表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35歳ゲーム依存の俺、ネカフェから自分の体を遠隔操作して人生やり直すことにした  作者: 衛士 統


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/5

第3話:初めての「ありがとう」

職場である整形外科クリニックまでの道のりは、それ自体が高難易度のステージだった。


駅の雑踏を、人にぶつからないように進むだけでコントローラーを握る手は汗ばむ。揺れる電車の中で、吊り革を掴み損ねてよろけそうになる体を必死に立て直す。昨日までの俺なら、目を閉じていてもできたはずのその全てが、今は集中力を要する精密作業だった。


ほうほうの体でクリニックにたどり着くと、案の定、同僚たちからは奇異の目で見られた。


「相沢さん、二日酔い、ひどすぎません?」

「なんか今日の歩き方、ロボットみたいですよ」


俺は「いやー、ちょっとな」とヘラヘラ笑って誤魔化すしかない。魂だけの俺は、酔っているわけでもなければ、ふざけているわけでもないのだ。


白衣に着替え、午前の業務が始まる。無論、胸元のボタンは外れている。


リハビリ室の簡素なベッドに、一人目の予約患者がやってきた。その瞬間、ポケットの中のスマホが短く震え、新たなミッションが表示される。


【通常ミッション:担当患者の満足度を80以上にせよ】


俺は、モニターの隅に表示された「現在の所持ポイント:50P」という数字を睨みつけた。


(あと50ポイント……このミッションをクリアすれば、あの地獄の操作性から解放されるんだ……!)


だが、リハビリ室に入ってきた患者の顔を見て、俺の決意は早くも鈍い音を立てて砕かれた。

田中さん。御年七十二歳。


腰痛を訴え、週に三回通ってくる常連患者だが、同時に、スタッフの間では「一番関わりたくない患者」として有名なクレーマーでもあった。


「よう、相沢先生。今日も頼むよ。まあ、アンタにやってもらっても、気休めにもならんがね」


ベッドに横になるなり、田中さんは嫌味たっぷりにそう言った。

俺は、震える手で電気治療の機械を準備する。いつも通り、マニュアル通りの施術をこなせば、満足度は上がらずとも、下がることもないはずだ。


――そのはずだった。


コントローラーでの微細な操作が、俺の思考と絶望的にリンクしない。電極パッドを患者の背中に貼り付けようとするが、指先が滑り、冷たいパッドを何度も背中に落としてしまう。


「……おい」

田中さんの声に、苛立ちが混じり始める。


「す、すみません……」

なんとかパッドを貼り付け、次はマッサージに移る。だが、ここでも悲劇は起きた。


指の力加減が全く分からず、ただ肌の表面を弱々しくさするような、頼りない動きしかできない。これではマッサージというより、ただ撫でているだけだ。


そして、ついに田中さんの堪忍袋の緒が切れた。

「おい、アンタ! さっきから何やってんだ、ふざけてるのか!」


リハビリ室に、怒声が響き渡った。他の患者やスタッフの視線が、一斉にこちらに突き刺さる。


その瞬間、俺のスマホが追い打ちをかけるように震えた。


【患者の満足度が低下しました。 -30P】

現在の所持ポイント、20P。


スキル獲得が、絶望的に遠のいていく。このままでは、ポイントを稼ぐどころか、またマイナスに転落してしまう。


俺は、唇を強く噛みしめることしかできなかった。


まずい。このままではミッション失敗どころか、またマイナスポイントの泥沼に逆戻りだ。


焦りが脳を焼き、コントローラーを握る手が汗で滑る。


その時だった。


ふと、今朝の出来事が脳裏をよぎった。無理な体勢で棚に手を伸ばす美晴に、何気なく放った一言。あの時、俺は理学療法士として、ごく当たり前の指摘をしただけだった。だが、結果として200ポイントものボーナスを獲得できた。


(そうだ……俺には、この体と頭脳に叩き込まれた専門知識があるじゃないか)

俺は、コントローラーでの物理的な操作で評価を得ることを、いったん諦めた。


代わりに、目の前で不満を露わにしている田中さんを、一人の「攻略対象」として、冷静に観察・分析し始めた。


彼の普段の姿勢。リハビリ室に入ってくるときの歩き方の癖。痛みを訴えるときの表情と、無意識に庇っている体の部位。電子カルテに記録された、過去の施術への反応。


それら全ての情報を、俺の頭脳が猛スピードで統合していく。そして、一つの結論が導き出された。


この人の痛みの根本原因は、本人が訴える「腰」じゃない。長年の癖で歪んだ「足首」と、それによって可動域が極端に狭まった「股関節」だ。腰の痛みは、その歪みを庇った結果に過ぎない。


その結論に至った瞬間、俺の視界の端で、スマホの画面がひとりでに切り替わった。

モニターの中の、田中さんの頭上に、半透明のステータスウィンドウが表示される。


【対象:田中 一郎(72)】

【状態:不満(強)、ストレス(高)、痛み(腰)】

【根本原因:未特定 ⇒ 股関節及び足関節のアライメント不良】


まるでゲームの解析画面だ。俺は、自分の分析が核心を突いていることを確信した。


「田中さん、すみません。ちょっといつもと違うことを試させてもらってもいいですか」


俺は、おぼつかない手つきで、しかし明確な意図を持って、田中さんの足首に手を添えた。

「なんだ、腰が痛いって言ってんだぞ」


訝しむ田中さんを無視し、俺は分析結果に基づいて、硬くなった股関節のストレッチと、歪んだ足首の位置を調整する、ごく軽い運動療法を始めた。


数分後。


施術を終え、俺は田中さんにベッドからゆっくりと立ち上がるよう促した。彼はまだ不満げな顔をしながらも、体を起こし、リハビリ室の床に足をつけた。


そして、数歩、歩く。

その瞬間、田中さんの顔から、驚きで表情が抜け落ちた。


「……あれ? おい、なんか……いつもより、ずっと楽だぞ」


彼は、確かめるように何度も屈伸をしたり、腰をひねったりしている。その動きは、先ほどまでとは比べ物にならないほど滑らかだった。


やがて、田中さんは俺の方を向き、初めて素直な声で、少し照れくさそうに呟いた。


「……ありがとうよ」

その言葉が、トリガーだった。


スマホが、祝福のファンファーレのように、立て続けにボーナス通知を知らせる。


【患者の満足度が100に到達しました! +150P】

【ボーナス:根本原因の特定に成功! +100P】


現在の所持ポイント、270P。

俺は、胸に込み上げてくる歓喜のままにスキルショップを開き、迷うことなく、一番上にあったスキルをタップした。


【[歩行安定 Lv.1]を購入しますか? YES / NO】

【YES】


スキルが有効になった、その瞬間。

モニターに映る視界の、微妙なぐらつきがピタリと安定した。まるで、手ブレ補正機能がMAXになったかのように。


俺は試しに、モニターの中の「俺」に歩かせてみる。


一歩。


今までとは比べ物にならないほど、スムーズで、安定した、力強い一歩だった。

世界が変わって見えた。


初めて、この理不尽なクソゲーを「攻略してやる」という、前向きで、攻撃的な気持ちが、俺の心に芽生えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ