愚なる翼のマスタング 1ー2
1ー1の続きです。よろしくお願いします。
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学校に到着し、授業が始まると、時間はあっという間に過ぎていった。
さして楽しいと思える授業は無かったけど、時々気を散らしつつ先生の話を聞き、ノートを取っていれば50分などすぐに過ぎ去ってしまう物だろう。
それが4回分積み重なった所で私にとって、さしたる差にはならなかった。
…そして。開始終了、そして学校が始まる合図の鐘を合わして本日9回目のチャイムがなった瞬間、学生たちに安息の時間が齎される。
そう。
待ちに待った、給食の時間、である…!
「食堂行こーぜ!」
「おう、行く行く!」
「外のベンチ行かない?」
「まだ空いてるかなぁ…。」
「それはその時でいいでしょ!ほら!」
先生が教室を出て行こうと行かまいと、終わりの挨拶と同時に展開される“今日の昼飯どこで食べる?““何食べる?““誰と食べる?“という旨の会話は恐らく、全国共通だ。
…勿論、私もその例に漏れず、
「先輩!一緒に食べましょう!」
という咲の一言に始まり、ここに賢治を加えそのような他愛もない事を毎日三人で話し合っているのであった。
「今日はどうするっすか?場所取りの波には一歩遅れちゃいましたけど…。」
「んー…そうだなぁ…僕は特に希望無いかな…。」
「私も特に希望はないんだけど…どこかいいところあるかな?」
窓から外を眺め、ベンチや人工芝のある所をめぐって同級生や後輩、先輩方が争っているのを見下ろしてみる。
もう誰が誰だか分からない…は言い過ぎにしろ、開店前の元旦セール待ち行列くらいには人がごった返しているようだ。食堂は言わずもがな今頃満席だろうけど、なぜか今日は校舎ではなく外に出て昼食を食べようとする人がいつにも増して多いように思える。
「うわぁ…これはひどい…譲り合いの概念が崩壊してますね。これ見ちゃうとあの中に潜り込むことすら億劫になって、もう教室でいいや、って思っちゃいますね。」
咲が私の隣に立って窓の外を達観した表情で見つめる。
おおよそ、人間のお昼時の豹変具合をまざまざと見せられて、菩提樹にて悟りを開いた例の男の如く極みへと彼女は至ってしまったのだろう。
…といっても、咲が至るのは菩薩あるいは如来としての極みではなく、“昼食から教室に帰るときは、ゴミをしっかり分別して捨ててからにしろ!“という環境美化委員会副委員長としての極みなのだが。
「僕はそれで良いと思うよ。4時間目に机を動かして三人で1チームだった所を使えばいいしね。…汚さないように気をつけないといけないけどさ。」
「私も賛成っす…見ているだけで嫌になりました…。」
「そっか。じゃあ、決まりだね。私も中でいいかな、って思ってた所だったし…って、」
はや。
振り向くと、もう咲は席についてお弁当の蓋を開けている。
咲よりも机の近くにいた賢治でさえ、今座った所だぞ…?
人かお前。
「先輩方、それではお先に、いただきます!」
「咲さんは本当に食べるの好きだよね…。見ているだけで僕、お腹いっぱいになっちゃうよ…。」
どうぞ、と私が座る椅子を引きながら苦笑いする賢治。
私としては健啖家な咲よりも、体が小さいとはいえ私のお弁当の半分以下の量しか食べない賢治くんにこそ、苦笑いをお届けしたい。
そりゃ背の大きい人に憧れてる割には、伸びないわけだ…。
私はそれも彼の魅力なとこの一つだと思っているけどね。
「…ま、いっか。いただきます。」
心機一転だ。
彼がそれで満足する、と言うのだからそこに私がとやかく言う資格などあるまい。
だから私は、口に出そうになった言葉を飲み込んで、代わりに咲から投げかけられる特に意味の無い質問に答えつつ、おもむろに弁当を開けた。
「…。」
…さて、話は変わり、そうは言っても非常に唐突だが。
私の姉が皮肉の意味を込めた方での“画伯”であることを話していなかったように思う。
彼女のデッサンは、他人の作品を馬鹿にしない、と定評の美術の先生の腹筋を破壊し、普段は何があっても静かなクラスの人々全員の目に涙を浮かばせ、たまたま見学に来ていた強面の教頭を退出させたとして有名…といえば、言いたいことを理解していただけるだろうか。
これは、今賢治が話している勉強の進捗の話よりも遥かに重要かつ扱いの難しい案件である。
…詰まるところ。
彼女が作る弁当は、その自由度の高さ故に、毎度覗き込む人々全員を沈黙させ、誰が最初に口を開けば良いのか分からなくなる程の破壊力を持つのである…!
「あ、先輩の今日の弁、当…は…何…」
「…。」
熟語で表せば、「絶句」、この一言が今の雰囲気に似合うだろう。
簡単に言うと今日のお弁当は、おかずごとの仕切りをご飯が担当していたのである。
普通はラップやバレン、カップ等で仕切るところを、なぜ、白米で。
彼女の言葉を借りれば、
「お米には無限の創作の可能性がある!」
らしいが、流石に意味がわからない。
東条家は、そのようなグッズすら買えないほど貧乏ではなかったはず…!
「…ごめん。姉にまた言っとくね。」
「…先輩、一週間前くらいにも注意してませんでした?変に弄るな、って。」
「紫菫さんのお姉さん、控えめに言って変な人…だから、ね。」
これが一回目、などとなると笑いが生まれるのだが、もう二十数回目となると流石に苦笑に変わる。
おい、聞いてるか葵。貴女のせいで私たちの今日の昼休みは非常に微妙な雰囲気のまま終わったぞ。
「…弁当を作ってくれるのは素直に嬉しいんだけどね…。」
三人で疲れ切った表情を浮かべながら、再び群衆蠢く窓の外を見る。
先ほどより落ち着いてきたのか、流石にごった返している、というわけではないけれど人数に見合わない、狭い玄関前広場は未だに床があまり見えない。
…なんか生徒の群れが米粒のように見えてきたなぁ、と思い始めたところで私はそこから目を逸らし、箸を米と米の間に積み上げられたハンバーグにゆっくりと伸ばした。
5
「…17時…か。」
近くにある小学校から聞こえるドヴォルザークの家路が耳に入ったので、だらん、と教室の椅子にもたれつつ、腕時計に目を下ろし時間を確認する。ついでに首が痛いのでゆっくりと回した。
昔はグルングルン回していたのだが、どうやら音を鳴らすのはあまり良くないらしいので、中学校の時に癖に慣れかけていたのを頑張って修正したのが記憶に新しい。
今となっては、あれも三年前か。
辛かったな、結構。
「…もうそろそろ帰らないとだよね。」
昼休みはあれほど人がいたはずの広場も、冬のこの時間となれば寂しいことに誰もいない。
あるとすれば野球部の人たちが、ベンチ周りに開いたまま放置している大きな鞄くらいのものだ。
夏や秋と違って、虫の音すら聞こえないものだから、更にその孤独さを引き立てる。
「…ケーキでも買って帰ろうかな。」
安定のショートケーキか、人気のチョコレートか、搦手のミルクレープか。
モンブラン、ミルフィーユ、タルト、ブッシュ・ド・ノエル…は行き過ぎかな。
まぁ、どれも美味しそうだ。幸い帰り道にケーキ屋さんがあるのでそこで買おう。
なんとなく、今はお姉ちゃんと昼休みの一件の文句を垂れ流したり、他の件で逆にお姉ちゃんから文句垂らされたりして談笑したい気分だ。
「おい、東条。」
下駄箱へと続く廊下の途中、担任である東山先生に声を掛けられる。
「先生、どうしましたか?」
「…いや、顔が下を向いていたからな。この先段になってるだろ?危ないぞ。それに…」
「それに?」
「朝伝えた通り、この頃ここいらでの殺人事件、誘拐事件、失踪事件等々が増えてきているからな。何やらケーキだの何だの口から漏れ出ていたが、買うにしてもコンビニとかにしておけ。この近くのケーキ屋がある方では昨日、誘拐事件があったばかりだ。そっちの方には行くんじゃないぞ。」
…口から漏れていたの、聞こえてたのか…。
少し恥ずかしい。とはいえ、でも…
「私の家、そっちの方なんです…。」
「そうなのか⁉︎…それは、心配だな…。一緒の方面のやつは他にいないのか?」
「光波 賢治くんや一年の長岡 咲さんが同じ方面です。」
「あぁ、賢治か…。…よし、なら、今日は仕方がないからケーキは諦めて真っ直ぐ家に帰りなさい。そして、明日からはできるだけ二人ないし一人、もしくは別の誰かを誘って一緒に帰るように。ケーキもお預けにしておけ。確か、お前、帰宅部だったよな?こんな時間まで世界史の勉強してるんだ、少し位なら他人に帰る時間を合わせられるだろう?…もちろん、強要は出来ないけどな。ただ、安全は確保して欲しい。」
「…先生、いつにも増して真剣ですね。」
東山先生は体育の先生で、いつもは流れでギャグを言ったりしてくれる、優しくて面倒見の良い先生だ。男の方だから奇しくも授業を教わったことはないけど、賢治の話を聞くに、やっぱり授業も面白いらしい。だから、尚更こんなにきっぱりと物事を言う東山先生を、私は見たことがなかった。
「…あぁ。…よし、あまり生徒には言えないんだが、お前は分別を弁えた賢い生徒だし、何より、格闘技では俺が本気でかかっても勝てない“強い”人間だから敢えて教える。」
「…そ、そんなことは…。」
「はは、キックボクシングのジュニアカップ全国大会で優勝目前まで行った女なんだぞ、お前は。老いぼれの俺なんかが勝てる道理ないよ、自信持ちな。…と、まぁ褒めちぎるのもこれくらいにして、だ。誰にも言わないようにしてくれ。」
ゴクリ、と唾を私は飲む。こんな何でもない放課後に、高校入学時の面接並みに緊張する思いをするなんて思ってもみなかった。
「よし…じゃあ、話すぞ。どうやら、俺たちが住んでいるこの光燐市のどこかに、警察が密かに追っている猟奇殺人鬼が潜んでいるかもしれない、という旨の文書が今朝、届いたんだ。しかも、その潜伏場所はかなり狭い範囲に特定されていて、その一部があのケーキ屋の周りの住宅街にあった。俺らの高校の敷地も一部入っている。…高校としては、生徒の安全確保を保護者と約束している都合上、由々しき事態なんだよ。…怖いだろ?俺だって怖い。もしかしたら帰り道にでも襲われるかも何だからな。」
「…。」
一応、先生の言った通り、私はキックボクシングで今年の夏、前回準優勝を勝ち取っている。だから、そこらへんの犯罪者に負けてやる義理は全くないのだが…どことなく、先生の語りを聞いていると、脳天に蹴りを一つ見舞うだけでは全くどうしようもないように感じられてしまう。
「まぁ、そう言うことだ。わざわざ言うな、と思ったかもしれないけど、黙って一人で帰っていくのを見過ごせず話しかけてしまったのも分かるだろ?…さ、時間も時間だし、帰った帰った。」
「…はい、分かりました。さようなら、東山先生。」
「…じゃあな。」
勢いで口にしてしまったのを後悔しているのか、私の後ろの方へと急足で歩いていく先生の足音が、私が下駄箱に近づくのに反比例して遠ざかる。
そして同時に、先生と話していたことで忘れていた寂しさがふと、私の靴が入っている場所の扉を開けたところで蘇ってきた。
「…はぁ。」
私はその静寂をゆっくりと奥歯で味わい噛み締めながら、掠れた文字で靴底に28.0cmと書かれた愛用の黒と紫の運動靴を取り出し、靴下に覆われた足を滑り込ませる。
…正直、こういうふとした時に襲ってくる、取るに足らないはずの悲壮感が私は苦手だ。
何故か、生まれてから17年しか経っていないはずの若輩の私に感じる必要の無い喪失感を与えてくれる。
まだ何も失っていないはずの充足した生活を送る一高校生に、そのような虚しさはどのような用があると言うのか?
私は行き場の無い愚痴を心の中で吐き散らしながら、夕日すら沈みかけ夜の帷が落ちようとする空と広がる住宅街との境に姿を溶かしていく。
ケーキも流石に諦めた。
この紅の中で思い出されるのは今日覚えた世界史の教科書の一節、それだけだ。
少し暗雲が立ち込めてきましたね…。ここからどれくらい面白い展開にしていけるのか、私としても楽しみです。でも、本題にはまだ入れていませんね。さて、いつになることやら。