第三十七話:父の影
リゼリアの研究所の奥深くにある地下牢の一角。灯された魔法の光が、冷たい石壁にぼんやりと影を落としている。
カイは小さく息を整え、慎重に足音を殺しながら鉄格子の前に立った。
「……また来たの?」
レティシアが静かに呟く。彼女は壁にもたれかかり、うっすらと目を開けていた。
カイはぎゅっと拳を握りしめ、鉄格子の隙間から中を覗き込んだ。
「うん。……君と話したくて」
レティシアはカイの姿をじっと見つめた。彼の青い瞳には迷いが滲んでいる。
「……こんなところに来て大丈夫なの?」
「……平気だよ。母さんは、今は出かけてるから」
リゼリアがセリオの館に行っている間、カイは誰にも気づかれないように地下牢へと忍び込んできた。
「あなたは無鉄砲ね」
レティシアは小さくため息をつくが、その声はどこか優しかった。
しばらく沈黙が落ちた後、カイは思い切ったように口を開いた。
「……君は勇者なんだよね? 僕の父さんも、勇者だったんだよ」
レティシアの瞳がわずかに揺れる。
カイは小さく笑ってみせた。
「でもね……僕、父さんのことはあんまり知らないんだ。母さんは父さんの話をあまりしないし……父さんは僕のことをすぐ忘れてしまうから……」
レティシアの心臓が強く締めつけられる。
(やっぱり、そうだったのね……)
初めて会ったときから、セリオに似ていると思っていた。容姿だけではない。カイの話し方、表情、そしてどこか孤独を抱えているような雰囲気——。
今、彼の言葉が決定的な答えをもたらした。
——カイは、セリオの息子だったのだ。
レティシアは無意識に拳を握りしめた。
あの女との間に生まれた息子が、こんなにも素直で、温かい心を持っているなんて。
——私が滅ぼすべき魔界に生まれた息子が。
彼女は痛みをこらえるように、ぎゅっと唇を噛んだ。
カイはそんなレティシアの変化に気づかないまま、続きを話した。
「……だから、僕は知りたいんだ。勇者って、どんな人だったのか。父さんはどんな戦いをして、どんなことを考えていたのか……」
レティシアは目を伏せ、ゆっくりと息を吐いた。
(……もし、彼が両親のすべてを知ったら?)
彼はどうするのだろう。
レティシアはふと、カイの純粋な瞳を見つめる。そして、彼がまだ迷いの中にいるのを感じ取った。
——やっぱり私は成し遂げなければならない。
レティシアは静かに立ち上がり、カイの瞳をまっすぐに見つめた。
「……私を、ここから出して」
カイの目が大きく見開かれる。
「え……?」
「私には、しなければならないことがある。こんな牢獄に囚われている場合じゃないの。だから——お願い。ここから出して」
レティシアの声には、切実な響きがあった。
カイは言葉を失う。
彼女を逃がすべきか——それとも、このまま見捨てるべきか。
心の中で、二つの感情がせめぎ合う。
レティシアを助けたい。彼女を閉じ込めておくのは間違っている。
だが——。
母を裏切ることになる……!
カイは唇を噛みしめ、迷いの色を浮かべた。
レティシアは、彼のその葛藤を静かに見つめながら、そっと囁いた。
「……あなたは勇者の息子なのでしょう?」
カイはただ、黙って彼女の言葉を聞いていた。




