第8話 異世界は悲しいことでいっぱいだ
「――我々のパーティーにはもう一人、仲間がいたの」
フィオナが重々しく話し出す。
「過去形ってことは、その仲間は?」
「一年前、サクラの裏切りによって敗走した私達は、敵の追撃を受けたの。多勢に無勢、パーティーは散り散りになったわ」
悲し気に頭を振るフィオナ。
「その時、敵に捕らわれたのが黒魔導士のシノノ。明るく可愛らしい娘だったわ」
本当に深刻な話だった。しかも捕まったのは一年前。普通に考えれば。
「まさかここにその時の部隊が居るとは。運命を感じるわね」
フィオナは杖をかざし、しばらく目を瞑った。
「……感じるわ。彼女は、シノノは生きてあの砦にいる!」
「ええっ!」
サロマエルが大きく翼を羽ばたかせた。埃が舞うから無暗に翼を広げないでくれないか。
「サロマエル、他に何か情報はあって?」
「はい。この地域にいた飛竜小隊やトロル重装兵はすでに転進しているので、砦に居るのはオークの守兵だけかと」
「オークごとき、物の数ではないわね」
フフンと余裕の笑みを浮かべるフィオナ。
そうなんだ。フィオナ、実は結構頼りになるんだな。
「リョータ、あなたの初陣としては丁度良いわ。なで斬りにしてやりなさい」
え、俺? 何言ってんだこの人。
「いや斬るとか無理無理。オークとか遠目に見た分には、ちょっと変わった人間じゃないか。近所にあんな感じのおじさん居たし」
「居たの? リョータあんたどこ住んでたのよ」
「それに切ったら血とか出ちゃうしさ。俺、そういうの駄目なんだ」
「大丈夫よ、オークの血は緑色だし。一見、飲んだら身体に良さそうじゃん」
うわ、なんてこと言うんだ。もう青汁とか飲めなくなった。
「ねえ、殺さずに峰打ちとか、何とかならないかな」
「何を甘いこと」
小馬鹿にしたような態度のフィオナだが、何か思い付いたらしい。砦を眺めながら大きく頷く。
「分かったわ。あなたの言う通り、血を流さずにシノノを助け出そう」
「ホント? 良かった」
「ただし、やるのはリョータだよ」
「へ?」
「リョータが峰打ちでもなんでも、敵陣を突っ切ればいいだけよ」
「無理だって。殺されちゃうよ」
「自分の力を信じなさい。勇者の力をもってすれば、オークの陣の突破などハムスターの群れの中を走り抜けるがごとくよ」
それ、滅茶苦茶気を使いそう。基本は摺り足だな。
「じゃあ、作戦をたてましょう。まずは――」
ピピピピピ。
異世界に似つかわしくない電子音が鳴り出した。フィオナは腕輪をチラ見して、
「あ、でもそろそろ時間なんで帰ろっか」
軽く言う。
もう4時間経ったんだ。んー、でも。仲間が囚われているんじゃないのか。
「えっと、仲間は助けなくていいのか?」
「だってもう時間だし。一年も経ってるんだから、一日や二日遅れても問題ないわよ。シノノは強い娘よ」
マジですか。つまり、俺が囚われの身になってもそんな扱いってことか。
「次の転生は明後日かな。サロマエル、それまで敵に動きがないか見張ってて」
「え。ここで、ですか」
「当り前でしょ。はい、当面のごはん代」
銀貨を数枚、サロマエルの手に乗せる。なんというか、ここじゃ食べ物買えないと思う。
流石に彼女も引いているかと思いきや、銀貨の輝きに呆然と目を落とすサロマエル。
「すごい……。これでしばらくパンが食べられる。寒い日は温かいご飯だって夢じゃ」
……随分苦労しているみたいだ。
とはいえ、2泊の野宿を余儀なくされるサロマエルを想像するとなんだか胸が痛くなる。
「じゃあ、サロマエル。後は頼んだわよ」
「えーと、フィオナ。もう少し残って仲間を助けてもいいんじゃないかな」
「えー、でもリョータが4時間転生でって言ったんじゃないの」
「時と場合と言うか。まあ、意外と転生も悪くないかって言うか、もうちょっと頑張ってみようかなーって」
なんでこんな心にも無いことを。いやしかし、囚われの女の子がいるのに黙って帰るわけにもいかない気が。
「なんだ、分かってくれたんだ。ね、一回やっちゃえば意外となんでもないんだって」
フィオナはへらへら笑いながら、サロマエルに手を差し出した。
「じゃあ、サロマエル。さっきのお金、返して頂戴」
「え!」
サロマエルの顔に浮かんだ絶望の色。無駄とは分かりつつも、銀貨を握りしめた両手を服の下に隠す。
「これ、返すんですか?」
「さ、早くなさい。それもう、いらないでしょ」
天使の大きな瞳に涙が溜まる。こぼれ落ちそうになる寸前、俺は二人の間に割って入った。
「ごめん、俺が悪かった! やっぱりいったん帰ろう。うん、もう疲れたし」
「はい? リョータ、さっきはこのまま続けるって」
「ごめん、ホントごめん! ほら、戻ってこの世界のことをフィオナに教えてもらわないと。何しろフィオナは俺の先生だからね。ね、先生!」
「ったく、いい加減にしてよね。ころころころころ、言うこと変えて」
ああ、なんで俺がこんなに気を使わないといけないんだ。
「あ、でもこの先は自主研修扱いになるから、時間はカウントされないよ」
「それでいいから。気が変わらない内にさあ行こう!」
サロマエルは銀貨を握りしめながら戸惑い気味にしていたが、去り際、俺と目が合うと涙目で微笑んできた。
ああもう、嬉しいよりも辛い。
異世界は悲しいことでいっぱいだ。
――戻るのは一瞬だった。4時間ぶりの謎空間は俺を優しく受け入れてくれた。
白いぼんやりとした地面に身を投げ出すと、今までの全てが夢だった気がしてくる。
人見知りのエルフとか、パワハラを受けている天使なんて本当はいなかったのではないだろうか。
「リョータ、さっそくこの世界の話の続きだよ。それでねー」
「あ、はい」
研修と称したフィオナの地球史は、カンブリア生物爆発から再開。
多分だが、これが済んでからでないと異世界シャクティアの話は始まらないのだろう。
俺は大きく深呼吸をすると、覚悟を決めてフィオナの話を聞き始めた。