8(裏)
画像の裏側にはなるが、彰はその様子を、わざわざハリーの薬品を投与して見ていた。
裏側なのでそこまでリアルでもないのだが、それでも大量の見た事も無い冒涜的な姿をした化け物が、車を襲う様は身震いするほ気味が悪かった。
実際の車は、全く何の支障もなく壊れてもいない。
だが、中に乗っている者達の騒ぎようでは、どうやら窓が割れて怪物が中へと入り込んでいるような状態らしい。
車の中で、必死に手を振って避けようとしている様が見てとれた。
運転席の大河が、ぐったりと四肢を投げ出して気を失っている。
どうやら、殺されたと本人は思っているようだった。
後部座席の二人も、叫ぶのをやめて白目を向いているので、もう命は無いという状態なのだろう。
車は、自動操縦でクルリと向きを変えて屋敷の方へと走って行く。
…そろそろ、出番か。
彰は、立ち上がってまたエア・パッドの上に乗った。これは、最初に乗った時はコツが掴めず何度も転倒したものだったが、今では重宝している。
僅かな体重や姿勢の移動を感じ取り、それは思い通りに動いてくれる、魔法の板だった。
ただ、感度が良過ぎてほんの僅かな動きに対応してしまうので、簡単には乗れない。自分の動きを、完璧に制御する能力が必要だった。
そんなわけで、開発はされたものの、実際に介護が必要な者には絶対に制御不能だとお蔵入りして、倉庫で眠っていたのだ。
彰は、困難であればあるほど燃えるので、研究所の他の職員たちが次々に脱落して行く中、たった一人最後まであきらめず、そうして遂に、これをまるで自分の体の一部のように動かすことに成功したのだ。
そうすると、便利過ぎて実際に生活でも欠かせなくなってしまった。
普通に歩くと遅すぎて、自分に腹が立って来てしまう始末だ。
なので、彰は少し、これを使わない生活にも戻って行かねばと、最近は思っているところだった。
湊が、やたらと叫んでいる。
骨伝導イヤホンから、要の声がした。
「彰さん、出番ですよ。車が止まりますから、そこで出てください。」
確かに、車は止まった。
映像ではぶつかっているようだったが、本当の車は普通に止まっていた。
湊の回りの化け物たちの映像が、爆発しているのが見える。
彰は、さあ、あの化け物をこの目で見ようか、と、エア・パッドを使ってかなりの速度で滑るように歩き、屋敷の入り口を目指した。
速度調節も体重移動の加減で自由自在なのだが、何しろ屋内で使っていたのでここまで速度を出したのは初めてだった。
周辺で化け物の音声が聴こえて来て、彰は薄っすらと笑った。
「愚かよ。」
すると、見てもいないのに周辺で、花火のような赤い肉片が飛び散って行くのがリアルに見えた。
…本当に実物のように見える。
彰は、そのあるはずの無い光景を楽しんだ。
次々に爆発して肉塊となり果てて暗い芝の上へと赤い肉片を落として行く様を、画像ではなくリアルに感じながら平然と湊の前へと到着すると、彰はわざと蔑むような視線を向けた。
「…まあ少しは楽しんだ。それにしても、何をショックを受けている。お前はこんな有様を見るのが好きなのだろう?深淵を覗きたくて仕方がないのではないのか。」
湊は、友達を失ったショックから、涙を流したくても何も出て来ない状態になっていた。それでも、彰を見上げて、言った。
「どうしてこんなことを…!オレを、オレをここに残して殺すつもりだったんでしょう?!なのに友達を、こんな…こんな殺し方をするなんて!ひど過ぎる…!」
それを聞いた彰は、フフンとわざと困ったような笑みを浮かべた。
「何を言っているのだ。これを選んだのはお前達だろう。皆が皆、生き残る道もあったのだ。少し過保護かと思うぐらいにヒントを出しておいてやったのに。あの魚人とも上手くやったから、これは退屈な事になるかと一時は失望していたぐらいだ。だが、お前達はあれが皆の血を飲む事を止めなかった。あれほどハッキリと書いて残しておいてやったろう?誠に…愚かであるわ。」
用意されたセリフだったが、彰はあたかも自分の中から出ているようにスラスラと言った。
チラと車の方を見ると、画像が重なって、本当は傷一つ付いていない大河達が、無惨な様子になっているのがそれはリアルに見えた。さすがに死体を見慣れた彰でも眉をひそめたくなる様子だったが、表面上は平然と湊をまた見下ろした。
「…もし、魚人が問題なく外へと出ていたら、みんなは無事に帰れたんですか?」
彰は、その口許に笑みを浮かべて頷いた。
「問題なくな。あれらに言葉は通じないと言っていただろう?その行動しか、あれらは見ていない。無事に出ていたら、仲間の元へと戻り、帰ろうと促していただろう。何しろお前達は上手くやっていた。いきなり殺すことも出来たのに、お前達はそうしなかった。魚人さえ生きていたら、ここを出られたなら問題なく帰ることが出来たのだ。つまりは魚人が死ねば、その時点で何をやっても無駄。こうなる結末が待っていた。我は知っていた…あやつらがここを窺っていたことを。だからこそ、利用しようと考えたのだ。」
湊は、涙を流した。後悔しているのだろうと、彰は言った。
「それは後悔の涙か?」彰は、興味深げに湊を眺めた。「面白い。命懸けの恐怖を好むのではなかったか。それなのに、仲間が死ねば悲しむのか。お前は矛盾しているな。しょっちゅう心の中で我を想うくせに、こうして対面したら恐怖におののき後悔するのか。」
恐怖を好むのなら、自分を邪神だと信じているこの男なら、何度も思い出していたはず。
確証はなかったが、彰はそう言った。
だが、それは的を射たようで、湊はぐ、と詰まって黙り込んだ。
空が、うっすらと白んで来ている。
まだ夜明けまではあるが、着実に夜明けは近付いていた。
湊は、しばらく何かを考えていたようだったが、言った。
「…オレも、爆発しますか。」
彰は、フッと笑った。
「お前は殺さない。」
湊は、目を見開いた。
「どういう事ですか?」
彰は、誰も死なないのだがな、と思いながらハッハと笑った。
「お前は面白い。我の罠にも、お前は慎重でなかなか掛からなかった。今回、お前が出られなかったのは、我が決めた事だった。結果的に失敗し、お前は仲間を失ったが、こうしてお前は後悔し、そしてまた知恵を付けただろう。」と、手を上げた。これを振り下ろせば、湊は昏倒させられるはずだった。「我を楽しませよ。我を敬え。さすれば再び会いまみえる時まで、お前を生かしておいてやろう。まあ、気が変わったら殺すかもしれぬがな。」
「待て!」湊は、叫んだ。「そんな、生き地獄のような事…!仲間をあんな殺され方をしたのに、まだ生きろって言うんですか?!」
彰は手を降ろして、クックと笑った。
「面白い。実に面白い。己で巻き込んでおいて、仲間を殺されたと我を恨むか。己で殺しておいて、慈悲深くも逃げ道を用意した箱の中で遊ばせてやった我を。愚かな人間よ。だが、これ以上の慈悲を我に乞うのは無礼であるぞ?」
湊は、歯を食い縛って彰を見上げた。
彰は、ここで何かを願うなら、もっと長引く楽しみを与えてやろうと何を言うのかと湊を興味深く見下ろした。
「どうか、どうかお願いします。あなたになら出来るでしょう。あの四人を、助けて下さい。そうしたら、オレはどんな試練に放り込まれてもそこでまたあなたを楽しませます。どうか、お願いします。」
彰は内心、邪神に願うのはまずいのは、あのTRPGでは常識なのではと嘲笑いながら、わざと面白くないという風に舌打ちした。
「なんだ、平凡な。前と同じではないか。別にあれらが生きようと生きまいと、我は戯れにお前を恐怖の底に落とすだろう。だが、そうだな…ならば、これが最後だ。次はない。」
湊が、パアッと明るい顔をすると、彰はそれを遮るように手を上げた。
「喜ぶのは早い。次にお前を恐怖の底に突き落とす時は、またあれらも共に落とす。もっと残虐に、もっと苦しんであれらは死ぬだろう。今回の苦しみなど一瞬だったが、次はこれほど簡単には楽にならぬ。じわじわと苦しんで死ぬ。それでも、お前はあれらを生き残したいか?もう充分に苦しんで死という平穏に身を委ねているあれらをまた引きずり戻し、再びそれ以上の恐怖を与えてもがき苦しむ様を見たいか?」彰は、言っている間にこれはいい感じに自然に全員生存に誘導出来そうだと、戸惑う湊に構わず、高笑いを上げた。「なんと残虐なやつよ!面白い、それに乗ってやろうではないか!次はこれほどに甘くはないぞ?我もあれらがもがき苦しむ様を見たい。お前と同じよ。ならば戻るが良いわ!」
湊は、慌てて言った。
「待ってください!そんな、そんなことは望んでいません!」と、体の力が抜けて、ガクンと絨毯の上に崩れ落ちるのを感じた。「ニャル様…!」
彰は急いで息を止めてその場から離れた。
湊に向けて噴霧された薬を吸い込まないためだ。
湊は昏倒し、辺りは静まり返ってクライマックスは幕を閉じた。




