第7話 『補習』
鬱陶しいくらいの蝉の声。もう嫌になるほどの日差し。
……家から出て数分。もうすでにわたしは帰りたくなっていた。ダメ。帰りたい。
「あつ、あつ、暑い……」
もうただでさえ暑いのに、制服の上に羽織ってきたジャージが暑さに拍車をかけている。
……なら脱げばいいのに、って話なんだけど。そういうわけにもいかないのだ。
溜息をひとつ吐いて、左手の甲の刺青を眺める。
ローマ数字でVIIと刻まれた、赤黒い蝶の刺青。これは願いをかけたゲームの参加権だと仮面の胡散臭い男は言ってたっけ。
この刺青はどうやら同じ参加者にだけしか視認できないらしく、流石に戦う気はあったとしても、何も隠さず堂々と出かける度胸はわたしにはなかったわけで。
こうして長袖のジャージで、萌え袖をして刺青を隠してるのだった。……誰得なんだ、わたしの萌え袖。
目を半分近くまで隠している前髪も鬱陶しい。切ろうかなあ、髪。
この前髪は少し嫌いだったりする。人間関係において、どうしても一歩前に踏み出せないわたし。そのわたしの性格の暗さを、この前髪が表して見せびらかしている気がするから。
「……なのに切らないのはわたしがそういう性格だって認めてるから、なのかな」
心理学の心得はない。けどもなんか、そんな気がしてやまない。ううむ。いと難しきわたしの心情。
なんて、現実から目をそらすためにひたすら思考を回すのはやめよう。もう学校が目の前だ。
わたしの心情なんかよりよっぽど難しい、補習が待ってるし。いやあ、待ってなくて良いって。
◇◆◇
エアコンを入れて、机を囲うように四人で座る。右斜め前に舞姫、左斜め前に健人、正面に中村といった感じだ。
各自目の前には飲み物が置かれている。後輩2人は持参した飲み物で、俺は当然ストックしてあるコーラ。舞姫も何故か俺と同じように冷蔵庫からコーラを出してきたのだが、まぁ。ここでツッコミを入れれば話が前に進まないのでとりあえず放置しておこう。
「で、とりあえず。何について話せばいいですか?」
俺が舞姫を睨みつけていると、中村が苦笑しながら切り出した。何について、と言ったら……
「なんでこんな状況になってるのか、からだな。倒れたところに舞姫が来たとこまでは記憶があるんだけど、なんでおまえら後輩コンビが居るのかは覚えてない」
「ああ、やっぱりですか……」
中村が目の前の午前の紅茶 (ミルクティー)をひとくち呷ると、何故か淡く頰を染めた。
「……あんなに激しかったのに、夜のことは覚えてな痛い!!」
……中村の額に消しゴムが直撃した。犯人は舞姫。もう見事なアンダースローでどこから出てきたのかわからんけど消しゴムが額めがけてスコーンッと。容赦ねえ。
「何ですか冗談じゃないですか舞姫センパイ!!」
「ふざけないでちゃんとお話し、進めようね〜」
舞姫の笑顔が怖い。もうなんか、中村に『次ふざけたら殺す』と本気の殺意を向けている。怖い。
「……帝センパイが倒れた時、瑠璃たちも舞姫センパイと居たんです。んで、舞姫センパイだけで帝センパイを運ぶのは難しいからーってお手伝いしたんですよ」
「ああ、そういう……」
確かに、倒れる寸前に聞いた足音は舞姫だけにしては多かった気がする。
「で、運んで来たら叔母さんに感謝されて、瑠璃たちはお夕飯までご馳走になって帝センパイのお部屋に泊まらせていただいたわけです」
「うん、わかったけど添い寝するのはやめてな。俺一応男だから」
「瑠璃とても寝相が悪くて気づいたら人の布団に痛いッ!!」
……また消しゴムが飛んで行った。次はほぼノーモーションだったぞ。
中村は口を開けば俺にこういう類の冗談を投げかけてくる。正直少しだけ苦手だ。
ふざけている中村に呆れつつ、次は午前の紅茶 (レモンティー)をひとくち飲むと健人が口を開いた。
「で、オレ達が能力者だって話。とりあえず舞姫センパイと話しして、オレ達も帝センパイの為に戦うことになったから」
「……俺のために、か」
「まぁ、オレ達願いとか無いんで。それなら誰かのために戦った方がいいんじゃねーの、って話」
健人の言葉で、少し胸に靄がかかった。
何だろう。自分でも何かわからない不快感が、胸を覆い隠すような。そんな感覚。
「帝センパイ?」
「ああいや、なんでもない。続けてくれ」
心にかかった靄をなんとか追い払って、健人の言葉に再び耳を傾けた。
「それで、オレ達の能力。実際ここで見せてもいいんだけど、マズいから説明だけで」
「え、マズいって何がよ」
「やっぱ帝センパイも知らないのかよ……」
健人と中村、ついでに舞姫までもが苦笑する。俺何かマズイこと言いました??
「いやな?舞姫センパイにも言ったけど。能力を使用すると、周りにいる能力者と共鳴するんだよ。能力を強く使えば使うほど、遠くにいる能力者まで感知できるようになるんだ」
「なにそれ聞いてない……」
「うわ、私と同じ反応」
笑う舞姫を放置して頭を抱える。どうりで穂村の野郎にバレるわけだよ。ここ数日すっげー頻度で能力使ってたもん。説明不足すぎだろあの仮面の野郎……。
「……で、オレの能力の説明から。オレは『能力をコピーする能力』な。アンタにわかりやすく言えばパソコンのコピー、ペーストって感じ。相手に触れることでその能力をコピーして、貼り付けることができる。まぁコピーした能力は若干劣化したり、その能力を使用できる回数が制限されたりするんだけど」
ふむ、とてもわかりやすかった。
まぁ言ってしまえば異能力モノの定番の能力だろう。少し羨ましかったりする。
頷いていると、次は中村が口を開いた。
「で、瑠璃の能力ですねー。瑠璃は『音を詠む能力』です。説明するの難しいな……色んな音の周波数?みたいなものを詠む事が出来て、全く同じ音を出すことができるんです。まぁその音が大きければ大きいほどなんか喉に負担がかかって、痛くなったり声が枯れたりするんですけど……」
むむ、むむ?と自分でも理解できてないのか、首を傾げながら眉間にしわを寄せる中村。大方理解はできたけど、これで戦うのはしんどそうだな。
「まぁオレたちの能力はこんな感じ。んで、次はオレ達が質問する番なんだけど」
2人の能力を聞いて考え込んでいると、
「アンタの願いって、なんなんだ?」
思考に、針が突き立てられた。
健人にとっては何でもないような質問なのかもしれない。なのにそんな言葉が、針となって痛みを生んでいる。
「俺の、願いは────」
針の隙間から、また靄が溢れ出す。
靄が俺に、『本当にそれでいいのか?』と問いかけてくる。
中村と健人は俺の過去を知らない。なのに俺に協力してくれると言っている。
なら、ここでちゃんと話してやるのは当然だろう。なのに、何が俺は不満なんだろうか。
「……帝センパイ?言いたくないなら、無理には聞きませんけど」
気を使って言ってくれたのは中村だった。
言いたくない、わけじゃないんだけど。じぶんでもよくわからないからなんとも言いづらい。
「すまん、またいつかちゃんと話すから」
「そうか……まあ、わかったよ」
少しムッとしたものの、健人も渋々頷いてくれた。
部屋に流れる気まずい空気。みんな無言で飲み物を手に取り、ひとくち飲めばまた黙りだしてしまう始末。
そんな気まずい空気を破ったのは舞姫だった。
「あ、そうだ。そろそろ学校に行かないとだよ、帝」
「は?」
思わず素っ頓狂な声を上げる。
いや、なんで夏休みに入ったのに学校に行かにゃならんのです?
「は?じゃないよ。補習だよ、補習」
「補習?」
「うん。補習」
言いながら、舞姫が一枚のプリントを取り出す。
「夏休み補習実施のお知らせ……?」
まぁ文字通り、夏休みに補習するよという内容のモノだった。そこには当然不登校であり成績が0に等しい俺の名前があり、その下に舞姫の名前もある。
……そういえばコイツはバカだった。
「俺が補習?行かないからな」
「いーじゃん人少ないしさ。行こ?拒否権はないから」
「拒否権無いんかい」
……まあでも、人が少ないならーと思い始めている俺もいる。
仕方ない。たまには学校に行くのも良いだろう。
◇◆◇
学校前にまで着いた。正直もう帰りたい。
ここに着くまで4度くらい舞姫に「帰っていい?」って聞いてるのに全部が全部『ど』が付くほどのスルーである。帰りたい。
……制服を着た瞬間、少しはワクワクしたさ。不登校になる前は『制服に着られてる』といった感じが否めなかったのに、今着ればピッタリになってて。引きこもってても成長はするんだなぁ、だなんて思った。
でもそんなのは家を出るまでだった。家を出てみれば暑いのなんの。帰りたい。もう語尾が帰りたいになっているまである。帰りたい。
そんな俺の内心を無視して、腕を引っ張って正門をくぐる舞姫。帰りたい。ここまでで俺は何回帰りたいと言ったでしょーか!答えはウェブで!
「じゃあセンパイ、瑠璃たちはここで。部活がありますから」
言いながら、校舎とは別方向に足を向ける後輩コンビ。
「ああ、そっか。お前らは補習じゃなくて部活なのか」
「はい、そうなんです……。帝センパイと離れ離れになるのは寂しいですけど、瑠璃頑張ってきます」
「あ、うん。頑張って」
思わず苦笑を浮かべて目をそらす。まっすぐな好意がムズかゆい。いや、冗談だとはわかってるんだけど。
あまりのムズ痒さに頰を掻いていると、健人がため息混じりに言った。
「ちげーよ帝センパイ。コイツ、部活じゃなくてホントは補s痛い痛い痛い」
……見てない。中村が踵で思いっきり健人の足先をグリグリ踏み潰してる光景なんて見てないよ。
まあそんな後輩コンビと別れて、校舎内に入る。
「……変わってないな」
だいぶ久々だった。あまりにも変わってないもんで、思わず感想が声となって漏れる。
木製のヤケにボロい下駄箱に、壁に貼り付けられたイジメ防止のポスター。体育会の時の写真やら、クラスの面々が書いた書道の作品。
それぞれに目をやって、頷きながら進んでいく。
気がつけば自分のクラスの目の前にやってきていて、舞姫が戸を開けて入っていった。
「………」
踏み込もうとして、一瞬躊躇う。
「えぇい、何ビビってんだ俺」
舞姫の心配げな視線が刺さる。両の頰を叩いて気合を入れ直して、教室に足を踏み入れた。
教室に居たのは俺と舞姫を入れて5人。確かプリントに書いてあった名前は8人くらいだったはずだけど……サボりだろうか。
「帝はそこの席ね」
言いながら、ひとつの席を指す舞姫。
前髪を目元あたりまで伸ばした、こんなに暑いのに長袖のジャージを制服の上に羽織った女の子の隣だ。
「………ッ」
そして彼女の手の甲を見て、思わず息を飲んだ。
袖で誤魔化すように隠されてはいるものの、確かに俺のモノと同じ────蝶の刺青が覗いている。
俺の視線に気づいたのか、気だるげに視線が俺に向けられた。
「……おう、どうも」
「……ども」
頭を下げるだけの挨拶。なんだ、これ自己紹介でもしたほうがいいのか。
まあ初対面だし、それくらいは礼儀として……。
「俺、瑞樹帝。なんか気まぐれで補習来ることになった。よろしくさん」
言って、包帯が巻かれた右手を差し出す。
包帯に驚いたのか一瞬ギョッとしたものの、右手を握り返してくれた。
「織……織 未緒李。よろしく」
……さて、えらいことになった。
視線の端で楽しそうに笑ってる舞姫は後でじっくりと問い詰めなければなるまい。
サブタイ、毎度迷う。なんかもう適当でいいかなって。