第7話 地面の溝の中とかをズルズルと……こう……なんか身体を細くするイメージで
ジャジャーンとか言いながらフィオナが取り出したのは小さな紙切れだ。
カードには『勇者 妻夫木涼太』の名前と、住所と電話番号、メールアドレスが。
「これ、名刺?」
「まずは魔王軍と名刺を百枚交換してくるのです!」
この女神、また変なこと言いだしたぞ。
「魔王軍って名刺持っていないんじゃ」
もっともな俺の言い分に、フィオナはやっぱりね、みたいな上から目線を浴びせてきた。
「そうやって逃げる理由ばかり探しているのは負け犬の証拠だよ。では名刺を売り込むビジネスチャンスだ、くらいのことが言えないのかなー」
まずいぞ、なんか偏った知識ばっかり学んできている。
しかもなんかちょっとムカつくし。
「分かった、フィオナ。とりあえず頑張るよ。ただ、俺達の間にはルールが必要だと思うんだ」
「ルール?」
「まずは人の名前で勝手に物を作らないようにしよう」
ステップ1だ。簡単なルールから次第に彼女の行動を正していこう。
「そのルールに、もう注文済みの物は入らないんだよね?」
「うん、キャンセルできるのならしてくれないかな」
あからさまに残念そうな顔をするフィオナ。一体、何を注文したんだ。
「もう一つは、ネットで注文するときには事前に相談をして欲しい」
それを聞いたフィオナは、ドン引いた顔で俺を見やる。
「えっと、そこまであからさまに私のプライベートに興味を向けられると、ちょっと」
「よーし、はっきりさせておこう。君自体に興味はないよ。俺の名誉のためにも宣言しておく」
いい加減フィオナをほったらかして一人で行こうかと思った矢先、甲高い声が空気を切り裂いた。
「フィオナ様ーっ!」
声は上空から聞こえてくる。
見上げると、白い羽を生やした影がこちらに向かって飛んでくる。
近付くにつれて、若い女性の姿だと分かる。
「彼女、君の名前を呼んでるけど」
フィオナは錫杖を振り上げると、まっすぐ羽娘を指し示した。
間髪入れず、どこからともなく飛んできた一条の矢がまっすぐ羽娘を射落とした。
「ええっ!」
あんまりのことに、さすがの俺も動揺する。
「ああ良かった。クリスタ、ちゃんといたね」
「今落ちたの、フィオナの知り合いっぽくなかった!?」
「私、あんな翼を生やした知り合いなんか――」
何かに思い当たったらしい。
「あ」と呟いたフィオナの頬を汗がつたう。
「ねえフィオナ、ひょっとして」
「あの、この世界久しぶりで、ちょっと思い出せなくて。あはは」
いやいやいや、だからって色々おかしい。
俺はフィオナを無理矢理引っ張り、撃墜された羽娘に駆け寄った。
「あー、やっぱサロマエルだった!」
「やっぱ知り合いじゃないか! 滅茶苦茶矢が刺さってるって!」
なんかやばいぞ。ビクビク痙攣してるし。
「まったく、世話が焼けるなあ」
フィオナは無造作に矢を引き抜くと杖を傷口にかざす。
――――――治癒
青白い光が羽娘を覆い、消えた頃にはすっかり傷口が塞がっていた。
凄い。初めてフィオナを見直した。というかそもそも彼女のせいだけど。
「サロマエル、久しぶり!」
「う、うう……」
呻きながら起き上がったサロマエルはフィオナの姿に気付くと、飛びつくように縋り付いた。
「フィオナ様! ついに天界への帰還命令ですか? 喜んでーっ! 私頑張ります!」
「え、特にそんな話は出てないわよ」
すげなく振り払われたサロマエルは力なく地面にへたり込んだ。
「リョータ、いい機会なので紹介しておくわ」
紹介してくれるのは良いのだけど。
このやりきれない雰囲気の中ではなくて、もうちょっと他のタイミングにしてくれないだろうか。
「彼女は私の補佐をしてくれる天使のサロマエル。あなたも気軽に使ってやって」
「はい、喜んで……」
サロマエルのうつろな瞳に映る俺は涙で歪んでいる。
長い金髪がメリハリのある体に巻き付き、なんというか煽情よりも哀れを誘う姿だ。
「よろしく、サロマエル。俺は妻夫木涼太」
女神と天使ってあまり一緒に居ない印象だけど、天界もグローバリゼーションが進んでいるのだろう。野暮は言いっこなしだ。
「ひょっとして、リョータは新しい勇者様ですか?」
「ああ、そうみたい」
彼女の顔に浮かんだのは憐憫の表情だ。
今の俺は彼女に哀れまれる状況なのか。戦慄せざるを得ない。
「ちょうどいい。サロマエル、あなたも来て。近くの魔王軍の砦に飛び込み営業を掛けるから」
「エイギョウ?」
……やっぱり営業なんだ。
サロマエルは不思議そうに首を傾げる。
「ええ、勇者様の初陣よ。頑張って、あなたの活躍はしっかり上に伝えたげる」
「はいっ! 喜んでっ!」
バサッと翼を広げると、サロマエルは頭上に舞い上がる。
あー、なんか埃っぽいからあまり近くではばたかないで欲しい。
少し鳥臭いし。
「この先、カリギュラ伯領の境界に魔王軍の砦があったはず。案内をお願い」
「分かりました。では私に付いてきてください!」
サロマエルの後をついて歩き出す。
そうか、歩きか。
確かに俺は馬には乗れないし。偉くなったら竜に乗って移動したりするのだろうか。
……そういや、神の世界って乗り物とかあるんだろうか。
「ねえ、フィオナ。神様って自分の世界でどうやって移動するんだい?」
「神界での移動? そりゃ瞬間移動――」
そうなんだ。流石腐っても神様だな。
「――と、見せかけて、そうじゃないのよ」
「え?」
「地面の溝の中とかをズルズルと……こう……なんか身体を細くするイメージで」
ゴキブリか。
「あとほら。距離が長い場合は、もやっとした何かに運んでもらったり」
あ、それはなんか神様っぽい。
「もやっとしたのって、筋斗雲的な?」
「んー、ちょっと違って」
考え込むフィオナ。
「……ほんとになんなんだろあれ。うわ、思い出したらなんか怖い。ほんのり暖かかったりするし」
神の世界、ますます分からなくなってきた。
「まあ、基本徒歩ね」
夢も希望もない結論に落ち着いた。
「勇者様、これどうぞ」
喉の渇きを感じ始めたころ、サロマエルが水の入った皮水筒を手渡してくる。
お礼を言って受け取った水筒は意外としっかりした手触りだ。
水を一口含む。油臭くて不味い。
「ありがとう。サロマエル、君は飲まないのかい?」
「私はさっき頂きました。美味しかったでしょ。タロンガの滝から汲んできた水ですよ」
そうかー。俺、回し飲みも苦手なんだ。この世界には馴染めそうもないなあ。
サロマエルが近付いてくると埃が舞うし。
たっぶり2時間ほども歩いた頃だろうか。
サロマエルが次第に高度を落とし、ついにはゆっくりと地面に降り立った。
「砦はこの坂を超えたあたりです。できるだけ身を低くして、ゆっくり動いてください」
俺は隣を歩くサロマエルの姿に釘付けになる。
……わさわさ動く人間サイズの翼って意外とグロい。気持ち悪いものについ目が行ってしまうあれだ。
砦が見渡せるところまで出た。俺達は岩陰に隠れて様子を見る。
魔王軍の砦と聞いてオドロオドロしい石の城砦を想像していたが、そこにあったのは木の柵を張り巡らせた集落だ。
柵の周りは空堀で、丸太を束ねた跳ね上げ橋が外部との唯一の出入り口だ。
中では緑色の肌をした人型の生物がせわしなく行き来している。
見えるだけでも数十はいるぞ。
あれに乗り込むとか、ちょっと勘弁して欲しい。
なんとか説得出来ないかとフィオナに目をやると、いつになく真剣な表情だ。
「サロマエル。もしかして、あの旗は」
「はい、あの部隊旗は一年前の戦いで目にしました。同じもので間違いありません」
何か深刻そうな会話が始まったぞ。ソワソワしている俺に気付いたか、フィオナが話し出した。
「私達のパーティーにはもう一人、仲間がいたの――」