第5話 今流行りの白い粉
「おはよー、リョータ。起きて起きてー」
バタバタと飛び込んできた女神様の気配に目を覚ます。
女神様はなんかテンション高めに俺の肩をグイグイ揺らす。
「あー、おはようございます」
「しゃっきりしなさいよ。これ見て、これ」
伸びをしながら身体を起こすと、目をキラキラ輝かせた女神様の顔がすぐそこに迫っている。相変わらず距離が近い。
「ねえ、あんたの世界でこれが流行ってるんでしょ」
「はあ……これが、ですか?」
なんだこれ。俺は寝起きの目を凝らす。
女神様が差し出しているのはビニールに入った白い粉。
……そしてストロー。
いっぺんに目が覚めた。
「えっ、あの。映画とかで見たことありますけど」
「でしょ。さあ、早くやろうよ。どーすんの、これ?」
怯える俺を尻目に、女神様なんでそんなにノリノリなんだ。
「いやいや、マズくないですか。仮にも神様ともあろうものが」
「マズいってなんで?」
そりゃ、こういうのって法律で禁止され――
……あれ。こいつ女神だし。ここ、日本でもないし。
「まあ、女神様ならいいっちゃいいかもしれませんね」
「で、どうすんのよ。ストローを袋に刺せばいいの?」
答えを待たずに刺そうとする女神様からストローを取り上げる。
「落ち着いてください。まずは粉を置く平らなお皿かテーブルを」
「えーと、じゃあこれでどうかな」
女神様は革綴じの分厚い本を地面に置いた。
「あー、これなら。……あれ?」
これ、こないだ転生の契約に使おうとしてた奴じゃないのか。
「いいんですか、これ」
「あれ、これじゃダメかな?」
「いいんならいいんです」
「うんうん、それでそれで」
えーと、映画では確か。
俺は袋の角を破くと、白い粉を本の表紙に細長く振り出した。
「で、それでそれで」
「で、ストローを鼻に入れて粉をいい具合に吸うんです」
俺はストローを差し出す。
女神様は受け取ったストローを鼻に刺したところで――
「……え」
流石に動きを止めた。
「ねえ、私をからかってないでしょうね」
「映画だと確かこれで良かったはずです。ハリウッドだし」
「ハリウッド?! へーえ、セレブもやってるんだ、こんなこと」
むしろセレブの嗜みだ。
女神様は鼻ストローを白い粉に近付けると、大きく息を吸い――
「げほっ、げほっ! げほげほっ!」
むせた。
予想通りだ。分かりやす過ぎる。
「だ、大丈夫ですか? 慣れるまではゆっくりと」
「ぜはーっ、ぜはーっ!」
うずくまった女神様は涙目で俺を見上げる。
「ちょ……あんたら何が楽しくてこんなことやってるのよ」
「いやほら、普通の人はやんないですから。俺だって初めて見ましたよ」
俺の言葉に女神様は大きな目をぱちくりさせる。
「え? あんたらの世界じゃタピるってのが流行ってるんでしょ?」
「え、これ……タピオカ……?」
袋をよく見ると、隅に小さく「タピオカ粉100g」と書かれたシールが。
「これ、タピオカと違うの?」
「違わないけど、違うというか」
「どっちよ」
「つまりですね。そもそもこれはキャッサバって芋の粉で、水を入れてこねたりカラメルで味付けしてから茹でて食べるんですよ。それで、普通はミルクティーとかに入れて――」
「説明が長いっ!」
切れる女神様。理不尽だ。
俺はため息交じりに言い直す。
「これ。タピオカの材料。水入れる。こねる。茹でたらタピオカ!」
「なるほど! じゃあ鍋と水があれば――」
ぐるりと白い謎空間を見渡す女神様。
「ないわね。ちょっと、あんたどうにかしなさいよ」
「ちょっとここじゃ……おうちで作ったらどうですか? レシピもネットにありますし」
「えー、でも難しいんじゃないかな」
「大丈夫ですって。ほら、女神様って料理とか上手そうだし。女子力高い、っていうか」
さっさと帰って欲しくて言った俺の軽口に、女神様は満更でもなさそうに頬を緩める。
「えー、私ほら。できる女だから自分で料理とか作んないし。新しい時代の女子? っていうか」
女神様、誉め言葉には弱いらしい。ちょろい。ちょろみ様だ。
しばらくご機嫌にグネグネとポーズをとっていたが、ふと何かを思い出したように俺を見詰めてくる。
「なんですか?」
「……うち、来る?」
「はいっ!?」
「だって、リョータの世界の食べ物じゃない。作れるんでしょ?」
まあ、ネットでレシピ見たらいけるだろうけど。
えー、でも初めて入る女性の部屋が女神の部屋って。
「でもほら、神の世界とか、俺が出歩いても大丈夫なんですか? 秘密を見て消されたりとか勘弁ですよ」
「大丈夫よ。あなたの目から見ると、神の世界は次元が高すぎるからね。大体モザイクかかって見えるから」
え、何それエロイ。神の世界ってモザイクまみれなのか。
「ついでに私から見たら、あんたこそモザイクかかって見えるから」
「……俺、神的には卑猥なんですか?」
なんなんだ。神の世界、基本はモザイクか。
「アンテナレベルが低すぎてブロックノイズがでるみたいな感じよ。人間って存在自体が次元低いし」
人間、ディスられてる。
「じゃあ、早速行こうか」
女神様は裾をパタパタ払いながら立ち上がる。
「……え。俺、行きませんよ?」
俺の言葉に女神様は形容し難い微妙な表情をする。
「どうして。あんたどうせ暇でしょ」
「ほら、何度も言ってるじゃないですか。俺、この空間で吸って吐くだけの生活を続けるんです」
女神様に振り回され気味だったが、初心を思い出したぞ。
俺はここでぐうたら過ごすのだ。
「それに俺まだ17才だし。モザイクまみれとかコンプライアンス的にどうかと思います」
「えー、じゃあうちにあるモザイク除去機あげるって」
「――え、くれるの?」
思わぬ単語に俄然興味がわいてくる。
「なんでそんなもの持ってるんですか」
「だってほら。消えるっていうんだから仕方ないじゃない!」
なんか半ギレの女神様。
まあ、消えるっていうからには仕方ない。
――だがしかし。問題はそこじゃない。
「……で、消えるんですか?」
「消えないわよ! 全く、女神をだますなんて! Made in Japanって言ってたのに、福建省から発送される時点で怪しいと思ってたのよ!」
――そうか。消えないのか。
何だろうこの喪失感。サンタがいないと知った小1の冬を思い出す。
「そもそもなんのモザイク消そうっていうんですか」
「……え?」
女神様はなんだか自分の身体に手を回し、咎めるように俺を睨む。
「これってセクハラ? #MeToo案件?」
いやいや、言い出したの女神様だぞ。
「とにかく俺はここでゴロゴロして過ごしますから。放っておいてください」
俺はゴロリと寝転がる。
相変わらず素敵な寝心地だ。
座り心地が良すぎて死ぬまで座り続ける椅子の話を聞いたことがあるが、今の俺なら間違いなく白いほわほわを選ぶぞ。
早くも眠りの縁に意識が落ちかかる。
「……そうならこっちにも考えがあるかんね」
意識が落ちる間際、ぽつりと呟く女神様の声がかすかに聞こえた――