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心残りを探して

作者: 水月圭

 眠気を誘う午後の日差し。

 耳をすり抜けてゆく先生の声。

窓際の、後ろから二番目のこの席は、教室の中でもかなりいい席の一つだろう。そこから見えるありふれた教室の風景に、おかしなものが一つ。

 それは人の形をしていて、この学校の制服を着ている。そして、天井付近をふわふわと漂っていた。

(……幽霊?)

 さらに言えば、その幽霊らしき人影の顔には見覚えがあった。見覚えも何も、彼はクラスメイトだった。つい先日、通勤通学の時間帯で込み合った駅のホームから転落し、電車にひかれて亡くなったはずの。

 顔は黒板の方に向けたまま、目線だけで彼を追っていると、彼――山本がこちらを見た。

 目が合った、と思った次の瞬間、山本は突然急降下して、私の机の前に降り立つ。

「見えるの!?」

 大きな声を出されて、思わず肩が跳ねる。慌てて周りの様子をうかがったけれど、山本のことが見えているのも、声が聞こえているのも、この教室の中では私一人らしい。期待を込めたまなざしでこちらを見つめる山本に視線を戻すと、わたしは小さくうなずいた。


「見える人がいてよかった!電車にひかれたはずなのに、気が付いたら自分の家にいてさ、両親にも妹にも俺のことは見えないみたいだし、どうしようかと思って、とりあえず学校まで来てみたんだ。」

 何か返事をしようと思ったけれど、授業中だ、声を出すわけにはいかない。泳いだ視線が、手元に広げたノートにとまった。

『成仏してないってことは、何か心残りがあるんじゃない?』

 ノートに書いた文字を読んだ山本は、なるほどというように手をポンとたたいた。

 ……なんだか意外だ。生前の山本は、いつも暗い顔をして、縮こまって一人でぽつんと座っていた印象がある。仲のいい友達がいるようにも見えず、今のように大きな声を出したり、表情をくるくる変えたりするところを見たこともない。

 かくいう私も、だれとも特別仲良くしたりはせず、休憩時間などはいつも一人で過ごしているわけだけども。

『なんか、印象違うね。』

「そうかな、……そうかも。生きてるときは周りの反応とかを気にしていたけど、死んでから誰にも気づいてもらえなかったから、かえって堂々とできるみたい。」

 私がノートに文字を書いて、山本は声で返事をする。私たちのやりとりがもし他の人にも見えていたら、なんだかおかしな光景だっただろう。


『後悔について、何か心当たりはないの?やり残したこととか、思い当たるものはない?』

 そう書くと、山本は腕を組んでうーんとうなった。

「そうだなあ……。」

 そのまま、しばらく沈黙が続いた。山本は足元に視線を落とし、じっくり考えているらしい。それから顔を上げると、勢いよく「うん、わからん!」と言った。

「特に何か夢や目標があったわけでもないからなあ。心残りって言っても、何が引っかかってるのかわからないや。」

 それでは、どうすればいいのだろう。生前の山本とは親しかったわけではないけれど、こうして私だけに見えているということは、何か縁があったのかもしれない。このまま成仏できなくてふらふらするというのもなんだかかわいそうだし、幸い、部活動をしておらず、放課後に遊ぶ友達もいない私には時間がある。

『よかったら、協力するよ、心残り探し。』

 山本は「本当か!ありがとう!」と顔を輝かせた。


 とりあえず、思い入れのある場所がないか尋ねてみたところ、山本は少しためらうそぶりを見せてから、小さく「……図書室。」と答えた。

『読書、好きなの?』

「いや、まあ、好きっていうか、好きだけど、あんまり難しい本は読めないし、作家とか全然詳しくないし……。」

 慌てたようにそう言う山本は、さっきまで満ちていた自信がみるみるしぼんでいったようで、いつもの、生前の見慣れていた山本の雰囲気に近づいた。

『いいんじゃない、完璧じゃなくても。好きって気持ちを持ってることが、大切だと思う。もっと胸を張っていなよ。』

 そう書くと、山本は少し明るい表情になった。

「そうかな……、ありがとう。」


 放課後になってから、二人で図書室に向かった。図書室は静まり返っていて、小さな物音や人の息遣いが聞こえるほどだった。勉強をしている生徒が数人と、今日の当番らしい図書委員がいるほかに、人は見当たらない。

 滅多に図書室を訪れることのない私は、珍しくてあたりをきょろきょろと見まわしたけれど、慣れているらしい山本は、迷わずとある本棚に向かった。

「このあたりが、俺のお気に入りの場所。」

 他の人には聞こえないはずの声を小さくして、それでも宝物を自慢するような、やや興奮した声で山本は言った。

「それで、この作家が俺は一番好き。」

 そう言って、同じ作者の本が並んでいるあたりを手で示す。最後にその本の中の一冊を指さし、

「おすすめはこれ。初心者でも読みやすいと思うし、キャラクターと話の展開が好き!」

 にかっと笑う山本に、私は「そうなんだ」という風にうなずいた。

『それで、どう?山本の心残りと、図書室やその本は関係ありそう?』

「うーん……。」

 腕を組んで本の背表紙をしばらく見つめた後、山本は「違う気がする……。」とつぶやいた。


 校内を一周してみたけれど、手掛かりらしきものは一つも見つけられなかった。学校の近くのファストフード店で小さいカップのコーラだけ頼み、席に着くと私はうなだれた。

この店を提案したのは山本だった。学校では、一人でしゃべっているところを誰かに見られたくなくて、わたしはずっとノートに言葉を書いていた。にぎやかなファストフード店なら、少しくらい声を出しても大丈夫だろうということらしい。

「ごめん、力になれなくて……。」

「まあまあ、そう肩を落とすなよ。心残りはわからなかったけど、俺は結構楽しかったよ。」

 顔を上げると、山本は本当に楽しそうに笑っていた。

「誰かと一緒に放課後を過ごすの、久しぶりだったし、話ができたのも楽しかったし。それに、和泉って意外と優しいんだなって。」

「私が、優しい?」

 照れくさくて思わず聞き返すと、山本は力強くうなずいた。

「うん、今までは、だれともつるまない怖い人なのかなって思っていたけど、こうやって明らかに面倒そうなことに付き合ってくれてるだろ。」

「……別に、暇だっただけだし、ただの気まぐれ。」

 背中がむずむずして、ついそっけなく返してしまう。普段一人でいるのだって、どうやって他人との距離感をつかめばいいのか、よくわからないだけだ。他の人たちがよくやるように、四六時中べったりくっついているのが息苦しいからだ。


「……あのさ、山本。今日は手掛かりが見つからなかったけど、別に一分一秒を争うわけじゃないし、明日も手伝うよ。」

「本当か!」

「うん、だから、また明日ね。」

「ああ、また明日。」

 そう山本が返した時、違和感を覚えた。

「あれ、なんか山本、透けてない?」

「えっ!?あれ、本当だ!なんで!?」

 だんだん透けて薄くなる手のひらをしばらく見つめた後、山本は「ああ、そうか。」とつぶやいた。

「俺、多分、寂しかったんだ。」

「寂しかった?」

「そう。高校に入って、仲の良い友達が近くにいなくなってから、ずっと一人で。」

 山本は私と目を合わせると、にっこりと笑った。

「……だからさ、もう一度誰かと何でもない時間を過ごして、最後にさよならが言いたかったんだと思う。」

 そう言いながら、少しずつ、山本の輪郭が薄くなっていく。

「和泉が俺のこと見つけてくれてよかった。手伝ってくれてありがとうな。」

 何か言わなくちゃ。ええと、ええと。

「山本!」

「ん、何?」

「もし生まれ変わったらさ、その時は、生きてるうちに友達になろう!約束!」

 そう言うと、山本は今日一番の笑顔でふわりと笑った。

「わかった、約束な!……ありがとう、さよなら。」


 そうして、山本は空気に溶けるように消えていった。私はぽつんと座っていた。ファストフード店のBGMが、やけに遠くで聞こえるようだった。店の窓から、ゆっくりと沈んでいく夕日が見えた。

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