愚なる翼のマスタング 1ー3
四回目です。よろしくおねがいします。
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先生と別れ、通学路を一人でとぼとぼ歩き始めてからおよそ30分が経過した。
あんな話を聞いてしまった手前、電車やバスなどの精神が安らぐ移動手段があれば真っ先に使っていたろうが、生憎我らが光燐市は中々の田舎である。
バスに乗って行けばある程度の都会には30分程度で出られるが、逆方向の住宅街の方へ向かう路線など一本たりとも存在しなかった。
…とはいえ、もう家も近い。少し誘惑に負けかけたけどケーキ屋さんにも寄らなかったし、元々、この帰宅ルートは片道40分程度のもの。
あと10分無心で歩いていれば姉が夕食を作って待っている我が家にたどり着くのだから、これといって問題は無いだろう。
「…。」
ちらり、と私、賢治、咲の三人で撮った写真が映るスマホの画面に目を落とす。
三人とも、恥ずかしそうだったり、控えめだったり、大胆だったり、と色は違えど皆笑顔だ。
「…ふふ。」
思わず笑みが溢れてしまう。
撮ったのは、咲が中学校を卒業するときに行った記念旅行の帰りだったっけ。私は散財癖があるので、自分の財布に伸びていく手を抑えるのが大変だったけど、何処と無く中性的な三人でいく遊園地は楽しかったな。
ふと、よそ見したまま歩くのはダメだ、と思い起こしスマホの画面を閉じて前を向いた。
特に誰かが前にいたわけではなかったけど、やっぱり歩く時はしっかり前を向いていた方が安心だし、何より気持ちがいい。
私の脇をすり抜けていくようにして、冬に相応しい冷たい風が吹く。
…そして、それに乗せられてきたかのように、雫が、私の額に当たって弾けた。
「…?もしかして…」
雨だ。
「やばいかな…今日折り畳み傘持ってきてない…よね…。」
早歩きになりつつ、私は慌てて鞄を漁り傘の有無を確認する。
結局のところ、無かった。
言わずもがなまずい。
足の速さには自信があるが…間に合うだろうか。
「うわ…あれ雷?めっちゃ光ってるな…。」
音は聞こえてこないので、まだ雷雲があるのは遠方だろうが…どちらにしても大雨が近づいてきているのは確かだ。運が悪ければ、この寒さだしみぞれになって降って来るかも。
「…走ろ。」
ノーモーションで私は、後ろ足に力を集中させ、前足を届く限り遠い所に伸ばして地面を靴裏でとらえる。
蹴り飛ばされた小石が後方へ飛んでいった。
…こういう時、人が少ない道は便利だ。誰かに当たる心配をしなくていい。
ただその一方、私の速度を嗤うかの如き速さで雷雲は頭上へと風に乗せられ移動していた。
雷の音がどんどんと私の耳に近づいてくる。
光もかなり近い。
雨も強くなってきたので、体もかなり濡れてきた。
当たり前のことだが、どうやら鞄で頭の上を覆うだけでは傘代わりにするにも限度が有る、ということらしい。というか、雨が縦方向ではなく横殴りで降ってきているので、これではたとえ折り畳み傘があっても完全に防ぎ切るのは難しかっただろう。
「…。」
無心で私は地面を蹴り、駆け続ける。
雨も段々と強まり、雷も耳を押さえたくなるほどに強くなってきてはいるが、まだ絶望するほどではない。
ただ、ポケットに入っている機械類は心配でしょうがなかったので濡れないようおもむろにスマホを鞄の奥にしまいつつ、私はラストの一本道にとうとう差し掛かった。
ここまで約3分。
普通に歩いていれば7、8分掛かった所をここまで短くしたのだから良しとする。
このペースでいけばもう1分もかからないだろう。
そうすれば、洗い立てのタオルで体を拭いて、そして──
「何を急ぐ必要がある?止まるのじゃ。」
「⁉︎」
ビクン、と身体が勢いよく跳ねる。
…雷が鳴った。
「変に聞き分けの良い娘じゃのう…名も知らぬ他人に“止まれ”と言われて何の抵抗もせずに従うとは。この状況を瞬時に理解したか…はたまた、ただ反射的に足を止めたか。前者であれば賢者、後者であれば愚者、と判断が分かれるところじゃが…さて。」
「…。…っ…。」
何故か、声が、出ない。
目が、数メートル先に立つ中背の老人に釘付けになる。
感覚が、雨と男の声で支配される。
…思考が、止まる。
「呵呵、どうやら後者のようじゃの…焦燥、混乱の色が見える。なぁに、そのように固まるな。…ほれ、サービスじゃ。」
老人がひょい、と人差し指を回す。
するとマジックか何かなのか、瞬く間にして淡く光るカーテンのようなものがドーム状に広がり、雨風と耳障りな雷鳴を跳ね除けながら私と老人を優しく囲った。
…やっと、男の見た目が露わになる。
紺色で皺だらけの大きなとんがり帽子。綺麗に手入れされた透明度の高いモノクル。老年であるのに反して力強い眼力でこちらを見据える金色の目。張り付いた笑顔。何故か全く濡れていない茶色のローブのような服。そして右手に持つ、樹のような紋章が埋め込まれた杖。
…先程のトリック不明の現象と合わせると、信じ難いが、これはまるで…。
「…呵呵…。何か、勘付いたようじゃな。愚か者でもここまでお膳立てすれば流石に気付くか。」
「…ま、ま、…」
「あぁ、皆まで言うな。お前は誰だ、魔術師なのか、そもそも何のようだ、などと愚かにもお主が勇気を振り絞り問おうとすることは嫌ほど理解している。」
老人が皺の寄った手のひらをこちらに向けて言葉を遮る。
…口に出かけた言葉が喉で詰まってしまった。
どうやって目の前の男は、私の心を読み取ったかのように行動するのだろう。私は感情を読まれやすいタイプでは決してないはずなのに…。
「…さて、自己紹介じゃのう、まずは。儂の名前は、アレイスター・クロウリー。しがない研究者であり、魔術師であり、預言者じゃ。…知っておるかのう?本はかなり出版した手前、儂個人では割と自分を有名人だと思っとるのじゃが。」
「アレイスター…クロウリー…。」
私がプレイしたことのある携帯ゲームに、そのような名前のキャラクターがいたような…。
「ふむ。名前だけは、と言った風じゃな、お主。まぁ良い、現代の“魔術”という存在に対しての意識は殆ど無いものに等しいからの。名前を知っていただけでも僥倖じゃ。」
「…。」
言葉とは裏腹に、声音は少し寂しそうだ。
…というか、ゲームに登場するような人物ってのは故人なのでは…?
あぁ、意味が分からない。
名前を騙っているのだろうか?
そもそも魔術師、預言者、って…。
「…さて、それで儂のことは終わりで良いかの。次のお前の疑問は…そうじゃ、魔術師かどうか、だったな。答えはイエスじゃ。目の前に広がっているこの光を見よ。それが儂の言葉を裏付ける根拠じゃ。トリックなどありゃせんよ。あるのは実力、研究の成果、それと天使からの言葉だけじゃ。」
ひょい、と私は混乱してもはや痛みさえ感じてきた頭を他所に、頭上のベールに触れる。
本当に、何かの魔法みたい…じゃなくて、魔法そのものだ。
微かに暖かく、そして何処か安心する雰囲気さえ帯びている。まるで赤子を抱く母のような…。
「信じていただけたかの、儂の言葉は。ん?」
「…ここまでは…信じ、る…。」
老人と出会って実に数分しか経っていないというのに、ここまで超常的なことを見せられては信じるほかない、というのが正しい認識だと私は思う。
こんなにすぐに男の言葉を飲み込んでしまったのは、他人からの一方的な勢いに弱い私の性格が原因なのか?でも、今の状況ではむしろ疑う要素を見つける方が難しいに違いない。
多分もっと証拠を見せろ、といったとしてもアレイスター・クロウリーと名乗る男は躊躇いなく他の魔術を使うなり何なりして私を黙らせてみせるだろう。
それはそれで更に頭が混乱して困る。
「ふむ、それならばオードブルも終いじゃな。本題といこう。つまりは、儂のお主への要件じゃ。聞く覚悟はいいかの?」
「…深呼吸を、させて欲しい。」
「呵呵、いくらでもするが良い。ほれ、森林にいるのと同じ気持ちの良い空気を今なら吸えるぞ。」
…便利すぎるだろう、魔術。チートか?どういうことだ…などと思いながら私は、大きく深呼吸を3回する。このルーティンはキックボクシングの全国大会、その試合前にも必ずやっていた私の言わば戦闘態勢移行の合図だ。これをするだけで私は、不安を全て突っぱねつつ精神を整えることができる。それをしても全国大会の決勝で負けてしまったのはご愛嬌だけど…。
……。
ふふ。よし、軽口を叩くくらいの余裕が生まれたということは……
男の言葉を聞く覚悟ができた、ということだ。
「うん、オッケー…お願い、話してクロウリーさん。」
「呵呵、儂のことは呼び捨てで良い。それほど偉い人種という訳では無いわ…と、さて。それでは話そう。…お主に、儀式の参加をお願いしたい。」
「…儀式?」
「その通り…簡潔に言えば地球に蔓延る77億の人類の中からお主は名誉ある22人の内に選ばれたのじゃよ。」
「選、ばれた…。でも、私、魔術とかそういうものになんか全く…」
「それは選考理由に入っておらんよ。詳細は伝えられないが、また他の要素においてお前は儀式において特別な存在を担える人間だったのじゃ。誇りを持て。」
クロウリーが、常に浮かべる笑顔を更に柔和なものに変える。
「選ばれた…か。」
その言葉の響きに私はとても弱い。
何せ、実力が足らなかったが故に選ばれることのなかった過去があるから。
でも…。
その虫の良さが、何処となく、怖い。
「…呵呵、訝しんでおるな…?気にするな、それも仕方がない、何せお主は儀式が何なのかすら教えられていないのじゃからな。ただ、それも深くは教えられんことになっている。これは主催者の誰もが破ってはいけない掟なのじゃ。…だが、それを知って尚教えて欲しいと言うであろうお主の為にギリギリのラインで述べると…参加時に割り振られる番号、それに則した能力を用いて“テトラグラマトン”を求めろ、ということになるかの。」
「…テトラ、グラマトン…?」
知らない単語だ…。
魔術の専門用語だろうか。少なくとも現代で普通に使われているような単語ではないはずだけど…。
「テトラグラマトンとは、我らが造物主の真の名のことじゃ。聖四文字へー・ヴァウ・ヘー・ヨッド、と俗には言うがの。」
「ぞ、造物主…ってそんなもの求めて何になるの?」
私にとって遥か遠くの話すぎる。何語かも分からない言葉の読み方を探すなんて…。
「全ての根源、その来た場所と行く末が分かる。」
「全て…。」
「その通りだ。ビッグバン?スーパーノヴァ?ビッグクランチ?宇宙の始まりと終わりの論説など無限に存在するが、それら全てはどの点から広がり、どこへ萎むのだ?我らがこの儀式で求めようと言うのはそこじゃよ。現代科学では理解することができない、人智の及ばぬ特異点。それを、儂とお主を含めた22人の選ばれた人間で、人を超えた力を用い、探求しよう、そう勧誘している。」
「…。」
全てが始まり、終わる場所。それを探す儀式?
なんて壮大な。理解はできるけど、そのスケールの大きさに目眩を隠し得ない。
しかもそれに私が加わるなんて。クロウリーは“知識を選考理由にしていない”と言っていたけど、そんな、良いのだろうか?
「お主がどれほど重要なことを依頼されているのか、理解できたようじゃな。…じゃが、役に立つかどうか、などの心配は無用じゃ。元より、お主の人としてのスペック…いや、その格闘技のセンスや恵まれた身体には期待しているが、それ以外の知識人どもが頭を振り絞るべき点に関しては求めていない。ただ、お主が“やりたい”か、“やりたくない”かで選ぶのじゃ。」
「やりたいかやりたくないか…か。もし、私が参加しなかった場合、この儀式はどうなるの?」
「…それで終わりじゃ。そもこの儀式は選ばれた22人がいる前提で構築されている。再び時を経て形を変更し、開催する可能性はあれど、それも数百年単位先の話であろうな。」
「終わり…か。分かった。」
…これらの話を聞いて、私は、私に問いかける。
やりたい、と言ったとして、自分のできることを全力でこなせるか。
スペックに期待されていないにしても、礼儀としてこちらにもやる気、そして進んでできることを引き受ける気持ちは必要だろう。
そして、今説明されていない不安要素、それを吹っ切ることができるか。
何かをクロウリーが隠しているのは今までのことからして明白だ。それを理解して尚、私はこの儀式に参加できるだろうか。
最後に、そもそもやりたいのか、知りたいのか。
結局のところ、ここが無ければ参加などできまい。全てのことを乗り越え、努力するための原動力となるそれらを、私は持ち合わせているだろうか。
──答えは。
「参加する…いや、させてください。」
イエスだ…!
「…哈哈!その言葉、違わないな?」
皺だらけの老人は、嗄れた声を嬉しそうに絞り出し、私を見つめる。
違うか?だなんて。違うわけがない。
それに、今私は、人生で一番興奮している。
なんだろうか、この高揚感は。楽しい、嬉しい、喜ばしい…それら、陳腐な言葉で表せるような代物じゃない感情なのは確かだ。
「…その顔、その目、その決意。間違い無くその全てが真実であると儂がここに、認めよう。呵呵、ようこそ、我らが真実探求の儀式、“テトラグラマトン”へ…東条、紫菫殿。」
「はい。…でも、なんで、私の名前…。」
「あぁ、選ばれた人間を探すに当たって、名前すら知らずに参加を求めるなど無礼と思ってな。しっかりと調べただけのことよ。何も断らずに口にしてすまなかった。…さて、時間もない故、早速お主に数字を割り当てねばな。この箱を開けよ。」
そう言って、クロウリーは私に謝るべく頭を下げながら、白と緑のツートーンカラーで塗装された小さな木箱を取り出した。
大きさは私の手のひら程度。重量は、ほぼ感じないくらいのものだった。
「…これを?」
「そうだ。中には儂にも知り得ぬ“人智を超えた力”が込められている。それを、手にするのだ。探索が人の力だけでは届き得ない難解なものなのは、言わずとも分かるであろう?」
「確かに…。」
現代科学では届き得ない真実を別なアプローチで解き明かそう、というのだ。その通りなのだろう。
…とにかく、つべこべ言っていては始まらない。
私は、少しばかりまだ疑念の心を抱きながら、箱を開けた。
「…なっ⁉︎」
眩い黄土色の光が箱の中から放たれる。
そして、止めどなく流れ出でる“奔流”が私を飲み込むような形で弾けた。
みるみるうちにその水流は私の胸の中へと入り込み、あらゆる筋繊維を光で満たす。
それらの異物は骨を融解させ、脳に浸透し、肌に、髪に、爪に、目玉に、同化していく。
感覚はもちろん、再び失われた。
触覚など既になく、冷たいのか熱いのか、それすら分からない。
ただ、辛うじて少しだけ未だ働いている視覚と聴覚が、背中を見せながら私に話しかける老人の姿を捉えていた。
「哈哈哈哈哈!素晴らしい、やはりお主は選ばれた人間であった!」
水の中に閉じ込められた時と同じ苦しみに陥りながら、私はクロウリーの呵呵大笑を聞く。
「意識を保ち、よく聞け!お主に与えられた番号、それは0だ!どのような意味があるのか知りたいというならば、“トートタロット”その0番を探し求め儂が書き著した詳細を読むが良い!そこにお前が得たもの、得た理由、するべきこと、その全てが書き著してあるだろう!哈哈哈哈哈!愉快愉快!」
息が苦しい。視界が更にぼやける。
錯覚なのか、はたまた現実なのか。それすら怪しくなっていく。
男は嗄れた手を振り、既にこの場を去った。
一瞬、こちらを何者かの赤い眼が見つめたのが見えたが、それが見間違いでないのかを確認する暇すらなく、五感も失われた。
────────ノイズが、走る。
…もウ、ここニハ、何もナい。
あレホど眩カッたヒカ、りも、
小サ、な、ハコ…も、
ヤサ、しいベーるも、
コこ…ニは、な、にモ…。
やっと物語が動き始めました!拙い文章ながらも、何とか自分の作りたい世界を生み出していけそうです。次回からもどんどん新キャラを出して行きますので!