第35話 二人切りになると話が続かないよね
部屋から出てきたシノノは沈んだ顔で頭を振った。
「……フィオナさん、やっぱり目を覚まさないです」
「そうか。お疲れ様」
「サロマエルさんによれば、力を使い果たしただけとのことですけど……」
――いつ目を覚ますのか。
昨晩聞いた時、俺の質問に気まずそうに目を逸らすサロマエルの姿に、それ以上は聞けなかった。
隣に腰を下ろしたシノノは疲れた顔で俺に肩を寄せてきた。
今は肩にかかる重みが心地良い。俺は何も言わずにそのままにする。
「リョータさん、昨晩はちゃんと寝れました?」
「んー、なんとか。シノノは?」
「……起きたら毒虫になってる夢を見ました」
あの時、俺が見たのは確かに奇蹟だ。
フィオナの魔法で村人、兵士、オーク……全ての死者が生き返ったのだ。
……それから一晩。
フィオナは眠り続けていた。
「それと村の人達、今日の昼過ぎにはここを経つそうです」
「良かった。これ以上遅れられないしね」
本当なら昨日の内に出立する予定を、フィオナを案じた村人達が出発を遅らせたのだ。
シノノは膝に乗せた帽子をぼんやりと弄っている。
その華奢な手を眺めながら、俺は昨晩ずっと考えていたことを話し出す。
「……シノノ、皆と一緒にフィオナを連れて行ってもらえないか」
「? 勿論置いてはいかないけど――」
言いかけたシノノは眉をしかめながら俺の顔を見る。
「――リョータさんは一緒じゃないの?」
シノノの疑うような視線を正面から受け止めると、俺は頷いた。
「住民の避難は順調みたいだけど。今回みたいなこと、他でも起こってるんじゃないかって」
「この村は、避難勧告に従わなかったので、特に避難が遅れたから――」
シノノは溜息をつく。
「……はい。リョータさんの心配は否定できません」
「俺達の到着がもう少しでも遅かったら、この村の人もオークも全員死んでた」
村で見た昨日の光景が思わず頭をよぎる。
「シノノやクリスタが居なければ、俺も殺されてたかもしれない」
そして、フィオナが居なければ――――
握りしめた俺の拳にシノノが手を重ねてきた。
「リョータさん。私も一緒に行きます」
「シノノ……」
「邪魔はしません。私にリョータさんの背中を守らせてください」
シノノの真剣な眼差しに、俺は思わず照れて目を逸らそうとする。
……俺は内心で自分を叱りながら、シノノの瞳を見返した。
彼女はいつも俺に真正面から向き合ってくれている――たまに限度を超してる気がするが。
「ありがとう。シノノがいてくれたら心強い」
「じゃあ――」
俺はゆっくりと頭を振った。
「何かあった時、シノノじゃないとフィオナを守れない」
「…………」
「オーク達も、君のいうことならよく聞いてくれるだろうし」
シノノは何かを言おうとして飲み込むと、瞳に涙を浮かべる。
「……ちゃんと帰ってきてね」
「ああ、帰ってくるよ」
「サクラみたいに、そのままどこかに行っちゃわないでね?」
「約束する」
シノノの手が俺の頬に触れる。
……え? これって、その、あれ? そういう流れ?
シノノがゆっくりと目を閉じる。
これは……覚悟を決めるしかない。
俺はシノノの背中にぎこちなく手を回し――
――――廊下から俺達を見つめる丸い瞳に気付いた。
「っ?! えっと、君は」
4、5歳くらいだろうか。小さな女の子がおずおずと部屋に入ってきた。
「天使のお姉ちゃん、いますか?」
……この子には見覚えがある。
サロマエルの胸で震えていた女の子だ。
「あ! 元気になったの?」
言いながら、奥の扉からサロマエルが姿を現す。
……こいつ、覗いてたな。
非難がましい俺達の視線を無視して、サロマエルが女の子の前にしゃがみ込む。
「痛いところはない?」
「うん! ママがね。お姉ちゃ――天使様が私を助けてくれたって」
女の子はポケットから、小さな袋を取り出した。
「あのね、この飴がとても美味しいの! ひい、ふう……ふたつあるから、お礼に一個あげる!」
「ありがとう。嬉しいな」
サロマエルは笑顔で飴玉を受け取ると、翼から羽根を一本引き抜いた。
「はい、これ。お守り」
「……!」
女の子の顔が輝く。
「天使様の羽根だ!」
「うん。飴玉のお返しだよ」
「ママに見せてくる!」
興奮した女の子は部屋を飛び出した。
と、すぐにまた戻ってくると、サロマエルにぺこりと頭を下げた。
「天使様! ありがとうございました!」
再び元気よく走っていく女の子。
「ふふ……可愛いですね」
サロマエルは立ち上がると、飴玉を口に入れる。
ガリガリガリ……
こいつ、もらった飴玉いきなり噛んでやがる。
「さて、荷物の整理をしないと。シノノ、手伝ってくれる?」
シノノはそれには答えず、帽子を深く被る。
「サロマエル……さっきの、ひょっとして見てた?」
「え? 見てませんよ」
「…………さっきのって何? って聞かないんだね」
「聞くも何も。なんにも見てませんから」
「それもそうだね。忘れて? 全部」
何故か笑顔で見つめ合う二人。
……えーと、なんなんだろう、この空気。
よし、話題を逸らそう。
ユニークスキル『世間話』発動だ。
「そういえばサロマエル、身体は大丈夫?」
「元気ですよ。今回は――」
ふっ、と遠くを見る目になる。
「村の人に、ちゃんとしたご飯を頂きましたから」
……ちょくちょく、悲しい話を挟んでくるのは止めてください。
「えーと、女の子の霊に触ってたから平気なのかなって」
「それなら大丈夫です。私の仕事は迷える魂を導くことですから。昨日のあの娘は――」
サロマエルは言葉を切ると、しゃがんで頬杖をつきながら俺の顔を見上げてくる。
「……リョータ様。“嘆きの聖女”と呼ばれる少女の話をご存知ですか?」
「いや、初耳だけど」
「フィオナ様がこの地に降臨されるずっと昔……。古の時代の勇者の一人です」
サロマエルは翼をゆっくりはためかせる。
「強大な力で世界を救った英雄。……ですが人々を救うために受け入れた力に、人としての自我を保つことができませんでした。悲しみと絶望の中、自分が誰なのかも忘れて、救いを求めて永遠の時を彷徨っているという話です」
「……昨日のあの子がそうなの?」
「――――昔の話です。誰にも分かりません」
にこりと笑うと、サロマエルは伸びをしながら立ち上がる。
「さて、フィオナ様の身支度をしますね。皆の前に出るから、おめかししないと」
「サロマエルはフィオナのこと、ちゃんと気にかけてるんだね」
「へ?」
キョトン顔のサロマエル。
「いや、その、客観的に見るとパワハラ……というか、サロマエルに当たりが強いように見えるから、苦手なのかなと」
「フィオナ様は……確かに少しばかり厳しいところもありますけど」
「少し……?」
「でも、優しい所もあるんですよ? 具体的には言えないですけど」
具体的には言えないんだ。
「辛く当たってくるのも、私のことを思ってのことなんです。私って駄目天使だから、少しでも良くしてくれようと」
「へえ……」
「それにですね」
サロマエルは自慢げに胸を張る。
「なんだかんだ言って、あの人は私がいないと駄目なんです。フィオナ様のことを一番理解しているのは私ですからね」
「……あー、だよねー」
普段のフィオナを知っているだけに、いい話かどうか微妙なところだ。
「じゃあ、フィオナのことは君とシノノがいれば安心だ」
「……ふぇ? リョータ様、どこかに行くんですか?」
「ああ。今回みたいなことが無いか、ちょっとこの辺りを見て回ろうかと思って」
「じゃあ、私も一緒に行きますよ」
何気なく言うサロマエル。
「ええっ?!」
声を上げたのはシノノだ。
ワナワナと震えながらサロマエルに詰め寄る。
「な、な、な、何でサロマエルが?!」
「だってリョータ様、どこに町や村があるかも知らないでしょ? 文字だって読めないし」
「じゃ、じゃあ、私が一緒でも――」
「待ってシノノ。君が居ないと、いざって時にフィオナを守れないよ」
「……じゃあ、フィオナさんが居なくなれば」
なんか怖いこと言ってる。
「それにほら! リョータさんとサロマエルって、ちょっと距離があるというか、そんなに仲良くないですよね?! 二人で旅とかしたら絶対気まずいですよ?」
……シノノ、ハッキリ言うなあ。否定はしないけど。
「シノノ、心配いりませんよ」
シノノの心配の理由を知ってか知らずか。サロマエルはシノノの手を握る。
「リョータ様のこと。今まで正直、私の査定を横取りする邪魔者だと思ってましたが――」
……そんな風に思われてたのか。
「昨日の皆の為に戦っている姿。凄く素敵でした」
「え」
なんか、はっきりそう言われると照れるな。
サロマエル、天使だけあって凄く美人だし。
「これからは上手くやっていける気がします。だからシノノも心配しないで」
「へっ?! いや、その、そういう意味じゃ――」
確かに……一人旅が不安だったのは確かだ。
案内役にサロマエルが来てくれればありがたい。
「じゃあお言葉に甘えて……一緒について来てくれるかな?」
「はい、喜んで!」
ブチッ
「じゃあ、村人の出発を見送ったら早速――」
ブチッ、ブチッ
「? なんですか、この音?」
「ちょっとシノノ! サロマエルの羽根をむしっちゃ駄目!」
「……ほら。リョータさんが旅に出るなら、布団を作ってあげないと」
シノノは冷たく言うと、両手に握った羽根をぐしゃりと握り潰す。
「え? 私、布団にされちゃうの!?」
「されないって! シノノ、その羽根ポイして! ポイ!」
「! 私の羽根、汚くなんてありません!」
えー、だって鳥じゃん。鳥インフルとか怖いし。
……更に羽根を毟ろうとするシノノを止めながら、ようやく気付いたことがある。
俺はフィオナの頭がおかしいばかりに苦労をしてると思っていたが――――こいつら全員、頭がおかしい。
――――
――――――――
馬車に敷かれた布団の上、フィオナはムニャムニャ呟きながら、毛布を抱えて寝返りを打った。
……どう見ても、ただ眠っているだけに見えるな。
こういう時って普通、ビシッと真っすぐの仰向け姿勢で、胸の上で指とか組んだりするんじゃなかろうか。
絵面的なテンプレは守って欲しい。
「まさか単に寝汚いだけじゃないよね……?」
「いつもがそうなのは否定しませんが」
サロマエルはフィオナに毛布を掛け直すと、前髪を手櫛で整えてやる。
「……フィオナ様。それでは行ってきますね」
「じゃあ、サロマエル。行こうか」
「はい、リョータ様」
幌をまくって馬車から降りると、シノノが待ち構えていた。
「シノノ。フィオナのこと頼むね」
「はい……。でも、でも」
シノノはグジグジ泣きながら俺の服の裾を掴む。
「うー、リョータさん。気を付けてください~」
「大丈夫だって。シノノこそ気をつけて。この辺りだって危険なんだからね」
「リョータさん優しい~。サロマエルもリョータさんを任せたよー」
「うん、シノノもフィオナ様をよろしくね」
泣きながら抱き合うシノノとサロマエル。
美しい友情の光景だ。
……耳元で何かを囁かれたサロマエルが、バサリと羽根をはためかせた理由は分からないが。
――――俺は南に出発した一行を見送ると、青い顔をして漂うサロマエルを見上げた。
「……シノノに何か言われた?」
「い、いえ! な、なんでもありません! さあ、行きましょう!」
怯えたように距離を取るサロマエルに苦笑する。
――俺も昔は、やれば出来る子と呼ばれてた。
次にフィオナと会う時に備えて、ちょっとばかりカッコつけとかないとな。
俺は北の空遠く、微かに昇る黒い靄に向かって足を踏み出した。




