愚なる翼のマスタング 1ー1
引き続き、二話目です!
第一部 聖四文字編
一章 オーバーチュア
1
「おぉぉぉぅぅぅいぃぃ!朝だぞ、馬鹿妹っ!」
「っ⁉︎」
爆睡していた私の耳元で、姉…即ち東条 葵によりフライパンの底がお玉で叩かれ、轟音を鳴らす。
同時に、姉のさながら芸人のような咆哮が部屋中に、いや家中に響いた。
慌てて私は目を覚まし、タンスに足をぶつけつつ勢いで目と鼻の先に置いてある時計を凝視する。
時刻は七時ちょうど。
…脚を痛めてまで飛び起きる価値があるか、というとそこまでな時間だった。私は思わず、枕元に立て膝を突いている姉をじとっと見凝める。
「あー!起こしてもらったというのに、不満げな顔をしているな、この愚か者め。恥を知りなさい、恥を!」
カン!カン!…と。追加分もまた煩い。
「…うーん…愚か者はそっちだよ、お姉ちゃん…。朝っぱらからそんな爆音鳴らして、近所迷惑だよ…?」
「やかましーー!朝飯は出来るてるんや、紫菫さん。早く起きなさい。」
「うぐ…」
姉のハイテンションに寝起きから付き合うのは些か辛い。それに、これ以上言い合ったところでいいことは無いだろう。
私は大人しく体を起こして、昨夜枕の近くに置いておいた靴下を履くことにした。
「うむうむ、姉に従順な妹、良きかな良きかな。」
「…はぁ…蹴るぞ…」
一つ一つの彼女の発言が私のサカウロコに触る。
今にもこの脚が姉の頬に伸びていきそうだ。
「おぉ、こわ。…まぁ、いじるのはこれくらいにしときますか。」
ヨイショ、と姉の口から声が漏れたのが聞こえた。
…弁解すると、姉はまぁまぁ美人である。
見た目を中身が潰してしまう、というのは珍しく無いが、それにしてもこんな潰し方はあんまりだろう。
悪意なんて彼女には無いのだが…。
「じゃあ、朝ごはんの仕上げして待ってるから。さっさと着替えて顔洗ったらリビング来てね。」
私の姉への必死のフォローにも気づかず、葵は茶道部で養った美しい所作で妹の部屋を去る。
「…。」
さながら嵐の如き人ではあるが、あれでも彼女は大学生。しっかりしているところはしっかりしている。
本当に怒られてしまわないうちに早くリビングへ向かおう、と私はスマホの通知を横目にベッドから身体を解放した。
2
「おあがりよっ!」
「いただきます。」
あれからおよそ十分。
私は自分の通う、私立金盞高校の制服を身に纏いつつ、目の前の皿に盛られた朝食に箸を伸ばす。
メニューは白米、味噌汁、卵焼きにウィンナー、サラダ、といった感じのあくまでオーソドックスで、かつバランスの取れたものだ。
そして当然、料理の上手い姉が作ったものとなれば、美味しい。
諸事情あって親と別居になった時は心配だった食料事情も、彼女が居てくれるが故に、今となっては懸念することすら杞憂に思える。
「んふ。おいひい?」
葵が白米を口一杯に頬張りながら、笑顔で私に問い掛ける。
…これは、我らが姉妹が食事をする際の恒例行事だ。何故だか分からないけど、毎回毎回そう聞かれる。
まぁ、そりゃ褒められたら人って生き物は普通嬉しいものだ。そして、やってもらった私にはせめてその労力に見合うお礼を言う義務があるのだろう。
きっと、彼女はそんなこと意識してないだろうけど。とはいえ、私はそう思っているので毎度決まって、
「…うん。もちろん。」
と返すようにしている。
言うまでもなく、その後私に向けられる更なる笑顔は見ているこちらの口角さえ上がってしまう程に眩い。
…カーテンの隙間から差し込む太陽光が、ふと姉を包み込む。
部屋中が、理由も無く冬とは思えない程の暖かさにこの時、包まれるのだ。
3
朝。平日。
となれば、我々高校生がしなければならないのは学校への登校である。
私とて例外じゃない。
冬の朝ともなれば、マフラーを巻き、北風に身を震わせながら通学路を歩かなければならないのだ。
私が住む光燐市は中々に田舎なので、都会と比べるとさらに風を防いでくれる建物が少ない為尚更である。
でも、田舎とはいえ、良いこともある。
それは…
「紫菫さーん!おはよう!」
人の目を気にしなくちゃいけない場合が少ない、ということだ。
「賢治!おはよう!」
彼は光波 賢治。私と幼馴染みの、同級生。
恐らく人付き合いの長さで言えば家族を除くと彼がダントツ一位だろう。もう十年になるだろうか。
「咲もいるっすよ先輩!」
「あぁ、咲…。おはよう。」
そしてもう一人の彼女が私の後輩である、長岡 咲。彼女とも中学校からの付き合いともなれば、まぁまぁ長い。都会と違って、田舎の友達の輪は狭いのかもしれない。
「今日も寒いっすね!もう耐えられなくて手袋出しちゃいました…。」
「はは、長岡さんに関しては今までなんで出していなかったんだろうって感じだけど…。」
「本当だよ、今もう師走だよ?年末だよ?」
確かに、と顎に手を当てて首を傾げる咲。本人が分かっていないとは、何事か。
「でも、何だかこの頃いきなり寒くなったりした感無いっすか?」
「この頃、ねぇ…。」
「僕はそんなことないような気がするけど…。」
「賢治先輩は身体が弱い方だからじゃないですか?触ったらポキッと折れてしまいそうですよ。」
「折れないよ…。」
賢治がマフラーに顔を埋めつつ、咲の軽口を否定する。
まぁでも、確かに、触ったら折れてしまいそうな程賢治が儚く見える、ってのはあながち間違ってないと私も思う。
肌白いし、背低いし、よく風邪を引いて学校休むし。
前は喘息の重症化とかで入院してたっけか。詳しく教えてもらえなかったけど。
「まぁまぁ…私だって一ヶ月前くらいからずっとマフラーとか防寒具つけて登校してるし、そんなものじゃない?」
「あぁ…まぁ、それもそうっすねー。賢治先輩はともかく、」
あ、賢治が咲のこと少し睨んだ…。
「紫菫先輩もそうだったともなれば、私が出し時を逃していただけなのかもしれないっす。」
「…そうだね。」
「そうだね。」
不機嫌そうな賢治の声と、少し気怠そうな私の声がシンクロする。
「…ハモりましたね。」
「ハモったね。」
「ね。」
…どーでもいいことだけど、そのどーでもいいことの収集によって無限に会話が続いていく。
この後、結局私たち三人は学校に着くまでの残り十五分、休むことなくずっと話していた。
不思議と、何故かこういう時は話すのに疲れることがなければ話の種に困ることもない。
純粋に楽しくて、口を閉じるという選択肢ガン無視で、三人一緒に笑い続けてしまった…。
最後までお読みいただきありがとうございました。やっとキャラクターが話し始めて感無量です。今回は1日目朝編、ということで幕を閉じさせていただきました。本筋に差し掛かるにはもう少し時間がかかりそうです…。