第15話 思えば思い残したくないことばかりの人生でした
……本当に届いた。
ちょっと感動している自分がいる。
Amazonのお急ぎ便が届いたのはフィオナが帰宅した直後。もうちょい早かったら見つかるところだった。
見慣れた平たい段ボールを、俺は懐かしさの余り撫で回す。
時間をかけて開封すると、中の固定用ビニールを破る。
届いたのは、Amazonのタブレット――Kindle-Fireだ。
あえてこの機種を選んだのは言うまでもない。
この機種は出荷時点で購入したアカウントに紐付けがされているのだ。
……つまり、フィオナのアカウントで既にログイン済。
『1-Clickですぐに注文』と組み合わせれば……これはもう世界の半分を手に入れたに等しい。
「さて……他に必要な物は」
いくつかの品物をカゴに入れると、日時指定で注文。注文履歴を「非表示」にすることも忘れない。
俺はタブレットを白いモワモワの間に滑り込ませると、久々に満足して眠りに落ちた――――
「――さあて、明日には転生だけど思い残すことは無いよねっ!」
……一日経ってフィオナは完全復活。元気になったらなったで非常にウザい。
俺は欠伸をしながら大きく伸びをする。
「いやまあ、4時間で戻ってくるけどね」
週3で1日4時間の時短転生。
今はこれが精一杯。
ふと、流し目で俺を見つめるフィオナに気付く。
……嫌な予感しかしない。
「そこで物は相談だけどさ」
ずずいっ、と距離を詰めてくるフィオナ。
同じだけ距離を離す俺。
「リョータ、転生も結構慣れてきたんじゃない?」
「どうだろう。まだ二回しか転生してないし」
「転生初心者であれだけ出来れば上出来よ。そろそろさ、もうちょい時間を長くしてもいいんじゃないかな?」
「長くってどのくらい……?」
やはりこの話か。
じりじりと近付く距離に居心地悪さを感じつつ、俺はいつでも心を閉ざせるよう身構える。
「週5の一日6時間はどうかな。これなら社保も入れるし。保険証あると、ツタヤでカード作るときとか便利よ?」
「えー、でもほら。ワークライフバランスで働き方改革だし。生活の満足度と労働時間は反比例するって毎日新聞にも書いてあったよ」
「あら、充実した仕事は人生の満足度を上げると東京新聞に書いてあったわ」
一気に身を寄せてきたフィオナが、優しく手を重ねてくる。
え、なにこの展開。
「……ね。リョータはもっとできる子だと思うよ……?」
フィオナがゆっくりと俺に身体を預けてくる。
衣擦れの音。微かに耳に息がかかる――
「リョータ……」
「フィオナ……」
……えーと、やめてくれないかな。
なんかちょっと手汗でべたべたしてるし、この匂い……朝ごはんに牛乳とバナナ食べたな。
「試しに一か月、週5の1日6時間で――」
「フィオナ。俺、他人に触られるの苦手だから」
「またまた。リョータ、照れなくても――」
「いや、ホント。照れてるわけじゃ」
思わず手を振りほどく。
「え……」
「! あ、ごめん。つい――」
驚いたような表情を浮かべたフィオナ。
素直に手を引っ込めると、ちょこんと座り直す。
「えっと……。なんかごめんねリョータ」
……あれ、なんか思ってた反応と違うぞ。
フィオナ、そんなキャラだっけ。中身は基本、ヤクザと魔物のハーフなのに。
「あのー、フィオナ。別に俺は怒ってるわけじゃ」
「私……男の人と付き合ったこと無いから……距離感とか良く分かんなくて……。ホント、ごめん」
うつむき加減のフィオナの目には涙まで浮かんでいる。
――駆け引きだよね? そうだと言ってよフィオナ。
「そんな強く言ったつもりじゃなくて。ちょっと驚いただけで――」
「いいの。彼氏いない歴400年ってちょっと引くよね……」
400年……。うん、それはちょっと引く。
「……リョータとは結構仲良くなったと思ってたから……。私だけ勝手に勘違いしてたんだね」
「えーと、勘違いというかなんというか。」
そうだけど、そうじゃない――ってことはなく、やっぱ勘違いは勘違いだけど。
えーと何の話だっけ。
フィオナは寂しげに指先でプチプチと白いモヤモヤをちぎっている。
「まあ、その、他人に触られるのが苦手なだけで、フィオナがどうこうって話じゃないんだよ?」
「無理しなくていいんだよ。リョータって優しいね」
長い睫毛に涙を一杯に溜め、無理して笑って見せるフィオナ。
……ああ、なんだろうこの罪悪感。
俺は日頃、もっとひどい目に合っているはずなのに。
「上司に怒られちゃって凹んでたから。ちょっとからかいたくなっただけ。気にしないで」
「え。怒られたの?」
「フィオナ! 転生の契約はどうなってんだ!……って」
フィオナは口を尖らせ、誰かの物真似をしながらそう言った。
……誰かは知らないけど、きっと上司だ。知らないけど。
「契約のことで……。へーえ」
あれ? じゃあ、フィオナが怒られたのってひょっとして……俺のせい?
……いや、落ち着こう俺。
さっきの行動は大人げなかったかもしれないが。契約について俺が責任を感じる必要はないはずだ。
「それでリョータに甘えちゃった。迷惑だったよね?」
「いや、迷惑ってわけじゃないよ。うん、俺にできることなら頑張るから」
……他にどう言えっていうんだ。
戸惑う俺にむかってほほ笑むと、フィオナはこっそり涙をぬぐって立ち上がる。
「ありがと。でも、今日はもう帰るね」
「……もう帰るの?」
いつも動画とか見ながらゴロゴロと長居してるのに。今日のフィオナはちょっと違う。
――いや、これもきっと彼女の作戦だ。ここで余計な同情をしては負けだ。
身構える俺の前、フィオナが白い風景に溶けるように消えていく。
あれ、本当に帰るのか。
「――でも、また上司に怒られるんじゃない?」
……俺、なんで呼び止めた。
嗚呼、これでまたフィオナがグイグイ食らいついて――
「リョータは気にしなくて大丈夫だよ」
また意外な反応。
消えかけの姿。銀髪をキラキラを輝かせながら、笑顔で振り向くフィオナ。
「週3でも頑張ってくれてるのに、無理ばっかり言ってごめんね。明日から、またみんなで頑張ろうね」
「――週5日、は無理かもだけど、週4くらいなら行けると思うよ」
自分の口から出た言葉に、俺自身、耳を疑った。
……っ!? あれ。俺、何言った……?
「ホント……?」
「あ、いや、その」
やばい。なんと言って撤回しようか。
迷っていると、一瞬、白い空間がぼんやり光り、頭の中に低く言葉が響いてきた。
――――契約――成立
「っ!? なに今の声っ?!」
俯いたフィオナの肩が震えている。
泣いている――? いや、これは。
こらえ切れずにケタケタと笑いだすフィオナ。
爆笑してやがる。
……この女。心配した俺が馬鹿みたいだ。
ひとしきり笑うと、涙をぬぐいながら得意満面の笑みを浮かべるフィオナ。
「いやー、笑った笑った」
「フィオナ。俺をだましたのか?」
「私、一個も嘘ついてないよ? 上司に怒られたのもホントだかんね」
「じゃあ、彼氏いない歴400年ってのも」
「……なんか文句ある?」
あふれ出す殺気。
いや、文句はありません。俺より383年ばかり先輩ですね。
「それよりなによりさ――」
「ん?」
フィオナは悪戯っぽく笑うと、俺に向かって飛び込んできた。
不意を突かれた俺は地面に押し倒される。
俺に馬乗りになり、いじめっ子の表情で俺を覗き込むフィオナ。
「週4の1回6時間! これからよろしくね!」
「――え? 週4回とは言ったけど、1日6時間ってのは同意してないぞ」
「わたし、最初に言ったでしょ? 週5の6時間って。で、リョータは週4でって言ったんだかんね」
――やられた。
俺は仰向けのまま天を仰ぐ。
甘かった。フィオナがどんな奴か分かっていたはずだ。
今のこの状況。
例えるなら、壁に掛かったラッセンの絵を一人で眺めている段階だ。
……落ち込む俺の視界一杯、フィオナの顔が塞いでくる。
銀髪が俺の頬に落ちかかる。近い。
「……ねえ、リョータ。この状況、何か感想は無いの? 神美少女があなたにグイグイ来てるのよ」
400才でも美少女なのか。
そういや、最近会うたびに馬乗りになられてる気がする。そういえば――
「――フィオナ。少し太った?」
「……」
無言で拳を振り上げるフィオナ。
「え? ちょっとフィオナ?!」
俺は「馬乗り」のもう一つの呼び方を思い出した。
――マウントポジション。
顔面に振り下ろされた拳をギリギリでかわす。
「良くかわしたわね、次はどうかな」
「待って待って! ちょっと待った!」
フィオナは構わず拳を上げる。
こいつ、今日一番の笑顔だ。真珠のような白い歯がチラリと覗く。
耳を掠めて、拳が地面に突き刺さる。
「これからも仲良くしようね。勇者様」




