ハートフル魔女散歩
作者:狂風師
ジャンル:ファンタジー
この作品には(似非)中世ヨーロッパ、ダーク、流血要素が含まれております。
「お母さん! やめて! いたい、いたいよ!」
「口答えするんじゃないの! あんたはそんなんだから! この!」
家の物置部屋で、何度も何度も頬を叩かれ続けても、涎や涙で顔がぐちゃぐちゃになっても手は止まらない。
小さな私の体に馬乗りになって、両手で交互に、母親の気が済むまで叩かれた。
やがて解放されると顔は腫れ上がり、叫び声で喉も痛み、何より母親からの暴力が子供ながらに悲しかった。
電気もつけられていない真っ暗な部屋の中で一人残されて、ただ泣くしかなかった。
嗚咽から来る嘔吐感でその場に吐き出されたものは、固形物など一切なかった。
吐いたことで余計に恐怖感が増した。
床を汚したから、また怒りに来るかもしれないと思った。
少しずつ目が慣れてきた暗闇の中、必死に自分が吐いたものを片付けようとした。
顔も手も、何もかもベタベタにして。
決して広くはない物置の中に、いろいろな物が置かれていた。
暗くて見えなかった。
何かが崩れる音が響き渡り、私はそれにまた怯えた。
急に光が射しこむと、私の体は大きくのけ反った。
また、あの手が、頬を叩こうとこっちを睨みつけている。
逃げ出す事もできず、さっきよりも大きな音を立てて私の頬が鳴った。
どこかで鐘の音も鳴っていた。
オゼ「大丈夫? うなされてたみたいだけど」
悪夢と、突然の声で目が覚めた。
まさか今になっても昔の夢を見るなんて、思いもしなかった。
全身の汗のせいで服が体に張り付いて気持ちが悪い。
鼻なんかからも汚く鼻水を流しているし、枕が濡れているのも汗なのか涙なのか分からない。
暑いのに全身に布団を被っていた。
よくミイラにならなかったと自分を褒めてあげたい。
荒々しく布団を跳ね除けると、それまでの空気とは比べ物にならないほど涼しい空気が触れてきた。
リッツェ「…大丈夫。ちょっと夢見てただけ」
ベッドから起き上がると、すっかり冷えて湿った服がより一層気持ち悪く感じた。
悪夢と不快感で、寝起きなのに頭はすっかり目覚めてしまっていた。
そのせいなのか何なのか、ズキズキと頭の奥が痛む。
それになんだか眠った気がしない。
朝からこんな状態かと思うと憂鬱で仕方がない。
リッツェ「着替えるから」
オゼ「朝ごはん用意できてるから、冷めないうちに来てね」
私の部屋に私一人になり、オゼが木製の階段を下りていくリズミカルな足音だけが聞こえた。
数秒、目を瞑って下を向いた。
オゼは階段を降り終わった。
外からは、何の鳥か知らないが、とりあえず何かの鳥がさえずりを聞かせている。
溜め息を一つついてから目を開け、着替えをするために立ち上がった。
寝汗だらけのネグリジェを脱ぐと、私がいかに汗をかいていたのかを知ることができた。
知ったところで何の意味もない事だけど。
クローゼットの中から白いワンピースを取り出して、それに着替えた。
今日は出かける用事があるから、なるべく目立たないような服を選んだ。
暑い時期に真っ黒の長袖の服を着ていたら、おそらく目立ってしまうだろうから。
すぐに着替え終わり、汗で重たくなったネグリジェを持って部屋から出た。
不気味なリズムを鳴らしながら階段を下りて行き、机の上に並んだ朝食を横目で眺めつつ通り過ぎた。
洗濯用の木のカゴに手に持っていたものを放り投げ、いつもより気持ち念入りに顔を洗った。
ぬるい水では気が晴れる事もなく、鏡に映った私の顔は半分死んでいるようにも見えた。
…そろそろ髪が伸びてきたし、切ろうかな。
タオルでさっと顔を拭いて、朝食を準備して待ってくれているオゼの元へと向かった。
オゼ「あ、やっと来た。それじゃ食べようか」
リッツェ「うん。いただきます」
とは言ったものの、はっきり言って食欲はない。
今日みたいな重要な日に、ガッツリ食べられるって方が私はおかしいと思うけど。
適度に火の通ったベーコンを無造作にフォークで刺しつつ、一口だけかじって皿に戻した。
目玉焼きの白身の部分を一口大にフォークで切り、それを口へと運んだ。
いつもと明らかに違う食べ方を見て、食欲がないのが伝わったのだろう。
テーブルの反対側で、不思議そうに私を見つめている。
オゼ「食欲ない? ちゃんと食べておいた方が良いと思うよ?」
リッツェ「…知ってる。でも食べたくないから」
オゼ「緊張してるんだね」
リッツェ「…うん」
緊張しないわけがない。
怖くないわけがない。
失敗したらどうなるか分からないし、成功したとしても、その先に何が待ってるのか分からない。
しかし、やらないという選択肢はなかった。
オゼ「大丈夫、僕もサポートしてあげるから」
リッツェ「オゼは…怖くなかったの?」
オゼ「もちろん怖かったよ。でも今は、やって良かったって思ってるよ」
リッツェ「どうして?」
オゼ「リッツェと一緒にいると楽しいから」
さらりと恥ずかしいセリフを、恥じなく言ってしまうのがオゼの悪いところだ。
聞いているこっちが恥ずかしくなってくる。
オゼの顔には、私をからかっているような笑顔が溢れている。
そのためにわざわざ恥ずかしいセリフを言っているんじゃないかと思う。
今は、私の緊張をほぐそうとしているのかもしれない。
たぶん考え過ぎだと思うけど。
結局私は半分以上食べずに、残ったものは外の動物たちにあげた。
ほんの少し和む光景だが、いつまでも和んでいるわけにもいかない。
気を引き締めていかないと。
もうすでに引き千切れそうなくらい心は締まっている。
最初に何て言おう。
ごきげんよう? ずっと会いたいと思ってました?
これというような言葉が見つからず、頭の中に靄がかかったような感じになった。
余計に気分が良くならない。
オゼ「動物見て気分落ち着いた?」
途中から動物なんて見ていない気がした。
リッツェ「うん、平気。行こ。久しぶりのお出かけ」
オゼが家の方に指を小さく振ると、家の数か所から鍵のかかる音が聞こえてきた。
私は餌を食べに集まってきた鳥や狼に手を振って、もしかしたら最後になるかもしれないお別れを言った。
木漏れ日が降り注ぐ森の中を、二人で手を繋いで町へと向かった。
歩いて散歩なんて、いつぶりだろう。
しばらく歩くと森を抜け、白っぽい壁に朱色の屋根が鮮やかな家々が並ぶ町へと着いた。
それぞれの家の窓辺には色とりどりの花が飾られており、見ているだけでも心が休まりそう。
どこからか流れてくるアコーディオンの音色が、町の雰囲気にとても良く合っている。
私がいた頃と何も変わってない。
オゼ「まずはどこに行きたい?」
リッツェ「えーっと……オゼが決めていいよ」
私はこの雰囲気が味わえれば、それだけで満足だった。
同時に、昔のつらい記憶も思い出しちゃうけど、あまり表情には出さないようにしないと。
オゼに心配ばかりかけさせられないから。
オゼ「じゃあ、あそこに見えてるお城に行こうか」
指差す方には、濃いグレーのとんがり屋根がいくつも付いている赤茶色の壁をした大きな建物。
見えていることは見えているが、辿り着くまでにはもう少し散歩を続けないといけない。
一直線に道が続いていれば、すぐに着いたのだけど。
適当に歩いても目的の場所に着くことは出来るかもしれないが、オゼは城までの道を知っているのだろうか。
私の手を握って先を歩いているのは、たとえ道を知らないにしても、なんだか頼もしいものに見えた。
こうして二人で歩いている姿は、他の人からどう見られているだろう。
兄妹? 姉弟?
仲の良い友達同士というのが、一番しっくりくるかもしれない。
途中見かけた店に入ると、甘いにおいが充満していた。
ドーム型のスポンジケーキのようなものや、丸くて小さい球のようなお菓子などが売られている。
オゼ「どう? お腹空いてきた?」
朝食をほとんど食べてない私を気遣ってくれている。
おいしそうなにおいを嗅がされて、ほんとは少しだけ食べたいと思った。
だけど、オゼの作った料理は食べなくて、お菓子を食べるというのは気が引けた。
リッツェ「私は…ううん、まだ」
私が答えると、オゼは丸いお菓子を何個か買ってくれた。
見透かされていたのか、何なのかは分からない。
オゼ「お腹が空いたら一緒に食べようね」
袋はオゼが持ち、店から出た。
町並みは徐々に変化しているが、基本的なところは変わらない。
変わっていくのは影の付き方や、道や壁や屋根なんかの色のくすみ。
懐かしい気持ち半分、近づいてくる時間の恐怖半分。
気が付けば昼になっていた。
まだそんなに歩いていないと思っていたけど、見えていた城は随分と大きくなっていた。
滲む汗も、それを証明していた。
リッツェ「オゼは大丈夫なの? お腹空かないの?」
ここまで朝以外何も食べてないし、買ったお菓子も食べてない。
私は食欲がないが、オゼはそういう訳でもないだろう。
リッツェ「私はいいから、何かお昼ご飯買ってきた方がいいんじゃない?」
オゼ「そう? リッツェがそう言うなら」
丁度よく屋台があったので、そこで買う事にした。
並んでいるのは、ハムやレタスやチーズなど、好きな物をバゲットに挟んで食べる物。
これなら手軽だし、わざわざ店の中に入って行かなくても食べられる。
一番シンプルなハムとレタスだけのバゲットを買って、近くの公園で休憩を兼ねて昼食の時間。
噴水を眺めつつ、涼やかな木陰に座った。
オゼ「まだ緊張?」
リッツェ「たぶん…終わるまでは」
オゼ「そっか、仕方ないよね。僕もそうだったよ」
小さな口でバゲットをかじっているのを見ると、だんだんとお腹が空いてきたような気がする。
でもどうせそんなに食べられないのだから、食事は全部終わってからにしようかな。
上に打ち上げられた水が水面に叩きつけられ、しぶきとなって辺りに散った。
揺らいでいた水面は落ち着きを取り戻したが、また打ち上げられた水によって揺らいだ。
オゼ「食べる?」
ぼんやりと噴水ばかり眺めていた私に突然声がかかった。
小さな丸いお菓子。
受け取って、無言で袋から一つ取り出した。
触ってみると、硬い。
噛んでもやっぱり硬かった。
リッツェ「…かたい」
オゼ「そういう食べ物だからね」
小さいので、今の私でも食べきることが出来た。
オゼも食べ終えていたが、そのまま木陰で休憩した。
急いでも、結局やる時間は変わらない。
落ち着いて。
なんだか、そう言われている気がした。
長い時間そこにいた。
取り留めのない話なんかを時折挿みつつ、芝生の上に寝転がったりなんかして。
日没まで、まだかなりの時間があった。
気温も下がり下がり始めたころ、また城を目指して歩いていった。
決して短いルートで歩いているわけではないので、なかなか辿り着かなかった。
でも、そうだったからこそ、オゼとの散歩を楽しむことができた。
オゼ「似合ってるよ」
スカイブルーのリボンが付いたヘアゴム。
公園から城まで行く間にあった店で買ってくれた。
夕暮れのせいで青色にはあんまり見えなかったけど。
家の陰に隠れていく夕日を城の真下で見つつ、これからに向けて心を入れ替えた。
オゼ「一緒に食べるって約束したよね」
丸くて硬いお菓子。
オゼと私で一個ずつ袋から取り出して、かじった。
オゼ「硬いね」
リッツェ「そういう食べ物だもん」
沈む太陽は影を伸ばして、闇が来ることを告げる。
城の鐘が夜が来たことを知らせた。
これからが、本番だから。
オゼ「もう見つけてあるよ。そのためにもここに来たんだからね」
城の近くの、人目に付きにくい場所。
辺りは街灯が照らすだけの暗闇。
ディナーの匂いに釣られてネズミたちが行き交っている。
夜でも寒いことはないのに、私の手は冷え切っていた。
オゼ「憎しみや怒りが魔女の力になる。ほら、昔の事を思い出して」
ふつふつと湧き上がってくる憎しみ。
私は、復讐をしに来たんだ。
そのために私は人間を売った。
魔女として生き、復讐するために。
オゼ「行こう。終わったら、今日食べられなかった分、豪華な食事をしよ」
家のチャイムを鳴らす。
オゼは家から人が出てきても見えないように、魔法で姿を消した状態で私の後ろにいる。
それがすごく心強い。
鼓動が早くなっているのが分かる。
足音がこちらに近づいていることも。
大丈夫…。
一しきりの魔法は覚えた。
うまくやれる…。
玄関のドアが開き、中から光が漏れ出る。
私の目の前に立っていたのは、あの忌々しい母親。
私をゴミのように扱ってくれた奴。
一気に感情が高ぶって殴りかかりそうになったが、それでは今まで練ってきた復讐計画が台無しになる。
憎しみの感情は高めたまま、まず始めに喋れなくする魔法で大声を出されるのを防いだ。
話すことは出来なくなっても、驚きと恐怖で歪んだ表情を見られるだけでも満足。
本当は悲鳴も聞きたかったけど、仕方がない。
相手が混乱と驚きで怯んでいるうちに、次は体の自由を奪う魔法。
といっても効果は一部だけなので、手足を動けなくするくらいしか効き目はない。
軽く肩を押してやると、バランスが取れなくなって、壁にもたれ掛かるようにしながら尻餅をついた。
リッツェ「ただいま、お母さん」
しきりに口を動かしているので、何かを喋りたいんだろう。
無意識のうちに笑いが込み上げてきて、口角が上がる。
リッツェ「ねぇお母さん。昔、私にしてくれたこと覚えてる?」
何度も大きく首を横に振っている。
嘘ばかり。
振り上げた右手を、思い切り相手の頬にぶつけた。
手の皮が張り裂けたと思うくらい痛みが走ったが、それが余計に私の加虐心をくすぐった。
魔法の効果は長くても十五分。
短い時間しかないから、あまり遊んでいる余裕はない。
リッツェ「思い出した? 毎日毎日、物置部屋に閉じ込めて、こうやって、こうやって!」
さらに何度も思い切り頬を叩いた。
楽しい。
こんな楽しい事を毎日していたのかと思うと反吐が出そうになった。
異常を察知したのか、二階から足音が聞こえてきた。
私が知る限り、この家にはもう一人しかいない。
その一人は、玄関でのこの状況を見て自分から勝手に尻餅をついた。
私によく似ている。
リッツェ「お姉ちゃん」
双子の姉。
顔も身長もほとんど違わないのに、少し先に生まれたからって優遇された人。
お姉ちゃんとは少しお話したかったけど、やっぱりそれも無理。
お母さんに掛けた魔法と同じものをお姉ちゃんにも施した。
リッツェ「お姉ちゃんはいいよね。私がいなくなってから、ずっと大切に育てられてたんだもんね」
ゆっくりと近づき、乱暴に髪の毛を鷲掴みにした。
私と同じ、艶やかな髪だ。
リッツェ「私が後に生まれてきたから、お姉ちゃんはこれまで楽しい人生を歩んでこれたんだよ?」
掴んだまま、いくつか料理が並べられている机に頭をぶつけさせた。
鈍い音が鳴ると同時に、机の角が血で染まった。
私が聞きたいのは、こんな音じゃない。
リッツェ「全部私のおかげなの。どうだった? 人の犠牲の上で楽しく暮らせた人生は」
髪の毛は放さず、もう一度同じ場所に頭をぶつけた。
しぶきを上げる赤い血は、今日見た公園の噴水を思い出させた。
リッツェ「私が泣いてても助けてくれなかったよね? 姉として、家族として、何かしてくれたっけ?」
何回も叩きつけるうちに段々と目は虚ろになり、口も閉じれていない。
硬い音しかならなかった頭が、あるところで変な感触に変わった。
ようやく手を離して床に倒したが、まぶたも口も一切動かない。
リッツェ「でもね私、お姉ちゃんのこと嫌いじゃなかったよ。好きでもなかったけど」
もう届いてはいない言葉。
届いたところで意味なんてない。
お母さんの方を見ると、すごく怯えた表情をしていた。
自分の子供を殺された母親が、恐怖している。
おかしいよね。
私だってお母さんの子供なのに。
ぬるりとした足でお母さんの方に近づくと、ますます顔が歪んでいく。
人の怯えた顔を見るのは、今までで一番楽しいかもしれない。
リッツェ「お母さん。…お母さんは、助けてあげようか?」
心にもない事を言ってみる。
怯えきった顔に、一筋の希望の光が射した。
ほんとに助けてくれると思っているのだろうか。
お姉ちゃんが殺されても、自分だけは助かりたいのだろうか。
顔面を一蹴りし、床に這いつくばった母親を見下ろした。
骨が砕けて歪んだ鼻から血を流し、さっきまで射し込んでいた光が消えて絶望の顔をしている。
リッツェ「さよなら」
弔いの言葉を生ゴミのように捨て去り、相手の服に魔法で火をつけた。
叫び声は上げられない。
魔法が解けるよりも、息絶えるのが先だろう。
少し眺めていると、火は周辺の家具に燃え移り、きっとそのうち家ごと燃やしてしまう。
もちろん心中する気なんてないので、それまでにはここから逃げないといけないけど…。
リッツェ「……」
オゼ「すっきりした?」
リッツェ「…分からない」
オゼ「そっか」
やり終わって気付いたが、私の体は汗だくだった。
近くで物が燃えているから、そのせいもあるのかもしれない。
鼻を突く嫌な臭いがしたところで、私たちは家を出た。
外は家の中よりは涼しかったが、私の気持ちまでは拭ってくれなかった。
オゼは返り血の付いた私の手を握ってくれた。
オゼ「今日も暑いね」
リッツェ「……」
オゼ「帰ったらパーティーと、それから洗濯もしないとね」
リッツェ「…これ、汚れちゃった」
リボンのついたヘアゴム。
外すのを忘れていた。
オゼ「じゃあまた今度、今度こそは普通に町を散歩しようか」
リッツェ「…うん」
煙の上がる家を背中に、私たちは家へと歩いた。
調子に乗って書き過ぎました。
終わりって聞くと、どうしてもダークなイメージしか出てこなくて。
最後までお読みいただきありがとうございました!