第1話 『プロローグ』
ボコン、と鈍い音がした。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
視界が真っ赤に染まる。ソレが自分の血によるものだと気付いてから、遅れて痛みがやってきた。
「いたい、いたいよお父さん……」
いくら泣いても振り下ろされる手は止まらない。腕で庇ってもすぐにはたき落とされ、顔や頭に雑誌の角や拳が降り注ぐ。
痛い、
いたい、
イタイ、
痛い。痛い。
誰に助けを請うてもそんな大層なものは来るはずはなく、唯一の助けだった母親は床に真っ赤な水溜りを作りながらすすり泣いていた。
────僕が何をしたんだろう。お母さんだって、何か悪いことをしたんだろうか。
理由もない暴力に耐えながら、ただただ外の夕焼けを眺めていた。
◇◆◇
「──────」
嫌な夢を見ていた気がする。夏の強い日差しに瞼を焼かれて、意識が体に引き戻された。
……おかしいな。カーテンはしっかり締めたハズだし、叔母は勝手に部屋に入るような性格はしてなかったと思うんだけど。
毛布を蹴り飛ばし、上半身を起こす。
「おはよう!!」
「……………………」
俺以外に誰もいないはずの部屋に響く、女の子の声。
さて、なんだろう。この状況は。
まず目に入るのは俺の部屋。部屋にあるパソコン。そのデスクの前にさも当然のように座り込んでいる昔馴染み。まずツッコむべきなのは、
「何テメェ勝手に人のPC弄ってんだ思春期の男子の履歴とか許可を取っても見ていいもんじゃねえだろ!!!!」
「え、そこなんだ?!」
俺のツッコミが何だか的を外していたらしく、幼馴染の琴美 舞姫はドリフも裸足で逃げ出すレベルのズッコケを披露してくれていた。いかん、まだ俺の頭は本調子じゃないらしい。
「そもそもなんでさも自分のもののように冷蔵庫に買いだめしてるコーラ飲んでんの?!」
「良いじゃん別に減るもんじゃないし……いや減るか?」
自問自答は放置。次。
「なんでお前は俺の部屋にいやがるんですか」
「ああ、やっと本筋に入ってくれたね。目、覚めた?」
「おかげさまでな!!」
少し荒くなった息を整え、椅子でくるくると回ってる舞姫を睨みつける。青みがかった黒髪が太陽を反射して綺麗に輝いて、かなり幻想的だ。
……幻想的であるし、容姿は正直かなり良い。だがしかし、コイツの愚行は見逃すわけにはいかんのだ。
ドアの『勝手に入るな!』の貼り紙をスルー、鍵がかかってるはずの扉を開けて部屋に侵入、部屋にある小さめの冷蔵庫からコーラを取り出し開封、なおかつPCを起動しインターネットエクスプローラーでネットサーフィン。罪状の四連コンボだ。死刑だ死刑!
「で、私がなんでいるんだ?って話だっけ」
「そうだよ。なんでいるんだ」
「学校、来ないの?」
「──────」
急にぶん投げられた爆弾に、寝起きの頭がサーっと冷える。
これでもコイツなりに段階は踏んだんだろう。それでもこの爆弾は、俺の頭に充分なダメージを与えてくれた。
「行かねえよ。学校なんて」
「明日終業式で、明後日から夏休みなんだよ?夏休みが終わってからでもいいからさ、来ない?」
「行かない」
やや食い気味に言い返す。それでも舞姫は諦めていないようで、頬を膨らませて俺の目をまっすぐに覗き込む。
「中学校楽しいよ?」
「俺には合わなかったんだ」
「帝だけ休んでてひと席だけぽっかり空いてるんだよ?寂しくない?」
「なら席だけ片付ければいいだろ。俺は行かない」
ため息をつきながら立ち上がる。ここから逃げないといつまでも舞姫に学校に来いと催促されそうで、怖かった。
「────あ、やば。立ち眩み」
途端に視界が一気に狭まり、足元がグラつく。俺は親の遺伝で低血圧なのだが、寝起きに急に立ち上がるとこうして時々立ち眩みを起こしてしまうのだ。自分がどこに立ってるのかわからなくなって、手近な机につかまろうと手を伸ばした────が。
「きゃ、ちょ、まっ!?」
ドサッと床に倒れる音が二つ。俺は手から床に落ちたのか手を軽く挫いてしまったくらいで……うん?倒れる音が、二つ??
視界が、徐々に戻る。そこには信じられない光景が広がっていて。
「──────」
「──────」
部屋を満たす静寂。鼻をつく女の子の甘い匂いと、手に触れた髪の毛の柔らかい感覚がこそばゆい。
目の前には鼻と鼻が触れるほどの距離に舞姫の顔。
……まあ、簡単に言ってしまえば押し倒すような形で舞姫と床に倒れ込んでいた。
「……えっ、あ、っと。ごめん、すぐ退くから」
グッと力を入れて、舞姫から顔を離す。顔が遠くなった代わりに少し汗ばんだ首筋だとか、呼吸に合わせて上下する控えめな膨らみだとかが目に入って────いかん、いかん。
「っつか、なんでお前こういう時ばかりしおらしくなるんだよ……いつものお前ならばかー!とか叫びながら突き飛ばしてるだろ」
「いや、まあ、あはは……なんと言いますか……」
舞姫の視線が申し訳なさそうに逸らされる。思わず同じように視線をやるとその先には、
「は、はぁ?!嘘だろ?!!」
黒い黒いコーラに浸された我が愛機のキーボードが。
勢いよく飛び起きてキーボードを拭いてやるが時はすでに遅し。もう物の見事にお逝きになられた後だった。
「あ、あぁ………あぁぁぁ…………」
「まあほら、ね?この舞姫ちゃんと青春ポイントを稼いだ代償だと思えば……」
多少の申し訳なさはあるのか、段々尻すぼみになっていく舞姫の声。いや、いやいや。いやいやいや。
「代償にしては大きすぎるだろおおおおおおお!!!!」
夏の鬱陶しい蝉にも負けない声量の、男子中学生の悲鳴が住宅街に響いたのだった。
◇◆◇
うるさいセミの合唱をBGMに、これでもかと言わんばかりにアスファルトを叩きつける日差しを浴びながら、舞姫と住宅街を歩いていく。
「ねえまだ怒ってるの」
「…………」
「機嫌なおしてってばー」
「…………」
「……ちくわ大明神」
「誰だ今の」
思わず癖で反応してしまった。舞姫はさも嬉しそうに俺の凹みまくっている顔を覗き込むと、これまた楽しそうに駆け出した。
「やーまあさ、こうして私とデートできてるんだからいいじゃん?」
「何もよくねえんだけど」
「またそういうこと言うー」
ため息と共に吐き出された俺の返事を聞くと、頬を膨らませながら肩越しに不満げな視線を投げてくる。
なんで引きこもり生活3年目を迎えた中学3年生の俺は、こうして真夏日の中外出してるのかというと。俺の『アマゾンで新しいのを買う』、という最高最短最楽な手段を舞姫が全否定しやがったからである。最楽ってなんだ。
……まあでも、1日2日シフトキーしか効かないキーボードで過ごせと言われると地獄なのは事実なんだが。FPSなんかでもジャンプしかすることができず、ただただリスポーン地点でジャンプしながら銃弾を撒き散らすシュールな遊びしかできない。そんなのは流石に耐えきれない。
そう考えると舞姫の案は魅力的ではあるけど……
「ああ、俺の相棒が……あのキーボード2年近く使ってたのに……」
愛着があるものを手放すのはなかなかの苦痛なのもまた事実だった。もう謝ったでしょ!とかため息をつきながらジト目を向けてくる舞姫はドスルーを決めておく。
「だいいち、帝が学校に来れば良かっただけの話じゃんか!」
「それは関係ないだろ……そればっかりだな、お前」
「学校に来ない帝が悪い」
「お前今日それ禁止な」
また不満そうに頬を膨らます舞姫。コイツは中学に入ってからのこの3年間、こうして俺を学校に誘い続けている。
理由はとても簡単なモノだ。コイツはそれなりに教師や同じクラスの生徒からの評判が良く、3年間連続でクラス委員長なんてものに選ばれてしまった。
だから、クラス唯一 (らしい) の不登校野郎である俺を、なんとか学校に行かせようとしている。ほっといてくれって何度も言ってるんだけども、いかんせんこいつとは家が隣同士で。帰宅するついで、みたいな感覚でウチに寄りやがるわけである。
舞姫の鬱陶しさに今日何度目かわからないため息をついていると住宅街を出た。
視界に広がる、それなりに高いビルと、大きな大きな入道雲。街並みは3年前と結構変わってしまっていて、全くの別世界のように見えた。
「……おお。結構変わったんだな、ここら辺」
「そりゃー帝が外に出なくなって3年経つからね。色々変わるよ」
「そっか、まあ。それもそうだよな」
3年という月日は、街が成長するには充分だったらしい。
3年前によく行った本屋がなくなり別の店になり。少し大きめな店があったはずの場所は公園に変わってしまっている。
他にも色々変化はあるが、途中から少しだけ寂しくなって見るのをやめた。
「そっか、俺は置いてかれちまったんだなあ」
思わず呟く。蝉の声に掻き消されてもおかしくないような、小さな呟き。だけどそれは、しっかりと舞姫の耳に入っていたようで。
「変化に追いつこうとしなかった、の間違いじゃなくて?」
「そうとも言う」
……コイツの言葉は時々痛い。図星を突かれて、思わず目を逸らす。
「…………ん?」
視界の隅に、何か白いものが映り込んだ。それと、それを追いかけるように、 まだ青信号の車道に飛び出してくる子供。
子供にはものすごい速度で車が迫っている────
「……これ、ヤバいんじゃないか?」
「やばいに決まってるでしょ!!!!」
言うな否や、舞姫は走り始めていた。
「おい、舞姫!?」
迫る車を見て固まった子供。その親と思われる女の悲鳴が道路に響き渡り、どんどん混乱が広がっていった。
子供のいる車線に飛び出し、優しく子供を抱きかかえる舞姫。そのまま転がり歩道に飛び出そうとしたのか脚に力を入れた。が、腰を抜かしてしまったのか舞姫は動けない。
舞姫の表情に浮かぶ絶望。迫り来る死の恐怖に、顔がどんどん青ざめていく。
「ああ、もう────!!」
────そんな表情を見て、俺も車の目の前に飛び出していた。
甲高いクラクションが鼓膜を揺さぶる。絶望一色に染まった、舞姫の顔。
「なんで、帝まで」
そんなかすれた舞姫の言葉を最後に。
俺、瑞樹 帝と琴美 舞姫は命を落とした
新年明けまして今年もよろしくお願いしますメリークリスマス!!!!
新年初の投稿が遅くなってしまいました。反省はしてません。この作品は過去に別のアカウントで投稿していた作品のリメイクです。REMAKEのリメイク……わけがわからないよ……。今度は見切り発車じゃなくちゃんと書きますよ。本当ですよ。安心してください。