2・再会からのスパーク
ヴァイクリフから赤いアネモネを貰ったのは、庭園のメイン、ウェヌスの噴水のそばだった。あのとき彼の兄はこの噴水の前で私の姉に求婚した。
二人は数年前に結婚をして、可愛い子供たちもいる。
私はきっかり10年となるこの日、ひとりきりでこの場所へ来ると噴水のふちに座った。
ウェヌスは姉たちを祝福したのに、私たちを祝福しなかった。私の美しさが合格ラインに達しなかったからだろうか。
もうヴァイクリフの顔もよく思い出せない。覚えているのは、彼と遊ぶのが楽しかったこと、彼の訪れを心待ちにしていたこと、彼を大好きだったこと。初恋だった。
ポロポロと涙がこぼれる。
こんな姿を外で晒してはいけないけれど、今日だけは許してほしい。
「……姫さま」
遠慮がちな声。
顔をあげると侍女のルルーが悲しげな表情で立っていた。
「中に戻りましょう。姫さまの好きなお菓子を用意してありますよ」
私は首を横に振る。
「もう少しだけ。あの影が」と噴水の影を示す。「あそこまで来たら、戻るわ。必ず」
ルルーが「分かりました」とうなずいて踵を返す。
彼女の去って行く背をしばらく見送って、それからまた地面に視線を転じた。
「……エミリア」
名前が呼ばれた気がした。
再び顔を上げ、周囲を見渡すが去って行くルルーしかいない。彼女は私の名前に敬称をつけずに呼ぶことはない。
気のせいだろうか。
「……エミリア」
気のせいじゃない!
確かに私の名前を呼ぶ声がした。
立ち上がって周りを見渡す。やはり目に入るのは遠ざかるルルーだけだ。
「……エミリア!」
「誰!?」
「聞こえた!?エミリア!聞こえるかい?」
若い男の声だ。
「聞こえるけど誰?どこにいるの?」
「エミリア!僕だよ、ヴァイクリフだ!」
顔から血の気が引く。
「なんて酷いいたずらなの!」
「いたずらじゃない、僕だ、ヴァイクリフだ!」
その声が噴水から聞こえることに気づく。だけど人どころか猫も鳩も、どんな生き物もいない。
恐る恐る視線を下げると、揺れる水面の中に若い男がいた。
「ヴァイクリフ!!」
たまらず叫ぶ。最後に会ったのは10年も前。その時の顔すらおぼろげなのに、何故なのか、その若い男がヴァイクリフなのだと確信した。
「ああ、エミリア!ありがとう!お願いだ、助けてほしい!今、僕はのっぴきならない状況なんだ!」
水の中のヴァイクリフが言う。
「姫さま!?どうされましたか!?」
ルルーの叫び声にはっとして振り返ると、こちらへ向かって走ってくる彼女が見えた。
「ヴァイクリフよ!水の中にいるの!」
「姫さま!!」
「エミリア!!」
ルルーとヴァイの声が重なる。
「エミリア!」とヴァイ。「お願いだ!助けて!」
「もちろんよ!あなたを助けるわ!!」
その瞬間。
手が飛び出して来た。ざぁっっと音を立てて水の中から。
人ならざる巨大な手。長い爪。
腕を捕まれる。
「ひっ!!」
強く引っ張られる。
「姫さま!」ルルーの叫び声。
私は噴水の中に倒れこんだ。思わず目をつぶる。
確かに水をかぶった。
だけれど噴水の底に身体を打ちつける瞬間がこない。
それどころか足裏でしっかり地面を感じている。
……おや?
ゆっくりと片目ずつ開くと。
目の前にいたのは背の丈が人の倍はある半裸の巨人。しかも一つ目。その隣には炎のような紅色をした巨大な竜。
腰が抜けてその場にへたりこむ。
そして。
私の中で何かがスパークした。
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