第1話 ホヤのように生きたい
ホヤのように生きたい。
ホヤ。正式には尾索動物亜門ホヤ綱というらしい。
海底の岩とかにくっついて吸ったり吐いたりしているグロめの生き物だ。
新鮮なものは海臭くて美味いという他、特筆すべきことは無い。
友人には高校生のくせに干からびてるとか、先生からは若いのにホヤの旨さが分かるわけないとか反対されたが、そんなことで夢をあきらめたりはしない。
……要は吸って吐くだけの生活をしたいということだけど。
学校だけでもだるいのに、働くとか意味分かんない。
妻夫木涼太17才。憧れの存在に近付くため、夏休みの40日間、下宿先のアパートから一歩も出ない覚悟を決めた。Amazonがあれば、まあ大体大丈夫だし。
そんな夢のような日々も終わりに近付いた頃だ。
俺は目覚めると、白くてぼんやりした空間にいた。
……なんだろう。これは想定していなかった展開だ。
とりあえず起き上がって周りを確認しようと思ったが、重要なことに気付いた。
地面だ。
フワフワした掴みどころのない感触にもかかわらず、柔らかいというより何処までも優しく体重を受け止め分散してくれる未知の寝心地。
これはあれだ。追い求めてきた夢の寝具だ。
これなら何時間寝ても疲れないに違いない。起きている場合じゃない。
やっぱり自分は死んだのかなあと地面に顔を埋めてしみじみ幸せに浸っていると、閉じかけた瞼の先、ぼんやりと人の姿が。
そこに居るのは、白っぽい衣装に身を包んだ少女だ。
夢うつつ、可愛い娘だなと思いながら再び目を閉じたが、俺に向かって何かを言っている。
「……ねえ。ねえっ…てば……」
少女は俺を起こそうとしてくる。ちょっと眠いんでまた後にしてください。
「ねえ、ちょっと起きてってば!」
いやほんと、後にしてくれませんか。
狸寝入りをしている俺の手に、柔らかい指の感触。
さっきの娘の指なのか。なんかサラサラしている。
それでも無視をしていると、指先にぬるりと湿った感触が。
「?」
訝しく思い開けた目に映ったのは、俺の指を掴んで朱肉に押し付ける少女の姿。
「うわ!」
慌てて手を引っ込めると少女はハッキリと、
「チッ」
舌打ちをした。何かの書類を素早くしまいながら。
なんだろうこの一方的に不快な状況。
身体を起こすと少女の投げたティッシュが一枚、眼前に舞い降りてくる。
指を拭きつつ彼女を観察する。
少女はひらひらとした見慣れぬ格好をしているが、それ以上にむき出しの肩と脚の白い肌が目を惹く。
長い銀髪には古めかしい髪飾り。
ここはどこで彼女は誰なんだろう。
そして朱肉と謎の書類はなんだったんだろう。
情報量の多さと答えの少なさにぼーっとしている俺に、少女は改めて向き直った。
再度小さく舌打ちをした上で、人好きのする可愛らしい笑顔で俺を見つめてきた。
……うわあ。この人、感じ悪い。
「妻夫木涼太君ですね。待ってましたよ」
約束もしていないのに勝手に待たないで下さい。俺、人を待たせるの苦手だし。
「そうですが。あなたは誰ですか?」
「私は女神フィオナ。迷えるあなたを導くもの」
「え。女神様」
この娘、女神様なんだ。初めて本物を見た。
銀色の髪に紫色の瞳。見た目は自分よりも少し年下くらいか。
にわかに信じがたい話だが、それを言えばこの白い謎空間も同じくらい不可思議だ。
「そうなんですか。女神様がなんでこんな白くてホワホワした場所に」
「そうね、一通り説明するのと掻い摘んで説明するのと、どっちにする?」
選べるんだ。結構親切だな。
「じゃあ、ちゃんとした方を」
「分かりました。それでは一から説明しましょう」
女神様はコホンと可愛らしく咳払いをすると、重々しく話し始めた。
「この世界がまだドロドロした塊だったころ――」
そこからかー。これは長くなりそうだ。
「確か約45億年程前かしら。それからゆっくり地表が冷え、雨雲が地表を包み」
なんとなくだけど、俺の知っている世界の話な気がする。
女神様の説明が熱を帯び、カンブリア紀の生物爆発に差し掛かった頃、俺は手を挙げて話を遮った、
「え? なによ。今が一番いいところ――」
「すいません、やっぱり掻い摘んでお願いできますか」
その時に女神様に浮かんだ表情を、俺は一生忘れることはないだろう。
「えーと、あなたは死にました。次は異世界シャクティアに転生して頑張ってね。終わり」
拗ねた。女神さま拗ねた。
白いホワホワした何かを蹴った。女神様荒れている。
いやいや、それより重要なことをさらっと流しませんでしたか。
「俺、死んだんですか?」
「そりゃそうよ。苦労したんだかんね。外出もしないからトラックにもはねられないし」
なんか物騒なことを言っている。しかもなんかタメ口だ。
「あんたの世界では若者は異性を求めて夜な夜な徘徊すると聞いていたのに」
なにその殺伐とした世界観。そして俺は何で死んだんだ。正直、記憶がない。
「女神様、俺はどうして死んだんですか? 全く身に覚えがないんですけど」
「ああ、それね。せめて一階に住んでたらもっといいやり方はあったんだけど」
「――まるで女神様が俺を殺したみたいな」
つい口を出た言葉に女神様の笑顔が凍り付く。え、まさか。
「え、あの、冗談ですよね?」
女神様は急に目を逸らすと口笛とか吹き出した。しかも吹けてないし。
「ちょ、ちょっと、俺ってあなたに殺されたんですか?」
すぴー、すぴー、ひぉー
構わず吹き続ける女神様。それにしても吹けないにもほどがあるぞ。
「そんなに口をすぼめなくても大丈夫です。それと舌の位置はどうしてます?」
あまりのひどさに思わず口を挟んでしまう。
「ふぁ? こんな感じだけど」
あーっと、口を開く女神様。え、俺に覗けというのか。
「口の中とかグロいんで見せないでくれますか」
「グロくないわよ! めっちゃ綺麗なピンク色だって。ほら、よく見てみなさい!」
「ホント止めてください。それより俺が何で死んだのか知りたいんですけど」
「思い当たることない? ほら、最近周りで変わったこととか」
「そういえば昨晩からエアコンの調子悪くて全然冷えなかったけど」
「あー、そーゆーのよねー、マジで危ないよねー。地球温暖化だよねー」
白々しい口調で嘯く女神様。なんかこれ以上話を聞くのが怖い。
この話題は俺の心の棚に置いておくことにした。
「あの、それで俺はこれからどうなるんですか」
「あ、そうそう。あなたがまぜっかえすから話が進まなかったじゃない」
俺のせいか。そうなのか。
「とりあえずチャチャっと異世界シャクティアに転生して頑張ってよ。悪いようにはしないから」
「えー、嫌ですよ。そもそもただの高校生が異世界に行っても役に立ちませんって」
「こればかりは相性みたいなものなのよ。いいこと、事後アンケートによると転生した人の54%が転生して良かった、まあ良かったと答えてるの」
うわ、微妙な数字だ。
「ほら、幸せになった人の体験談がここに」
女神様が取り出したパンフレットには成功した転生者達の体験談が。
……なるほど、転生した途端、モテモテになって大金が転がり込んで、嫌な上司が痛風とかになったらしい。
ちなみに異世界パラトネに転生したA子さん(28)はヤレヤレ系の素敵な彼と竜に乗って大冒険中とのことだ。
「あの、残り46%が気になるんですが。詳しい話は載ってますか?」
女神様は手を伸ばす俺を無視してパンフレットをどこかにしまい込んだ。
「今度用意しとくわ。まずは先に契約しちゃいましょう」
女神様の足元からまばゆい光と風が立ち上る。照らされた銀色の髪が神々しく揺れる。
「妻夫木涼太。これから契約の儀を執り行う。異世界シャクティアの理に身を委ね、契約に基づき転生を受け入れよ――」




