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第9話 近所にこんなおじさんいるんだけど

 二日ぶりの異世界は相変わらず穏やかな春の陽気だった。

 ほとんど寝る間もなくフィオナの話を聞かされ続けた俺は、この世界が好きになり始めていた。


 あの謎空間で二日間に渡って創世史を聞かされる苦痛に比べれば、この穏やかな世界はなんて素晴らしいのか。


 美しい野原を見渡す。


 ひと雨降ったのだろう。

 隙間に水粒を蓄えた草花が、緑も鮮やかに日の光をキラキラとはじき返している。


「……雨降ったんだ」


 見れば濡れそぼった白い塊が地面に張り付いている。

 俺たちが近付いてきたのに気付いたのだろうか。テント代わりの翼が開き、くぼみに溜まった水が音を立てて零れ落ちる。


 中から青ざめた顔をしたサロマエルが顔を出す。二日間を耐えきったらしい。


「お帰りなさいませフィオナ様、リョータ様……」

「だ、大丈夫、サロマエル?」


「はい。体は冷え切りましたが、手の中はずっと暖かかったです」


 固く銀貨を握りしめた手が小刻みに震えている。満足げな彼女の表情に、俺は何も言えない。


「そんなに震えてたら仕事にならないでしょ。まったく、世話が焼けるなあ」


 フィオナが杖をかざすと、サロマエルの青い顔に見る間に血の気が戻ってきた。頬がばら色に染まり、彼女は大きく翼をはためかせた。

 ……ちょっと、水が飛ぶから離れてやってください。


「ああ、フィオナ様! ありがとうございます!」

「礼には及ばないわ。この二日間、何か動きは?」


 サロマエルは銀貨を素早くしまい込む。


「特にありません。オーク達は砦の付近で生活を完結させているようで、遠くに出かける気配はありません」


 見れば砦の周りでオークが何か作業をしている。


「畑仕事をしてるのかな?」

「はい、砦の周りは芋畑のようです。あれは植えたら手がかかりませんので。雑草取りでもしているのでしょう。家畜も飼っているようです」

「へえ、オークも畑とか作るのか」


 俺は興味深くオークの動きを眺める。

 雑草取りや水やりなど、見てる限りじゃやってることは人間と変わらない。


「僻地の駐屯部隊に兵糧の支給なんてありませんから。現地調達が基本ですし」

「同じ場所で略奪だけで食料を調達し続けるのは無理なのよ。蝗のように兵糧を食い尽くして場所を移るか、徴税や収穫を基にした領地経営をするかよ」


 先生が板についてきたのか。フィオナは俺に解説しつつ、指を一本立てて見せる。


「サロマエル。この付近に人里は?」

「ありません。三番崩壊以降、この一帯は無人となっています」


「じゃあ、人間の残した畑を守りつつ、別動隊がどこかに遠征をしているのかもね」

「どちらにせよ、オークどもが武装もせずに油断している今がチャンスです」


 二人の視線が俺に集まる。そうか。俺が乗り込むのか。


「えーと。でも俺、どうすればいいのか」

「じゃあ、作戦を説明するから聞いて頂戴」


 フィオナはスケッチブックを取り出した。持って来たのか、それ。


「あの砦はこの地が人の支配地だった頃、魔王軍の侵攻を防ぐために作られたの。厄介なのは空堀ね」


 ガリガリと音をたてながら描かれた絵は……多分具を乗せ過ぎのジンギスカン鍋だ。

 少なくともそれにしか見えない。


「跳ね橋を上げられたら面倒よ。まずは私とリョータで近付けるところまで近付く。たった二人、すぐには跳ね橋を上げないはず」


 自信満々に描き続けるフィオナ。スケッチブックの中では、北海道の風物詩ジンギスカンパーティが始まった。略してジンパだ。


「柵の外のオークどもが道を塞いだら、囲みを突破して一気に中に駆け込むの」


 ズバッとペンを走らせるフィオナ。ジンパの開催は屋外だったらしい。肉はカラスに奪い去られた。


 ……よし、絵のことを気にするのはそろそろ止めにしよう。


「それまでに跳ね橋を上げられたら?」

「サロマエルがいるじゃない。ねえ、飛べるんだし中に忍び込んで閉門の邪魔をして」

「私ですか?! 無理ですよ、そんなこと」


 パタパタと手と翼を振るサロマエル。


「天使ってほら。こっそり家に忍び込んで、天啓とか言って少年少女を誑かすのが仕事じゃない。そういうの得意でしょ?」

「それは否定しませんけど」


 そこは否定しとこう。こういう時は嘘でも否定しといたほうがいい。


「でも私、目立たないってだけで姿消せるわけじゃないですし、切られたりしたら普通に死んじゃうんですけど」


 難色を示すサロマエル。フィオナは横目で天使を眺めつつ、悪魔のような笑みを浮かべた。


「……サロマエル、あなた確か天界に帰りたいんだよね」


 びくりと震えるサロマエル。


「帰還について、上に口利きをしてあげてもいいんだけどなー」

「え? 本当ですか?」


 恐る恐るフィオナを見つめるサロマエル。その瞳には今まで幾度も期待を裏切られ続けてきた者だけに宿る、疑いと諦観の色がある。


「でも、ここで断るような態度だと、ちょっと躊躇しちゃうなー。私にも立場ってものがあるしぃ」


 息詰まる静寂。サロマエルはもう一度だけ、希望にすがることに決めたらしい。たとえどんなに小さな希望でも。


「よ、喜んで!」


 澄んだサロマエルの声が胸に響く。カラ元気だ。これこそがカラ元気だ。

 やばい。せめて今回の作戦を成功させないとサロマエルの心が死んじゃう。


「クリスタだっけ。弓使いの人にも手伝ってもらえるのかな」

「そうね、クリスタには援護をしてもらうわ。できるだけ血を流さず制圧する件、彼女に伝えておかないと。サロマエル、伝言をお願い」


「彼女、どこにいるんでしょう」

「んー、あっちの方、草が長いから隠れやすそうね。ちょっと見てきて」

「喜んで!」


 言われた方向にバサバサと飛んでいく。


「あ、行き過ぎ行き過ぎ。もっと右! もうちょい、手前!」


 フィオナは手ぶり身振りで指示をする。


「そう、そっちの草むらよ!」

「フィオナ、杖を彼女に向けると」

「あ」


 射られたサロマエルがキリモミしながら落ちていく。


 しばし呆然とそれを見つめる俺達だったが、フィオナが頭をこつんとやりながら振り向いた。


「失敗失敗。てへっ」


 ……ひどい。あまりにひどすぎる。異世界、辛い。




 ――俺はフィオナと並び、斜面をゆるゆると下りながら砦に近付いていく。

 畑にいたオークの何匹かが俺達に気付いたらしい。


 砦に知らせに行く者あり、手近な鍬や天秤棒を手にこちらに近付いてくる者もいる。


「ねえ、なんか結構怖いんだけど」

「このくらい、リョータの近所にいるんでしょ?」

「近所のおじさんが棒持って歩いてきたら怖いじゃん」


 近付いてくるにつれ、オークの姿が段々はっきり見えてくる。

 くすんだ緑色の肌に肉付きのいい体。よく見るとかなり筋肉質だ。背も俺より頭一つ分は高い。このおじさん達、思ったより怖いぞ。


「フィオナ、ほんとに大丈夫なのかな」

「大丈夫かどうかはリョータ次第でしょ」


 それもそうだが。

 手に汗がにじむ。畑の近くまでくると土の香りが鼻をくすぐった。


 すれ違いざま目をやると畑には意外ときちんと手が入れられている。芋の他、キャベツに似た葉野菜の姿も見える。


「まあ、剣を握れば戦い方も何もかも自然に伝わってくるわ。それがあなたの苦手な中古ってやつの――」


「フィオナ! 畑に入らない! めっ!」

「何よいきなり!」


 畑を突っ切ろうとしたフィオナを引っ張り出す。なんて世話が焼けるんだ。

 ああもう、杖で俺の脛をコツコツ叩かないでくれ。


 砦に近付くにつれ退路も塞がれ、次第にオークの包囲が狭まってくる。まだ、跳ね橋は上がっていない。事前に言い含められたように剣にはまだ手を触れない。


「跳ね橋は意外と早く閉まるわ。少しでも動いたら、突入して」

「分かった」


 畑を抜けた頃、ついに行く手を阻まれた。オークは口々に何かをわめいているが、良く聞くと訛りはあるが言葉は俺らと同じのようだ。武器を捨てろ、と言っているようだ。


「ねえ、フィオナ。どうする?」

「とりあえず手を上げて時間を稼いで」


 フィオナは杖を捨てると両手を上げてオークに近付いていく。

 俺もその後を付いていくが、気が付くとオークが左右から挟みこんできて剣に手を伸ばしてきた。


「ねえ、フィオナ!」


 ついにフィオナが俺の背中を強く叩く。


「跳ね橋に向かって全速力!」

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