第三十二話:暗黒麦のパン作り
館の中庭に設置された大きな石臼の前で、セリオはゴリゴリと力強く暗黒麦を挽いていた。脱穀されたばかりの黒い穀粒が、ゆっくりと細かい粉へと姿を変えていく。隣ではリゼリアが、さらさらと指先で粉をすくい、その質感を確かめている。
「……思ったよりも細かく挽けているわね。セリオ、お前にしては上出来じゃない?」
「俺にしては……とはどういう意味だ?」
「そのままの意味よ。普段からもう少し器用に動いてくれれば助かるのだけれど」
リゼリアは薄く微笑みながら言い、セリオは軽く肩をすくめた。確かに手作業での粉挽きは初めてだったが、それなりに様になっているはずだ。
「父さん、次は俺がやる!」
カイが勢いよく飛び出してきて、セリオと交代するように石臼の取っ手を握った。まだ完全に力が足りないのか、少しずつしか回せないが、それでも真剣な顔で作業している。
「カイ、焦らずゆっくり回すのよ。暗黒麦は硬いから、急いで回してもすぐには挽けないわ」
「わかってる!」
カイが奮闘している間、リゼリアは粉の香りを確かめながら考え込んだ。暗黒麦は栄養価が高いが、そのままでは強い苦味があるため、工夫が必要だ。
「さて、パンを作るなら、他の素材と混ぜないといけないわね」
「甘みのある果実を入れるか?」
セリオがそう提案すると、リゼリアは軽く頷いた。
「それもいいけれど、せっかくだからいろいろ試しましょう。周囲の魔族も集まってきたことだし、みんなで作るのも悪くないわね」
いつの間にか、館の周囲に住み着いた植物系の魔族たちが集まってきていた。彼らは興味深そうにセリオたちの様子を眺め、一部はすでに手伝う気満々で材料を持ち寄っている。
「これ、使える?」
ひょろりとした蔦の腕を持つ魔族が、鮮やかな紫色の果実を差し出した。ほんのり甘酸っぱい香りがする。
「『月露の実』ね。苦味を和らげるにはちょうどいいかもしれないわ」
「じゃあ、俺は『鬼灯草』を使う!」
カイが手にしたのは、香ばしいナッツのような風味を持つ種子だった。これを粉に混ぜれば、香り豊かなパンが焼けるだろう。
「よし、それぞれ試してみるか」
セリオは腕をまくり、手伝いに来た魔族たちと一緒に生地をこね始めた。暗黒麦の粉に月露の実の果肉を混ぜたもの、鬼灯草を加えたもの、さらに周囲の魔族たちの提案で魔蜂蜜を入れた甘めの生地も作ることになった。
「セリオ、お前はパン作りは初めてのはずなのに、意外と手際がいいのね」
リゼリアが感心したように言うと、セリオは肩をすくめた。
「騎士時代に野営のとき、簡単な調理くらいはやっていたからな。生地をこねるくらいなら問題ない」
「ふふっ、じゃあ次は私が成形する番ね」
リゼリアは軽やかな動きで生地を丸めたり、棒状に伸ばしたりして、さまざまな形のパンを作っていく。その姿は、普段の冷静なネクロマンサーとは違い、どこか楽しげだった。
カイも魔族たちと一緒に小さなパンを作りながら、嬉しそうに笑っていた。
「よし! あとは焼くだけだな!」
セリオが準備した石窯にパンを並べ、じっくりと火を通していく。しばらくすると、香ばしい香りが立ちこめ、魔族たちが期待に満ちた目で見つめる。
「焼き上がったわよ」
リゼリアがオーブンから取り出したパンを並べると、さっそく味見が始まった。
「おお、これは……苦味がちょうどいい具合に抑えられてる!」
「魔蜂蜜入りは甘くて食べやすいな」
「こっちはナッツの香ばしさが良い!」
魔族たちは次々と試食し、それぞれお気に入りのパンを見つけていく。カイも嬉しそうにかじりつき、満足げに笑った。
「父さん、これ、美味しいよ!」
「そうか。なら、今後も作るか」
「ええ、なかなか楽しかったわね」
リゼリアもほほ笑みながら、自分の作ったパンをひとかじりした。ほんのり甘く、ほろ苦い味が口の中に広がる。こうして、魔界の館での新たな食文化が生まれていくのだった。




