9(裏)
「陰圧。」デニスが言う。「もう大丈夫ですよ、ジョン。」
彰は、長い着物の裾にすっぽりと隠れていたエア・パッドから降りた。
足元には、気を失った湊が倒れて気を失っていた。
わらわらと工作班が入って来て、それぞれの役目を果たそうと屋敷のあちこちへと散って行く。
何しろ、何事も無かったように片付けなければならないのだ。
「いい感じに誘導出来たな。」
要が、イヤホンから答えた。
「相変わらず邪神の役がこれでもかと似合いますよね。咄嗟に邪神の考えそうな事を思い付く能力には感服しますよ。」
彰は、誉められているのかけなされているのか分からない言いように、顔をしかめた。
「どういう意味だ?とにかくは、これで長い髪ともおさらばだ。全く、毎回これではやってられない。」
工作班達が、大河達を車から降ろして二階へと運んで行くのが見えた。
車は当然の事ながら無傷なので、大河達を降ろした後は屋敷裏へと移動させられて行った。
「とにかく、帰って来てください。締めが残っていますから。二階の書斎の扉を壊されたので、それを換えなきゃならないんですよ。食堂の掃除もしなきゃならないし。騒がしいのは嫌いでしょう?」
彰は、頷いてまたエア・パッドに乗った。
「そっちへ帰る。まあ、今回は上手く行ったんじゃないか?次は…まあ、気分次第だな。」
彰は、忙しなく動き回る工作班の間を抜けて、スイッと屋敷から出た。
大仕事が終わった気分だった。
屋敷の修復は、簡単に終わった。
汚れたのは食堂の床と玄関外ぐらいのもので、後は全て映像だったのだから問題はなかった。
人形達は、予め準備していたので新しい物を設置。前の人形には可哀想な事をしたが、あれは高級でもなんでもない、研究員達が趣味で作った物なので、特に問題はなかった。
作った本人は複雑そうな顔をしていたが、これもどうしても必要なことだったのだ。
「複雑だよなあ、最初からこのために作ったとはいえ。」博正が、言った。「服なんか美沙に縫ってもらった物だったのに。」
真司が、その肩をポンと叩いた。
「分かってて作ったんだろうが。諦めろ、まだいっぱいあるじゃないか。」
博正は、渋い顔をした。
「それでもよお…。」
要が、息をついた。
「思いの外楽しんで作ってたのは知ってるけど、もう諦めてくれよ。引き続き作ってもいいって言ってもらったんだろ?工房用にスペースまでもらって。」
博正は、頷く。
クリスが、言った。
「でも、ほんとに良い出来だった。プロになれるぞ、博正。ジョンも感心したからこそ、場所を貸してくれたんだし。これからに目を向けて頑張ってくれ。」
博正は、仕方なく言った。
「もう跡形も無いし、あの二つは諦める。でも、もうオレの人形を使うのは無しだ。変なシナリオ書くなよ、クリス。」
クリスは、苦笑した。
「分かったよ。」
そこへ、彰がすっかり着替えて戻って来た。
「エクステとやらは取らせたぞ。」見ると、確かにあの膝まであった髪が短くなっている。それでも長いので、後ろで束ねられてあった。「帰ったらカットさせるつもりだ。長髪は風呂に時間がかかって仕方がないからな。それで?終わったか。」
要は、頷いた。
「終わりました。朝食も運び込んで、後は目覚めさせるだけです。今回は、言われた通り記憶の処理はしていませんよ?良いんですか。」
彰は、頷いた。
「良い。覚えておいてくれた方が都合が良いからな。」
ハリーが言う。
「それでも、遅効性のヤツは念のため、湊以外に打たせてもらいました。目覚めた最初は混乱するでしょうが、錯乱するまでには至らないかと。これが効いて来ると、記憶が少しぼんやりするんです。脳が夢か現実か区別を付けにくくなるので、暴れ出したりしないはずです。」
真司が、息をついた。
「良かったよ。オレが最初に会うのに、あいつらが暴れたら大変だ。びっくりして思わず狼になっちまうかもしれない。それこそ大騒ぎだ。」
要が、ブンブン首を振った。
「ダメだよ!何事もなかった朝なのに余計な処理をしなきゃならなくなるし。」と、彰を見た。「良いですよね?」
彰は、不満なようだったが渋々頷く。
「仕方ない。暴れられたら厄介だしな。」と、窓の外を見た。「すっかり夜が明けた。さっさと済ませて帰ろう。」
要は、時計を見た。今7時…良い頃合いだ。
「では、二人とも屋敷へ入って配置についてください。そちらの準備が出来次第、目覚めさせます。」
彰と真司は頷いて、地下の通路を通って屋敷へと戻った。
もう、ゲームのエピローグの場面だった。
予想していた通り、目が覚めてすぐは全員が襲われた記憶からパニック状態になっていたが、他の者達より耐性が出来ているのか、湊が案外に他の四人を気遣って、必死に夢であったと思わせようとしていた。
加えて、しばらくするとハリーに投与されていた薬も効いて来て、特に営利目的の大河と理久は、考えないようにしようとしているようで、湊の言う事も聞かずに、彰が提示する新しい仕事に飛びついていた。
彰は、あまりにあっさりと引っ掛かって来るので面白く無さそうだった。
本当ならここで、屋敷を売る事にしたので日当と払うしもう帰れ、で終了のはずだったのだが、湊との約束があったので、付け加えてあたかも仕事があるような発言をしていた。
それを聞いた、要が顔をしかめた。
「また彰さんは。西で海が見えるって事は、あの屋敷か。」
確かに古い屋敷がある。
確かに海があり、洞窟もあるし、何か細工するなら絶好のロケーションではあった。
だが、皆やっとひと通りの荷物をまとめて、運び出そうとしているところなのだ。
次の事など、考えたくもなかった。
「まあ、オレはいいんだ。薬を使えるから臨床実験の回数が増えるしな。でも、みんな大変だろ?自分の実験を放り出して来てるわけだし、ジョンだってまたあの姿にならなきゃならない。維持が大変だからどうせすぐに崩れて来るんだし。」
要は、息をついた。
「もう、いいよ。やるにしてもなんだかんだ言って時期を延ばしてもらうから。ほんとにさあ、勝手なんだから彰さんは。」
小屋の裏側に待機している大きなワゴン車に、持って来た備品をせっせと皆で運び入れていて、後はここにある、数台のモニターとパソコンぐらいになった。
後は五人を最寄り駅まで送り届けて、終了だった。
モニターの中では、宮脇役の真司が五人をまたワゴン車に乗せて、出発しようとしていた。
「…さて、ヘリを呼ぼうか。」彰が、また伸びをした。「なんだかんだ前よりは短く済んだ。そう考えると短いシナリオの方が面倒がなくて良いんじゃないか?クリス。」
クリスは、神妙な顔で頷いた。
「はい…とはいえ、場所にもよりますし。次の場所を決めてるなら、資料をください。研究の合間に書くので時間が掛かるんです。」
彰は、面倒そうに手を振った。
「ああ、要が知ってる。デニス、ヘリを呼んでくれ。」
モニターの中では、真司の運転するワゴン車が敷地を出て行った。
デニスは、言った。
「全て終了。お疲れ様でした。」と、イヤホンを外した。「ここの機器も撤収しましょう。ジョン、ヘリはもう呼んであります。10分ほどで到着します。」
彰は頷いて、そこを出て行った。
工作班達が、あちこちに伸びたケーブルを引っこ抜いて片付けにかかる。
要も、やっと解放されて機器の片付けを手伝ったのだった。




