第36話 長い時間を二人で過ごしても何も分かり合えた気がしない
エアコン、羊毛布団にウォシュレット、平日のスーパー銭湯――――
そういや冷蔵庫に入れてたハーゲンダッツ、もったいぶらずに食べとけばよかった……
俺は転生前の世界を思いつつ、溜息をついた。
「久しぶりにコンビニのおにぎり食べたいな……」
丘から吹き上げる風を頬に感じながら、遠く視界に広がる光景を眺める。
港町アリステルの北側。
街を背にして、サクラ率いる第二方面軍騒乱の本隊が布陣をしている。
ふと思い出し、遠眼鏡を取り出して覗き込んだ。
サロマエルにもらったのだが、どこから持ってきたのかあえて聞いてはいない。
「……俺も共犯者だな」
水晶板の向こう側、サクラの軍の陣営が良く見える。
前衛にはパッと見で数千にも及ぶオーク、ゴブリン、オーガが並び、すぐ後ろには人間の弓兵達。
オーク達の合間に、目隠しをされ鎖で繋がれたトロルが等間隔に控えている。
更に視線を移すと、その後方にはグソクムシに似た大きな生き物が連結貨車を曳いている。
戦闘が始まれば、中の何かを開放するのだろう。
空には背中に御者を載せた飛竜や弓兵を乗せたグリフォンが飛び交い、中々のオールスターぶりである。
そして何より目を惹くのは最後尾。杖を手にした魔術師らしき一団だ。
赤装束の小柄な人影を中心にせわしなく動き回っている。
サクラの隣に居た、ニルギリとかいうダークエルフだろうか。
これって倍率替えられたっけ。
覗きながら遠眼鏡の飾りをいじっていると、赤装束の人影はフードを払い俺の方に顔を向ける。
「……俺が見えてる?」
いや、まさか。
と、遠眼鏡の飾りがぐるりと回り、ダークエルフの顔が大きく映し出される。
ニルギリは茶褐色の顔に皮肉っぽい笑みを浮かべると、からかうように目元を手で隠して見せる。
「……見えてるな、これ」
気恥ずかしくなって遠眼鏡を下ろすと、今度は騒乱軍と対峙する相手側に目を向ける。
こっちは遠眼鏡の必要はない。
街を飲み込むほどの巨大な黒い瘴気の靄。
不吉にゆっくりと蠢きながら、静かにサクラの軍勢と向かい合っている。
時折、翼の生えた灰色の影が靄から現れ、サクラの陣営に近付いては引き返す。
まだ昼過ぎだというのに空は不自然に薄暗い。
――――
――――――フィオナと別れてから一か月が過ぎていた。
その間、4つの集落の避難に立ち会い、会敵は7回。
過ぎた今となっては徒然な二人旅にも思えてくる。
不帰の本隊が上げる黒い瘴気が少しずつ移動しているのを、日課のように空の遥か遠くに眺めていたことばかり覚えている。
近付く不可避な天変地異を待ち受けるかのような、不思議と達観した気持ちで。
……目の前に広がる大戦の前では、自分の存在なんて小さなものだ。
そんなことを思いながら遠眼鏡をしまうと、大きく羽ばたきながらサロマエルが目の前に降り立った。
「リョータ様、街の中にはまだ沢山人が居ます」
「じゃあ敵は一匹も通せないね」
俺達が居るのは港町アリステルを見下ろせる北東の小高い丘。
サロマエルに言われてここに来たが、確かに戦場全体を見渡せる好位置だ。
「こっち側には全然守備兵がいないけど、大丈夫なの?」
サロマエルは城壁を見渡すと、納得したようにうなずいた。
「城壁には5重の結界が張られてますから、低位の悪霊では簡単には入り込めないと思います」
「敵兵が寄せて来たりはしないのかな」
「不帰の兵は不死者ですが、それには実体を持つモノと持たないモノがあります」
実体を持ってるのって、旅の中で戦った骸骨戦士とかゾンビみたいな連中のことか。
……特にゾンビ系の奴らは、臭うわ汁は出るわで実に不快な連中だった。
「死鬼みたいに実体を持った不死者は、生者に向かってまっすぐ歩くだけの知性しかありませんから。起伏のある地形や結界の張られた城壁相手だと無力です」
「へえ、意外だな」
俺が居た世界のゾンビって走ったり跳んだり芸達者なのが多いのに、不憫なものだ。
「だから、こちら側の城壁を抜こうと思ったら、死鬼の援護なしで知性のある高位の不死者が結界を破る他ありません」
「ふうん。じゃあ敵の本体から離れた所は意外と安全なのか」
……ふむ。
じゃあ、なんで――
「なんでここに俺を連れて来たんだ?」
「……? だって昨晩、リョータ様が言ったんじゃないですか。北東の丘に陣取ろうって」
「え?」
待って。俺そんなこと言ってない。
戸惑う俺の隣にサロマエルがさり気なく並んでくる。
「それに昨晩のリョータ様……随分……その、大胆でしたよね」
なんか、指をもじもじやりながら、赤い顔で俯くサロマエル。
「えっと……。昨晩なにかあったっけ」
「でもリョータ様にはフィオナ様もシノノもいるんですから、ああいったことはあれ限りに……」
……あいかわらずこいつ、何言ってんだ。
一か月の二人旅にも関わらず、何も分かり合えた気がしない。
「よし、ちょっと順を追って確認しよう。昨日はそれぞれの部屋で朝まで寝たでしょ?」
「え? だ、だってほら! 私の部屋に夜這いをかけてきて、これが“壁ドン”だよ、とか言って私を壁に――――」
「いやいや、そんなことしてないって!」
何だその妄想。
……いや待て、今“壁ドン”って言ったか?
俺とフィオナの他に“壁ドン”なんて単語を知ってそうなのは――――
「サクラ、か」
つまり俺に化けてサロマエルに、ここに来るように誘導したということか?
しかし何故。
戦列に加われという訳でもなく、こんな回りくどい方法で。
「……サクラって? なんでここでサクラの話なんです?」
「いや、だから、きっとサクラが俺の姿でサロマエルに――――」
「無かったことにしようというんですか!? わ、私の身体を服の上から散々まさぐったじゃないですか!」
……サクラ。俺の姿で何やってんだ。
ニルギリに告げ口するぞ。
「だからそれ、俺に化けたサクラだって。大丈夫、俺的な世界観では女同士はノーカンだから」
サロマエルはまだも翼をばたつかせながら抗議をしてきたが、そんなことよりサクラの意図だ。
死鬼や悪霊が攻めてきそうもない東壁方面に俺を誘い出したのは何故か。
少しの付き合いだが、サクラがわざわざ理由も無く俺達にちょっかいをかけてくるとは思えない。
ということは、ここで俺達にして欲しいことがあるはずだ。
……サロマエル、さっき言ってたな。
“知性のある高位の不死者”しか城壁を破れないって。
つまり……高位の不死者が攻めてくるってことか……?
「っ!」
その時。
一帯の空気を揺らし、巨大な赤い影が唸りを上げて頭上を通り過ぎる。
「竜っ!」
巨大な赤い竜が騒乱の陣に向かって飛んでいく。
ニルギリの近くに羽ばたきながら降りていくのを、俺は口を閉じるのも忘れて眺める。
「うわー、凄い。竜なんて初めて見たよ。飛竜とは全然違うんだな。背中に誰か乗ってなかった?」
「サクラですね。ホラディア山脈の竜族と盟約を結んだと噂には聞いていましたが。古代種の赤竜まで彼女に力を貸すとは……」
いーなー、俺もあんなのがいたら、もうちょい頑張って勇者したのに。
「……何ですか、私をじっと見て」
「え、いや、なんでも」
サロマエルに乗るのは無理があるよな。
絵的にもちょっとコンプラ違反だ。
「それより話の続きです! あのですね、女性の身体をまさぐるというのは――――」
「! ちょっと待って!」
頭にバサバサ当たる翼を払いのけると、城壁に向かって斜面を駆け降りる。
「リョータ様、話の途中にどこに行くんですか!?」
「何かが城壁に向かっている! 敵かもしれない!」
竜のいない俺は自分の足で走るしかない。
城壁のすぐ近くまで来た頃――――
「きゃっ!」
俺に並んで飛んでいたサロマエルが悲鳴を上げて舞い上がる。
さっきまで彼女がいた空間を緑色の影が通り過ぎる。
すれ違いざまに切り付けられた斬撃を抜き打ちで払い除けると、俺は片膝を付いて草の上を滑るようにしながらブレーキをかけ、身構える。
緑色に透ける馬が風のように駆け抜け、俺の周りを回り始める。
馬の上には同じく幽体の鎧騎士。
それも一騎ではない。
駆け付けた幽体の騎士達が俺の周りを取り囲み、馬を走らせる。
数が20を超えた頃、俺は数えるをやめた。
「サロマエルは離れてるんだ!」
――さっき合わせた剣の感触が手に残る。
奴らは幽体にも関わらず、剣で撃ち合うことができるのか。
今まで戦った実体を持たない連中は剣の一撃でかき消えたが、今回ばかりはそうもいきそうもない。
息を整えながら立ち上がる。
それを待っていたかのように、一騎の騎士がこちらに駆けてくる。
振り下ろされた剣を、後ろ足が地面に着くほど低く踏み込んで躱すと、一気に馬ごと切り上げた。
馬と騎士が、実体を持つかのように重い音を立てて地面に投げ出される。
視界の端、地面に溶けるように消えていく鎧騎士を確認しながら、突き出された槍の穂先を剣で払い、すれ違いざまに騎士の兜の隙間に切っ先を突き立てる。
戦果を確認する間もなく、次の斬撃を剣の根元でようやく受け止め、力任せに押し返す。
……ヤバイ。流石にちょっと数が多いぞ。
波状攻撃を何とか凌ぎながらようやく五騎目を斬り伏せた頃、一瞬敵の攻撃が緩んだ。
「……?」
俺を取り囲む騎士達が包囲の一部を開ける。
そこから、囲みに入り込んできた騎乗の戦士の姿に俺は思わず口笛を吹いた。
黒い首無し馬は他より二回りは大きい。騎乗する堂々とした体躯の男にはやはり首が無い――
「――デュラハンか」
男が脇に抱えた首の目玉が、ギョロリと俺を睨みつける。
幽霊騎士だけでも面倒なのに、更に強そうな奴まで出てきたぞ。
「……ったく、フィオナめ。何が誰にでもできる簡単な仕事だ」
俺はブーツで地面をトントンと叩いて足元を確認する。
首無し馬がどこから鳴き声を出しているのか。嘶きながら足を踏み出す。
「週に4日のはずなのに、一か月も帰ってないし……」
デユラハンが首から青黒い炎を上げながら、巨大な剣をゆっくりと肩に担ぐ。
俺は溜息をつくと剣を構え、デュラハンを睨みつける。
……とっとと片付けて、フィオナの奴に文句の一つも言ってやる。




