第34話 少女は天使の胸で微笑んだ
抜身の剣の重さを確かめながら、ゆっくりと村に足を踏み入れる。
俺は足元にまとわりつく冷気の流れてくる先、村の奥に向かって進む。
……明らかにおかしい。
人影どころか物音一つしない。
この村に来たはずの兵士やオーク、村人の気配がどこにもない。
村の奥に向かいながらも認めざるを得ない。
……俺は確かめるのが怖いのだ。何が起こっているかを。
死者の軍隊に攻められた村。
道の先から伝わってくる瘴気を感じつつ、止まりそうな足を踏み出す。
フィオナを連れて来るべきだったか……?
しかし、相手が相手だ。シノノとクリスタを守り切る自信が俺には――――
ふと、道沿いの小さな家に目が留まる。扉が開いたままだ。
不意に吹いた風に扉が揺らぎ、何かに当たって止まった。
……扉の向こうに、何かがある。
俺は心に浮かぶ考えを打ち消しながら、ゆっくりと扉の向こうへ回り込む。
そこには女性が一人。建物に頭を向け、横向けに倒れていた。
日常の風景の中に、不自然なほど溶け込んで。
「……え? ちょっと、大丈夫ですか?」
そっと肩に触れる。
ぐらりと揺れた女性の体が仰向けに倒れる。
「え……嘘……」
恐怖に開かれた瞳、半開きの口元には小さく綺麗に並んだ白い歯が覗いている。
これ……死んでる……?
顔から血の気が引くのが分かる。
フィオナだ。フィオナならきっとどうにか――――
顔を上げた俺は、薄暗い建物の中に白く浮かぶ姿に気付いた。
白い翼が何かを抱きしめるように丸まっている。
「サロマエル?」
「リョータ様……?」
ゆっくりと翼が開き、床にへたり込んだサロマエルが肩越しに振り向く。
その頬には涙が伝っている。
「助けられませんでした……この子しか……」
彼女の腕の中。顔を青ざめさせた小さな女の子が、力無くサロマエルの胸にしがみ付いている。
「生きてるの?!」
「でも……私が……抱っこしてないと……離したら……死んじゃう…………」
「フィオナをすぐに呼んでくるから!」
俺のミスだ。
フィオナ達を危険を承知で連れてくるべきだった。
「待ってください!」
引き返そうとする俺をサロマエルが引き留める。
「先に進んでください! 敵を倒さないと、みんな死んじゃいます!」
「でも、その子が――」
サロマエルは覚悟を決めた表情で、俺に微笑んで見せる。
「フィオナ様が来るまで、この子は私が守ります」
「……分かった」
俺は踵を返して村の奥に駆けた。
村の風景が――変わった。
見た目が、ではない。
先程までは潜むように忍び寄ってきていた瘴気が、はっきりと俺に向かってまとわりついてくる。
呼応して、鎧に彫られた模様が薄く光を帯る。
俺は靄のようにまとわりついてくる白い瘴気に切りつけた。
さあっと靄が引いたが、すぐに俺の身体にまとわりつく。
薄い靄だった瘴気が段々と厚みを増し、ついには白い布のようにうねり、地面や建物の表面を伝い渡って俺に向かってくる。
道を駆け抜けながら、白い瘴気の中に現れた塊を飛び越えた。
足下に転がっていたのは――緑色の肌、大きな体。
一体のオークだ。小柄な老婆を庇うように重なり合ったまま動かない。
村の中央に近付くにつれ、蠢く白い瘴気の中、転がる兵士や村人の体が増えていく。
――ついに通りを抜けて、村の広場に出た。
土がむき出しになっただけの殺風景な広場だ。
一番奥に建っているのが教会か。
質素な造りながらも、村人達が愛情を持って綺麗に手入れしていたのが分かる。
その上を、数えきれないほどの黒い影が漂っている。
シノノと二人の時に襲われた死霊のようなものだろう。
……一番の敵はあの黒い影ではない。
視線が自然と向いた先――――教会の前に白く透けた少女の影がある。
うねる瘴気を衣のようにまとった、小柄な少女の姿。
その影は怯えたような表情で周りの光景を眺めている。広場に折り重なるように倒れた村人達を。
戸惑ったような悲しそうな眼をしながら。
……村人の大半がここに集まっていたのだろう。
ざっと見ただけでも100人を超える数だ。
「……やったのは……君か?」
目の前に広がる光景と、怯える少女の姿。
自分の中で折り合いがつかないまま、足を踏み出す。
「その恰好、生きてるときは人間だったんだろ。なにがあったか知らないけど……なんでこんなこと……」
その少女の影はようやく俺の方を見た。
言葉が通じているか分からないが、その瞳に浮かんでいるのは“恐怖”だ。
それに反応したのか、教会の上を漂っていた黒い影が一斉に俺に向かってきた。
数える余裕もない。すれ違いざまに2体を切り捨てて少女に向かうが、渦巻く黒い影が俺の周りを取り囲んだ。
あまりの数に足が止まる。
襲い掛かる影を迎え撃つのに気を取られた俺は少女を一瞬見失う。
――――どこ行った?!
姿を目で追った一瞬の隙。
俺の背後を取った影が、大きく膨らみ覆いかぶさってくる。
「っっ!!」
その時、頭上から振ってきた一条の光が背後の黒い影を貫いた。
怯んだところを振り向き様に切り捨てる。
次の瞬間、無数の光の雨が降り注ぎ、黒い影達を貫いた。
動きの止まった影を、今度は青い炎が焼き払う。
「リョータ!」
「リョータさん!」
フィオナ達が広場に飛び込んできた。
広場の惨状を見たフィオナは一瞬息を飲む。
青い顔をして倒れそうになるシノノをクリスタが支える。
「皆は下がっていて! ここは俺が」
「……私を誰だと思ってるの?」
フィオナは近付いてきた黒い影を手の一振りで消し飛ばすと、苛立ちを隠そうともせず足を進める。
「だから――――私はっ!」
フィオナは叫びながら杖を地面に突き刺す。
「これだから私はっ!」
フィオナの髪が舞い上がり、足元が青白く光りだす。
「喧嘩は大好きだけど――――戦争とか嫌いなのよっ!」
青い光は一気に広がる。
広場を覆い、更には村全体を包み込むように広がっていく。
圧倒されて立ち尽くす俺を、フィオナは叩き付けるように怒鳴りつける。
「こっちは任せて! 行きなさい、リョータ!」
「あ、ああ!」
俺は少女に向き直る。
怯え切った少女は、青い光から逃れるように教会に逃げ込んだ。
後を追おうとする俺に、新手の影の群れが襲い掛かる。
「シノノっ! クリスタっ! 死ぬ気でリョータの背中を守りなさいっ!」
クリスタの弓から放たれた光の筋が黒い影を切り裂き、シノノが操る青い炎が影を散らしていく。
俺は残りの影を切り捨てながら一気に突っ切る。
「リョータッ! あの子を楽にしてあげなさい!」
フィオナの声を背に俺は教会に飛び込んだ。
身構えた俺はあることに気付く。
――ここまでは黒い影は追ってこない。
俺は大きく深呼吸すると、祭壇の前にうずくまる“少女の姿をした何か”に向かって剣を向ける。
……あれは見た目が少女なだけの危険な化け物だ。
俺は頭の中で繰り返す。
慎重に距離を詰めていく。
近付くにつれ、俺はあることに気付いた。
「なんで……」
少女は“祈っていた”。
白く透けた小さな肩を震わせながら。
救いを求めて祈りを捧げているのだ。
「……君は……なんで」
まとわりつく白い瘴気を切り払いながら、少女の元にたどり着く。
少女は俺に背中を向けたまま、祈り続けている。
俺は剣を振り上げ、少女の細い首筋に振り下ろそうとして、手を止めた。
近くで見る少女の姿は今にも消えそうに薄く、儚げだ。
……いや、違う。“少女のように見える何か”だ。
俺は広場の凄惨な光景を無理に思い浮かべながら、自分に言い聞かせる。
目をつぶって剣を振り下ろそうとしたその時、俺の腕を何かが止めた。
「っ!!」
白い布のようなモノが俺の手足に巻き付いている。
必死に振り払い切り捨てている隙に、少女は俺から逃げるようにふわりと舞い上がった。
「――待って!」
俺は切ろうとする相手に何を言っているのだろう。
――逃がせばもっと犠牲者が出る。
「待って! 駄目だ! これ以上――」
後悔と恐怖がよぎったその時。
教会の飾り窓を背景に白い翼が大きく広がった。
舞い降りてきた天使が少女を抱き留める。
サロマエル――――
白い翼をはためかせ、彼女は少女を胸に抱きながらゆっくりと舞い降りてきた。
「リョータ様。この子は私と一緒に――――」
「分かった。そのまま動かないで」
今度は最期まで目を閉じない。
俺は覚悟を決めると、剣を横に構えて踏み込んだ。
「ふぇっ? 違――――」
サロマエルの言葉をかき消すように、横なぎに切り払う。
少女の背中を切り裂いた切っ先は、呆気ないほど何事も無かったようにクルリと光の弧を描く。
――切られた少女は光の粒になり、サロマエルの腕から消えていった。
サロマエルがへたりと座り込み、彼女の前髪がハラリと舞う。
俺は剣を収めると、サロマエルに手を差し出した。
「……サロマエル、ありがとう」
差し出した手を掴むかと思いきや、サロマエルは怯えたように俺から後ずさる。
「リョータ様っ?! わっ、私ごと斬ろうとしてませんでしたっ?!」
「……え? てっきりそういう流れかと思って」
「そんな流れはありませんっ!」
無事だったんだし、そんなに怒らなくても。
「じゃあ、他にどんな流れが」
「私が抑えてるうちに、フィオナ様に浄化してもらおうと思ってたんです!」
「え……?」
そんな手があったの……?
「俺……ひどいことしちゃったのかな?」
戸惑う俺に手を伸ばしながら、サロマエルは慰めるように言った、
「……いえ。あれで良かったんだと思います。彼女、斬られた瞬間――」
サロマエルは俺の手を取りながら、寂しそうな笑みを見せる。
「――凄く、ホッとした顔をしてましたから」
――――
――――――
サロマエルを助け起こすと、教会の外から大勢の人声が聞こえてきた。
「人の声……?」
「生き残りが居たのかもしれません!」
文字通り飛び出していくサロマエル。
彼女に続いた俺はそこに広がる光景に目を疑った。
――俺が目にしているのは奇蹟の瞬間だ。
倒れていた数えきれないほどの犠牲者が次々と目を覚まし、起き上がっている。
「フィオナが……やったのか……?」
……生き返った人は不思議なことに、皆同じ行動をとる。
まず最初に、信じられないかのように自分の手を見る。
そして探しだす。家族や友人の姿を。
……泣きながら抱き合う村人や兵士達の間を歩きながら、俺はフィオナに目をやった。
ぼんやりと青い光に包まれたフィオナは、魂が抜けたような顔で立っている。
「フィオナ……本当に……良かった……」
言葉に詰まりながらフィオナに歩み寄る。
俺の姿に気付くと、彼女は勝気な笑顔を見せてくる。
「……言ったでしょ? 新鮮な内なら戻せるって」
もう一度、自慢げに笑う。
そして、フィオナはそのまま地面に崩れ落ちた。




