表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

〜神武東征伝説殺人事件〜

第一話比企の風、第二話武蔵林影、第三話豊後の火石に続く第四話である。

       大和太郎事件帳:第4話 《 熊野三山 》−前編−

        〜契約の旅路:神武東征伝説殺人事件〜

       


 ※ 神武東征伝説;

古事記(712年完成)、日本書記(720年完成)によると、日本国(大和朝廷)の初代天皇である神武が神託を受け、九州宮崎県日向の高千穂峡から、瀬戸内海を東に向かって通り、奈良大和の橿原かしはらに移住したらしい。この事を神武東征と呼ぶ。時代は紀元前660年頃とされている。当然、奈良大和に住んでいた豪族・長髄彦ながすねひこと大和地域の支配権闘争が発生した。当初は大阪湾から生駒山の近くの白肩津しらかたのつに停泊した。その時、奈良登美が丘にいる長髄彦の攻撃により敗走する。敗れたのは、西から東向きに侵攻したこと、すなわち太陽に向かって行った為であると判断した。そこで、方針を変更して太陽を背にして侵攻する為、熊野灘から紀伊半島に上陸し、そこから北上して奈良大和の地の東側から侵攻して長髄彦を追い払い、大和征服に成功する。このとき、紀伊半島の山林を通る道案内をしたのが、天から派遣された3本足のカラス(八咫烏・やたがらす)である。実際は紀州にすむ3人の国神(地方豪族)であったと思われる。このカラスを多数匹描いた絵のお守り札が『牛王神符ごおうしんぷ』と謂われ、紀州熊野にある三つの神社(熊野三山)から配布されている。那智大社、熊野速玉大社、熊野本宮大社のことを熊野三山と謂う。八咫烏は現在で謂うカラスではなく、鵜飼の鵜である可能性もある。牛王とは牛頭天王ごずてんおうを縮じめた文字で、熊野本宮大社の主祭神である素盞鳴スサノオ尊のことである。


以上の話は大和朝廷自身が7世紀にまとめた日本書紀によるが、物部氏の歴史を語っている先代旧事本紀くじほんぎでは、神武より先に大和に入国していた天孫族のニギハヤヒが長髄彦の妹と結婚していた。そのニギハヤヒの子が神武と長髄彦の間に入って、神武に大和地域の支配権を譲る事で話をまとめたとされている。このニギハヤヒの子孫が物部氏の先祖とされている。


ところで、初代の神武天皇は架空の人で、実在の初代天皇は10代目の崇神天皇であるとする説もあり、神武東征は伝説として語られる事が多い。真偽はいかに?



 熊野三山1

プロローグ;セピア色に染まった映像が眼前に拡がっている。


夕焼け雲が広場の上空に広がっている。

広場では、6〜7人の小学校低学年から幼稚園児と思われる男の子と女の子たちが手を繋いで輪を作っている。

ゆっくり回る子供たちの輪の中心に一人の男の子が両手で顔を隠して、しゃがんでいる。

カゴメ遊びの歌声が夕焼け空の広場に響いている。


『♪かあごめ、かごめ、かごの中のとりは、何時いつ、何時、出やある。

 ♪夜明けの晩に、鶴と亀がべった。

 ♪後ろ正面、だーあれ(誰)?』

 

テルちゃん。」と輪の中でしゃがんでいる男の子が大声で答えた。

『違いました、違いました、夢の跡。』と周りで手を繋いで輪になっている子供たちが歌を唄いながら、ふたたび回り始めたところで、近くの四つ辻から母親の声が聞こえてきた。

だいちゃん。晩御飯ですよ。家に帰って来なさい。」

「ぼく、帰る。」といって、しゃがんでいた男の子が立ち上がった。

「わたしも帰る。」と周りの子供たちも輪を崩して、同じように自宅に向かって、蜘蛛の子を散らす様に駆けていった。



 熊野三山2

東京日本橋、ホテル・ザ・オリエントマリオン;2006年11月4日(土)午前9時30分


「京都にあるD大学の藤原と申しますが、今日の午前9時、ホテルのロビーで3055室の那智十郎さんと待ち合わせしているのですが、那智さんを呼んで貰えますか?」と藤原大造がホテルのフロント係に名刺を差し出しながら言った。

「もう9時40分に成りますね。那智様は本日チェックアウトの予定に成っていますね。部屋に電話してみましょう。しばらくお待ちください。」とフロントの職員が答えた。

電話で呼び出しても、返事が無いので、フロント係がボーイを呼んだ。


「この方を3055室に御案内して、ドアーから那智様を呼び出してください。返事が無いようだったら、このキーで中に入ってみて、まだ御休みかどうか調べてください。」とフロント係がボーイに言った。


ホテル・ザ・オリエントマリオン3055室


ドアーの外から那智氏を呼んでも返事がないので、ボーイが合鍵でドアーを開けて部屋に入った。

藤原大造もボーイに続いて中に入った。

室内のクロークの扉が開いている。

クロークの中を覗いたボーイが大声を上げた。


「ヒャー。死んでる。」


藤原大造もクロークの中を覗いた。

昨日、新宿御苑近くの『東京みちの情報館』で出会った那智十郎がクロークのハンガー棒にガウンの腰紐を掛けて、首吊りしてぶら下がっている姿が目に入った。

両足は床についているが、膝が折れ曲がるような状態になっており、体重のほとんどが首の紐に懸かるような状態で那智氏の身体がダラリとぶら下がっていた。



 熊野三山3

事情聴取;ホテル・ザ・オリエントマリオン3055室


警視庁中央警察署の鈴木刑事が藤原教授から事情聴取している。


「昨日の午後2時ころでした。新宿御苑の新宿門近くにある『東京みちの情報館』ではじめてお会いしました。古代の道に関する文献を探していたところ、那智氏も同じ資料を探しておられました。そこでお話をすると、私たち二人の調査目的が同じであることがわかったのです。それで、本日、一緒に調査に出かける約束をしました。午前9時にこのホテルのロビーでお会いし、東京駅前から出ている高速バスで茨城県の鹿島神宮の方へ出かける予定でした。私は池袋のメトロポリタンホテルに宿泊していました。朝8時30分頃池袋を出て、地下鉄を乗り継いで日本橋のこのホテルに9時過ぎに到着しました。

ロビーでしばらく待ちましたが、那智氏が現れないのでフロントにお願いして、この部屋に案内して貰いました。」

「新宿の『みちの情報館』で探していた文献資料とは何ですか?」と鈴木刑事が訊いた。

「大和朝廷の時代の道で東山道といって、伊賀上野から岐阜そして諏訪湖を抜けて甲府塩山、秩父に抜ける道がありました。情報館の受付嬢に資料・地図があるかどうかを話しているところへ那智氏も現れて、そこでお互いの自己紹介をした訳です。結局、いい資料は見つかりませんでした。これが、那智氏の名刺です。」と言いながら、名刺を刑事に見せた。

「鹿島神宮に何を探しに行かれる予定でしたか?」と刑事が訊いた。

「鹿島神宮から2キロくらい離れた境内外に坂戸神社と謂う摂社があります。それと、近くにある鎌足神社を調査する予定でした。学術上の研究の為です。坂戸神社の祭神は天児屋根命あめのこやねのみことといって藤原氏の先祖になります。」

「鎌足とは、中臣鎌足のことですか?」

「ええ。藤原鎌足とも謂いますが。」

「そうですか。あなたと那智氏は藤原氏の歴史の調査をされている訳ですね。」

「そのとうりです。」

「ところで、この絵の意味がわかりますか?」と鈴木刑事が黒いカラスが群れている絵が描かれた20センチ四方の白い和紙を藤原教授に見せた。


真ん中には『日本第一』と文字が白抜きで書かれ、その文字の上には炎をかたどったと思われる赤い朱印が押されている。

黒いカラスが群れている絵の上には朱色の墨汁で『剣』という文字が大きく書かれていた。


「これは、和歌山県の熊野大社で出されている『牛王神符ごおうしんぷ』と謂うお守りですね。『牛王』とは熊野大社本宮の主祭神である『素盞鳴スサノオ尊』のことです。泥棒除けのお守りとして、家庭の玄関などの壁に張っておくと効果があるようです。『剣』の朱文字は後から書き加えたものでしょう。『牛王神符』は昔から起請文として用いられてきました。忠臣蔵の討ち入りに加わる赤穂武士も一時、牛王神符の裏側に記名した連判状を作成していたと云われています。源義経も頼朝に提出した嘆願書・誓約文の所謂『腰越状』を『牛王神符』の裏側に記入したと謂われています。実際に書いたのは武蔵坊弁慶の可能性がありますがね。牛王神符は特に、武士には神聖視されていたようです。」と藤原教授が説明した。

「連判状または誓約書ですか?」と鈴木刑事が呟いた。

「このお守りがどうかしましたか?」と教授が訊いた。

「いえ、那智氏の財布の中に折りたたんで入っていました。何か意味があるのでしょうかね?」と刑事が考え込んだ。


「今日のところは、これでお引取り頂いて結構ですが、今後の居場所を教えていただけますか?」

「本日は鹿島神宮近くの旅館に泊まります。明日の夜は埼玉県東松山市にある『ホテル紫雲館』に泊まります。明後日の昼間は東松山駅前の大和探偵事務所にいる予定です。明々後日には京都の自宅に戻る予定です。携帯電話と自宅の電話番号はこの名刺に書いておきました。」といいながら、大学教授の名刺を鈴木刑事に渡した。

「ところで、自殺とお考えですか?刑事さん。」

「今は何とも言えません。貴方のお話からは自殺の線は出てきませんが、他の要因も調べてからでないと何とも言えませんね。では、お引取りください。」



 熊野三山4

東松山駅前の大和探偵事務所;11月6日(月)午前10時ころ


「それは災難でしたね、先生。しかし、第一発見者である先生は容疑者の一人として警察はマークして来るでしょう。」と太郎が藤原教授に言った。

「やはり、疑われるのか。どうしたら善いかね、大和くん。」

「空手道場の仲間に警視庁の人間がいるから、それとなく情報を探ってみます。あまり気になさらず、研究調査を進めましょう。でも、新宿に『みちの情報館』が在るのをよくご存知でしたね?」

「毎年、歴史の学会に出席して、シンポジウムの後の懇親会で各地方の大学教授と情報交換するのだ。その時、東京のW大学教授の吉沢作蔵教授から教えてもらったのを覚えていて、ちょっと寄って見たのだ。その時、たまたま那智氏に出会ったということだがね。」

「テレビなどによく出ている古代エジプト研究家の吉沢教授ですか?」

「そうだよ。エジプトの歴史の事をいろいろ教えて頂いたよ。ところで、死亡推定時刻が夜中としたら、睡眠中だから、私のアリバイは無いという事になるのかね?」と不安そうに教授が言った。

「まだ、死亡推定時刻が夜中と決まった訳ではないから、ご心配いりません。よしんば、夜中としても、先生に那智氏殺害の動機があるはずがないですから、大丈夫ですよ。」

「しかし、警察は事実をデッチ挙げるのが得意らしいから、心配だな。」

「ははははっ。それは、ほんの一部の先走った刑事の所業です。一般的には科学捜査が主流ですからご心配要りません。」と太郎は教授の不安を取り除くように言った。

「ところで、先生。今日は埼玉県坂戸市の隣の鶴ヶ島市にある白髭しらひげ神社と『ときがわ町』の多武峯とうのみね神社にご案内します。白髭老人である猿田彦と藤原氏との関連を示す証拠が発見できればいいのですがね。」と太郎が教授に言った。

「地図を開いてみると、鹿島神宮、その近くにある鎌足神社、多武峯神社、そして諏訪大社上社本宮はほぼ同一の緯度にある。すなわち、鹿島神宮から真西にすすむと諏訪大社に至る。東から昇る太陽の光は一直線にこれらの神社を串刺しにする事になる。当時の星の位置を観測する航海術を利用して、各地の緯度測定をしていると考えられる。緯度という概念があったかどうかは不明であるが、東西南北の方位確認は出来ていただろう。鹿島神宮の祭神である武甕槌たけみかづちが諏訪大社の祭神である建御名方たけみなかたを負かした国譲り神話の内容から、天孫族の鉄剣が国津神系の青銅剣に勝ったと考えられる。すなはち、この時期、すでに製鉄の技術があった事も想像できる。事実、たたら製鉄技術が出雲地方で発生している。発生年代がよく判っていないがね。鉄があれば、方位確認の為の磁石の存在も考えられる。羅針盤までは行かなかったとしても、海洋民族が稚拙な磁石と星位置観察を併用しながら大洋を航海していた可能性もある。天孫族である大和朝廷は海外からの移住者である可能性もあるから、中臣氏が神官として大和朝廷に仕えたとした場合、中臣氏の祖先が誰であるのか?天児屋根命とはどのような存在なのか?中臣氏はどこから来たのか?これが私の研究テーマだ。この件に関しては後日にでも君と議論したい。いろいろとヒントが欲しいのだよ。また武甕槌は建御雷たけみかづちとも表記されることがある。雷は一直線に進み、天(空)を破って落ちてくる事から金の弓矢を使って全国平定をした大国主命や建御名方に通じる。更には武甕槌のみか釣瓶つるべと謂う井戸水を汲む縄の付いた水桶道具を意味し、水神である天空の龍のひげに通じる。すなわち、白髭に通じると私は考えている。誰が、何の目的で、この武蔵国に多武峯神社を祭ったのか?今回の調査旅行でそれが発見できればいいのだが。それから、埼玉県日高市にある高麗こま神社にも案内してくれないか。推理小説家の目賀見勝利と云う人物が書いた『日高紀行』によると、武蔵坊弁慶はこの神社と関係ある人物かも知れないと述べている。紀州田辺・新宮にいた熊野三山を統括する熊野別当「湛増たんぞう」の息子が武蔵坊弁慶であり、その先祖が天児屋根命と『義経記』に記されている。すなわち、弁慶が中臣・藤原家の親戚である可能性がある。その辺りを調査してみたいのだが。大和くん、よろしく頼む。」と教授が言った。

「確か、紀州和歌山には日高郡がありましたね。『安珍・清姫』の説話で有名な日高川もありますね。埼玉県日高市にある朝鮮半島の高句麗人を祭る高麗神社と弁慶が関係するならば、天児屋根命が朝鮮半島と関係する可能性が出てきますね。これは、面白い展開になりそうだ。その真偽が楽しみだな。先生、頑張って研究してください。」と太郎が言った。


※ この地(埼玉県坂戸市、鶴ヶ島市)の白髭神社は奈良時代に武蔵国高麗郡の開拓の為にこの地方に移住してきた高句麗人が崇敬した神社である。祭神は猿田彦命である。琵琶湖西岸にある白髭神社(比良大明神)が根本神社と云われている。比良とはこの世とあの世の境界線である黄泉比良坂よもつひらさかの存在する地とされている。この世の道案内人である猿田彦大神は天孫降臨神話の中では、『天孫ニニギノミコト』の道案内をした神様である。この地の白髭神社は武内宿禰も祭っている。武内宿禰は神功皇后が巫女として神託を受ける際に審神さにわ者として活躍した人物とされている。宇佐神宮の摂社に黒男神社があり、その祭神が武内宿禰である。どちらも老人の姿で現れるので『白髭しらひげ』の名がついたらしい。武甕槌のみかという文字はようと云う字とかわらと云う字の組み合わせであり、水がめの意味である。雍の意味は胸元に抱えることが出来るという意味であり、胸元に垂れ下がっている顎髭あごひげに通じる。そういえば、大きな顎髭は水甕みずかめの形に見える。この地の白髭神社の近くに雨乞いで有名な『雷電かんだち池』がある。干断ち(かんだち)と云う意味から日照りを断つことで雨を降らせるという事であろうか。夕立を降らせるのが雷様であると考えられた時代に生まれた言葉だろうか。電気の『電』の文字が入っているのがおもしろい。

猿田彦は記紀(古事記、日本書記)に寄れば三重県伊勢の地の出身で、天孫降臨の後は天照大神の再臨のために踊りを踊った女性の神様『天鈿女命あめのうずめのみこと』と結婚し、伊勢に帰って二人で安住したとされている。伊勢市には猿田彦神社があり、『天鈿女命』も祭神である。うずと云う文字は『金の田』と書くように、猿田彦と同様に稲穂の神様、稲荷神社の祭神でもあり、田んぼに雨を降らせるための『雨乞い、天来い(あまこい)、天恋』にも通じる。大宮能売おおみやのめ神とも呼ばれている。


多武峯とうのみね神社は奈良県の藤原鎌足を祭る談山神社がある多武峯にちなんだ名称である。丙午ひのえうまの年である慶雲三年(706年)に鎌足の遺霊をこの地に移したとされている(鎌足の生年は614〜669年)。鬱蒼と茂る原生林の山中に小さな社がある神社である。近くにこの神社の神職がいる家宅がある。多武峯神社のすぐ裏手には藤原鎌足の遺髪が納められていたとされる墓塔がある。この地域は天狗の住む山と云われている。猿田彦は顔が赤ら顔であり鼻が高かったので天狗の元祖と呼ばれる場合もある。修験者の装束をした猿田彦、あるいはその子孫が山中をヒョイヒョイと飛廻る姿が、当時の人々には天狗と映ったのではないかと想像される。そう云う意味では、猿田彦は修験道の元祖と云えるのかもしれない。『出雲国風土記』では猿田彦は佐太・佐田大神として登場し、大国主命の全国平定に金の弓箭ゆみやを用いて助力した神様とされている。金の弓矢は天の壁を打ち破るとされている。雷に比定した表現で大雷おおいかづち神に通じるものがある。佐田大神の佐田氏は大中臣氏の先祖とされている。日本書紀の国譲りの項には、大国主命が経津主ふつぬし神と武甕槌たけみかづち神に佐田大神を武神として活用すべきであると推薦している。佐田大神が金の弓矢(雷)を使うので、『(天空から雨雲に紛れて来る)洩れもれやの神』と呼ぶ場合もあるらしい。当然、大国主命の子息である建御名方神の手助けをしていると思われる。経津主は香取神宮の祭神であり、武甕槌は鹿島神宮の祭神である。どちらも武の神様として有名である。なお、中臣氏は藤原氏の祖先である。

本小説に登場する藤原教授は中臣氏の家系、すなわち藤原の家系を研究している。そのため、大和太郎からの情報により、白髭神社と多武峯神社の関係を調査する為、東松山市の大和太郎を訪問したのである。因みに、埼玉県東松山市には箭弓やきゅう稲荷神社がある。



 熊野三山5

豊後竹田警察署;11月10日(金)午前10時


入り口ドアー横に『岡城跡殺人事件捜査本部』と大きな紙に書かれた部屋の中では

大分県警刑事部長が捜査員に向かって大声で説明している。


「今日から竹田署以外の近隣警察署から捜査に参加してもらう刑事を皆に紹介しておく。豊後高田署からは棚橋刑事と橘刑事に来てもらった。それから、豊後大野署からは桂木刑事と館山刑事、臼杵警察署から庄田刑事と山田刑事、別府警察署からは道谷刑事と林田刑事に応援してもらう。最初に竹田署の山川刑事から事件の概要を説明してもらう。昨日の時点から新しく進展した事柄も付け加えてくれ。」

「遺体は昨日の午前6時ころ、早朝の散歩をしていた近隣住民によって発見されました。場所は岡城跡、別名『臥牛城がぎゅうじょう』の本丸跡にある滝廉太郎の銅像近くです。背後から縄状のものを利用した絞殺です。被害者は、所持していた免許証から大阪市阿倍野区阪南町一丁目○○に住む本宮真一もとみやしんいち氏であると思われます。本日、ご家族に遺体を確認していただく予定です。財布や金品は残っていますので物取りの犯行とは考えられません。上着の内ポケットから熊野大社の『牛王神符』が出てきました。この神符紙には朱色の墨汁で『鏡』と大きな文字が書かれていました。これがその神符です。」と山川刑事が両手で神符紙を広げて、他の捜査員たちに見せ、更に話を続けた。

「昨日、警察庁に警察イントラネットで本事件を通信報告しましたところ、今朝、次のような返信が入っておりました。警視庁中央警察署管内のホテルで発生した首吊り遺体の人物が本事件と同じ『牛王神符』を所持していたらしのです。その神符には、朱色の墨汁で『剣』と書かれていたそうです。」と山川刑事がいった。

「東京の事件は殺人ですか?それとも自殺ですか?」と棚橋刑事が訊いた。

「まだ、初動捜査段階で結論が出ていない模様です。」と山川刑事が答えた。



 熊野三山6

東松山駅前の大和探偵事務所;11月14日(火)午後3時ころ


大和太郎がソファーで寛いでいると、電話のベルが鳴って、ファックスが入ってきた。

熊野大社の『牛王神符』らしき絵が描かれている。そのファックス紙の下方に英語で『スティーブ キャラハン』のサインが入っている。

しばらくして電話が鳴った。スティーブ キャラハンからであった。


「今、送ったファクシミリの絵について質問がある。その絵の中に漢字らしき文字が書いてあるが、その絵が中国のものか日本のものか知りたいのだが、わかるかな?太郎。」とスティーブが言った。

「これは日本の神社が出しているもので、泥棒除けなどに効果があるお札である。これがどうかしたのか?スティーブ。」と太郎が答えた。

「今、イエメン共和国のアデンにいるのだが、ここで日本人が殺された。」

「アデンと云えば、アラビア半島の最南端にある都市だな。」と太郎が確かめる様に言った。

「そうだ。俺は今、サウジアラビアの王族に関係ある人物のボディーガードをしている。殺された日本人は、アメリカのラスベガスと同様にサウジアラビアの砂漠の中に都市を建設する為の調査に来ていたのだが、俺がガードしている人物とはビジネス上の付き合いがあった。それで、今回の旅行に同行していたのだが、ホテルの個室で殺されているのが、今朝、発見された。ああ、日本とは時差があるな。そちらは昼過ぎかも知れないが、こちらは朝の9時頃だ。」

「ところで、ファクシミリではよく判らないのだが、もしかして、カラスの群れの絵には何か文字でも書かれているのだろうか?」

「ああ、そうだ。朱色の文字が書かれている。たぶん漢字だとおもうが。」

「その文字だけを別の紙に書いて、再度ファクシミリで送ってくれないか、スティーブ」

「OK。漢字を書いたことはないが、絵と思って、真似てみるよ。すぐ送る。では後ほど又、電話する。」

しばらくして『玉』と書かれた文字のファックスが送られてきた。それからすぐに電話が入った。

この文字の意味をスティーブに教えたあと、太郎がスティーブに訊いた。

「ところで、殺された日本人の遺体状況と名前を教えてくれないか?」

「部屋にあるクロークのハンガー棒で首を吊った状態であった。こちらの警察は自殺として処理をしたがっているが、俺は殺されたとている。自殺の理由がないのと、被害者の着ているパジャマにやや乱れが有った。それに、自殺なら、発見された時にパジャマ姿では恥ずかしいと思って、自分の外出着の姿に着替えていると思うのだが。日本人の名前は新宮三朗しんぐうさぶろう、43歳だ。パスポートによると住所は東京都町田市成瀬台となっている。今、駐イエメンの日本大使館から外交官が来てホテルの部屋で警察から事情説明を受けている。」とスティーブが言った。


 ※ イエメン共和国アデン;

古代アラビア半島には3つの地域があったと謂われている。「岩のアラビア」、「砂のアラビア」、「幸福のアラビア」である。「岩のアラビア」とは、ヨルダン、シリア周辺地域のことであり、「砂のアラビア」はサウジアラビアのある砂漠地帯である。「幸福のアラビア」はシバ女王で有名なシバ王国の在ったアラビア半島南端の国であり、イエメン共和国もこの地域にある。シバ王国の時代は乳香にゅうこうと呼ばれた香水を輸出していた。かのクレオパトラも乳香の香りで男を虜にしたようである。シバの女王も乳香で古代イスラエル王国のソロモン王を虜にし、イスラエルの庇護の下、貿易路の安全を確保して、シバ王国の繁栄をもたらしたと謂われている。シバの女王とソロモン王の間に生まれた王子がエチオピア王国の国王になったと言われている。

イエメン共和国はアラビア半島の最南端にある国であり1990年に北イエメンと南イエメンが統一されて出来た国である。北イエメンの首都サナアは現在のイエメン共和国の首都になっている。アデンは社会主義国の南イエメンの首都であった。

アデンと云う地名は都市名ではなく、アフリカ大陸のソマリアとイエメン共和国の間にあるアデン湾に面した小さな湾の周辺にある小さな町の集まりを総称してアデンと呼ぶらしい。地元ではこの多くの町のなかで最も古く大きなクレーター地区の事をアデンと呼んでいるらしい。この地区には紀元前一世紀に作られたアデン・タンク、あるいは『シバの女王の水がめ』呼ばれる18箇所の貯水池がある。小さな湾は古代の火山の火口クレーターそのものであるらしい。現在は海水が溜まった良港として栄えている。



 熊野三山7

皇居・桜田門近くの警視庁内、第三テレビ会議室;11月20日(月)午前10時ころ


第三テレビ会議室の壁に『熊野牛王神符連続殺人事件合同捜査本部』と書かれた大きな紙が貼られている。


「本日より私が本事件の責任者として陣頭指揮にあたる。関係各県警本部の方々に甚大なる協力を要請いたします。よろしくお願いいたします。」と警察庁刑事局局長補佐・半田警視長がTVカメラに向かって挨拶した。

「このテレビ会議装置を通じて、大分県警、大阪府警、長野県警、そして警視庁の4県警合同捜査本部を設定いたします。各地所轄署内から各県警本部のテレビ会議室に捜査本部を移していただいた理由をこれから説明いたします。大阪府警と長野県警は直接の事件発生地ではありませんが、被害者である本宮真一氏及び那智十郎氏の住所地と云う事で本事件の捜査に協力していただきます。大分県警と警視庁は本件事件現場の当該地と云う事で主力的な活動をお願いいたします。また警視庁はイエメン共和国で殺害されたと思われる新宮三朗氏の住所地である東京都町田市の東京都警察通信部の本部として外務省と協力して捜査にあたっていただきます。それでは前置きはこのくらいにして、事件の概要を警視庁中央警察署の鈴木刑事にまとめて説明してもらいます。鈴木刑事、よろしく。」と半田警視長が言った。

「警視庁中央警察署の鈴木です。本事件は異なった場所で3名の方が、同一人物、又は同一組織と思われる犯人よって殺害されたと考えられます。形式が異なりますが、いずれも絞殺されています。東京都警察通信部警視庁管内での被害者は那智十郎氏。死亡推定時刻は11月3日午後10時から翌日の午前0時。九州管区警察大分県警管内の被害者は本宮真一氏。死亡推定時刻は11月8日午後10時から翌日の午前1時。海外のイエメン共和国アデンでの被害者は新宮三朗氏で死亡推定時刻は現地時間で11月13日午後10時から翌日の午前0時であります。事件の詳細資料はすでに各捜査員各位のお手もと届いていると思いますが、概略を説明いたします。被害者に共通する事項として、熊野牛王神符を所持しており、兵庫県西宮市に本部がある『剣先真理修験会』の会員であると云うことです。更に、被害者の苗字が、熊野三山と呼ばれる和歌山県那智勝浦町の那智大社、和歌山県新宮市にある熊野速玉大社、和歌山県田辺市本宮町にある熊野本宮大社に関連している事です。そして、それぞれの被害者が所持していた牛王神符に書かれていた朱文字が『剣』、『鏡』、『玉』という漢字であります。被害者のご遺族の証言からは三人が顔見知りであったかどうかは不明であります。今後の重点調査項目になります。被害者の勤め先もそれぞれ異なっています。那智十郎氏は自営業で信州そばの飲食店を長野県茅野市に開業中でした。本宮真一氏は大阪市中央区にある総合商社三紅商事の機械輸出部門に勤務していました。新宮三朗氏は東京都新宿区の大手ゼネコンの大竹建設海外事業部に勤務していました。砂漠灌漑事業の技師でした。現在判明している事項の大枠を説明いたしました。終わります。」と言って、鈴木刑事が撮影カメラの前から退いた。

「有難う、鈴木刑事。牛王神符と被害者の苗字から、今回の連続殺人犯の動機には熊野大社が関係する事項にある可能性が高い。殺人の動機が個人の問題か組織に関する問題かが問われている。今後、この点を意識しながら捜査活動を行なってもらいたい。警視庁管内での事件発生から2週間が過ぎている。初動捜査の状況を確認したい。警視庁の榊原課長、説明をお願いします。」と半田警視長が言った。

「那智十郎被害者の足取りを確認しています。現在判明している事柄を説明します。先ほど鈴木刑事が述べましたように、死亡推定時刻は遺体が発見された前日、11月3日(金)の午後10時〜午前零時ころと考えられます。この日の早朝に長野県茅野市を出た被害者は中央線で正午前には新宿に到着していたと考えられます。新宿御苑近くにある『東京みちの情報館』で京都から来たD大学教授の藤原大造と出会った時刻が午後二時ころです。正午から2時頃まで那智氏の行動は確認できていません。土曜日、日曜日のそば屋のき入れ時を休業してまで藤原鎌足の調査のために東京へ出てきていると云う事は、よほどの物好きか、何らかの儲け話でもあったのではないでしょうか?それから、事件当日と前日にホテル・ザ・オリエントマリオンに宿泊していた日本人客に怪しい人物はいませんでした。アメリカ人が8人、ヨーロッパ人が4人、中国人が3人宿泊していましたが、現在、各現地の日本大使館が身元確認に動いています。1週間後には身元の詳細が確認出来るでしょう。なお、第一発見者である藤原教授に関しては参考人として身辺調査を京都府警にお願いしてあります。」と榊原課長が言った。


突然、大分県警本部のテレビ画面から大きな声がした。


「合同捜査本部を設置するには、現在の事実把握状況から考えて、時期尚早ではないかとおもわれますが、半田警視長のお考えをお聞きしたい。」と大分県豊後高田警察署の棚橋刑事が言った。

「合同捜査本部の設置に関しては、警察庁内部でも時期尚早の反対意見があった。捜査する立場から視れば、各県警本部で判明している事実関係、被害者がお互いに知り合いであったのかどうか、不明である現状を見れば、確かに時期尚早である。牛王神符は殺害された本人が初めから持っていたものなのか、殺害後、犯人が故意に衣服のポケットに入れたものなのかは不明である。しかし、犯人の視点に立てば、牛王神符の朱文字の共通性、殺害手法の共通性、被害者の苗字が那智、新宮、本宮と謂う文字で熊野三山神社に通じるものがある。以上からこの殺人事件には、同一犯人、あるいは同一犯罪組織のなんらかの意図があると考えられる。犯人の意図が何であるのか?単なる殺人が目的であったとは考えられない。裏に隠された殺人の動機を見極めて、日本警察機構の威信を天下に示したいと謂うのが私、半田の意志である。いかなる理由があれ、社会の安全を守る事を使命とする警察機構は殺人を許す訳にはいかない。情報の共有化を迅速に行なうことが初動捜査にとっては重要なことです。私はこの連続殺人事件は日本国、あるいは日本警察機構に対する犯人からの挑戦であると感じています。何故なら、本件の関係する名称である熊野三山は日本国初代天皇である神武天皇に関わる神社であり、平安時代には『蟻の熊野詣で』と呼ばれたほどに天皇家が重要視した神社であるからです。犯人はこの点を強調する為に熊野牛王神符を被害者に持たせたと考えています。また、最初の殺人を東京日本橋一丁目で発生させています。日本橋は日本の国道の『道路元標』が設置されている日本国道の基点であります。このことからも犯人の意図が窺えます。この私の意志・意見を刑事局長が認めて、合同捜査本部の設置の許可が下りました。捜査員の絶大なる協力をお願いする次第であります。」と半田警視長が決意を述べた。

「判りました。全力を尽くします。」と棚橋刑事が返事したと同時に、各県警本部のテレビ画面からも同じ言葉が返ってきた。

「今後、大阪府警は兵庫県西宮市にある剣先真理修験会本部で会員情報を調査するように。被害者3人とも会員であるから、被害者の顔見知りから情報収集をしてください。大分県警は本宮真一氏がなぜ岡城跡に来ていたのか。大阪の会社を突然休んでまで九州に行く必要性があったのか、大阪府警と協力して理由を調査してください。新宮三朗氏に関しては勤務していた建設会社から仕事内容の詳細やイエメン、サウジアラビアでの滞在計画の詳細を訊いて下さい。同行者の調査もしておいてください。以上で本日の捜査会議は終了します。」と半田警視長が言った。



 熊野三山8

東松山市大和探偵事務所;11月24日(金)午後4時頃


室内のソファーに座って、太郎がアラビア半島の地図を見ている時、電話のベルが鳴った。


「大和探偵事務所です。」と太郎が受話器を取って答えた。

「駐日アメリカ大使館ですが、大和太郎さんはおりますか?」と英語訛りの変な日本語が聴こえてきた。

「私が大和太郎です。」と太郎が英語で言った。

「調査依頼をお願いしたいが、明日10時に、東京の溜池ためいけにあるアメリカ大使館に来ていただきたいのですが。」

「判りました。どなた宛に訪問すればよろしいでしょうか?」

「海外防衛協力部のトーマス・スミスを訪問してください。」と言って相手は電話を切った。



熊野三山9

東京溜池のアメリカ大使館・海外防衛協力部オフィス;11月25日(土)午前10時頃


「スティーブ・キャラハンが現在サウジアラビアでボディガードを行なっていますが、CIAの秘密任務の一環で活動しています。彼は特別契約特派員という待遇で1年契約です。更にもう一年継続するかどうかは彼とCIAとの合意によります。大和さんにお願いしたい事は、スティーブの補佐・連絡役をお願いしたいのです。この秘密任務の本部はここ、駐日アメリカ大使館内にあります。日本とサウジアラビア及びアラビア半島への往来が貴方の主活動になります。彼はサウジ王族親戚者のボディガードの為、自由行動が出来ません。任務の詳細は、契約了承いただいた後にお話します。もちろん、活動の守秘義務が伴います。いかがでしょうか?協力いただけますでしょうか?契約期間は6ヶ月ですが、任務終了の場合は、その時点での契約解除になりますが、契約金は全額お支払いいたします。」

「スティーブが私を紹介したのですか?」と太郎が訊いた。

「そうです。彼はあなたを大いに信頼しています。ぜひ、協力依頼をして欲しいと、我々に依頼してきました。我々も新潟県でのK国秘密諜報機関KISS監視での貴方の実力を十分評価しており、協力依頼する決定をしました。いかがでしょうか?」とトーマス・スミスが言った。

「判りました。協力いたします。早速ですが、任務の詳細をお聴きかせください。」と太郎が言った。

「私たちは世界テロリスト対策アジア地域プロジェクト担当として活動しています。スティーブもこのプロジェクトの為に活動しています。いままでは、サウジアラビア国内だけの行動であったので、我々アメリカ人がスティーブのサポートをしてきました。しかし、今後、活動範囲がイエメン共和国にも広がってきました。彼がボディガードしている雇い主の仕事の都合でそうなったのです。ご承知かどうか知りませんが、イエメン共和国はアメリカ、イギリスに対しては反協力的です。当然、アメリカ人、イギリス人がイエメン国内で行動するとイエメン共和国国内防諜機関の監視が付きます。そこで、スティーブのサポート役を日本人である貴方にお願いしたいのです。スティーブはサウジ王族ボディガードとしての立場から特別待遇で活動できます。」とトーマスが言った。

「ところで、スティーブの任務の詳細はどのような事ですか?」と太郎がきいた。

「サウジアラビアは西欧諸国に協力的であるとして、中東のテロリストの標的にされる可能性があります。幸い、現在のところは、そのような動きはないのですが、イラクやイランでの情勢悪化が進展すれば、サウジアラビアの立場も微妙になってきます。中東テロリスト集団はK国から秘密兵器の購入を計画しており、この秘密兵器が小型原爆である可能もあり、我々はあらゆる手段を講じて、売買行動の実態をキャッチすべく、躍起となって行動しています。彼の任務もテロリスト活動家の動向に関する情報収集です。日本にいたK国秘密諜報機関KISSの要員も中東に姿を現しており、超小型電波起爆式爆弾の売買を行っている可能性も想定しています。スティーブの人脈紹介でボディガードになった彼からの情報は最重要機密となっています。電波通信やインターネット通信では情報監視網に引っかかる可能性があり、古典的ではあるが、マンツーマン情報伝達の手段が一番安全と想定しています。K国外交官が中東テロリストとイエメン共和国のアデン市で接触した模様であり、アデンでの情報活動を強化していく必要が出てきました。貴方の活動は命に係る場面も想定できます。貴方は空手の達人であるだけでなく、銃器も扱えるとスティーブから訊いています。貴方がどうしても必要なので、協力していただけて感謝いたします。支度金と前金で200万円準備しました。来週の水曜日にサウジアラビアに行っていただきます。行動計画については明後日10時から都内の某ホテルで行なう予定です。場所等は追って連絡します。海外渡航の準備に入ってください。パスポートはお持ちですね。」

「ええ。大丈夫です。ビザの取得はどうしますか?」

「我々の関係ツーリストに任せてください。また、あなたは商社マンとして、日本の電機製品販売商社の社員として現地駐在所設置調査のため訪問と云う設定になります。明後日、パスポートをお預かりします。」



 熊野三山10

警視庁内、第三テレビ会議室 合同捜査会議;11月27日(月)午前10時ころ


「個人情報保護の観点から剣先真理修験会では会員名簿を発行していません。誰が会員であるかのすべての情報を持っているのは修験会本部だけです。修験会のイベントに出席して知り合い、自己紹介した場合にはじめて会員同士のつながりが出来るようです。修験会主催のイベントは年間6回ありますが、過去、被害者3人が同一のイベントに参加した記録はありませんでした。個人的に繋がりが出来るチャンスがあったかどうかは不明です。ご家族からの情報でも知り合いであったと言う話はありません。被害者の個人所有パソコンのメールからもお互いのメールアドレスは見出されていません。したがって、被害者3人は顔見知りではないと思われます。」と大阪府警本部の柿崎課長が報告した。

「被害者3人が顔見知りでないとすると、牛王神符は犯人が殺害後、あるいは殺害前に被害者たちに持たせたとも考えられるが。この点に関し、何か意見のあるものはいるか?」と半田警視長が言った。

「修験会のイベントで同席していないからといって、現時点で非顔見知り説を唱えるのは早計かとおもいます。修験会以外のイベントや会合で知り合った可能性も考えられます。もう少し捜査の進展を待ってから判断した方がいいでしょう。」と警視庁の鈴木刑事が言った。

「わかりました。イエメン共和国のアデンで殺害された新宮三朗氏に関する情報をお願いします。」と警視長が言った。

「外務省からの報告と我々の調査を交えて報告いたします。新宮氏はサウジアラビアの王族関係者と同行して、はじめてアデンを訪問したようです。サウジアラビアの首都リヤドには3回出張しています。砂漠灌漑プロジェクトの技術調査員として大竹建設から派遣されています。今回も殺害の2週間前にリヤドに入り、近郊のオアシスを調査していたようです。この王族関係者がサウジアラビア側の砂漠灌漑プロジェクトの総責任者だそうです。今回の出張では大竹建設から3名派遣されていますが、新宮氏は気象学の研究者で風向などの環境分析を行なっていたようです。アデン湾の気候調査でイエメン共和国に出向いたようです。他の二名は水力学、地質学の研究者だそうで、今回はイエメンには同行していませんでした。同行の地質学の研究者である神谷慎介氏の話では、アデンの入り江が火山の火口跡であることからいろいろと新宮氏から質問を受けていたようです。どうも、気候の研究ではなくアデン湾の地質確認でイエメン共和国に出向いた模様ですね。新宮氏は仕事ではなく、個人的な興味で地質調査をしていたようですね。アデンに到着して2日目に殺害されたようです。アデン滞在予定は四日間だったそうです。王族関係者には多くのボディガードが付いていたようですが、新宮氏は日本人と云うことでノーガードでした。ホテルの部屋も王族関係者とは別の階にあったようです。ホテル関係者の話では日本人の滞在者は新宮氏のみだったようです。外出などは王族関係者と行動をともにしていたようですが、夕方からの自由時間は単独行動だったようです。アデンの現地警察は自殺と判断して捜査を打ち切っています。新宮氏の日本での勤務地は新宿ですが、会社関係者の話では他人に恨みを買うような人物ではなかったようです。ご遺族の話では、夏休みによく修験衣装を身につけて山岳地帯にでかけていたようです。出先での交友関係について、家族はよく判っていない様でした。写真アルバムを見せてもらいましたが、修験関係の写真は、自宅前で撮った修験衣装を着た写真2枚のみでした。個人行動が多かったようです。家族で山に出かける事はなかったようです。」と鈴木刑事が報告した。

「山岳地帯での修験行動のなかで出会った人物がいるはずだろう。そのような人物の情報をなんとか調べて欲しい。過去3年間の修験行動場所から何とか情報を仕入れて欲しい。本宮氏、那智氏についても同様の調査をお願いします。」と半田警視長が言った。


捜査会議は大きな進展がないまま終了した。



 熊野三山11

サウジアラビア王国首都リヤド;11月29日(水)


キング・ハリッド国際空港から白いボディのタクシーで太郎はリヤド市内のホテルについた。

太郎はホテルの部屋でくつろいだ後、ホテルの近くにあるキング・ファイサルセンターに歩いて向かった。このセンターにはイスラム教コーランの写本など、イスラム文化に関する展示品がある。男性が入館できる日と女性が入館できる日が異なっており、水曜日は男性の入館可能日であった。CIAが指定した人物に接触する時刻は午後6時00分であったが、展示見学をする為、午後の開館開始時間である午後5時に入館した。

太郎は入館手続きの時に受け取った携帯ラジオ大の展示説明端末は上着のポケットに入れ、東京で渡されていた同形のラジオ風端末をポケットから出した。そして、イヤホンを耳に刺し、英語の説明を聴きながら展示品を見学していた。

30分くらい経過して、コーラン写本の展示を観ているとき、説明の合間に変わった声が聞こえてきた。


「ラジオ端末のチャンネルを7にあわせろ。」と英語で喋っている。


太郎がチャンネル7にダイアルを合わせた。


「展示を見ながら私の説明を聴いてください。私は貴方の右手20メートルのところに立っていますが、私の方を見ないようしてください。我々を監視している人物がいるかもしれませんので、用心が必要です。判れば、右手を少し上に挙げてください。」と端末の声が言った。


太郎が右手を挙げた。


「有難う、手を下ろしてください。私はCIAサウジ支部のリチャード・カーペンターと申します。今後の行動について説明します。スティーブ・キャラハンとの接点は・・・・・・云々。」


太郎は端末を通して5分程度の説明を聴いた後、リチャードの顔を確認した。

その後、太郎はまだ観覧していない展示品を20分ほど見学してからホテルに戻った。


 ※ サウジアラビア王国の首都リヤド(ArRiyadh);

  1932年にサウド家によって国内統一が行なわれ、サウジアラビア王国が誕生し、紅海沿岸の旧政都ジェッダから砂漠にあるオアシスのこの地に首都リヤドが構築された。リヤドを中心としたこの地域には多数のオアシスが点在しているらしい。

  『アルリヤド(ArRiyadh)』と云う言葉は、「庭、草地」を意味するアラビア語『ラウダ(Rawdah)』の複数形であるらしい。オアシスに生えている香り豊な草花の群生地を表現した言葉であろう。リヤドの街は古代都市『アジャ・ヤママ(Hajar Al Yamamah)』の旧跡の上に建設された都市である。古代都市には宮殿やイスラム教のモスク塔が建っていたらしい。古代カリフ(族長、後継者)・アジャの時代のヤママ地域にはモスクや外敵を防ぐ城壁が存在していたらしい。要塞跡として「マスマク・フォートレス」が現在も存在している。この50年で急速に発展した『古くて新しい都市リヤド』、とでも表現するのが適切であろうか。

     


 熊野三山12

大分県宇佐神宮境内・大尾山登り口;11月30日(木)午後3時ころ


※宇佐神宮の境内には、二つの山がある。ひとつは上宮(本宮)のある小椋山おぐらやま、もうひとつは大尾山である。大尾山には大尾神社と護皇ごおう神社がある。大尾神社は八幡大神が奈良の大仏開眼の式典から伊予の宇和経由で帰還した時、穢れを祓い終えるまでの15年間、この山に鎮座されていた。和気清麻呂が弓削道鏡に関する託宣の真偽を確認する神託を受けたのもこの大尾神社であった。護皇神社には和気清麻呂が祭られている。小椋山の神域と大尾山の神域は境内横に流れる寄藻川から分かれた小さな小川(御食川)で分離されている。小椋山の神域全体は寄藻よりも川と御食みけ川に囲まれた神域となっている。大尾山への登り口には大きな石灯籠が左右に二基づつ計四基ある。上り口から急な登りの石段が続いている。この登り口の前には、御食川に平行して細い小さな舗装道路が走っている。


モスグリーンの英国車ジャガーが静かに止まった。紫色の手袋に鮮やかな黄色のオーバーコートを着て、淡い青色の小さなファッション帽子を頭に載せた貴婦人が車から降りた。そして、車は静かに走り去った。

サングラスをはずし、それを白色のハンドバックに入れた後、大尾山登り口にある石灯篭の前に立っている男に近づいて行った。


「やあ。あい変わあらず、鮮やかな出で立ちで、眼が眩むよ。あはははっ。」と男が笑った。

「いやね。冷やかさないでよ。ところで、今日のご用件はなにかしら? 光弘さん。」と女が言った。

「ああ。殺人事件の捜査でヒントが欲しい。」

「朝読新聞の特集記事に載っていた牛王神符が関係した連続殺人のことかしら?それとも、竹田市の岡城跡のことかしら?」

「連続殺人のことを知っているのなら話は早いな。」

「前回の国東半島殺人事件で十種神宝とくさのかんだからの話をきいた時、『玉』、『剣』、『鏡』」の他に『比礼ひれ』が出てきたと思うのだが。」と棚橋刑事が切り出した。

「そうね、今回の犠牲者である本宮氏は熊野本宮大社の神宝である『鏡』、那智氏は那智の滝を暗示する『剣』、新宮氏は速玉大社の『玉』の文字が入った神符を持っていたのね。それで、『比礼』が何か気に掛る理由は? 光弘さん。」と大賀広子が訊いた。

「『比礼』の文字に関係する第4の殺人が起こるのではないかと考えている。それが、どの場所、どの地域なのかを知りたいのだ。その場所が事前に判れば、今回の事件の犯人がそこに現れた場合に犯人の顔が判る可能性がでてくる。その地域の監視カメラを駆使して犯人の特定に迫りたい。広子ちゃんならその場所が予測できるかなと思って、相談したのだが。」

「『比礼』に関係する神社の事を知りたい訳ね。」

「その通り。この捜査の総責任者である半田警視長は、犯人は日本国に対する挑戦をしていると考えておられる。僕も過去の犯罪者の心理と照らし合わせて考えてみたが、その可能性があると見ている。挑戦とまではいかなくても、日本の歴史、あるいは自分自身のルーツ(家系)に悪意・嫌悪感を持っている可能性も考えられる。」

「うーん。熊野大社に繋がる比礼に関わる神社は在ったかしら。うーん。」と広子が考え込んだ。

「滋賀県近江八幡市にある日牟礼八幡神社かしら?でも、まって。那智、新宮、本宮の名前が関係しているとすれば、別の考え方が出来るわ。熊野本宮大社には第一殿から第四殿まであるわ。第一殿の祭神がイザ那美大神で那智大社の主祭神。第二殿の祭神は速玉之男大神で新宮市にある速玉大社の主祭神。第三殿が素盞鳴スサノオ尊で本宮の主祭神。第四殿が天照皇大神あまてらすおおみかみ。とすれば、伊勢神宮がその場所になる可能性があるはね。」と広子がしばらく考え込んだ後、言った。

「伊勢神宮か、日牟礼八幡だね。有難う。あと、熊野は神武東征の上陸地点であるから当然、神武天皇に関係する奈良の橿原神宮も関係するな。」と棚橋光弘が言った。

「そうね。それぞれの所在地の名称は、伊勢市、近江八幡市、橿原市ね。」と広子が合槌を打った。


※ 十種神宝;物部氏の先祖である天孫族の饒速日ニギハヤヒ命とその子である天香山命(高倉下)が国東半島近くの宇佐の地で天神から授かった十種類の教え、または呪文の総称。

大きく分けて、鏡、玉、剣、比礼ひれの四種類の教えで構成されている。『鏡』は自分の行いを見つめ、反省する方法、『玉』は自分の心磨く方法、『剣』は誘惑に負けない為の方法あるいは意志を貫く方法、『比礼』は世の秩序を守る方法、または神を敬う方法である。


1.沖津鏡おきつかがみ

2.辺津鏡へつかがみ

3.八握剣やつかのつるぎ

4.生玉いくたま

5.死返玉まかるかへしのたま

6.足玉たるたま

7.道返玉ちかへしのたま

8.蛇比礼おろちのひれ

9.蜂比礼はちのひれ

10.品物之比礼くさぐさのもののひれ



 熊野三山14

警視庁内、第三テレビ会議室 合同捜査会議;12月 4日(月)午前11時ころ


「大分県警棚橋刑事からの意見に従って伊勢、近江、橿原の苗字を持つ剣先真理修験会の会員を調査してください。そして、監視してください。本件の犯人が姿を現す可能性があります。」と半田警視長が言った。

「あのー。」と突然、警視庁内の一人の刑事が手を挙げた。

「伊勢神宮は伊勢市ですが、戦前は宇治山田市と云う地名が使われていました。現在でも、近畿日本鉄道、通称近鉄の駅名は宇治山田です。したがって、山田と謂う苗字も調査対象にした方が良いのではないでしょうか。」と鈴木刑事が言った。

「判りました。山田姓の人物も調査対象とします。大阪府警の方はご足労ですが、西宮市の剣先真理修験会本部でこれらの苗字の人物について至急会員調査し、警察イントラネットで各県警に調査報告のメールを送信してください。メールが入った翌日に、臨時の合同捜査会議を開催し、警備すべき対象人物の決定、及び関係各県警察本部への重点警備依頼の概要を提示します。よろしくお願いします。本日はこれにて散会とします。」と警視長が言った。



 熊野三山15

サウジアラビア王国・首都リヤドのホテルロビー;12月 3日(日)


「200万ドルの賞金首テロリストを狙っているのだ。」とスティーブが言った。

「そのテロリストはこの地サウジアラビアにきているのか?」と太郎が訊いた。

「CIAからの情報では、必ず来ると云うことだが。目的はK国秘密諜報機関KISSと接触する事らしい。兵器の売買交渉をこのリヤドで行なうとの情報が入ったらしい。」

「しかし、ボディガードをしていると、自由に動けないのではないか?」

「いや、4日働いたら、3日の休暇がある。この3日間がおれの調査時間だ。CIAとは情報提供契約だけだ。サウジ王族が得ているテロリスト情報なども入るので、CIAには喜ばれている。今後、王族の雇い主がアデンに出張する時間が長くなるので、太郎には、アデンからCIAへの情報連絡役をお願いする。それと、俺が仕事をしている間、このリヤドでのテロリストの動きを俺に代わって調査してほしい。注意事項が何点かあるのでそれを説明しておく。秘密結社ビッグ・ストーンクラブの事は知っているか?」

「ああ。ユダヤの石工組合がその発祥で、ユダヤ人のエジプト奴隷時代に端を発していると聞いている。現在はロータリークラブやライオンズクラブと同じような社交会の機能を受けもつ部門と、相変わらず、世界の秘密を探しまわっている部門の2種類の部会があるらしいが。」

「その通り、社交部会と技術部会の二部門がある。そのうちの技術部会が探しているのは、ユダヤ人奴隷がエジプトから脱出する時にヤハウエの神がモーゼに与えた十戒が書かれた2枚の石板だ。その石板が納められているアーク(聖柩)だ。このアークはユダヤ人の国である北イスラエル王国と南ユダ王国が崩壊した時に行方不明になっている。アークは木製だから現在では腐って、無くなっている可能性もある。ピラミッドのような風化しない地下密閉室に納められていれば、現在でも金ピカの状態で存在するだろう。現在のビッグ・ストーンクラブの会員はユダヤ人だけとは限らない。白人、黒人、東洋人といろいろいな人種がいるから、ビッグ・ストーンクラブ会員とテロリストの区別、判断が難しく、厄介な存在なのだ、ビッグ・ストーンって奴は。背後にはユダヤ特権階級が支配していると謂われているが、真偽は不明だ。しかし、奴らの情報網はCIAの数倍優れているからな。CIAは金で情報を買うが、ビッグ・ストーンは会員から無償で情報が入るからな。まあ、情報交換クラブみたいな秘密結社だから、情報で情報を買っていると謂えるかも知れないな。しかも、会費を取っているから、情報と金の二重取りだな。大儲けだぜ、ビッグストーンは。」とスティーブが羨ましそうに言った。

「十戒の石板でヤハウエの神自身が書いたものはモーゼが一度割ってしまって、アークに入っているのはモーゼ自身が書いたものと聞いているが、それを探しているのか?」

「いや、ビッグストーンクラブはその両方を探しているらしい。CIAの情報では、そいつらが、リヤドでも動きまわっている。イエメンでも動いている模様だ。まあ、世界中で動き回っているだろう、ビッグ・ストーンって奴らはな。東京にもいると思うぜ。」

「失われたアークがこのリヤドにあるのか?」

「それは、ビッグ・ストーンクラブに訊いてくれ。話の種としての興味はあるが、俺は知らない。はっはっは。物好きな奴らだ、ユダヤ人と云うのは。」とスティーブが笑った。

「ところで、アデンでの日本人殺害の件で知っていることがあれば教えてくれないか、スティーブ。」と太郎が訊いた。

「ボディガード仲間が、殺された日本人以外にもうひとりの東洋人をホテルのロビーで見かけている。テロリストの臭いがしたので少し尾行したそうだが、見失ったとの事だった。日本人かどうかは不明だ。そのボディガード仲間は中国人と言っているが、俺たち白人から見れば、日本人も中国人も韓国人も同じに見えるから、国籍は不明ということかな。そいつが犯人とは限らないがな。おれの判断ではプロの殺し屋の仕業だな、あの殺人は。しかし、この事件に興味があるのか?太郎。」

「ああ。俺の恩師が東京で同様の殺人事件に巻き込まれて、警察からマークされている。恩師が無実であることを証明できればいいと思っているのだ。」

「そうか。それは大変だな。新しい情報があれば教えるよ。名前はシングウ(新宮)とか云ったかな、サウジアラビアの雇い主の友人だったから我々も気にかけているのだ。太郎と同じ日本人でもあったからな。」


※モーゼの十戒;

 紀元前1300年ころ、ユダヤ人であるモーゼはエジプトの奴隷として働いていたユダヤ人6000人(聖書には60万人とかかれているが、当時は大きさを表現する手段として万の字を用いたらしい。一般には、6000人とするのが妥当と考えられている。私見では、統率可能人数として、最大で6万人くらいが妥当か。)を引き連れてヤハウエの神がユダヤ人に与えると約束したカナンの地(現在のイスラエル)に向けて移住をはじめた。その途中、シナイ半島のシナイ山でヤハウエの神はモーゼに対し、ユダヤ人が守るべき10か条の約束事(戒め)を提示した。この10の約束をユダヤ人が守れば、ヤハウエ神はユダヤ人に恩恵を与えると約束をした。この約束事の内容が『モーゼの十戒』と謂われるものである。これは旧約聖書の『出エジプト記』に記されている。

 ヤハウエの神は以前、アブラハムというユダヤ人の祖先に対し、カナンの地(現在のイスラエルがある土地)を与える約束を実行している。このときはユダヤ人が守るべき事柄の提示は無く、神からの一方的な約束の供与(約束型契約)であった。モーゼとの約束はユダヤの民が守るべき義務(十戒)がともなう義務型契約である。

   

1. あなたにはわたしをおいてほかに神があってはならない。

2. あなたはいかなる(礼拝すべき)像もつくってはならない。

3. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。

4. 安息日を心に留め、これを聖別せよ。

5. あなたの父母を敬え。

6. 殺してはならない。

7. 姦淫してはならない。

8. 盗んではならない。

9. 隣人に関して偽証してはならない。

10. 隣人の家、妻、奴隷、その他隣人の物を欲してはならない。



熊野三山16

兵庫県西宮市獅子ヶ口町 剣先真理修験会本部;12月 5日(火)午後2時ころ


「伊勢姓の会員は5名。近江姓の会員は16名。橿原姓の会員は10名、山田姓は42名いますね。」と副会長の武庫茂が大阪府警の刑事にパソコン画面の会員名簿を見ながら答えた。

「そんなにいるのか。調査も大変だな。とりあえず、その人たちの住所をプリントアウトしてもらえますか。」と金崎刑事が言った。

「わかりました。しばらくお待ちください。ところで、刑事さん。昨日から朝読新聞の朝刊で連続殺人事件の特集記事が始まりましたよね。記事には、神武東征が紀州熊野を経由しているから修験道と関係した殺人事件ではないかと書かれていましたが、本当ですか?」とパソコンを操作しながら武庫茂が訊いた。

「あれは、聞屋ぶんやの先走った想像だ。まだ、捜査はこれからだ。」

「そうですか。殺された3人は当修験会の会員ですが、うちの会員に御嶽おんたけ信仰に興味をもっている方も多数います。どの会員が御嶽信仰に興味があるかは判りませんが、新宮氏、本宮氏、那智氏も興味があったかも知れませんね。」

「御嶽信仰とは木曽御嶽山の山岳信仰の事かね?」

「ええ、そうです。大国主命の子である建御名方命が長野県の諏訪地方に移住するときに御嶽山を見て、その美しさに感銘したと云う逸話のある山です。奈良時代774年に疫病退散の祈願の為に山上に神殿が創建されたのが始まりらしいです。奈良市登美ヶ丘近くに御嶽教の大和本宮があります。木曽地方からこの地に本宮を移転したのは平成になってからと聞いています。登美の丘は神武天皇がピカピカと光を放つ金鳥の光の助力で長髄彦を降参させた逸話がある土地です。金鳥を携えた神武天皇の大きな石像がたてられています。」と武庫茂が説明した。

「その御嶽教大和本宮の場所は近鉄奈良線の富雄とみお駅の近くかね?」

「そうです。学園前駅からバスに乗って大渕橋停留所で降りるのが近いですよ。」

「山岳信仰か。調べてみるか。」と金崎刑事が呟いた。



熊野三山17

大分県警本部 捜査会議室;12月7日(木) 午後1時ころ


「しかし、何故に岡城跡で大阪に住む本宮氏が殺されたのか、だな。岡城跡の滝廉太郎像の前で殺されなければならない理由があったのか?殺人場所はどこでもよかったのか?」と棚橋刑事が橘刑事に向かって言った。

「たまたま、そこだっただけでしょう。どこでも殺せればいいのでしょうから。」と橘直人が答えた。

「いや、そうかな?何処でもよければ、九州まで出向く機会をねらうよりも大阪市内にいる時間の方が長いのだから、確率論で言えば、大阪が殺人現場になりやすい。なんらかの理由を付けて、九州におびき出した可能性があるな。急遽、会社を休んで岡城跡まで足を運んだのだからな。おびき出したとしたら、犯人と本宮氏とは顔見知りの可能性があるな。犯人と本宮氏の接点は何処かだな。岡城跡での殺害は、自分の意図を表現したがっている犯人だから、何かを暗示している可能性があるな。しかも、死亡推定時刻は3人ともほぼ同時刻の午後10時から午前1時の間だ。暗闇だぜ岡城跡は。東京の那智氏、アデンの新宮氏も同じ時間帯が死亡推定時刻になっている。那智氏と新宮氏はホテルでの殺人。しかし、本宮氏はホテルではなく屋外での殺人だ。何か訳があるはずだ。何だろうか?」と棚橋が考え込んだ。

「岡城跡ね。♪春高楼の花の宴、めぐる盃、影さして ♪千代の松ヶ枝、分け出でし、昔の光、今いずこ♪」と橘直人が冗談めかして滝廉太郎作曲、土井晩翠作詞の『荒城の月』を歌った。


荒城の月は土井晩翠が会津鶴ヶ城をモチーフに創作した詩に滝廉太郎が故郷の竹田城跡をイメージして曲を作ったものである。作曲は懸賞付で募集されて、当時の東京音楽学校(現、東京芸術大学)の生徒で19歳であった滝廉太郎の曲が当選となった。明治時代は音楽で遅れていた日本は、西洋風の楽曲に日本の詩を付けるのが通常であったが、滝廉太郎は日本の詩には日本風の音曲を付けるのが相応しいと考えていたらしい。音楽は心の浄化作用があると謂われている。ロシア正教会のミサ曲になった『荒城の月』は浄化作用に優れているのだろう。


「おい、直人、それだ。」

「何がそれですか?」と橘直人が訊いた。

「明治時代に滝廉太郎が作曲したものではなく、大正時代に山田耕作がピアノ部曲を加えて編曲した荒城の月だ。」と棚橋刑事が言った。

「山田ですか?要注意人物の山田姓の人間は42人です。これがそのリストです。このリスト中の誰が狙われるのか?棚橋さん判りますか?」と言って橘が棚橋にA4サイズのコピー紙を見せた。

「それは、チョット推理が必要だな。九州地域の人間を選別してくれ。それから、歌詞を1番から4番まで書き出してくれ。知っているだろう、直人。」

「もちろん。この大分県で小学校から住んでいる人間なら忘れないでしょう、荒城の月は。小学校と中学校で散々歌いましたからね。大分県竹田市出身で世界の滝廉太郎ですからね。ロシア正教会のミサ曲にもなっていますからね。」と橘刑事が言いながら、ボールペンで歌詞を書き始めた。

「それに、殺人が行われた時刻の岡城跡は月明かりがあったのかどうか、気象庁で調べてみよう。暗闇でなかったかもしれないな。」と棚橋が言った。



 熊野三山18

東松山市 大和探偵事務所;12月7日(木) 午後3時ころ


東京のCIAへの報告の為、サウジアラビアから大和太郎が事務所に戻ってきて、留守電話の録音をきいている。

「お久しぶりです。朝読新聞京都支社社会部事件記者の中山隼人です。国東半島殺人事件の時はお世話になりました。現在、東京西荻窪にある新聞社の独身寮に仮住まいしています。ご存知かとも思いますが、熊野牛王神符連続殺人事件の合同捜査本部が東京の警視庁に設置されています。国東半島事件の特種が評価されて、新聞社より特命を受け、担当記者として京都支社から東京本社に臨時出向しています。東京にはなじみの人間が少ないので、大和さんにお会いして東京の刑事さんを紹介していただければと思っています。棚橋刑事も今回の事件の担当として九州で活躍されている様です。私の携帯にお電話いただければありがたいのですが。番号は090・・・・455です。」と中山のメッセージが入っていた。



池袋駅西口広場 弁慶寿司;12月8日(金) 午後7時ころ


東武東上線池袋駅かJR池袋駅の北口改札を出て地下道を通り池袋西口広場に上がると正面にマクドナルドの看板が目にはいる。そこから、右方向に目を移していくと、極上ネタ・格安会計『弁慶寿司』の看板が掛かる間口4メートルくらいの小さなすし屋がある。このすし屋の看板には、もうひとつの案内が書かれている。

《大和探偵事務所 よろず相談、調査を安価にお請けいたします。当すし屋にお尋ねください。》


カウンターで寿司を食べながら、大和太郎と中山隼人が話している。


「ええー。大和さんもこの事件に関係しているのですか?」と中山記者が言った。

「いや、恩師であるD大学の藤原教授が新宮三朗氏殺害の第一発見者で警察からマークされている。無実の証明が必要になった場合に備えて、事件の情報を集めているだけだがね。多分、そのような事にはならないと思っているが、万一と云う事もあるからね。」と大和太郎が言った。

「藤原教授は新宮三朗氏と面識が会った訳ですね。」

「ふたりは、藤原鎌足のことを調べていて、たまたま新宿で出会って、その翌日に新宮氏が殺害されたようだ。」

「藤原鎌足が今回の事件にも関係してくるのでしょうか?」と中山が訊いた。

「いや、あまり関係ないと思うが、新宮氏が調査していたとなると、歴史のどこかで熊野三山と鎌足が関係しているのかもしれないね。この辺の事は藤原教授にきいて見ると面白いかも知れないね。藤原・中臣の家系がどのような歴史を辿っているのかを教授は研究しているようだ。僕もそのお手伝いをしている。僕の場合は旧約聖書の研究で教授のお力を拝借している。教授とは持ちつ、持たれつの関係だ。」と太郎が答えた。

「へえー。旧約聖書ですか。聖書の何を研究されているのですか?」

「モーゼの『出エジプト記』の研究をしています。これは、学生時代の卒業論文のテーマでしたが、疑問点が残っており、藤原教授の力を借りながら真相を究明したいと思っています。」

「面白そうですね。新事実でも発見できれば、朝読新聞の文芸部記者を紹介しますから、ぜひ我新聞社に投稿してください。特集を組むように文芸部長に言いますから。」

「あははは。それはありがたい。発表できる段階が来たら連絡しますよ。よろしく。」

「ところで、我社の九州支局からの情報では、明日、棚橋刑事が九州から東京の警視庁に上京してくるようです。警察庁の刑事局長から直々の呼び出しらしいですよ。何か、重要な任務でも命令されるのかもしれないとの記者仲間でのうわさです。一度、3人で話でもしませんか?私がアレンジします。」

「いいですね、ぜひお願いします。事件の情報でも聞き出せれば、最高ですね。ははははっ。」と太郎が笑った。



東京銀座一丁目の居酒屋 一丁屋; 12月9日(土) 午後7時ころ


「事件担当の聞屋ぶんやとこのような形で会うのは規則違反だが、中山記者には国東半島事件では恩義があるからな。それに、大和探偵が同席すると云うからここに来た。まあ、事件の事は差し置いて、楽しく飲みましょうか?あっはははー。乾杯!」と棚橋刑事が音頭をとった。

「いや。事件のことを差し置かれては困るのですが、事件記者としては。」と中山が言った。

「馬鹿ャロー。聞屋ぶんやに事件の捜査情報を話せる訳がないだろ。捜査本部の正式発表まで待て。」と棚橋が言った。

「まあまあ。ここは、私の顔に免じて、楽しく飲みましょう。国東半島事件の裏話でも酒の肴にして楽しくやりましょうよ。」と太郎が言った。


話が弾んで、1時間ぐらい経過したところで、中山記者がトイレ休憩のために席をはずした。


「ところで、棚橋刑事に今回の事件の情報があります。」と太郎が言った。

「何か?」と小声で棚橋が訊いた。

「新宮氏がイエメン共和国アデンで殺害された時、怪しい東洋人の男がホテルに居たらしいです。日本人の可能性があります。殺しのプロであるだろうと私の知人が言っていました。」

「知人とは?」

「アメリカ人で、CIAなどに協力している私立探偵ですが、賞金稼ぎなども行なっている人物で、この道に精通した人間です。現在、サウジアラビアの王族関係者のボディガードとしてアラビア半島で活動しています。新宮氏とは行動を供にしていた人物です。信用できる証言とおもいます。」

「その東洋人の年齢はわかりますか?」

「20代から30代の青年といったところだったようです。年配者ではなかったようです。」

「その他、情報はありますか?」

「それだけです。同僚のボディガードが追跡したようですが、上手くまかれたようです。」

「今回の事件で藤原教授はやはり疑われていますか?」と太郎が訊いた。

「現在のところ、参考人です。犯人とは考えていません。那智氏との関係がはっきりすれば、疑いは晴れるでしょう。むしろ、捜査に協力していただく事になるかも知れません。今回の連続殺人は神武東征の歴史が関係しており、犯人像を絞り込む為、教授の知識をお借りすることになるかも知れません。今日、刑事局長に呼ばれて、特別活動指令を拝命してきました。大分県警としての活動ではなく、全国を自由に捜査活動しても良いと云う警察庁公安特命刑事の証明書を貰ってきました。大分県の地方公務員のままで、国家機関である警察庁に出向と云う形です。今回の事件は目撃証言が全くない、難事件です。たった一つの目撃証言が、先ほどの大和さんから聞いたアデンにいた男の話です。それだけです。本日、本事件の総責任者である半田警視長に対し、大和探偵に警察庁から捜査協力依頼して欲しい、とお願いしました。現在、大和探偵の身辺調査が開始されています。調査合格となれば、依頼担当からあなたに連絡がいきます。依頼を受諾いただければ現在の警察での捜査状況が説明されます。ぜひとも協力していただきたい。」と棚橋刑事が頭を下げた。



熊野三山19

東松山市 大和探偵事務所;12月 11日(月) 午後4時ころ


事務所のソファーに座って、東松山警察署の林刑事と半田警視長が大和太郎と話している。

林刑事は半田警視長を大和探偵事務所に案内する役目で来ていた。

「棚橋刑事の意見では、数字の六がつく人間が狙われると言うことですが、大和さんのご意見を伺いたい。」と半田がいった。

「棚橋刑事の推理では、最初に那智十郎氏、2番目が本宮真一氏、3番目に新宮三朗氏が殺されている。十、一、三の順番を考えると、次は六になると云う訳ですね。」と太郎が言った。

「そうです。一から十までの循環の繰り返しと考えると、十と一の差は1。一と三の差は2です。次の差を考えると3ですから三に3を加えて六が次ぎに出てくる数字です。それと、修験道の山伏たちは『六根清浄ろっこんしょうじょう』を唱えて修行するから六の数字がキーポイントであろうと、棚橋刑事は推理しています。」と半田が言った。

「このリストの42人中では、山田五十六、山田六郎、の二名ですか。犯人がこの二名から選択するとなるとどちらの人間を選ぶかですが・・・・ふーむ。」と太郎はすこし考え込んだ。

山田章禄しょうろく山田睦夫むつおの名前がありますが、この二人も数字の六に関係すると考えた方がいいと思います。むつは、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、と数える時の六つに通じます。」と太郎が言った。

「殺人が行なわれる場所は想像できますか?探偵さん。」と東松山署の林刑事がいつもの口調で訊いた。

「うーむ。難しい質問ですね。六ですか?今までの殺人現場は東京日本橋のホテル、九州の竹田城跡、イエメン共和国アデンのホテルでしたね。ホテル、城跡、ホテルとくれば、次は城跡のある場所と考えられますが?半田警視長は日本橋を選んだのが日本国への挑戦を暗示しているとお考えでしたね。そして、棚橋刑事は2番目の竹田城跡選択は本宮真一の苗字を借りて熊野本宮大社の祭殿を暗示したと考えた。3番目のアデンを選択した意味ですが・・・?」と太郎が考え込んだ。

「この考え方でいくと、殺人現場の選択ですが、これは犯人が被害者をその場所に呼び出していると云う前提になります。呼び出された相手が興味を示す場所、あるいは、それに関連してくる場所。そして、呼び出す以上、事前の面識がある人物が犯人でないと呼び出しに応じない。すでに殺害された3人がお互いに面識がないとすれば、牛王神符は犯人が殺害後の死体に持たせたと推理できます。とすると、犯人の意図はまさしく、神武東征に関する大和朝廷・現日本国への挑戦。殺害された3人の共通点は修験道の活動家。この4人の山田氏が興味を持っている事柄の確認が必要ですね。犯人は山田氏が興味を持っている対象の話でその関連場所に呼び出すはずです。もし、仮に、山田六郎氏が自分の名前の六に興味があるとすれば、九州での修験の聖地、六郷満山で知られる国東半島、あるいは紀州和歌山の大峰山系に興味をもたれているでしょう。国東半島の豊後高田市には、718年に仁聞菩薩が造ったとされる熊野魔崖仏と云う石像のある聖地があります。国東半島は石像文化の地とも謂えます。先の国東半島殺人事件では、この地を訪問できませんでしたが、この殺人事件の犯人である高幡聖水著の【国東半島の真実】という本に説明がありました。この熊野魔崖仏に登るための石の階段は鬼が一晩で造ったと謂われている。この鬼は修験道の祖である役小角えんのおずのが手下として使っていた鬼ではないかという事です。手下の鬼とは異様な風体の人物で猟師ではなかろうかと云われています。又、この階段の中間に魔崖仏の石造があるが、更に上に登っていくと熊野権現(神社)があるとの事です。この熊野魔崖仏と熊野神社の関係の秘密を発見したと言って山田氏をここに呼び出す可能性が考えられます。山田六郎氏に確認ねがいます。」と太郎が言った。

「いまは山田氏とはコンタクトを取りたくありません。と申しますのは、警察がマークしている事を犯人が気づけば、姿を現さなくなります。山田氏本人にも余計な不安を与えることになりますから。那智氏、本宮氏、新宮氏と犯人が事前に面識があったとすれば、それは何処かですが。剣先真理修験会ではなさそうですし、ご遺族の話や遺品からは面識があった可能性がないのですが。」と半田が言った。

「直接の面識はなくても、犯人がその筋、すなはち修験道に関する著名人であれば、殺害された3人はその犯人の名前をよく知っていたはずです。講演会などで聴講したり、文献、著作物などで見知っていたとなれば、それほど親しくはなくても、呼び出しに応じる可能性があります。」と太郎が言った。

「修験界の有名人ですね。調べてみましょう。しかし、犯人は日本の何が気に入らないのでしょうかね?大和朝廷に滅ぼされた種族の末裔ですかね?何を訴えようとしているのでしょう?『復讐するは我にあり』でしょうかね?しかし、イエメン共和国のアデンを殺害現場に選んだ意味は何でしょうね?」と半田が言った。

「アデンを殺害現場に選んだのは偶然の成り行きかも知れませんが、ある意図を提示したいと考えている可能性もあります。これに関しては、私の過去からの研究とも関連してきます。もう少し成り行きを見てから、その答えを出しましょう。今は、先入観を持ちたくありませんから。それから、四人目の山田氏を狙っているとして、なぜ、前の三人と同じ時期に殺害しなかったかですね。時期をずらす意味が何かあるのかどうか?その意図は?」と太郎が言った。

「まだ、山田氏が狙われていると決まった訳ではありませんが、推理を通して捜査活動の柱を持ちたいと考えています。その柱が山田氏殺害推理です。この仮定を基として捜査活動の的を絞らないと、目標なしで各捜査員が動く事になり、捜査が弱体化しかねません。現在のところ、これといった有力情報がないので、捜査本部としてはこの仮説に対応する決定を下しました。この捜査を通じて犯人の姿が見えてくればと考えています。」と半田警視長が言った。



熊野三山20

警視庁内、第三テレビ会議室 合同捜査会議;12月 12日(火)午前11時ころ


「以上の考えの基づき、私立探偵の大和太郎氏を期間限定で特命捜査の依頼をした。大和探偵の推理では、修験道関係の著名人と被害者3人は面識があったのではないかとの事であった。その著名人と被害者3人は別々に会っている可能性があるのではないか、との推理である。この方向での調査活動を各県警本部にお願いしたい。また、アデンでの新宮三郎氏の殺害時間ころ20歳から30歳代と思われる東洋人が目撃されている。その道のプロが目撃者であり、その目撃者曰く、その東洋人はプロの殺し屋の臭いがしたらしい。殺害犯人であるかどうかは不明であるが、ひとつの目撃証言として捜査の参考にしてください。大和探偵は東京のホテル・ザ・オリエントマリオンでの第一発見者である京都のD大学藤原教授とは知人の関係にある。京都府警の調査では、藤原教授は古代歴史の研究家であり、今回の事件の背景と考えられる神武東征伝説と修験道の歴史、及び大和朝廷関連の歴史に詳しい方である。従って、歴史顧問として警察に協力していただくことにした。担当捜査員に今回の事件の背景である神武東征やその歴史背景、修験道関係の講義をしていただく予定だ。12月15日の午前9時から京都府警のテレビ会議室からの全国警察イントラネットでの放映になる。捜査員は必ず受講しておく事。その他、捜査状況の報告や意見があれば述べてください。」と半田警視長が説明した。

「あのー。大阪府警本部の金崎ですが、聞き込みの報告をいたします。奈良市登美ヶ丘の近くの御嶽教大和本宮に修験道関係者の聞き込みに行ってきました。たまたま、九州宮崎県から来ていた信者から話しを聞きました。九州の宮崎県と鹿児島県の県境に韓国岳からくにだけがあります。この韓国岳を基盤とした新興の修験教団『神聖修験研鑚教』が宮崎県えびの市に本部持っています。2年前にできた教団ですが、教祖の過激な思想に共鳴する修験者がかなり入信しているようです。教祖の名前は『弾武典だん たけのり』と云います。宮崎県警からの報告では55歳で出身地は九州最南端の鹿児島県枕崎市です。被害者3人がこの男と面識があるかどうか、今後の捜査を地元警察にお願い致します。」と金崎刑事が言った。

「大分県警は宮崎県警と鹿児島県警に協力依頼してこの『神聖修験研鑚教』の動向を調べてください。また、警視庁、長野県警、大阪府警は被害者3人の遺品の中にこの教祖と関係する文献、書物などがあるかどうか再調査してください。」と半田警視長が言った。

「55歳の教祖・弾武典が犯人とすれば、アデンで目撃された30歳代の男はどうなりますか?」と警視庁の鈴木刑事が訊いた。

「実行犯と殺人教唆の主犯がいるのかも知れない。」と半田警視長が言った。

「青年が実行犯。教祖が主犯ですか?」と鈴木刑事が言った。

「確定ではないが、複数犯の可能性もあるとして捜査をお願いします。」と警視長が答えた。



熊野三山21

大分県臼杵市街、臼杵城跡内護国神社前;12月 14日(木)午後7時ころ


「最近、隣の山田さんの姿が見えないけれど、どうしたのかな?」と武市義春と名前を変えている北山次郎が李恵明に言った。

李恵明も青山春子と名前を変えていた。武市義春は溶接見習工として臼杵湾内の臼杵港にある臼杵東造船所に勤めている。秋山春子は交通事故で両親を亡くした交通孤児や親の家庭内暴力で社会保護された子供たちを預かる施設『青山苑せいざんえん』で保母の仕事をしていた。泊り込みや、深夜勤務などもあるため不規則な生活を送っているが、子供の成長が楽しみなので疲れは感じなく、元気に勤務していた。

「あの時の事件以来、姿が見えなくなったわね。どうしたのかしら。」と春子が言った。

「造船所でも無断欠勤しているの為、問題になっている。独身で単身住まいだから、どうしているのかわからないね。僕にも、造船所から様子を聞かれるが、答えようがなくて困ってしまうよ。確か、この場所だったね、事件があったのは。」

「そう。この護国神社の前だったわ。義春さんが夜間勤務を終えた私を青山苑まで迎えに来てくれて、満月ではなっかたけれど、久しぶりに月見をしながら臼杵城内を散歩して、マンションに帰る途中だったわね。事件以来、かれこれ3週間になるわね。夜間勤務の11月22日水曜日だったわね、確か。」

「そう。僕は次の日が木曜日で朝礼準備当番だったから、22日の水曜日だね。首をしめられている瞬間に偶々、通りあわせて、大声で叫びながら義春さんが二人に走り寄ったため、犯人はびっくりして逃げ出したわね。そして、襲われていたのが隣に住む山田さんと判って、2度びっくりしたわね。」

「あの時、警察に届けないようにお願いしたのがよくなかったのかも知れないわね。」

「うん。山田さんもなんとなく警察沙汰にはしたくない雰囲気だったね。何か、思い当たる節があったのではないだろうか。山田さんには、造船所の溶接工の仕事を紹介していただいた恩義もあるから、余計に気にかかるよ。修験道の修行で何処かの山にでもこもっているのであれば善いのだが?」

「犯人が逃げた後、地面に落ちていた札入れの中の紙切れを見て、山田さんの顔色が変わったのを覚えている?義春。」

「ああ。黒いカラスが多数描かれた、変わった絵だったね。護国神社の街灯の明かりでかすかに見えていただけだが、カラス絵の上に朱色の文字で、確か『比礼』と書かれていたよ。山田さんにとっては、何か大きな意味でもあるのかな?」と武市義春が秋山春子に言った。



熊野三山22

各警察本部、テレビ会議室 テレビ勉強会会場;12月 15日(金)午前9時ころ


「D大学の藤原大造と申します。よろしくお願い致します。私の仕事も刑事の皆さんと同じで、推理とその事実調査がほとんどです。文献を読み、その時代の動きを想像し、その証拠を探しに現場に出かけていき、事実や証拠からその時代を再推理するのが研究活動の中心です。今回の事件の背景は、刑事の皆さんにはなじみのない事柄かも知れませんが、私にとってはなんとなく見えてくるものがあります。その辺の内容を含め、歴史的背景の説明をこれからいたします。」と藤原教授が前口上を述べた。


テレビ会議装置はテレビ電話を大きくしたような機器でできている。警視庁のテレビ会議装置は10個のテレビ画面で構成されている。相手先の人物を映し出す画面が1台。相手先のパソコン映像を映し出す画面が1台。A4サイズの資料の文字などを映し出す資料提示画面が1台。同様の警視庁側の資料などを映し出すテレビが合計3台。残りの4画面は他の地域の人物映像や資料映像を映し出すためある。


捜査本部の刑事たちは藤原教授の説明に聞き入っている。


「修験道の開祖は役行者えんのぎょうじゃあるいは、役小角えんのおずのと呼ばれる人物です。役行者は634年正月に大阪府と奈良県の間にある葛城山の麓で生まれています。ムサシ(634)の時代と覚えてください。役小角は神武天皇が大和に攻め入る前にこの土地に居た加茂一族の血筋を引いています。父方が出雲地方の加茂一族、母方が葛城・大和の加茂一族です。当時、この土地を治めていた葛城一族は九州から神武天皇と一緒に大和に来た一族の子孫です。役小角は子供のころから葛城山、金剛山、生駒山に登っては山岳修行を行なっていたようです。インドで毒蛇を食べる孔雀になぞらえた『孔雀明王の呪術』を会得しています。孔雀明王の呪文を唱えると、自分に危害を加えるものから逃れることが出来たようです。この100年前の538年に仏教が中国から伝来しています。この時代は、蘇我馬子や聖徳太子が仏教を中国から取り入れ、四天王寺や法隆寺を建立しています。645年の大化の改新で蘇我一族は滅び、藤原鎌足が台頭してきます。古代の歴史である神武東征伝説の記述がある古事記(712年)や日本書記(720)が編纂されたのは70年後です。宇佐八幡と関係があるとされる仁聞菩薩が国東半島に現れたのが718年頃で熊野磨崖仏を彫ったとされている。仁聞菩薩が国東半島の修験修行『峰入り』の開祖と謂われています。役行者の日本での命日は701年とされていますが、その年、母親を連れて九州の彦山に登り、その後中国に渡ったとされています。705年には中国から日本戻って修行したとも云われています。神武天皇は紀元前660年頃に九州高千穂峡から大和に移住しています。その移動経路は五ヶ瀬川を下って、宮崎県の日向市の港から国東半島、宇佐、筑紫岡田宮、瀬戸内海の広島県安芸の宮島、岡山県吉備高嶋宮、大阪浪速の白肩の津を経て、南紀串本、紀州熊野を通り、吉野から磯城、橿原畝火に到達している。この経路について、私立探偵の大和太郎氏は違った経路を通ったと考えているようです。学問上の問題もありますので、私の説明では大和太郎氏が主張する経路は説明いたしません。熊野地方を通過する際に土着民である山臥さんがあるいは、山伏やまぶしと言われる猟師などの一族の案内で奈良大和に進攻している。この山臥さんが八咫烏やたがらすと呼ばれた一族であると思われます。熊野地方の山臥さんがは役行者が山岳修行を行なう際にも現れて妨害しようとしますが、孔雀明王の呪文や金縛りの術で逆に懲らしめられています。役行者の二人の家来(鬼)はこの山臥から変身した者と考えられます。この八咫烏が『牛王神符』に描かれている、象徴としてのカラスです。役行者が開いた修験道の『大峰奥駈け道』は1熊野本宮証誠殿、2那智大社、3熊野新宮、4吹越山、5大黒岳、6金剛多和、7・・・・10玉置山・・・27奥守岳・・・・73吉野山、74丈六山、75柳の宿、と75地点を踏破する修行道です。修験者はこの大峰奥駈けを通して十界修行を完成させる訳です。十界とは、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界(以上が人間の迷いの世界で六道と呼ばれている)、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界(以上悟りの世界)の事で、迷いの世界から悟りの世界に入る修行が修験行者の目的です。悟りを開いた場合、即身即仏といって大日如来の秘印が正先達から授けられます。『さんげ、ざんげ、六根清浄ろっこんしょうじょう』と唱えながら奥駈け道を進みます。六根とは目、耳、鼻、口、身、心の六つを云います。神武天皇が熊野上陸後、吉野を経て大和の地に向かう道筋と役行者の大峰奥駈け道がほぼ一致しています。・・・・云々。」と藤原教授が説明を行なった。

「質問があります。東京で殺された那智十郎氏は藤原鎌足の足跡を調査していたようですが、鎌足と神武東征の関係はどのようになるのでしょうか?」と警視庁の鈴木刑事が訊いた。

「那智十郎氏が亡くなっている現在、私、藤原大造の推理になりますが、次の様に考える事ができます。私は純粋に藤原の家系、すなわち中臣の家系を調査していましたが、那智氏の場合は神武東征が事実であったかどうかを検証する為に中臣の家系を追いかけていたのだと思います。神武天皇が現れるのは、712年に編纂された古事記や720年の日本書紀からです。神武以後の二代目から九代目までの天皇の記述は創作であると謂われています。十代目の崇神天皇が初代の天皇ではないかと謂う説があります。もし、この事が事実とすれば、鎌足の次男で708年に右大臣となった藤原不比等が神武東征を創作させた疑いが出てきます。中臣の祖先は卜部家であると考えられています。鹿島神宮の祭祀を司る神職が卜部家であります。しかし、どのような経緯で卜部家から中臣が分家したのかは不明です。現在のところ、祭祀のほかに政治にも関与する事になった卜部家の子孫が朝廷から中臣姓を賜ったと考えられています。また、明治時代以前は九州の豊前の宇佐神宮近くに中臣村がありました。江戸時代の地図によると現在の中津市辺りに中臣村があったようです。明治政府の牽引役である薩摩藩士、すなわち大和朝廷に壊滅させられた隼人一族の子孫が藤原家を天皇側近から外すことを企図し、中臣村を消滅させたと思われます。神武天皇は神の託宣によって東方にある青垣の地、大和を目指す事になりますが、その託宣を受ける祭祀を司るのが中臣家であります。中臣家は大和朝廷の祭祀を司る家柄であり、大和朝廷と一体で行動していたはずである。神武天皇が架空の人物とすれば、中臣家が神の託宣によって架空の神武天皇を創作したことが考えられます。中臣家自身が架空の神武天皇を創作してもなんらメリットはありません。また大和朝廷が神武を創作したとしても何のメリットもないと考えられます。しからば、何故に、神が神武東征伝説を創作する必要があったか?この問題に疑問をもって探求していた人物が那智氏であり、あるいは、那智氏殺害の犯人である、一連の連続殺人を計画した人物と云う事になります。神武天皇が実在したとしたならば、神はどういう意図で神武天皇に東方への移住を命じたのか?今回の連続殺人は神の託宣の意図を問う事件でもあると思われます。」と藤原教授が説明した。

「難しい話になってきましたね、棚橋さん。神武東征の熊野から奈良吉野への道順と修験道の奥駈けの道順が同じだなんて。」と大分県警本部でテレビを見ていた橘直人が言った。

「まあ、我々は犯人を追い詰めるだけさ。」と棚橋は泰然として言った。

「質問です。今回の連続殺人の殺害時刻が3件とも夜中の午前零時前後です。これは、犯人にとって何か意図することがあるのでしょうか?」と鈴木刑事が訊いた。

「私の推理では、ある種のねらいが有ると考えられます。新しい天皇が即位する時の儀式に『大嘗祭だいじょうさい』と云うものがあります。儀式の為に皇居内に造られる『大嘗宮』に於いて、午後六時ころから夜中の午前3時ころまで行なわれる神事です。この神事の一連の儀式のなかで、『主基殿しゅきでんの儀』と云う儀式が午前零時頃から行なわれます。その前に『悠紀殿ゆうきでんの儀』があります。悠紀というのは京都より以東以南を謂い、主基とは京都より以西以北を謂います。この儀式はお米を食べるのですが、主基殿しゅきでんの儀では大分県産のお米を食べるようです。」と藤原教授が話した。

「へえ。大分県の米なんか毎日食べているぜ、俺なんか。」と橘直人が呟いた。

「お米を食べる事が重要なのではなく、天孫降臨の時、高天原にいる天照大神が天皇の祖先である天孫『ニニギ』の命に稲穂を与えて日本国『千五百秋ちいほあき瑞穂みずほの国』を治める命を下した故事に倣い、新天皇に国が与えられる儀式とされている。殺人犯人は、午前零時頃に殺人を行なうことでこの神事に対するアンチテーゼ、すなわち、日本国は天皇の国ではない、あるいは、天皇の国であることを破壊する儀式を行なっているつもりではないでしょうか。因みに、11月の中卯なかうの日(その月の2回目の卯の日)の夜に大嘗祭は行なわれます。今年は11月22日が中卯の日になります。この儀式の後日、新天皇は天照大神が祭られている伊勢神宮にお参りに行きます。」と藤原教授が説明を続けた。

「伊勢神宮が関係するか。とすると、やはり山田姓の人間が狙われるのか?しかし、11月22日には、四人目の殺人事件は発生していないが。」と棚橋が呟いた。

「死体が発見されず、警察沙汰になっていないだけでは?」と直人が言った。

「いや、犯人は自分の意図を世間に表明したいはずだ。特に、警察にはな。過去の三つの殺人事件を見ればはっきりしている。死体は必ず発見される場所に放置するはずだ。これから事件を起こすつもりか?それとも、11月22日に実行したが、失敗したかな?失敗したとして、どの場所で実行したかだな。うーん。」と棚橋が考え込んだ。

「おい、直人、山田六郎は九州のどこに引っ越して来たんだったけ?」と、少し考えてから棚橋が言った。

「昨日の山口県警からの情報では、昨年の4月に下関市内から大分県臼杵市に引越しています。確か、住所は臼杵城跡の近くだったと思いますが。」と橘直人が答えた。

「臼杵か。あそこには臼杵の石仏群と呼ばれる大きな磨崖仏があったな。修験道と関係するのかな?」と棚橋が言った。

「それから、申し添えておきますが、天孫降臨の地は『筑紫ちくし日向ひむかの高千穂のじふるたけ』に天降ったと云われています。この『高千穂の峰』は鹿児島県と宮崎県の県境に近く、霧島火山や韓国からくに岳の近くにあります。『天孫ニニギの尊』や『彦ホホデミの尊』、『木花咲耶姫このはなのさくやひめ』を祭神とする霧島神宮も近くにあります。神武天皇が住んでいた『高千穂峡』は、『日向国風土記』と云う文献では臼杵郡うすきのこおり智鋪郷ちほのさとと呼ばれています。現在の宮崎県西臼杵郡高千穂町になります。天孫降臨地と天孫在住地が異なる為、神武天皇の存在については学者間で多様な意見があり、降臨地も鹿児島の高千穂の峰ではなく、西臼杵郡高千穂町の宮崎県と大分県の県境にある祖母山ではないかと推理する学者もいます。」と藤原教授が説明を加えた。

「なに!臼杵と韓国岳が関係するのか。」と棚橋が叫んだ。

「直人、出かけるぞ。」

「まだ、藤原教授の講義が続いていますが?」と橘直人が言った。

「勉強会はビデオ録画しているから、残りの講義は帰ってきてから見ればいいだろ。」と棚橋が言った。

「何処へ行くんですか?」

「馬鹿ャロー。臼杵市の臼杵城跡に決まっているだろうが。人命がかかっているんだ。一刻も早く、次に狙われいる人物と殺害実行現場を見つけるんだ。ついて来い。」と棚橋刑事はテレビ会議室を飛び出して行った。

「なるほど。ホテル、城跡、ホテルと事件現場が順繰りにきているから、次は城跡か。それと、山田六郎か。」とブツブツ言いながら、棚橋の後を追って、橘直人はテレビ会議室を出て行った。



 熊野三山23

警視庁、第3テレビ会議室 ;12月 15日(金)午前11時ころ


藤原教授の講演が終わった後、勉強会に来ていた大和太郎と半田警視長、鈴木刑事がテレビ会議室の片隅で捜査の話をしている。


「これが、『神聖修験研鑚教』主宰の弾武典が著した本です。出版社から貰ってきました。これと同じ本が、殺された3人の所蔵文献の中から見つかっています。この本の中で弾武典は、役行者が大和朝廷の依頼を受けて日本各地を飛び回っていたと推理しています。その目的は、藤原不比等の陰謀である架空の話、すなわち神武東征伝説を成立させるため、修験霊能の呪術を通じて、日本全国に結界を張り、大和朝廷、すなわち天孫降臨の国譲り神話を確定させる事にあったと断定しています。そして、この結界を崩し、新しい日本国を創造しなければ日本は滅ぶと言っています。そのために『神聖修験研鑚教』が新日本創造活動を始めていると述べています。かなり過激な意見ですね。修験者仲間ではこの意見に賛同している者が増加しているらしいです。役行者が大和朝廷と組んでいたと云うのは少しおかしいがね。役小角は加茂一族で大和朝廷に征服された側だからね。役行者にかこつけて、大和朝廷や藤原一族への復讐を計画している隼人一族の末裔かもしれないな、弾武典は。」と半田警視長が大和太郎に説明した。

「藤原教授から学生時代に聞いた話ですが、加茂一族はもともと出雲の出身ですが、役小角の生地である奈良の葛城山の麓や京都の上加茂神社周辺に親族を展開しています。実は、出雲は物部氏と繋がりのある土地で、この地での祭祀担当が中臣御食子みけこであったと推理する学者もいるようです。中臣御食子は藤原鎌足の父にあたるそうです。そうすると、藤原鎌足あるいは藤原不比等などの藤原氏との繋がりから、時の政権者である大和朝廷と役行者の繋がりも推理できます。役行者の隠密説も、まんざらではないかも知れませんね。ところで、殺された那智十郎氏は藤原鎌足の事蹟を調査していた訳ですよね。『神聖修験研鑚教』の活動と藤原一族、あるいは中臣一族と云った方がよいかもしれませんが、この二者がどのよう繋がるのかですね。うーむ。」と太郎が考え込んだ。

「那智氏の自宅は長野県茅野市ですが、近くに諏訪大社があります。これと関係があるのでは?」と鈴木刑事が意見を言った。

「実は、那智氏の殺人事件のあった翌々日に藤原教授が犯人として疑われた場合に備えて、チョットした調査と推理を行ないました。藤原教授も調査に同行しています。那智氏が何を調べたかったのかを推理しました。長野県の諏訪大社と茨城県の鹿島神宮近くにある鎌足神社を結ぶライン上の埼玉県ときがわ町に多武峰神社があります。この神社には、藤原鎌足の遺髪と分骨が埋められたと云われている鎌足の墓石塔があります。そして、この多武峰神社から更に西に4キロくらい行った椚平くぬぎだいらと呼ばれる地に聖徳太子を記念する石碑が建っています。また、多武峰神社の近くには萩神社があり、祭神は大山咋おおやまくい神です。この大山咋神は日枝神社(日吉神社)の神様でもあり、猿と関係のある神様です。猿は山の中を飛び回っている存在です。山臥(さんが、やまぶし)のことを天狗や猿になぞらえて比較する場合もあります。また、白ひげ神社の猿田彦神にも通じます。先ほどの藤原教授の講義でも出ていましたが、猿田彦の生地は出雲国風土記では松江近郊とされています。松江近郊は加茂一族の出身地であり、役小角の生家である加茂一族に通じます。また、蘇我氏と争った、物部一族はこの出雲地方の出身とも謂われており、中臣家は物部一族の中で、祭祀を担当した部族です。事実、神を祭る廃仏派の物部尾輿とともに中臣鎌子(鎌足と同一人物かどうかは不明)は、仏教の導入を推進する崇仏派の蘇我稲目を排撃しています。その後、中臣勝海と物部守屋は蘇我馬子に敗れ、物部一族は滅亡しています。中臣鎌足が大化の改新で蘇我一族を滅ぼして、物部一族の復讐を果たします。その後、藤原不比等の時代になって、神仏習合を推進しているのは皮肉ですがね。藤原不比等は鎌足の実子ではなく養子で渡来系の人物との説もあります。もともとは、物部一族も天孫の饒速日尊にぎはやひのみことの子孫であるから、渡来系といえなくもありません。そう考えると、加茂一族と中臣一族、すなわち藤原一族は出雲地方の同郷人と云う事になり、加茂一族の役小角と藤原一族は繋がってきます。弾武典が謂う役行者隠密説も可能性が出てきます。大和朝廷と敵対する役行者を強調しておけば、朝廷に対立する地方豪族も役行者に協力的になりますからね。あるいは、もっと別の深遠な目的があったかもしれませんがね。しかし、これは推理ではなく、単なる発想に過ぎません。事実や記録に裏打ちされたものではありません。私としては、やはり、役行者は純粋に修験修行で全国を飛び回っていたと思いますね。邪心があっては大業を果たすことはできません。この地、ときがわ町は一時期、蘇我稲目の領地であったらしいのです。この地域の山には修験者が時々修行に来るようです。役行者が修行した黒山三滝もひと山超えたところにあります。実は、北緯35度58分のほぼ同一線上に鹿島神宮、鎌足神社、多武峰神社、そして諏訪大社ではなく守屋もりや山があり、その麓に守屋神社があります。守屋山は諏訪大社の御神体とも謂われております。モリヤと云うのは、大国主に仕えていた金の弓矢(洩れ矢とも謂う;洞窟内に流れる川から流れてきた矢を拾った。その矢で暗い洞窟の壁を撃ち抜いて金色の光を取り入れた故事により金の矢とも謂う。また、水に濡れていたので濡れや、塗れ矢、洩れ矢とも謂う。)を使う人物、または一族の名前であります。大国主は建御雷神たけみかづちのかみにこの人物・一族を使う様に推薦しています。そして、この人物は出雲国風土記では佐田大神と謂い、猿田彦神と同一人神とされています。猿田彦は天孫降臨の際に道案内をした国津神であります。また、茨城県内の北緯35度58分の線上には守谷もりや市があり、小さな香取神社が祭られています。そして、韓国の北緯35度58分には白馬江あるいは錦江と謂う川の河口に当る、奈良時代には白村江はくすきえと呼ばれていた土地があります。660年の百済滅亡後の663年に大和朝廷は多くの百済人をこの白村江の港から日本に連れ帰って来ています。この百済人救出遠征を中大兄皇子(天智天皇)に要請したのが中臣鎌足であったのではないかと藤原教授は推理しています。すなわち、中臣氏は百済の出身ではないかと藤原教授は考えておられます。百済は朝鮮半島の西海岸に面していました。私は出雲地方は朝鮮半島の東海岸の方が近いので、日本海に面した新羅との関係が深いのではないかと考えています。676年の三国(新羅、高句麗、百済)統一後には、新羅からの通信使も頻繁に来日しています。朝鮮半島と出雲の地は近いですが、九州大分県の中臣村とも関係がありそうですね。それは、和気清麻呂の祖先である鐸石別いずしわけ命が関係してくる宇佐神宮につながるのかも知れませんね。この宇佐神宮の存在は神武東征を促した神託に関係するかも知れません。さらに、北緯35度45分には母岳山モアクサン金山寺キムサンサと云うお寺があります。この金山寺は599年の百済国の時代に創建されています。この寺には石塔があり、同じ形をした石塔が滋賀県東近江市石塔町(旧蒲生郡蒲生町)にある石塔寺いしどうじにあります。この近江の蒲生町は当時、日本に連れてきた百済人が住んだ村にあたります。この石塔寺は聖徳太子の開基であると謂われています。金山寺には766年ころの統一新羅国の時代には33体の鉄製の弥勒菩薩が安置されたようです。また、660年に百済は新羅と唐の連合軍に侵攻され、663年大和朝廷が百済救援の為、援軍を出すが大敗します(白村江の戦)。このときの天皇は藤原鎌足と大化改新を行なった中大兄皇子(天智天皇)である。藤原鎌足、すなわち中臣鎌足の要請で百済出兵を行なったとすれば、中臣は朝鮮半島の出身である可能性もでてきます。中臣氏の先祖は卜部うらべ氏であり、中臣に改名したのは鎌足の曽祖父の時であるから、西暦500年頃であろうと考えられます。3年前に90%滅ぼされていた百済に対し、無意味な救援行為をした理由は何か?そこまでして、百済王国にこだわる理由は親戚を日本に呼び寄せるためであった可能性があります。これが、すでに660年に滅んでいた百済王国に対し、663年に白村江に向かった朝廷の百済救援軍の意味だと推定できます。新羅・唐の連合軍との戦いが目的ではなく、百済人の救出が目的であったと考えられます。帰国して、663年に近江京に住まわせた百済人のうち男女2200人を666年には東国に移住させています。藤原教授の推理では、現在の茨城県鹿島市近郊に移住したのではないかと云う事です。だから、鎌足神社が鹿島神宮の近くにあるのではないかと藤原教授は推理されています。朝鮮半島の百済から渡来した人物と婚姻関係を結び、そこから中臣と改名したとも考える事ができます。当時の航海術は星の位置から自分の位置を判断している。中臣一族の子孫である藤原一族は北緯35度38分の夜空の星を日本でながめて、母国の話に思いを巡らしたのであろうか。那智十郎氏は、九州大分県の中臣村と百済とのつながり、そして、郷土の守屋神社とのつながりを調べていたのではないでしょうか。那智氏は神武東征の真偽を追求していた可能性があります。藤原不比等の創作話ではないかと想像していたのかもしれませんね。ところで、弾武典はこのような歴史に通じた本を著す知識がありますから、藤原鎌足の時代の前後を相当研究していると考えられます。弾武典はこの点に関する証拠が鎌足神社にあるといって、那智氏を呼び出した可能性がありますね。」

「なるほど。百済人に関係する北緯35度38分のラインを追跡していた訳ですか、那智氏は。ところで、室生犀星むろうさいせいの抒情詩に次のようなものがありますね。


『ふるさとは遠きにありて思うもの/そして悲しく謳うもの/よしや、うらぶれて異土の乞食かたいとなろうとも/帰るところあるまじや/ひとり都の夕暮れに/ふるさと思い涙ぐむ』


日本に来た百済人は北緯35度58分の星空を眺めながら、百済の地を後にした白村江を想い、望郷の念に駆られていた事でしょうか。国が敗れると云う事は『悲しい話』ですね。ところで、『神聖修験研鑚教』主宰の弾武典が真犯人と仮定して、今回の連続殺人の目的・意図は一体全体、何なのでしょかね?」と鈴木刑事がしんみりと言った。

「鈴木さんはロマンチストですね。ところで、半田警視長は日本国への挑戦と表現されていますが、何の為の挑戦なのかでしょうね?日本征服の第一歩といえば時代錯誤的ですが、一般人から看れば、宗教家と謂う人物は誇大妄想的なところが有りますから『当らずとも遠からず』でしょうかね。」と太郎が言った。

「日本征服ですか。とすると、命を賭けた戦争ですか、これは。」と鈴木刑事が言った。

「殺人の目的はこれからの捜査で判明していくでしょう。今の時点では、日本国、警察機構への挑戦と謂う処に留めておきましょう。」と半田警視長が言った。

「那智十郎は会社勤めなどの経験はないとのことでしたが、鈴木刑事はもう一度那智十郎の身辺調査をお願いします。長野県警に協力していただいて、生まれた場所から子供のころの生活環境、蕎麦屋開業の経緯、最近の行動範囲などを改めて調査してください。どこかで弾武典との接点が見つかるかも知れません。他の二人の被害者についても、それぞれの関係県警に依頼しておきます。」と半田警視長が言った。



   −後編につづく−

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ