ハムスターの気持ち
5年2組の教室で、騒ぎが起きた。
「1組にハムスターがいるの、私たちも飼いたい!」
と、女子児童らが、ゆかり先生に詰め寄ったのだ。
そのハムスターはオスだという。見た目は白と茶色が混ざり、ロールケーキのお菓子のよう。頭の辺りが少し突っ立っている。ヤンキーのお兄さん風な前髪。
指先を近づけたら、
『キー』
と、咬まれ血豆が湧き出し、泣き出す児童もいたと。
結構、やんちゃなハムスターだが、ナゼか女子児童に人気がある。休み時間は籠の回りを取り囲んで見つめられていた。
「私たちも、欲しい!」
と、2組で女子らが、騒ぎだしたのが理由だ。
それを鎮めるために、学級費から捻出して買ったようだ。
名は、『ピピー』とつけられた。
白い毛並みで覆われていた。
ウェディングドレスを着ているように見えるらしく、可愛らしい。メスかどうかは分からないが、多分、そうかも知れない。おとなしいようで、背中を撫でられてもじーっとしていると。
男子児童に、隠れファンが多いと噂されている。
ある日、ケージの入口をちゃんと閉めなかったのか、
「ピピーがいない! 逃げた」と、大騒ぎだ。
5年生は校舎の3階だが、1階にある1年の先生から連絡が入った。
女子トイレに隠れていたという。無事に保護された。
又、しばらくして、同じように逃げた。同じく、1年生の女子トイレで見つかった。
「撫でた後は、しっかりこの窓、ガチッと、閉めろよな!」
と、男子が言ったらしい。
だが、逃げた。………三度目。
2組の女子は、一斉に1年生の女子トイレに集まった。
しかし、どこを探してもいない。
他のトイレも探した。
先生、来客用まで。しかし……、いない。
男子も協力して、男子トイレを全て探すが、どこにもいない。捜索は運動場まで広がった。花壇まで手分けして探した。6年の男子は、溝に顔を突っ込んで見てくれたと。
教頭先生に話が伝わり、校内放送で全児童に協力を求めた。掃除の時間は、これまでになく、みんな真剣だ。
しかし、1週間がたっても「見つかったよ!」という連絡はない。
ゆかり先生は、
「ピピーは、旅に出たのよ。籠はかたずけましょう」と、ポツリと言う。
「イヤ―ッ」
5年2組の生徒で、泣きだす子もいる。
『おなかが空いていないか、ネコにいじめられていないか、車にひかれていないか』
いろいろと、想像してるのだろう。
※ ※ ※
私も、娘からその話を聞いた後、
「そうか」と、学校の周りを歩いた。
「ああっ」
パーキング前で足が止まった。体に雷が直撃するほどのショックを受けた。
タイヤに踏みつけられた、ネズミの死骸があった。
いつもなら、意識せずに素通りする足元、「ゲッ」と、見過ごすものだが。
よくよく見ると、体は大きく黒色なので、ハムスターではない。
恐らく『ピピー』でもないと。
胸を撫で下ろして、家に帰った。
ピピーは、一瞬でも自由を謳歌したはずだと、自分に言い聞かせた。
毎日、仕事で時間も場所も拘束させられた生活をしていると、うらやましく思える。
ピピ―は、オスかメスか聞いてなかった。
ケージの入口のロックを確認していなかったと、泣きはらす娘に、
「相手を見つけて、幸せに暮らしているよ」と、説得した。
「1組のはオスなの。わざと逃がす? 二匹、一緒に遊ばせたら、楽しそうだったから………」
私は、咄嗟に娘に返事をした。
「いやダメだ。逃がさなくていいよ」
ピピーはメスだったのかと、初めて知った。
「だって、姫様のピンチのとき、王子様が来て助けるってもんでしょ。名前はロミオよ」
「だったら、ピピーじゃなくて、ジュリエットとつければよかったんだ。でも、物語の最後は二人、死んじゃうんだよ」
「そう、ピピーで良かったんじゃない」
「確かに………」
私は散歩だと言いつつ、再びピピーを探しに。
よくよく、地面を眺めると、公園が近いからかもしれないが、多くの生き物が死んでいることに気が付く。ほとんど、昆虫だ。
学校の東門の青いゲートの下に、何か、白色で動くものが見えた。
(もしや)
そっと近寄る。
(間違いない、あれは、ピピーだ)
気配を感じたのか、駆け出して道路に出ようとした。
私は全力で走った。
(最後の、チャンスだ)
ピピーは、ハッと身の危険を感じたのか、踵を返して学校へ戻ろうと。住み慣れた場所に戻るのは、本能だろう。
そして、花壇の中に、
私は、逃がすもんかと、頭から滑り込んだ。野球なら、最後のヘッドスライディングだ。
顔に、ひまわりの茎に幾度もぶつかり、かなり痛い。
しかし、右手に、ふにゃっとした感触、手ごたえがあり、間違いなくピピーを捕まえた。
ギーッ、ギーッ
断末魔の悲鳴が、聞こえた。
右手の内側、指先を噛もうと必死だ。
ハッと、手を緩めた。
『すまん、すまん』
と、返事を期待したわけではないが、こころで謝った。
同時に、やったーと、娘の喜ぶ顔が思い浮かんだ。
その時、
『………お願い、はなして!』
と、女の子の声が聞こえた。
「だれ?」
と、周囲を見回す。
『あたし、あなたの右手にいるわ』
右手の中のピピーを覗いた。先程の噛みつこうとした、ハムスターと思えない。両目に涙を浮かべて、小さな二つの手の平を合わせている。
『ピピーか?』
『そうよ。お願いだから、私を自由にして。これから学校を出るの』
『いや、外は危ないぞ。猫も、野良犬もいる。それに飯はどうするんだ』
『食べ物は、ウサギさんからもらうの』
『そうか、あの小屋か………ネコはどうするんだ?』
『逃げる。小さい通路があるもん』
『車があるぞ。カラスも飛んでくる』
『へっちゃらよ、鳥からの隠れ方も学んだわ。もう卒業よ。お願い、行きたい!』
『危ない、ダメだ!』
『いやー、あそこには、戻りたくない。みんな、もみくちゃにするし、毛を引っ張るし………ああっ、ロミオ!』
「おぅー」
と、別の声が頭の中で聞こえた。
遠くから、飛んでくるように、最初は小さな声だった。
『やはり、オレの事が好きか。ロミオだ。オレも出してくれ、ピピーと一緒に逃げる』
私は返事を、
『二人とも、危ないぞ!』
『ロミオも一緒なら、大丈夫』
『絶対許さん!』
『おい親父、オレを信じろ。この知恵と、前歯で、彼女を危険から守ってやるぜ。まかせろ! 幸せにするって誓うよ、結婚する』
『………』
最後に、ピピーが
『うれしい』
※ ※ ※
家に戻って、「1組のハムスターを逃がすのは賛成だ」と、娘に告げた。
次の日、再び、大騒ぎになったのは言うまでもない。校内放送もあったと。
娘に、「ロミオはいい男だった」と話すと、笑われた。
了