仕事と復讐
夜。
燃え盛る森へ向かって、ダンは駆けていた。
家族への土産は、走る邪魔になると途中で捨てた。
森の奥には、ダンと家族が暮らす村がある。
森に入るや否や、さらに全力で走る。
だが炎は勢いを増し、村の入り口が見えた頃には、ダンの足は自然と速度を落としていた。
もう、間に合わない。
崩れ落ちそうになる身体を、辛うじて保つ。
その背後に、ふいに気配が走った。
振り返るより早く、後頭部を強打され、ダンの意識は闇に沈んだ。
気が付くと、ダンは縄で縛られ、地面に転がされていた。
正面の切り株には、フードを深く被った男が座っている。
冒険者のような格好だが、漂う雰囲気は明らかに手練れのそれだった。
「遅かったな」
「……誰だテメエ?」
ドスの利いた声で威嚇する。
まだ村は燃えていた。
炎の音が耳に刺さる。
「テメエッ! テメエが村を焼きやがったのか!」
男は黙ってフードを払った。
くすんだ金髪はボサボサで、右半分の顔は酷い火傷に覆われている。
そして何より、青い目。そこには感情が欠片ほどもなかった。
「俺の顔を見て、どう思う」
「知るかっ!」
男はわずかに目を細めた。
「憶えていないのか、それとも皆殺しにしたからどうでもよかったのか。――イゼイル家」
ダンの背筋を冷気が這い上がる。
もちろん憶えている。この仕事で忘れたことなどない。
『取引先』と『仕事先』。
イゼイル伯爵家は、その『仕事先』だった。
しかし、ありえない。
「っ! 馬鹿な!」
「あの家の人間は皆殺しにしたはずだ。生き残りなどいるはずがない、か?」
その通りだった。
ダンの仕事は暗殺。
村は暗殺者を育成する隠れ里であり、仕事はいつも金で受ける。
今日も単独任務で『仕事先』を処理し、帰ってきたところだった。
かつて手掛けた、イゼイル伯爵家一家惨殺。
屋敷の者は誰一人残さず殺し、屋敷ごと焼いた。
となれば、この男は縁者か。
だが男は否定した。
「あの家の縁者――でもない。ルーカス・イゼイル。イゼイル家当主、いや、元当主だ」
ルーカスは目を瞑り、黙祷するように静かな間を置いた。
ダンはその隙に縄を探るが、隠しナイフは奪われ、縄は魔道具らしく解けない。
ルーカスは静かに目を開く。
「お前がトドメを刺したのはアルフレッド。あの家に仕えていた執事で、俺の乳兄弟だ。元からよく似ていると言われていたが、まさかこんな形で役に立つとはな。……誰も望んじゃいなかったがな」
「つまり、お前は……」
ルーカスが来た目的は一つしかない。
「ああ、そうだ。妻も子ども達も使用人も、お前達に殺された。だから仕返しに来た。ほぼ終わったがな」
淡々と言う口調が、逆に恐ろしい。
「この隠れ里のことは調べた。人数も数えた。村の周囲は魔力障壁で覆って、誰も逃げられないようにしてある。逃げたヤツもいない。もちろん、お前と一緒に仕事した奴らと家族もな」
「そんな! いや、確かに俺達はお前の家を滅ぼした! だからといって村一つ焼くことはないだろう!?」
ダンの叫びに、ルーカスはゆっくり首を傾けた。
「何故?」
「俺達は、仕事でやっただけだ! やったのは俺と数人だけだ! ウチの家族は! 村の人間は、無関係だった!」
ルーカスの目が冷たく細められる。
「……じゃあ、俺の家の人間は、お前とどういう関係があったんだ?」
反論の言葉が詰まる。
『取引先』の貴族に雇われて、イゼイル家を殺した。
それだけだ。
「イゼイル家の人間を皆殺しにしろと金で雇われ、その通りにした。仕事として」
「そ、そうだ……」
ルーカスは淡々と続けた。
「その報復で、お前の村は俺に焼かれた。復讐として」
「だから!」
「必要はない」と言おうとした声は、ルーカスに遮られた。
「お前は、金で人を殺すのは尊くて、復讐で人を殺すのは駄目だという」
「あ――」
言っていない。
けれど、否定する言葉が浮かばない。
「生活の為に人を殺すのは正しくて、家族を奪われた怒りで人を殺すのは間違っている。……そう言うお前の方が、おかしいだろう?」
胸を刺すような言葉だった。
でも――家族のことを思えば、納得などできない。
ルーカスは淡々と続けた。
「他に理由が必要か? 家族を奪われた俺と同じ思いを、お前に味わわせたかった。この村は暗殺者を育てる村だ。存続すれば、俺と同じ思いをする人間がまた出る。だから滅ぼした。一人でも逃せば、そいつが俺に報復に来るかもしれん。だから根絶やしにした」
炎の音が轟く。森はさらに燃え広がっていた。
だが、まだ――心のどこかに、希望は残っていた。
もしかしたら妻と息子が、生きているかもしれない。
その考えを、ルーカスは見透かしたように言った。
「ああ、まだ火の中に生き残りがいるかもと考えているなら無駄だ。生命反応はもうない。何より、一番必要なモノはちゃんと確認済みだ」
ルーカスは切り株の後ろへ手を伸ばす。
「ちゃんと、理由を話してからぶち殺した」
ダンの眼前に、大きな袋と小さな袋が転がった。
どちらも人の頭がすっぽり入る大きさで、縛り口には血が滲んでいる。
「ああああああああああああああああっ!!」
ダンの絶叫が、森の炎に掻き消された。
「お前はできるだけ苦しめてから殺したかったが、そうも言ってられん。森が一つ燃えているんだ。誰かが様子を見に来るだろう。俺にも余裕がない」
ルーカスは立ち上がり、斧を構えた。
「心配はいらん。ちゃんと息の根が止まっているか確かめるぐらいの時間はある」
家族の首から目を離せないダンの頭へ、斧が振り下ろされた。
◇◇◇
「行くか……」
ルーカスは手帳を取り出し、リストに一本、線を引いた。
そこには、長老を拷問して聞き出した『取引先』の名前が並んでいる。
「……ファウスト公爵家。絶対許さん」
呟きを残し、ルーカスは燃える森の奥へと消えていった。




