1・はじまりの約束
「エミリア。これ」
その言葉と共に差し出されたのは、一輪の赤い花。
「あげる」
花を持つのはヴァイクリフ。ひとつ年上のお友達。だけどお父様が大使に任命され、家族揃って隣国へ行ってしまうらしい。
「ありがとう」
花の種類に詳しくはないけれど、眺めるのは大好き。
「お部屋に飾るね」
えへ、と笑う。
じゃなかった。口角を僅かにあげて品よく微笑みなおす。
ヴァイクリフはぷっと吹き出した。それから、
「王女教育をがんばって」
と言った。
「ヴァイこそご令息教育をがんばってね」
「もちろんだよ。だから帰ってきたら…」
うわあ!!という歓声が離れたところで上がる。
見ると侍従侍女たちが噴水のそばに集まって手を叩いている。
「なにかしら?」
「…きっと兄が君のお姉さんに求婚したんだよ」
「また?何度もフラれているのに?」
苦笑するヴァイクリフ。
「今日、了承してもらえなかったら諦めて、父が選んだ相手と婚約するって言ってたよ」
だけどあの歓声とそれに続くお祝いムードからすると、求婚は成功したようだ。
「良かったわね!それでヴァイが言いかけたのは何?」
尋ねると、彼は不思議な笑みを浮かべた。
「やっぱり今はやめておく。タイミングが悪いや。僕が帰って来たときのお楽しみにしよう」
「いつ帰って来る?来月?」
「そんなに早くはムリだよ」
それからヴァイクリフは、またね!と言って、まるでまた明日会えるかのような雰囲気で去って行った。
◇◇
あれから10年が経って私は18になった。
私の部屋には一輪の赤い押し花が立派な額に入って飾ってある。ヴァイクリフからもらったやつだ。
あのあと侍女のルルーに見せて花瓶をちょうだいと言ったら、彼女は破願して、
「アネモネ!しかも赤!」
と嬉しそうな声を上げた。
「赤いアネモネだと何かあるの?」
と尋ねると、彼女の表情は含み笑いに変わった。
「そのうちわかりますよ」
そうして何日かは花瓶で生花のまま愛でて、それからルルーが押し花にしたのだった。
今の私は、その花の意味を知っている。
だけれどこの10年の間、ヴァイクリフには会っていない。彼は行方不明なのだ。
ヴァイクリフ一家が隣国に赴いた半年後、かの国では革命が起こった。隣国は王政だったけれど、政治はけっして悪くなかった。ただ数年続く異常気象で飢饉が続いていた。
しかも近隣の二国で立て続けに革命が起こり、世界的に打倒王政の風潮があった。
そんな状況で隣国にも革命が起こり、ヴァイクリフは混乱の中、家族とはぐれてしまったらしい。
しかも理念なき革命だったせいで、今でも政情は安定せず短命の政権がころころと入れ替わり、社会はマフィアやシンジケートの支配下にある。
国王である父は、国民の隣国への渡航を禁じ国交は断絶。ヴァイクリフを探しに行くこともできない。
命からがら帰国した彼の家族は懸命に情報収集しているけれど、彼が生きている痕跡は見つかっていない。
一輪だけの赤い押し花を見て、ため息をつく。
成長期の10年は、普通の10年とは違う。私の身長は30センチも延びたし、寸胴だった体型がボンキュッボンの素晴らしく魅惑的なものになった。
男女問わず身分の上下も問わず友達はたくさんいるし、持ち込まれる縁談は数えきれない。
今頃再会してもヴァイクリフに失望するかもしれない。ヴァイクリフが失望するかもしれない。
それでも。私はまだ『帰って来たときのお楽しみ』を待っている。
だけれど、それもあと3日限りだ。
3日後で、あの日からきっかり10年。それが両親と約束をした、『待つ』期限だ。それまでにヴァイクリフが帰って来なかったら、私は父が選んだ方と婚約をする。