊は、それを見つめた。
…偶然にしては…。
湊が記事を読んでいると、理久がじれったそうに言った。
「なんだよ?まさかその記事が関係あるって?」
湊は、頷いた。
「偶然にしてはおかしくないか。急に爆発して…あんまりにも粉々だったから、遺体収容には時間が掛かったみたいだ。人通りは多かったけど、夜だったから余計に分かりづらくて。警察が現場検証している間、そのままだったらしいんだが、早朝片付けようと鑑識が拾い集めた時に、ほとんどの肉がないのに気がついたって。そんなに飛び散ったのかと辺りを探したけど、明らかに肉は消えていたんだ。野生動物が食い荒らしたのかって話になってたけど…規制線が張られててそんな様子もない。何しろ町中だし。謎の事件ってことで日本の新聞にも載ったみたいだな。」
理久は、顔をしかめてドアを開いた。
「こんな時にそんな話をするなよ。とにかく、あれは宮脇さんじゃないと思う。探そう。」
二人は、また管理室を出て、隣りの部屋へと向かった。
隣りは、狭くてベッドと机が一つずつある部屋だった。
他には何もなく、誰も使っている様子はない。
…ここじゃないか。
二人は、三つある使用人部屋を、端から順に開けて確認して行った。
風呂場の前の廊下で立っている大河が、こちらの様子を見ていたが、二人が近付いて来るのを見て、言った。
「どうした?車は?」
理久が答えた。
「玄関が開かないんだよ。鍵も見当たらないし、それで仕方なく宮脇さんを探してるんだけど。」
大河は、眉を寄せた。
「お前達も、あれが宮脇さんじゃないと思うか?」
湊は、頷いた。
「大河もか?だって、人が爆発とかおかしいじゃないか。食材をぶちまけてしまって、どこかで着替えてるんじゃないかって思って探してるんだ。美里さんは混乱してるし、あり得ないものを見たのかもなって。宮脇さんが、目の前で食材の袋を落としたかなんかじゃないかな。」
それにしても、もろに血をかぶっている美里を置き去りはおかしな話だったが、そうとしか考えられない。
新聞記事が頭に上って来て、湊は落ち着かなかったが、その記憶を無理やり脇へと押しやった。
大河は、頷いた。
「じゃあ、とにかく屋敷の中を探そう。」と、風呂の中へ呼び掛けた。「おい、ちょっと離れるぞ!終わったら管理室で待っててくれ!屋敷の中を調べて来るから!」
中から、ヒステリックな美里の声が返ってきた。
「待ってよ!危ないわよ、早く外に出ないと!」
理久が、うんざりしたように言った。
「鍵が見当たらないんだってば!とにかく、待ってて!」と、大河を見た。「行こう。」
大河は頷いて、三人はまず、キッチンの方へと向かった。
キッチンは、広々としていて窓に沿って長い流し台が設置されてあった。
大きな冷蔵庫もあり、綺麗に掃除されたそこは確かに人の手が入っていて、使用された痕跡がある。
テーブルの上には、宮脇が準備してくれただろう、サンドイッチが置かれてあった。
だが、宮脇は居なかった。
「窓から出られないか。」大河は、窓を調べた。「なんだ、作り付けか?開く感じじゃないな。」
格子状に白い枠がはまっていて、それがどこかカントリー朝で可愛らしい仕様だが、確かに開けなかった。
「いよいよとなったら割ってもいいよね。」
理久が言う。そして、窓をガンガンと叩いてみたが、顔をしかめた。「無理だ。ガラスじゃないみたいだ。なんか、プラスチックみたいな感じで、めちゃ分厚いな。」
理久は、そのまま裏手が見える窓へと移動した。
「あ、ここから屋敷の裏が見えるよ。」
流し台のこちら側にも窓はあったが、そこから確かに裏側が見えた。
裏側には、来る時に通って来たような鬱蒼とした森が広がっていて、遠く小屋が一つ見えた。
そして、宮脇の車がポツンと停められてあるのが見えた。
「車だ。鍵…見えないな。」
湊は、なんとかして運転席の中を見ようと目を細めたが、遠くてハッキリとは見えなかった。
「鍵をつけてないとしたら宮脇さんが持ってるはずだよね。」
理久が言う。
大河は、息をついた。
「だな。オレなら、不審者が出てるのにこんな山の中でも車の鍵をつけっぱなしにはしないけどな。何しろ、足を奪われたらどうしようもないじゃないか。」
三人は、顔を見合わせた。
確かにそうなのだ。だからセキュリティを強化しようと自分達はここに呼ばれたのだ。
脇を見ると、黒電話らしいものが、キッチンの壁に吊るされて設置されているのが見えた。
ダイアル式で、ついぞ見ない形だ。
大河は、その受話器を取って、耳に当てた。
「…何も聴こえない。やっぱり電話線がおかしいのか。」
湊は、ため息をついた。
「…やっぱり宮脇さんを探すしかないな。」
湊がキッチンを出ようとすると、理久が言った。
「なあ、こっちの扉…多分、食堂へ抜ける扉だぞ。」
湊は、眉を寄せた。
「それで?」
理久は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「ちょっと、行ってみないか。食材だったら良いじゃないか、美里さんを説得出来るし。でも、宮脇さんだったら…多分、鍵があるんじゃないかな。」
大河は、体を震わせた。
「…待てよ、血まみれなんだぞ?食材なら鍵なんか持ってない。先に二階も調べて来よう。そこで、宮脇さんがいなかったら考えようや。」
あの光景は、見たくない。
それは、湊も同じだった。本当に宮脇かもしれない、と思うと尚更にそうだ。
「…とにかく、宮脇さんが居なかったら外部に助けを求めなきゃならないかも知れない。二階も調べてみて、それから通信手段を考えるんだ。どっちにしろ、ここから出られなかったら鍵があっても無理なんだし。宮脇さんを探すんだ。」
理久は、まだ少し食堂が気になるようだったが、頷いて入って来たドアから廊下へと出た。
そうして、三人は二階へと向かった。
玄関へと一度向かい、そこから大きな階段を上がって行くと、左へと折れて、そこには扉が二つあった。
廊下を真っ直ぐに言った正面にも部屋があるようで、そちらにも扉がある。
理久が、言った。
「ええっと、見取り図を思い出したら、こっちが客間で、あっちが書斎、向こうの突き当りが主の部屋ってことらしいよ。で、裏側にも客間が二つ。」
湊は、自分の頭の中の図も見ながら、頷いた。
「そうだな。」
シンと静まり返っていて、誰かが居るような気配はない。
それでも、宮脇を探さなければここから出ることが出来ない。
なので、湊は足を踏み出した。
「じゃあ、オレはこっちの客間と書斎を見る。お前達はあっちの客間を見て来てくれないか。」
理久が、不安げに湊を見た。
「一人で大丈夫か?一緒に見て回ってもいいけど。」
湊は、グッと歯を食いしばって首を振った。
「さっさと探してここから出たいんだ。オレは大丈夫だ。」
湊は、まだ不安そうにしている二人を残して、客間の一つの扉を開いて、中へと足を踏み入れた。
そこは、物凄く広く、天蓋付きのキングサイズのベッドが設置されている洋間だった。
正面の壁には三つの窓があり、それぞれに高価そうなビロードのカーテンが掛かっている。
宮脇は居なかったが、湊は何か外へ出るヒントはないかと、ぶらぶらと回りを見回した。
だが、窓は造り付けでしっかりと閉まっており、外の風を感じる事は出来なかった。
試しにコンコンと窓を叩いてみたが、何やらガラスではない感触だった。
窓枠を見ると、必要以上に分厚い窓のようで、五センチぐらいの厚さの窓ガラスがはまっているのが分かった。
そもそも、ガラスかどうか分からない物なので、これを破るのは無理そうだ、と湊は思い、書斎の方へとそこを出て客間へ向かった。
扉を閉める時、棚の上に置いてあったビスクドールと目が合ったような気がしたが、気のせいだと急いで扉を閉めた。
廊下へ出ると、大河と理久の気配は向こう側にあった。
あちらの客間も調べているのが分かり、湊は急いで書斎の方へと向かい、扉を開いた。
そこは、隣りの客間と同じぐらいの広さだったが、カーテンは閉じられていて、黄色い灯りが薄暗い部屋を照らしていた。
入って左側の壁には、プロジェクターの大きなスクリーンがぶら下がっており、天井にはそれへと画像を照射するための、機器がついていた。
こんな洋館なのに急に近代的な様子なのに驚いたが、全体の雰囲気はアンティークだ。
窓際に設置されている低い棚の上には、たくさんのビスクドールが並べられてこちらを見ていた。
右側の壁には、低い本棚が設置されてあって、そこには重そうな本がたくさん収められているのが見えた。
傘のついたランプの黄色い光がそれらを照らしていて、湊は自然、本の方へと足を進めた。
本棚の本は、日本語の本は一つも見当たらず、皆、ドイツ語、イタリア語、英語、それに、ラテン語の背表紙がずらりと並んでいた。
…ここの主人は、もしかして外国人なのか…?
湊は、顔をしかめた。確かに修三は、海外の研究者に知り合いが居る。あの時、一緒に調査しようとしていたのも、ニクラス・ポルシュという、日本にルーツを持つドイツ人だった。そして…そのニクラスが、あの消えない恐怖を自分の心に植え付けた邪神の化身だった。
だが、それを知っているのは湊だけで、他の四人と修三は、一緒に見たはずなのに何も覚えていないようで、いや、覚えていても邪神が本当に存在するなど思ってもいないようで、ニクラスを怖がることもないし、今では話題にも上がらない。
それでも、湊だけは知っていた。あれは、本当に邪神だった。美しい姿で人の心に入り込み、狡猾で賢く、自分達人間など敵うはずなどない…。
湊は、ハッとした。
思い出してはいけない、と思っていたのに。
湊が、慌てて首を振ってその記憶を追いやろうとしていると、大河と理久が入って来た。
「こっちはどうだ?向こうの客間には、誰も居なかったよ。」と、湊が立ち尽くしている、本棚の前に立った。「げ、外国語ばっかだ。」
理久が、見たくも無いという風で言う。
大河が、苦笑した。
「おいおい、湊は英語は分かるんだよ。」と湊を見た。「で、何か分かったか?」
湊は、首を振った。
「いいや。英語ぐらいしか分からないけど、何か物語とか小説みたいだよ。ホラーっぽい題名だな。」
理久は、ますます顔をしかめた。
「ええー!こんな所でホラーとか勘弁だわ。」と、足を出口へ向けた。「それより、何もないなら来てくれないか。ここの、正面にある主の部屋って書いてあった部屋の扉だけ、鍵が掛かってて開かないんだよ。管理室へ戻って、鍵を取ってこようかって思ってるんだけど。」
湊は、まだ心の中に残る邪神の気配を無理やりに押し込めて、頷いた。
「主の部屋だからな。開きっぱなしってことは無いだろう。じゃあ、管理室へ降りよう。」
そうして、三人は結局宮脇を見つけることが出来ずに、階下へと降りて行った。