第16話 進撃のG
「見て見てリョータ。これ、しゃべる猫の動画だって! 猫って喋るんだねー!」
「へーえ、それは興味深いネー」
適当に答えた俺に、フィオナがタブレットを押し付けてくる。
え……これ、見なきゃいけないのか?
期待したようなフィオナのキラキラ顔。
……俺は死んだ瞳で動画を見つめる。
うわ、この動画7分もあるぞ。地味に長い。
……俺は動画を見ながら、奇妙な違和感に気付いていた。
フィオナの奴、いつになっても帰らないぞ。
時計こそ無いものの、体内時計によれば、すでに深夜に差し掛かった頃合いだ。
「あー、うん。猫もしゃべりたくなるよね」
見終わった俺はiPadをフィオナに返す。
「でしょー。聞こえるよねー」
微妙動画を俺に見せつけると満足したのか。
フィオナは寝そべってネジリ揚げを食べながら、動画をダラダラ眺めている。
「なあ、フィオナ。明日転生なんだし、そろそろ帰った方がいいんじゃないか?」
「んー、もうちょっとー。目が離せないのよ」
足をパタパタ。お菓子をぼりぼり。食べかすをボロボロこぼしつつ、ひたすら焚火を映すだけの中継動画を凝視している。
「その動画、目を離したら問題があるの……?」
「それが、さっき投入された薪の火の付きが悪くて心配で」
「そうか。じゃあ、心配いらないから帰ろうか」
俺の言葉を聞いているのかぞうか。
空になったお菓子の袋をポイ捨てすると、フィオナはごろりと仰向けになった。
「んー、でもなー……」
「どうしたんだ。明日、起きられなくなるよ?」
「むー、むー」
なんだその拒否り方。
そろそろ寝たいし、何より一人になりたい。
どうにかこの祟り神を追い出せないか……
「風邪ひいちゃうよ。さ、おっきしておうちに帰ろ?」
再三の俺の呼びかけにフィオナは物憂げに俺を見上げる。
「今夜は……帰りたくないの」
「え?」
良く聞くが実際には初めて聞いたこのセリフ。
しかし、その手は食わない。さっきの出来事で俺には免疫ができている。
「フィオナ落ち着いて。仮にも若い――」
――フィオナ、400才だったよな。
ひとつ、咳払い。
「未婚の男女が同衾するのは余計な誤解を招くからね。さあ、おうちに――」
「でも――今日は一人になりたくないの」
俺を見上げる潤んだ瞳に浮かんでいるのは……怯えと羞恥。
まさか本気なのか……?
「だって、私、私――」
「フィオナ……」
――俺の服の袖を掴んだ彼女の指先が、微かに震えている。
「ゴメン、気持ちは嬉しいけど丁重にお断り――」
「――私の部屋にGが出たの! あの黒い奴!」
……Gって、ゴキブリ? フィオナが、じゃなくて本物のGが?
「へえ、神の世界にもGがいるんだ。意外だったよ」
「――あれ。ちょっと待って。私いま、丁重にお断りされなかった?」
なるほど。部屋にGが出たから帰りたくない。気持ちは分かる。
なんとなくだけど、フィオナの部屋ってGが出そうな感じだし。
「まずゴミはちゃんと密閉した方がいいよ。こまめに捨てるのも忘れずに」
「だから待とう。ちょっと待とう。あのね、ちょっと話を戻そうか」
「隠れるところを減らしてから、Gの通り道にコンバットを置けばだね」
「ちょっとリョータ、さっきから何の話してるのよ!」
フィオナは俺に詰め寄ると胸元を指で突く。
「だから……Gの話だよ」
「……え?」
? なんでこいつ、勝手に怒ってるんだ。
「フィオナは何の話してるんだ?」
「…………もちろん、Gの話よ」
ジト目で俺を睨みながらうなずくフィオナ。なんなんだ。
「とにかく、コンバットとか言うのを買えばいいのね」
iPadをポチポチ叩く。
「すぐ届くね。よーし、これで解決」
iPadをその辺に放り投げるフィオナ。
やれやれ、相変わらず行儀が悪い。
また無くしただなんだと騒がないように後で片付けておかないと……
呆れる俺の目の前、フィオナは更に腕輪や髪飾りを外してはポイ捨てしていく。
なんだなんだ。ついに頭のネジでも外れたか。それとも外れるネジが残っていたことに驚くべきか。
フィオナが服の金具を外し始めたとこで、さすがの俺も制止した。
「ちょっとフィオナ。なんでここで脱ぐんだよ」
「? だってこんなヒラヒラしたの着て眠れないでしょ」
「え」
俺の視線を勘違いしたのか。フィオナがニヤニヤしつつ服をかき寄せる。
「やーね、何興奮してるのよ。ちゃんとこの下も着てるわよ」
「はあ。それは助かる」
「それとも、リョータ。私と一緒だとドキドキしちゃって眠れないとか?」
「いや、眠いんですぐに寝るけど。そもそもフィオナ、ここに泊まるのか?」
「だって、家にはGが出るもん」
「だからって、女の子が男と一緒に泊まるのは」
フィオナは薄いシミーズっぽい姿になると、伸びをしながらクッションに横たわる。
「あら。どうせリョータには手を出す勇気なんてないでしょ?」
「女性に手を出すかどうかを、度胸の有無に結びつけるのは感心しないな」
いやでも。フィオナに手を出すって、考えようによってはかなりの度胸だ。
「まずは部屋を片付けてGを退治しようよ。いつまでもここにいる訳にいかないんだし」
俺が言うことかは分からんが。
フィオナにここに居付かれては、理性を保てる自信はない。別の意味で。
「コンバットってのを置けば、Gはいなくなるんでしょ? まるで魔法じゃない。人間もなかなかやるわね」
「え……? ウン、ソウダネ」
微妙にコンバットの効果を誤解している気がしないでもないが。あえて誤解を解くこともないだろう。
「お急ぎ便で明日には届くってさ。さあ、寝よ寝よ」
フィオナが指をパチンと鳴らすと周りが夜のように暗くなる。
……え、照明って調整できたの?
「それじゃ、お休み。フィオナ」
まあ、大人しく寝てくれるならそれでいい。
俺はフィオナに背を向けると目を閉じた。
すぐにも眠りの縁から意識が落ち込む――
「ねえ、リョータ。なんかお話して」
……俺を引き戻す声。
「寝ようよ。明日、早いんでしょ」
「じゃあ、お話してくれたら寝るー」
……面倒くさいな、この女。
「じゃあ、フィオナが良く眠れるように眠りに関する話をひとつ」
「そんなんあるの?」
ワクワクと暗闇で目を輝かせるフィオナ。
俺は両手を頭の後ろで組むと、暗く霞む空だか天井だかを見上げた。
「去年の夏頃の話かな。布団に入った俺は天井をぼんやり眺めながら、眠ろうとしてたんだ。そう、ちょうど今みたいに」
「うんうん、それでそれで」
「瞼を閉じようとしたその時だ。天井の小さな染みに気付いた」
「庶民あるあるね。貧しいからって恥ずかしがることはないわ」
……何だろう。フィオナの言うことは一々気に障る。
「それがね。昨晩まではそんな染みは無かったんだ。はっきり覚えてる」
「……」
「おかしいなー、不思議だなー……って思って見ていると」
ゴクリ。フィオナが唾を飲む音が響く。
「ふっ! と、急に染みが大きくなった!」
「っ!!」
「俺は慌てて飛びのいた。さっきまで俺が頭を乗せていた枕に落ちてきたのは――」
フィオナはクッションを両手で抱きしめ、目を見開いて俺を見つめる。
「……Gだ。一瞬、確かに目が合った。そして奴は、俺の布団の中に――」
「っ!!! リョータっ!!!」
ズバン。俺の顔面にクッションが直撃した。
「そんなん聞かされて眠れるわけないでしょっ!」
「だってフィオナが話をしろと――」
「だからって他になんかあるでしょうが!」
「でも、いまの話にはまだ続きが――」
「続けるなっ!」
ひとしきり俺をクッションで殴り続けた後、フィオナは息を切らせながら大の字に倒れ込んだ。
「あーもう、最悪。折角眠れそうだったのに、これじゃ怖くて眠れない」
「ごめん、寝るのにちょうどいい話かと思って」
フィオナは俺を信じられないとばかりに見つめてくる。
「……リョータも結構大概ね」
うわ。フィオナに言われるとは。俺、それほどか。猛省だ。猛省せねば。
「悪いと思うんなら――ほら」
ふと、フィオナが俺の方に手を伸ばしてくる。
「ん? どういうこと?」
「だから手を繋いで――寝ればいいじゃない」
言い捨てると、フイッと顔をそむけるフィオナ。
……んー、なんだろ。この展開のどこで俺を陥れようとしてるんだろうか。
「フィオナ。それだと、怖いから手を繋いで一緒に寝たいって意味になっちゃうぞ」
「!! だ、だからそう言ってんじゃない! あんたがそんな話するのが悪いんだかんね!」
フィオナは暗闇の中でも分かるほど顔を赤くしている。
「……責任、取りなさい」
俺はフィオナの手を見つめる。
改めて見る彼女の手は小さく華奢だ。女の子の手って、こんなにすぐ壊れそうなほど細いんだな。
俺は恐る恐る手を伸ばし――
「でも止めとくよ」
「え」
「フィオナ結構、手汗多いし」
――べたべたしちゃうのは、ちょっと。
「さあ、いい加減もう寝よう。明日は忙しく――」
言いかけた俺の腹の上、勢いよく飛び乗ってくるフィオナ。
思わず漏れるうめき声。
「フィオナ?!」
「……リョータの世界じゃ、羊を数えて眠るんだってね」
「え、えーと。英語圏では、そうだね」
言いながら、俺は体勢を確認する。
……やれやれだ。
こうも毎日マウントポジションを取られていれば、対処法も研究済だ。
まずは肘を床に付けて、相手の身体が顔に近付かないようにして――
……あれ? 調べたのと違う。肘どころか、身動きが全く取れないぞ。
気が付けば――フィオナは両膝で、俺の肩と腕を押さえつけている。
「っ!?」
指の骨をボキボキと鳴らしながら、悪魔のような笑みが俺を見下ろす。
「大丈夫。――すぐに、数え終わるから」




