第39話 だってフィオナだし
落ちながら、俺とサロマエルの目が合う。
その瞬間、言葉は無くとも全てが通じ合った。
問題はひとつ――どちらが下になって落ちるか、だ。
……この高さから落ちれば無事では済みまい。しかも敵陣深くでの怪我は、そのまま死に繋がる。
迫る地面を視界の端に捉えながら、天使との命がけの勝負が始まった。
……合理的に考えれば戦闘要員の自分が上になるべきだ。
あくまでも全員が生き残るための判断であり、決して我が身可愛さではない。
俺は空中で身体を入れ替えサロマエルを下に――したかと思った途端、簡単に体勢を入れ替えられた。
「!」
にやり。ほくそ笑むサロマエルの顔が見える。
まずい、向こうは空中戦の専門家だ。
こうなったら、サロマエルにはしばらく眠ってもらって――
――この間、わずか数瞬。
赤い影がよぎったかと思うと、俺は何かに掴まれ力任せに引っ張られた。
「涼太、久しぶり!」
「サクラ!」
サクラは強引に俺を抱き寄せると、跨る赤竜に向かって何かを叫ぶ。
赤竜は空を揺るがすような雄叫びで応えると、力強く舞い上がる。
……俺、竜の背中に乗ってるのか。
気付くと想像よりも遥か上空。不帰本陣の黒い靄の塊が眼下に見える。
「涼太もサロちゃんもしっかり掴まってて! 一気に行くよ!」
「え、ちょ――」
フワリと身体の浮く感触。
赤竜が一気に降下する。
前方の空気がチリチリと音を立てる。
「目を閉じて!」
サクラの叫びとどちらが早いか。
パッと視界が白く染まると、滝のような轟音が耳に流れ込む。
竜の息が不帰の本陣を焼き払う。
数秒に渡り吐き出された竜の炎は聳え立つ黒い靄を大きく削り取った。
二度目の強襲で黒い靄の大半を消し飛ばすと、赤竜は満足気に喉を鳴らす。
……凄い、これはもう勝負ついたんじゃないだろうか。
地面を覆う白い煙を見下ろしていると、奥に蠢く黒い影がいくつも見える。
と、煙を突き破り一体の黒い巨竜がこちらに向かってくる。
それを見た赤竜は興奮に鱗を波立たせると、矢のように黒竜に襲い掛かる。
「よし、あいつは彼に任せよう。涼太、私にちゃんと掴まって!」
「え? うわっ!」
サクラは言うなり俺の腰に手を回し、赤竜の背から飛び降りた。
これ、助けられる前より酷いことになってないか?!
俺は思わず目をつぶり、サクラにしがみつく。
「――――浮遊」
サクラの落ち着いた声に包まれ、俺は地面に降り立った。
……数分ぶりの地面がこんなに愛おしいとは。
「あ、ありがと……」
「お礼はまだ早いんじゃないかな」
サクラは唇を湿らせながら腰の刀をすらりと抜いた。
続いて俺も剣の鞘を払う。
――目の前に並ぶ敵は今までと雰囲気が違う。
一体の魔物が唸り声を上げながら俺達に飛び掛かってくる。
巨大な三ツ首の犬の姿。これは――
「ケルベロスか。冥界からエラいのを連れてきたね」
サクラは滑るような足取りで踏み込むと、すれ違いざまケルベロスの首を一つ切り落とす。
流れるような一連の動きに、つい目を奪われる。
「後は任せた!」
「え? 俺、どっちかというと犬派なんだけど」
お手並み拝見ということか。気は進まないが仕方ない。
勢いのまま突っ込んでくるケルベロスを斬ろうとした瞬間だ。
ケルベロスの皮膚を突き破り、無数の木の枝が捩じれながら吹き上がった。
「うわっ!」
唖然とする俺の目の前で、ケルベロスは絡み合った木の塊へと変わっていく。
……既視感があり過ぎるこの魔法。
音も無く、シノノが俺の背後から姿を現す。
「リョータさんに危害を加えようなんて。……小汚い駄犬の分際で」
「あ、シノノ……」
シノノが杖を一振りすると、木の塊が燃え上がる。
……シノノ、きっと猫派なんだな。うん。
「リョータさん、お怪我はありませんか?」
「シノちゃん! 腕を上げたね!」
寄ってくる敵を切り捨てながら、サクラが笑顔を見せる。
「……サクラ」
感激の再開と思いきや、シノノがサクラに杖を向ける。
「ちょっ!? シノ――」
止める間も無く雷撃の呪文がサクラの周囲に吹き荒れた。
……死霊達が消し飛んだ真ん中で、サクラが唖然と立ち尽くす。
「サクラ、怪我はない?」
「シノちゃん……? あ、ありがと……」
「それはそうと。さっきリョータさんと抱き合ってなかった……?」
ゆらり。
シノノがブツブツと呟きながらサクラに近付こうとする。
「ちょっと待ってよ! あれは空中から飛び降りるために仕方なくだって」
「……分かってるけど。ちょっと言いたくなったの」
シノノはジトリと俺達を睨みつけてから、背中にぴたりと張り付いてきた。
……おっと。サクラの俺を見る目がちょっと引いているぞ。
「……ねえ、涼太。あなたシノノとなんかあったの?」
「驚くほど何もないけど。最初から大体こんな感じだよ?」
俺とサクラの間に今度は赤いローブの女が割り込んでくる。
「……サクラ様。人間の男なんかと慣れあうのは感心しませんね」
俺を冷たく睨むのはサクラの側近、ダークエルフのニルギリだ。
……まったくもう、どいつもこいつも。もうちょい真面目にやってくれないか。
「そんなことより敵のボスは――――」
言いかけた俺の言葉は途中で掻き消えた。
今までとは比べ物にならない圧力が俺に襲い掛かる。
「――――!」
皆、一斉に身構える。
……霧がかった空気の中。いつの間にか、僧衣を纏った揺らめく影が並んでいる。
圧力の元はその後ろだ。
冠を被った魔導士が蠢く黒い瘴気を身にまとい、空っぽの眼窩から、鈍い光でこちらを眺めている。
膨れ上がる邪悪な気配が俺の肌を粟立たせる。
サクラが俺の隣に並ぶ。
刀を中段に構えると、敵から目を離さぬまま俺に呟く。
「一番奥のが不帰の総督、無窮卿――――不死の王だよ」
……なるほど。不死の王ならラスボスとして不足はない。
前に出ようとするシノノを手で制する。
「シノノ。君は下がってサポートを」
「ニルギリもサポート頼む。ザドヴィスも後詰を――」
今までどこにいたのか、魔族の男がサクラの隣に並んだ。
「私もお連れ下さい。サクラ様の盾となりましょう」
「――言っても聞かぬだろうな」
「良くご存じで」
強気なサクラの言葉の中に、今までには無い緊張を感じ取る。
これまで思いもしなかった恐怖が胸をよぎる。
……勝てるのか?
サクラはさり気に俺に身を寄せると不安そうに呟いた。
「涼太――フィオナは?」
「さあ……。どこで何をしてるやら」
いやホント。あいつどこで何やってんだ。
「ちょっと……。来るんでしょうね」
「だって相手はフィオナだよ? あんまり真面目に考えると鬼が笑うよ」
俺の軽口に、サクラは思わず吹き出した。
「確かに――相手はフィオナだしね」
「ああ。フィオナだからね」
僧衣の霊達が呪いの経文を唱えだした。
重ねるようにシノノとニルギリが呪文の詠唱を始める。
「サクラ、行くよ!」
「涼太こそ遅れるな!」
俺はサクラと視線を交わし、敵に向かって駆けだした――




