ありがとう(弱虫サンタのメリークリスマス外伝)
「もう一度彼女に会いたいかい?」
誰かの声が聞こえる。
声の感じからすると年配の男性のようだ。
……ここはどこだ?
目を開けようとしたが瞼が動かない。
身体も指一本動かすことができない。
真っ暗な世界……だが不思議と怖くはなかった。
「もう一度彼女に会いたいかい?」
また声が聞こえる。
彼女に会いたいかい?
そんなの会いたいに決まっている。
僕は会いたいと念じてみる。
「そうかい、ではそんな君に私から、一つの選択というプレゼントをあげよう」
選択……?
「ああそうだ。まず一つ、短い時間ではあるが、もう一度だけ君に彼女に会える機会をあげよう」
!?
「ただしその選択を選んだ場合、君はもうこの世に戻ってくることはできない。つまりは……死ぬ、ということだ」
……死ぬ?
「一度向こうの世界に連れて行った魂はもうこちらの世界に戻すことはできない、それに彼女と同じ所へ行くこともできない。私がこれから行う方法で向こうの世界にいった場合、君の魂は数分で消滅して完全に無くなってしまう」
………………
「もう一つの選択は、今の話は全て忘れて普通に寿命を全うする……ということだ。ただしこちらを選べば、もう二度と彼女に会うことはできんじゃろう」
………………。
「さぁ、どうするかね?」
自分の命と引換えにもう一度雪希に会うか、それとも今の人生を生き抜くか。
これは……悪魔の囁きだ。
本来耳を傾けてはいけないものだ。
でも……それでも僕は……。
僕は再び心に強く念じる。
「……本当にそれで後悔はないんじゃな?」
後悔……そんなのたくさんあるに決まってる。
思えば僕の人生は後悔ばかりだ。
でもきっとその全ての後悔を足したとしても、この選択を選ばなかった時の後悔の方が遥かに大きいと僕は確信していた。
だったら僕は選びたい……後悔の少ない選択を。
「わかった……では君を今から彼女の元へ連れて行ってあげよう」
声の主がそう言うと、フッと僕の意識が遠のいていく。
ズブズブと僕の意識がまどろみに飲み込まれていく。
「先ほども言ったが彼女といられる時間は非常に少ない。有効に使うんじゃぞ」
薄らいでいく意識の中で僕は思った。
あなたは一体……?
「はっはっは……そうじゃな、随分昔は皆にこう呼ばれとったかな。……サンタクロース、と」
僕の意識はそこで途切れた。
………………
…………
……。
目を開けると目の前には先の見えない真っ直ぐな道が続いていた。
青々とした空、暖かな太陽の光、そして両側には鮮やかな花畑。
そんな幻想的な世界の真ん中で膝を抱えて泣いている女の子がいた。
僕はその子にそばまで歩いていくと目の前にしゃがんで、怯えないよう優しく話しかける。
「こんにちは。どうしたんだい、こんなところで一人で泣いて?」
僕がそう言うと女の子は膝を抱えたまま泣き声で話しだす。
「大事な人を……とっても大事な人をたくさん傷つけちゃったの……。いつもそばにいて、悲しいときは一緒にいてくれて、いつも守ってくれたのに……」
そう言うと再びポロポロと涙を流して、女の子はエグエグと嗚咽を漏らす。
「わたし……その子のこと大好きだったのに……いつも笑っててほしいのに……なのに……うわぁぁぁぁぁん!」
とうとう大声で女の子が泣きだしてしまう。
「きっとわたしのこと嫌いになっちゃった……もうわたしと一緒にいてくれなくなっちゃう……そんなのやだ……やだよぉ……」
僕は優しく笑いながらその子の頭をそっと撫でる。
指に懐かしい感触が伝わってきて、僕の心がポカポカと暖かな気持ちで満たされていく。
「泣かないで、大丈夫。その子はきっと君のことが大好きで、大切で、離れたくないと思ってる。だからそんなことで君を嫌いになったりしないよ……」
僕がそう言うと女の子がゆっくりと顔を上げる。
「……ほん、と?」
大きな瞳を真っ赤に腫らしたその泣き顔を見て、思わず僕まで泣きだしそうになる。
僕はこの子にそんな顔してほしくなくて……笑ってほしくて、ニカッとおどけて笑う。
「もちろん! 僕が保障する。……だからもう泣かないでいいんだよ」
僕は女の子の涙を指でそっと拭う。
そして女の子の両頬にそっと手を置く。
「だから笑おう、悲しい顔なんて君には似合わない。だからいつもみたいに笑ってよ…………雪希」
僕は笑う。
それにつられて女の子……雪希も笑う。
いつも僕の心をあったかい気持ちにしてくれた……あの笑顔で。
「ごめん……雪希」
「なんで夏輝が謝るの?」
気付けば小さい頃の雪希はいつもの雪希になっていた。
僕は雪希の頬に手を置いたままコツンと雪希のおでこに自分のおでこを重ねる。
「そうだね、なんかいろいろ……ごめん」
「なにそれ……もう、わたしの彼氏は本当にしょうがないんだから」
雪希が呆れたように優しく微笑む。
雪希は恐らく気付いているのだろう。僕が自分の命と引き換えにここに来たこと。
そしてもう、二人が一緒にいられる時間はほとんど残されていないことを……
「ほんとしょうがない奴だよ僕は。でも、それでももう一度会いたかった……ほんのひと時でいいから、もう一度こうして寄り添いたかったんだ……」
額を離し僕は母親に甘える子供の様に、雪希の胸に顔をうずめる。
息を吸うと世界中のどんなハーブよりも僕の心を落ち着かせてくれる愛しい……雪希の香りが胸いっぱいに広がる。
そんな僕の頭を雪希が優しく、まるで自分の子供の様にサラサラと撫でる。
「もう、わたしの大好きな人はいつからこんな甘えん坊になったのかな?」
雪希の悪戯っぽく、でも穏やかな声が聞こえる。
「いいじゃないか。いつもは雪希が僕に甘えてばかりだったんだから、たまには僕が雪希に甘えても」
「あ~なにそれ! わたし、そんなに甘えてばかり……だったかも」
僕が笑う。
雪希も笑う。
暖かな春のような心地よい日差し。
身体を優しく撫でるように通り過ぎていく風。
その風に揺られてサワサワと穏やかな唄を奏でる花々たち。
時間が止まれば……なんて贅沢は望まない。
せめて後1分、30秒でもいい。
この時間を少しでも長く感じていたかった……。
でもどんなに願ってもそれは叶わない。
時は無常に、機械的に時を進めていく。
僕は気付いていた。
もう間もなく、僕は消滅することに……。
僕は雪希からそっと離れ、ゆっくりと立ち上がる。
雪希もその時を悟ったようで、静かに僕の身体から手を離す。
「ごめん雪希……もう時間だ。もう行かなきゃ」
僕の言葉を聞いて、雪希もゆっくりと立ち上がる。
「そっか、もう行っちゃうんだね」
僕は小さく頷く。
「ほんとにごめん……雪希」
僕が雪希に背中を向けてそう言うと、ポフッと僕の背中に重力がかかる。
「もう、夏輝はさっきから謝ってばっかり。こういう時はもっと別の言葉があるでしょ~」
雪希が背中合わせで僕にもたれかかりながら言う。
雪希のその言葉を聞いて、僕は抜けるようなこの青空を見上げる。
どうか零れないでくれ。
今……今この一瞬だけは僕を笑顔でいさせてくれ。
僕はぼやけて歪んだ青空を見上げながら言った。
「ありがとう、本当にありがとう……雪希」
「こっちこそ、ありがとう……夏輝」
背中を向かい合わせての会話。
でも僕たちは知っている。
僕たちはきっと笑っている。
これまでの人生の中できっと最高の笑顔で笑っているはずだ。
もう僕と雪希の道が交わることは二度とないとしても。
それでも心だけはきっと繋がり続けると……僕たちは信じて疑わないから。
ねぇ雪希?
君の瞳に映った僕はどんなだった?
人に優しくできていたかな?
つくり笑顔で笑っていなかったかな?
好きなものを好きと胸を張って言えていたかな?
自分のことをちゃんと愛せていたかな?
雪希のことをちゃんと愛せていたかな?
一つでいい。
どれか一つでも僕がそれをちゃんとできていたなら。
雪希の瞳にそう映ってたとしたら。
---僕の人生はとても……幸せだ---
……支えを失った背中を爽やかな風が吹きぬける。
雪希もまた空を見上げていた。
だがそれでも、その大きな瞳からはポタポタと止まることなく沢山の涙が零れ落ちていた。
「夏輝……夏輝はどれもちゃんとできていたよ。そんなの当たり前じゃない、だって……だって私の……自慢の彼氏なんだからっ……!」
雪希の笑顔がグニャリと歪み、あっという間に泣き顔に変わる。
「馬鹿……本当に馬鹿なんだから……」
雪希が振り返る。そこにもう愛しい後ろ姿はなく、ただただ真っ直ぐに伸びる道だけが続いている。
「わたしのほうが先に死んじゃったのに、わたしより先に消えちゃうんだからっ……」
泣き笑いのような顔を浮かべながら雪希がフッと下を向く。
「……? これって……」
先ほどまで愛しい人が立っていた場所。その場所に太陽に照らされてキラリと光る何かを見つけ、雪希はそれを拾い上げる。
「……!? ふふっ、そうだね夏輝。わたし達はいつも心は繋がってるんだったよね!」
拾い上げた『ソレ』を雪希は左手の薬指にそっとはめる。
「よ~し!じゃあわたしもそろそろ行こうかな!」
う~んと背伸びをして雪希は歩きだす。
もう雪希の顔に泣き顔はなかった。
ただただ、爽やかささえ感じる笑顔だった。
大丈夫、どんなに離れてもわたし達はずっと繋がってるから。
左手に光る指輪を見つめ、雪希はニコリと笑う。
目の前にはどこまでも続く長い長い道。
この先には何が待っているんだろう?
ううん、そんなの決まってる。
それはきっと………………。
………………
…………
……。
春の日差しが爽やかに降り注ぐ4月のある日。
父親と小さな女の子の親子がお墓参りに来ていた。
父親がいつものように墓を綺麗に磨いた後、花と酒を添え、線香に火を灯し、静かに手を合わせる。
その横で父親の姿を見よう見真似で女の子も手を合わせる。
「よーし、墓参りも終わったし、それじゃあ約束どおり比奈の好きなハンバーグ食べに行くか!」
「おーはんばぁぐー!」
父親のその言葉を聞いて女の子が目をキラキラさせながら父親の足に抱きつく。
「こらこら、歩きづらいだろ! ほらっ、行くぞ比奈」
父親に促され比奈が先をタタタッと走っていく。
「こら! 走るとまたこないだみたいに転ぶぞ!」
父親が慌てて子供を追いかけようとする。
「……ん?」
走り出そうとした瞬間。ふと視界の隅に黄色い何かが映った気がして父親は視線を移す。
「これは……!? ははっ、ははははは! そうかいそうかい! こりゃいい日だ!」
父親が嬉しさのあまり大声で笑ってしまう。その父親の姿を見て比奈が不思議そうな顔をして近づいてくる。
「どしたのパパ? なんかたのしいことあった?」
不思議そうに首をかしげる比奈の頭を父親がグシグシと撫でる。
「ああ、とってもいいことがあったよ! さぁ、比奈。ハンバーグ食いにいこーぜ! 今日は比奈の大好きなプリンもデザートにつけちゃうぞ!」
「おーぷりん!」
そんな会話をしながら手をつないで寺を後にする親子。
父親は歩きながらそっと振り返り、比奈に聞こえないようボソリと呟く。
「よかったな親友……また一緒になれて」
夏輝と雪希が眠るその墓の片隅。
夏にしか咲かない向日葵
冬にしか咲かないスノードロップ
柔らかな春風に揺られながら
季節はずれの『2人』は
寄り添うようにソヨソヨと揺れていた……。
と、いうわけで『弱虫サンタのメリークリスマス』でどうしても書きたかったけど、形にならなかった部分を今回短編として投稿してみました。
初見の方も、前作から引き続いて読んでくださった方も作者のわがまま小説にお付き合い頂きまして本当にありがとうございました!