第五話 〜星は今日も、同じ軌道で〜
ふたご座流星群が流れる前日のこと。
今日は珍しく帰りのホームルームが早く終わり、早く部室に来ることができた。
部室の扉を開けると、机にはピンク色の手帳がひとつ。椅子の上には鞄。
花梨のだろうか。…そもそもここに来る人は花梨しかいないか。
自分の席に座って、花梨の席を眺める。
ふと、手帳をみると、手帳のピンク色無地の表紙に「私」と書いてあるのが目に止まった。
「…「私」…?」
気になった。俺は花梨の大事な事を知らない気がしてならなかった。
それは彼女の事が知りたいという、好きという感情にも似たなにかだった。
手帳を手に取り、開いて見る。
「……日記?」
書かれてあるのは、一日一日の出来事。
今日はこんな事があった。誰と話した。何をした。何を食べた。何を感じたか。
…どんな星を見たか。
一つ一つの出来事に自分の思いをメモし、細かく一日を記入している。
パラパラとめくって行くと、最後のページに「私へ」と書かれているものをみつけた。
「これを見ている私は、昨日の私を知らない。そして、明日の私は今の私を知らない。だけど怖がらないで。私は忘れているんじゃない。しまい込んでるだけ。大事に、大事に。だから許して。今までの私を。」
これがどういう意味かを悟ってしまった。今までの心の突っかかりが、突然崩れ始めた。走馬灯のように、彼女の言葉を追う。
花梨が星を好きというのは、自分との投影によるものだったのだ。
「…そういうことか」
気づくのが遅かったかもしれない。いや、花梨は気づいて欲しくなかったのかもしれない。
でも、花梨は何時だって俺を見ていた。あの目は、昼の星を見る俺と似ていて。
とても見てられなかった。
足音が聞こえてくる。扉の向こうからこちらに近づいて来る。
慌てて手帳を元の位置に戻す。本を取り出し、読んでいるフリをする。
「…先輩?早いですね。」
「お、おう。今日は早く終わったからね。」
少し何時もより、おぼついた足取りで扉を閉める。ふぅと深呼吸をする。
そして、花梨は視線を自分の席に落とす。
「あっ…わ、私、荷物置いたまま…!」
「別に盗られる事もないだろうし、大丈夫じゃない?」
「え、えっと…そうですねっ。そうでした。」
手帳を荒々しく鞄にしまって、席に座る花梨。目を泳がせながら、机を見つめる。
「大丈夫?なんかあったの?」
「い、いえ、友達と話してただけです。」
「顔赤いよ?」
「なんでもありませんよ!ほんとにっ!」
手帳の事ではなく、友達とも何かあったのだろうか。ふー、ふーっと呼吸を整える。
そんな花梨を横目に、本を眺める。文字の羅列が俺の頭を彷徨い始める。
やがて、落ち着いてきたのか、伏せていた顔を上げ、鞄の中を漁る。
取り出したのは、先程の手帳だった。
「…誠先輩。」
「ん?」
「…これ、見ました?」
この質問は予期していた。文字の羅列を避けながら、必死に回答を考えていた。
確かに見なかったと言った方が正解だろう。タイミングに疎い俺でも、このタイミングで事実を知った事を告げるのは駄目だと思う。
しかし、本当にそうだろうか。
花梨のこの質問は、どんな回答を求めているんだろうか。
「見たよ。」
「え…見たんですか…?」
「うん。」
「そ、そうですか…」
花梨は次の言葉を探している。静寂が部室を包み始める。
「誠先輩っ…!私っ…!」
「なーんてね。流石に人のものを勝手に見る事は出来ないよ。」
「っふぇ?」
「ごめんごめん、どんな反応するかなーと思って。」
「な…な、な、ななっ、なんですか!びっくりしたじゃないですか!」
さっきより顔を赤くして、忙しなく口を動かす花梨。
「…それとも見て欲しかった?」
自分でもわかるくらい、意地悪そうな顔をしながら問いかける。
「そんな訳無いじゃな…いですか。」
最後はふにゃふにゃと言葉を弱めながら、反抗する花梨。
「だよね。」
「で、でも…誠先輩なら…いいですけど…ただの日記ですし。」
「日記?そうなの?見たい見たい。」
そういう俺を見ながら、少し悩んだあと、手帳を鞄にしまった。
「やっぱり駄目ですっ。」
そう言ってそっぽを向いてしまった。
「残念。」
つい反応が面白くて意地悪してしまったけど、やっぱり彼女の求める回答はわからなかった。
だからと言って、進む勇気もない。
ほんとに、弱い。これじゃあ、変わらないじゃないか。
それから、いつもの部室に戻った。花梨はいつも通り星の図鑑を広げている。
だけど、俺に教えることはせず、図鑑を捲る手は力はなく、読む目は図鑑を見ていない。
また、その目だ。また、その顔だ。
お願いだから、そんな顔をしないでくれ。
突然、花梨の携帯が鳴る。
「もしもし?……え?」
騒然とした顔をしながら、腕時計を確認する。
「……嘘……それに冬だから……」
ぶつぶつと呟く。何処かで見たような光景だった。
何時かの俺を見ているよう。
「先輩!」
突然立ち上がる花梨。そして、俺の腕を掴んで無理やり引っ張る。
あぁ、あの時と同じだ。
「どうしたの?」
だから、同じように質問する。ちょっと笑ってしまったけど。
「屋上に急ぎましょう!」
星のタイミングは何時だって気まぐれで。俺の悩みを他所にやって来る。あれだけ悩んだ「タイミング」を、流れ星のように一瞬で流してしまう。
その時、その瞬間に恋をして。
その時、その瞬間から、君は見てきた。
認めよう。伝えよう。
そこから、始まる。
階段を上って、屋上の扉の前についた。
その間、俺は何も言わなかった。ただただ、花梨を見ていた。
懐かしい扉の前で立ち止まる。台本通りかのように、案の定扉は開かない。
「屋上の扉は、許可された人以外は立ち入り禁止だよ。」
菖蒲の声と重ねるように、俺が応える。
花梨の手から腕を離して、俺は笑う。
あの時、俺はこんな顔をして、菖蒲はこんな気持ちだったのかな。
「・・・はい。」
ポケットから、鍵を取り出して、見せつける。
「・・・なんで・・?」
「さぁ、なんででしょう?」
ニヤニヤした顔で、問を問い返す。
俺は扉の前に出て、鍵を開ける。
そして、扉を少し開けながら、扉を背にこちらを向く。
「ここを開ける前にひとつ質問。」
「な、なんですか?」
「屋上に出て、何をしようと?」
「・・・そ、それは、流星群をっ」
「流星群を肉眼で見るつもりかい?」
「え・・?」
「天文学部なんだから、望遠鏡で見ようよ。」
扉を開けた。
そこには、二つ望遠鏡が置かれている。
部室に置いてある、唯一の‘天文学部らしい道具’だ。
「なんで急いだのかは知らないけど、俺が流星群の日を忘れていると思った?」
いや、本当は知らなかった。何も知らなかった。
ここに置かれているものは、"あの時のまま"なのだ。
だから、来たくなかったんだ。さっきまでは。
「違うんです、今さっき友達から、流星群が来るのが一日早くなるって…」
「ま、よくある事だよ。星なんてそんなもんさ。」
望遠鏡へと歩きながら、ふたりで話す。
空を見上げながら、言う。
「寒いだろうから、そこに毛布置いといたよ。夏と違って、ここで星を待つのはなかなか辛いね。」
外の気温に細かく震えながら、毛布のある場所へ急ぐ。
花梨はまだ状況を理解出来てないのか、固まってしまっている。そんな花梨を手招きする。はっと我に返ると、駆け足で俺のところに近づく。
「冬だから暗くなるの早いね…。あと時間どのくらいあるの?」
「うーん…わからないです。」
はい、と毛布を渡して、温まる。
「温かいです…」
白い息が吐かれる。火照った顔が可愛く見えた。
「あの…誠先輩?」
「ん?」
「言いたい事があるんです。」
「うん。」
「なので…あの…その、私をそんなに見ないでください…」
「あぁ、ごめんっ!」
つい、見惚れていた。花梨と同じように空を見上げる。
星は今日も、同じ軌道を描いている。
そう、動いて見えるこの星はこっちが動いてるからであって。
動いて見えた未来も、結局は動き出さなきゃ始まらない。
白い息が、マフラーのようにゆらゆらと消えていった。




