何故ライトノベルのタイトルはこんなに長くなってしまったのか ~個人的観点から考える、小説とその他分野の違い~
【問題提起】
昨今、ライトノベルのタイトルが長くなりがちな傾向の理由を説明せよ。ここで、ライトノベルのタイトルが年々長くなっている、という事実は正しいとする。
「相続税のシステムがよく分かっていない女の子に相続税の仕組みを説明したら、何故か滅茶苦茶気に入られた件 ~相続税のシステムが分からないあの子はヤンデレでした~」
皆さんはこんなタイトルのライトノベルを見たことがあるでしょうか。ライトノベル畑に造詣の深い皆様は今頃画面の前で大きく頷いている所とお察しします。
ライトノベルという物は、年々タイトルが長くなっているという風に聞きます。そして私自身も肌でそう感じています。
実際SNSツールでもライトノベルのタイトル名が長くなりすぎて本の内容を全て説明してしまっている、などと嘲笑及び揶揄などの議論がなされている所も遠巻きながら見たことがあります。
そしてその理由と原因について、個人の価値観から答えを導き出すこととします。
【共有事項】
ここで、皆様に共有しておきたい知見及び偏見があります。
それは、「小説は誰でも書ける」ということです。
順を追って説明しましょう。
世界には小説家、漫画家、音楽家、スポーツ選手、俳優女優アイドル、様々な職業があります。
そしてそのどれもが、誰でも簡単にプロになれるようなものではありません。血のにじむような努力が必要になることでしょう。
プロになるには大別して、≪練習時間≫と≪創作するのにかかる時間≫が必要になります。
そしてこの≪練習時間≫と≪創作するのにかかる時間≫が短ければ短いほど、より多くの作品が世界に出回ることになります。
例えば音楽の場合、五分で降りて来た歌詞を書いたらミリオンセラーになった、のような事例があると聞きます。
ここで、その五分の裏には血のにじむような練習があるんだ、や、その五分だけで音楽が出来たと思っているなら大間違いだよ、だなどとという話は割愛します。厳然として、五分で創作した作品がミリオンセラーになることがある、ということを伝えたいのです。
私は音楽に詳しくないので一曲を作るのにどの程度の時間がかかるかは分かりません。例えば五分で作った漫画が発行部数百万部を突破する大ヒットになった、だとか五分で作ったドラマが大ヒットした、という前例は、少なくとも私は聞いたことがありません。あったとしてもごく少数ではないかと思います。
小説で言えば、私は四十五分~一時間でおよそ三千文字の量を書くことが出来ます。
単行本一巻をおよそ十二万文字とした場合、≪創作にかかる時間≫は約四十時間となります。もちろん、校閲や編集との打ち合わせのようなものも含まれるのでその限りではないでしょうが、ここでは創作にかかる時間のみを考えます。
漫画で言えば、アシスタントを何人も起用して一週間かけてようやく二十ページ描き切ることが出来る算段です。
少なく見積もってアシスタントを三名、打ち合わせ時間を二日、一日の仕事時間を十時間だとしても、約二百時間で二十ページということになります。
漫画一冊を二百ページだとすると、漫画の≪創作にかかる時間≫は二千時間ということになります。小説の約五十倍です。
ここで、一見凡庸に見える小説が実はこの三点の中で唯一抜きんでて優位性があるものがあります。
そうです。それは、≪練習時間≫です。
“小説を書くのに、練習する時間は必要ない”のです。
勿論、字を書いたり物語を考えたりするのが苦手な方も沢山いらっしゃいますでしょうし、個人差はあると思いますが、練習時間は必要ありません。個人差に基づいたものになります。
“言葉”は練習する必要がないのです。
音楽で必要とされる演奏スキルや、漫画に必要とされる画力は自発的に磨かなければいけません。日常生活で行うことではないからです。
ですが、言葉は違います。言葉は日常生活で誰もが使用している、練習し続けているスキルなのです。例えば私などは百万文字程度作品を書いたはずですが、今これを読まれている皆様と私との間に文章力の違いがあるのか、と言われればほとんどないでしょう。
そしてより恐ろしいことに、小説投稿サイトは一冊分を待たずして、一話三千文字でも、創作物として世界に発信することができます。
≪練習時間≫なしに、たった一時間で個人が小説を投稿することが出来るということです。
まずはこのことを皆様に共有知識とさせてください。
「本章のまとめ」
小説は誰でも、一切練習することなく、たった一時間やそこらで世界に発信することが出来る。
【本題】
さて、これから何故ライトノベルのタイトルがここまで長くなってしまったかについて言及していきたいと思います。
先ほど小説は一切練習する必要がないと申し上げました。そしてそれはすなわち、「他人との差別化が難しい」ということになります。
優れた音楽技術や漫画技術は、一度聞くだけで、一度見るだけですぐに分かります。プロと素人とでは、その技術に大きく懸隔があります。音楽はよく知りませんが、少なくとも漫画ではそうです。
しかし、小説は違います。
小説は一般人とプロとの違いが非常に分かりづらいです。
五分読んだところで素人とプロとの違いを見分けるのは至難の業でしょう。そして実際、私も小説を書くのに何も練習をしていません。
「小説は他人との違いが分かりづらい」
つまり、一目見ただけでは面白い作品なのか面白くない作品なのかが分かりづらい、ということです。
それに加え、小説は一話三千文字で世界に発信することが出来るため、否が応でも作品数は増えていきます。
音楽が五分で出来る場合があると申し上げましたが、それはとても短い場合で、実際には何時間もかかるでしょう。そして≪練習時間≫が必要なので、創作することが出来る人も限られてくると思います。
小説は創作人口の点でも、創作にかかる時間でも、圧倒的に他の分野よりも優位性があるのです。
全人類がすぐに創作出来て、それも一時間で世に出せるとなれば、作品数はとんでもなく膨大な事になります。事実、小説投稿サイトの作品数はとんでもなく膨れ上がっているだろうと思います。他の分野がどうなのか知らないので詳しいことは分かりません。
・他人との差別化が難しい(技術の差が小さい)
・誰でもすぐに参入できる
・すぐに作品が出来上がる
この三点が揃った時、何が起こるのか。
そうです。作品の埋没です。数々の面白い作品が、タイトル名が分かりづらいというその一点だけで埋もれてしまうことが多々ある、ということです。
ですので、タイトルで小説の中身をあらかた説明し、他人との差別化を図っている、とういうことになるわけです。
「ライトノベルのタイトルってストーリー説明してばっかだよなwww」などと言った揶揄は正しくもあるということです。
ただ、その裏に何があるのか、何故こうなっているのかを推し量っているのかは私には分かりません。
つまり、ライトノベルのタイトルは「その作品の顔」だということです。漫画でいうところの表紙です。
漫画はタイトルの意味が全く分からなかったとしても、表紙の雰囲気や登場人物でおおよそどういう物語かは推測できることでしょう。
剣を持った和服の男の子が辛そうに構えている所を見れば大正時代のシリアスな話だろう、とおおよそ推測はつくでしょうし、女の子が二人でにこやかに笑っている表紙ならば、日常物かあるいはその類であるとおおよそ推測はつくでしょう。
小説投稿サイトの作品はそういった表紙がありません。なので、タイトルが漫画の表紙と対応したように、ストーリーを説明したものになりがちなのかと思います。
ここで一つ疑問がわいてきます。
“文学小説はあまりそういう傾向がないのではないか?“
です。
文学小説は確かに本編と全く関係のないタイトルばかりついている印象がありますが、文学作品はストーリーで売っているからではないからだと思います。ただでさえ衰退傾向にある文学作品の欠点が、ストーリーではなく、その話の中で葛藤、不安、焦燥、嫉妬、怨嗟、臆病、傲慢、不遜、などの人間的な感情の変化発露を描いている点だと思います。
あくまでストーリーは人間の心情の変化を分かりやすく説明するための舞台装置であり、話に重点は置いていないからだと思います。
そして人間の心の変化や発露はそう簡単に分かるものでもないと思います。さんざ舞台とその人格を説明して、最後にようやく発露を確認することが出来ます。なので、個人の好みに合うのかどうかを判断するのにつく時間がかかりすぎるのです。
以上です。
【最後のまとめ】
・小説は誰でもすぐに作品を発表できるので、作品数が膨大
・小説は≪練習時間≫が必要でないので、他人との差別化が難しい
・膨大な作品数の中で埋もれないため、作品の顔としてストーリーを説明したタイトルになる
よきご一日を。